ポッキーゲーム 誰が言い出したのかは覚えてない。
自習の時間、11月11日という日付に合わせて面白半分で始まったポッキーゲーム。
クラスみんなは、やいのやいのと楽しそうに笑っている。
両端からポッキーを際どいところまで食べ合うチキンレースのようなゲームだ。
次は誰がやる?
囃し立てるクラスメイトを千歳は呆れ顔で見守っていた。
何が面白いのかしら。
一歩間違えたら相手の唇に触れてしまう。
キスを神聖なものだと考えているロマンチストな千歳には、このゲームの趣向が理解できないのだ。
そのギリギリが面白いのだと、先程、サングラスをかけたクラスメイトに言われたが、全く持って理解できない。
「じゃあ、次はわぴこちゃんと葵ちゃんで勝負ねー!!」
とんでもない言葉が千歳の耳に入った。
「ダメーーーーー!!!」
無意識のうちに千歳ら叫んでしまった。
周りのクラスメイト達は耳を抑えて驚いている。
「オメー、いきなり大声出すな! びっくりするだろうが!!」
言ってしまった後で、千歳は口を押さえた。
「わ、わぴこは女の子なのよ!? 万が一にも口に当たったらどうすんのよっ!」
慌てて言い訳を並べ立てる千歳の言葉に、当人達であるわぴこと葵は互いの顔を見合わせる。
「別に?」
「わぴこも気にしないよ?」
わぴこ、アンタは気にしなさいよーーー!!
千歳は声に出せない思いを心で叫んだ。
「それとも、お前がわぴこと変わるか?」
葵は挑発するように笑みを浮かべると、更に千歳をからかうよう舌を出す。
この挑発された顔で言われてしまうと、千歳の本当の気持ちは奥底へしまわれてしまうのだ。
「じょ、冗談じゃないわよ! 誰がアンタなんかと!!」
「じゃあ別にいいじゃねーか」
言うや否や、葵は指先を器用に動かし、くるりと1本のポッキーをタバコを持つように人差し指と中指で挟む。
その姿は腹が立つぐらい……決まっている。有り体に言えば格好いいのだ。
葵はポッキーの端を軽く噛み、スタートの準備に入る。
わぴこも、この手の勝負事は基本手を抜かない。つまり、今の表情は真剣そのものだろう。
千歳はわぴこを、そしてその対格にいる葵に目をやる。
胸がとても苦しくなった。
こんな姿でも、キスシーンを見せられているような錯覚に陥りそうなのだ。
「よーい……ドン!!!」
文太の声が響き渡ると、しゃくしゃくとポッキーが噛み砕かれる音が響く。
嫌だ。
千歳はもう見ていたくないと胸元に握りこぶしを作り、二人から視線を逸らした。
目頭が熱くなる。
千歳自身は本当は気がついている。サングラスをかけた少年に向けた淡い想いが、彼女の胸を強く締め付けるのだ。
「わぴこちゃんの勝ちーーーーー!」
審判役の文太の声が耳に入ると、千歳は驚いた顔で葵を見つめる。
周りのクラスメイトもわぴこの勝利に祝いの声を送っていた。
千歳は全身の力が抜け、心の底から安堵のため息をつく。
「なんだよ?」
「アンタが負けるとは思わなかったわ……」
声に力が入らないから、言葉に対しての迫力を無くしていた。
またクラスは同じように、今度は誰と誰が勝負!と騒ぎ始めると、千歳は誰にも気が付かれないよう、静かに教室を出た。
心臓が今でもうるさい。
拭えない恐怖が身体を震わせる。
こんなみっともない姿を誰かにに見せたくはなかった。
せめて落ち着くまで理事長室にいよう。そう思い、足取りが重いまま歩みを進めた。
たかだかゲームなのに。
脳裏に焼き付いた光景は簡単には消えてくれない。
かき消すよう頭を振ると、力の抜けた身体がバランスを崩した。
転ぶと思ったのに、身体に痛みはない。
いや、思っていた痛みと違ったのだ。
「何してんだよ、オメーは……」
葵が咄嗟に千歳の身体を転ばないよう、後ろから持ち上げつつ支えていた。
「あ……おい?」
「堂々とフケるのかよ、理事長サマ」
いつものような憎まれ口。それなのに言い返せるほどの余力が千歳にはなかった。
「調子が悪いから理事長室で少し休むわ」
「そこは普通、保健室だろ」
「そこまでじゃないから、大丈夫よ」
それだけ伝えると、後ろから寄りかかっていた葵から離れ、一人で歩こうと全身に力を入れた。
だが、彼から離れることはできなかった。
「葵?」
葵の片手がしっかりと千歳の肩を掴んで離さない。それどころか、葵の身体に寄りかからせるように後ろに引かれた。
空いた片手は千歳の手を掴む。
その行動で千歳も気がついた。余りにも力強く握っていたこぶしが、握り過ぎたせいで震えて動かなくなっていることに。
「お前、バカだろ」
「うるさわね」
「こんなになるまで手を握っていたら、あとが残るじゃねーか」
葵は片手だけで、千歳の握りしめていた拳を、ほぐしながら開かせる。
ゆっくりと、丁寧に。
悔しい。
千歳は自分の手をほぐす手を見つめた。
葵の手は、女性らしい千歳の手と違い、中学生でもはっきりと男性なのだなと感じさせるしっかりした手だ。
その手は暖かく、優しさを千歳に伝え、開く度に胸の痛みが和らいでいくのが分かった。
悔しい。
追いかけてくれたことが嬉しくて、たまに見せてくれる今のような優しさが嬉しい。
でも、こうやって嬉しいと感じてしまうことが何よりも悔しい。
いつも自分ばかり、彼に振り回されている。
千歳は眉間に皺を寄せて俯いた。
「メンドクセー、女だな」
「なに……」
言葉にできたのはそこまでだった。
見上げたその瞬間、彼女の唇に暖かい感触が触れる。
目の前にはサングラスで隠されていても隠しきれていない端正な顔が、ゆっくりと、離れていった。
なにをされたのか。
それを理解した瞬間、千歳の顔は熱くなる。そして再度拳をつくると、そのままの勢いで葵の頭を殴った。
「ってーな、なにすんだよ!」
「なにするじゃないわよ! アンタこそなにしてんのよ!! 乙女の神聖な唇を気軽に奪ってんじゃないわよ!」
勢いだけで言葉も紡がれる。だが、その声を聞いた葵の口の端がほんの少しだけ上がった気がした。
「いいじゃねーか、減るもんじゃねえし」
「減る! 減るか……」
顔を真っ赤にさせ怒鳴ろうとした千歳の言葉を今度は葵の指で遮られる。彼の人差し指が千歳の下唇に乗せられた。
閉じた唇に乗せられた訳ではない。だから虚をつかれた千歳が力を抜いてしまうと、彼の指を食んでしまった。
「あんま、噛むなよ」
どこか優しい声に、千歳は言葉を失ってしまった。
彼が触れている所の温もりだけははっきり分かる。
「もう大丈夫そうだな」
葵の指が千歳の唇から離れる。離れたところに当たる空気はいつもより冷たく感じた。
それと同時に、えも知れぬ寂しさも。
「じゃ。オレは、このままフケるわ」
「は?」
「おまえだってフケんだろ」
いつもの悪戯っ子のような悪い笑みを千歳に向けると、千歳の前を通りながら彼女のおでこを中指で弾いた。
「痛っ」
普段ならダメだと言う千歳なのだが、それ以上の言葉を続けられなかった。
自然と指が唇をなぞる。熱を帯びたような気がした。
あれほど胸が痛かったのに。泣きそうだと思うほど苦しかったのに。
そのどちらも、いとも簡単に取り払った彼を引き止める気にはなれなかった。
むしろ今は、心が軽い。それだけではなく顔も熱く、鼓動も早鐘を打っている。
「……今日のところは許してあげる」
小さく呟いた言葉を彼の元に届いたのだろうか。振り向くことも無く、小さく片手を上げて廊下を曲がっていった。
千歳も理事長室へ足を向ける。
うるさい心臓を追いつかせるために少し一人の時間が欲しかった。
もう一度、触れられた唇の温もりを思い出すように唇を手で覆う。
「ほんと、ズルいのよ」
千歳は理事長室に入ると、ソファに腰を下ろした。
なんだか疲労感が強く、座った途端にうとうととしてしまう。
いつだってあの男に振り回されている。今日なんて最たるものだ。
でも、今日はそれだけではなかった。
時々彼が見せてくれる、優しさが彼女を捕らえる。
素直になんてなれないけれど、それでも、今日みたいな時があるなら……
悪くはないわ。
そう、思いながら意識を手放した。
~Fin~
お疲れ様でした。
後書きという名の裏話。
拙宅は基本無自覚葵ちゃん→←自覚有のちーちゃんなので、御容赦を。
これも書けよと思ったけれど、書いたらいつまで経ってもアップ出来ないので。
葵ちゃん目線も本当はありました。
今回の話はあくまでちーちゃん目線なので書いていませんが、葵ちゃんが負けたのはわざとです。
ちーちゃんが視線を逸らした時の表情が余りにも悲痛なものだったので自分から負けにいきました。
ちーちゃんを追い掛けたのも、本当はずっと見ていたから。
いつもと違う覇気のないちーちゃんを心配していたのは事実で、いつも通りのお怒りモードを見た瞬間、ホッとして笑が零れたというのが裏話。
それと、ちーちゃんの唇を乗せた人差し指は……一人でいる時に自分の唇に……というのも裏話。
そして最後は後日談。
葵ちゃんはしばらく秀ちゃんから地味ーな嫌がらせを受けるっていうね(笑)。
本当に何年ぶりかの駄文でした。
余りにも下手くそというか言葉の回し方を思い出せなくて、まー辛かったですが、ひとつ消化出来て良かったです。
読んでくださって、ありがとうございました。
追記です。
ここに入れたので、気が向いたら続きを書くかも知れません(笑)。