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    hankisamurijan

    @hankisamurijan

    はんきさ小説を投稿します。
    アップした作品にリアクションありがとうございます、とても嬉しいです☺️❤️

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    hankisamurijan

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    相田さんの稀半敦本寄稿用に書いていたのですが、ハジメテの寄稿に気合いだけが空回りし長くなったので没ったやつです🤣
    明日のイベント参加される皆様たのしんでくださーい✨

    ※アッくんがとても可哀想
    ※キャバオーナー軸捏造
    ※アッくんに彼女がいる設定なのでモブ彼女出ます

    #稀半敦
    thinSemi-dun

     柔らかな春の記憶がある。

     花見の約束をしていた。
     仕事の都合で延期を重ねた約束が果たされた日、桜の見頃はとうに過ぎ、訪れた桜の名所の地面は散った花弁で埋め尽くされていた。
     早朝からはりきって弁当を作ったと嬉しそうにしていた恋人の姿を知っているから、敦は彼女に声をかけることが出来なかった。どう謝るべきか模索している敦を尻目に、彼女はピンク色に変貌した地面にそっと踏み込み、そして腰を落とすと花弁を手のひらに掬う。勢い良く振り返り敦を見上げた彼女は、満面の笑みを浮かべ「ふわふわしてる!」と、嬉々とした声をあげた。
     思わぬ反応に敦が何も言えずたじろいでいると、立ち上がった彼女は手を出すように命じてくる。困惑したまま敦が指示に従うと、彼女の両手いっぱいに積み上がっていたピンクの花弁をめいっぱい乗せられる。確かに、ふわりと柔らかかった。
    「散った桜を肴にってのもイキ? だよね」
     お花見の約束守ってくれてありがとう、と、彼女は何度も敦に伝えていた。たかだかデートの約束一つ守るだけでこんなにも喜ばれる程、プライベートに割く時間が取れない日々が続いていたからだ。
     きっと本心では満開の桜の下で花見をしたかったはずだということを、敦は分かっている。だからこの言葉も、仕事でなかなか時間が取れない自身を気遣ってのことだと、敦はよく分かっていた。
    「……来年は見頃に来れるようにする。ありがとう」
     そう伝えながら、敦は花弁を地に戻し空になった手のひらで彼女の手のひらを捕まえた。あたたかくて小さかった。
    「……来年」
     彼女は小さく呟いて、頬を桜色に染め嬉しそうに笑む。呼応するように握り返された手に伝わる感触は優しく、固まった心をやわく解かすようだった。
     敦の中には、地面を美しく彩る桜の風景より、その柔らかな感触が鮮やかに残る。ずっと一緒にいたい、自分が守っていたいと、使い古された陳腐な想いが胸を掠める。他人が同じことを言ったなら、鼻で笑ってやるほど月並みな想いだ。
     けれど、誰に誓うでも伝えるでもなく、こみ上げるように敦はそう思ったのだった。アンティークな文の羅列とは裏腹に、新しい自分に生まれ変わったかのような希望に満ちていた。
     ふと、強い風が吹いた。きっとこの風が桜の花弁を落としたのだろう。
     派手に舞い上がった花弁や自分達の衣服に慌てて対処し、見開いた目で見つめ合う。そして揃いの素っ頓狂な表情を確認するや否や、二人同時に吹き出して笑った。
     初夏の気配が忍び寄る、暖かで優しい春の日のことだった。


       ♢


     東京卍會の在り方の変化は、その内訳を深く知りようもない敦でも肌で感じられるものがあった。振り返って考えると、ドラケンの死からだったかもしれない。あの夏の一件以降、足場が崩れたような不安定さを確かに感じる。それなのに、向かう先だけはきっちり共有しているかのような強固な纏まりが同時に存在した。その矛盾を不思議に感じこそすれ、不信感を抱くことはなかった。
     東卍が暴走族から一線を画し半グレに片足を突っ込んだ頃、それでも敦はマイキーを信じていた。東卍の在り方がどう変わろうとも、頭を張る人間がマイキーである限り敦の寄せる信頼は変わらなかった。その根底に信念があると信じていた。佐野万次郎は、花垣武道が信じた男だからだ。
     武道が東卍を去り連絡先すら知らなくなってしまった今でも、敦の中でその信頼は絶対的に生きていた。武道との直接的な関わりを失ったという部分も、それを助長したかもしれない。自分の人生が底に落ちてしまうかという変わり目に、圧倒的な引力で正しい道に戻してくれたヒーロー。そんな武道が信じたマイキーが率いる組織を、敦もまた信じている。東卍に席を置いていることを誇りにさえ思っていた。
     ひっそりと抱えた信頼と誇りは、そのまま仕事の精度にも繋がる。次から次に湧いて出てくる仕事を忠実にこなしていく内、いつしか部下を持つ立場になった。以前の下っ端仕事と違い、仕事内容も組織の深部が僅かに窺えるものに変わっていった。
     そうして怒涛の日々を駆け抜け、二十歳の誕生日を目前に控えた十九の秋のある日のことだ。
    「アッくんさあ、長期のオシゴト頼まれてくんね?」
     唐突に呼びつけられた敦に、まるで拒否権が存在するかのような依頼がやんわりと投げかけられる。罰を飾った無骨な手が、吐き出された煙で白く霞む。楽しげに上がっている口角と裏腹に、金色の瞳は昏い闇を携えていた。
     その日敦は、死神に取り憑かれたのだ。
     


     毎日早朝に起床し、栄養バランスが考慮された食事を摂り、適度に体を動かし十分な睡眠を取る。
     合間に入る自己啓発やマインドフルネスといった矯正教育の億劫さを除けば、もはや休暇と評しても過言ではない程穏やかな毎日だった。それまで完全な昼夜逆転生活を送っていた敦は、最初こそ睡眠リズムを整えることに苦労したが、一ヶ月を過ぎる頃には明確な体の軽さを自覚し始めた。その快適さは元の苛烈な生活に戻るというゴールを少々躊躇わせる程だったが、出所後に待ち受ける昇進と恋人との再会がそれを払拭する。
     早いもので、敦が少年院に入所してから半年が経過していた。
     敦が犯した罪によるところではない。いわゆる替え玉出頭だ。真犯人について敦が知るところではなかったが、恐らく東卍幹部の誰かだろう。
     無実の罪で収監されるなど一般人ならば受け入れ難い話だが、この世界での替え玉出頭は出所後に昇進を約束される出世話でもある。敦の場合も、例に漏れずそうだった。罪状は殺人罪。初犯かつ未成年という好条件で選ばれた。
     自身の仕事について理解があり、かつ出世が約束されていて決して悪いようにはされないと説明しても、恋人は悲しんだ。少年院では限られた親族しか面会が許されないこと、出所に恐らく二年はかかることもそれを助長した。
     それでも淳は、後ろ髪引かれながらも恋人の悲哀を振り切るしかなかった。 
     もとより断れる話ではなかったからだ。組織のナンバー2である稀咲鉄太、その直属の部下と言っていい立場にいる半間修二からの依頼となれば。断れない話とはいえ、大幹部直々に仕事の依頼がかかるのは光栄な事でもある。現に敦も、この依頼を持ちかけられた際の心情としては歓喜が大部分を占めていた。
     このまま優良生としてやり過ごし、予定通り、あるいは予定より早く出所する。今すべき任務といえばそれくらいの、至って気楽なものだった。
    「千堂、面会だ」
     清掃作業と朝食を終えた後、一人の法務教官から声をかけられる。敦は首を傾げた。
     入所してから今に至るまで、敦に面会に来た人間はいない。面会が可能である親族たちは皆一様に、敦と縁を切っている。反社組織との関わりこそ露見していないが、重い前科を背負った敦は親族の癌だ。それを分かっているから、面会に訪れる人間に心当たりがなかった。
     面会者が誰なのか見当がつかないまま、教官に案内されるがまま応接室に入る。
    「── は、」
    「敦っ、久しぶり……!」
     敦が入室し、椅子に腰掛ける面会者を認めた瞬間、敦が状況整理するより早く椅子の足が床を擦る少々派手な音が響いた。
    「おま、なんで」
     眉を下げ、目尻を光らせながらこちらを見つめるのは、半年ぶりに見る恋人だった。敦に抱きつかんばかりの所作を見せる彼女を教官がいさめると、彼女はハッとし恥ずかしそうにしながら席に座り直した。
    「……婚約者なら家族みたいなものなのに、会えないなんておかしいでしょ? 何度かお願いしてやっと面会許可してもらったの」
     彼女は遠慮がちに敦を見てそう説明した。その瞳に確かな他意を見つける。
     敦と彼女が恋人同士であることは間違いないが、婚約関係にあるとは当事者である敦ですら初耳だった。少年院入りすると告げた日から、彼女は一貫して長期間会えないことを悲しんでいた。だからと言って、どちらかと言えば気の弱い彼女が、バレれば刑罰ものの嘘を法に吐くほど業を煮やしているとは思わなかった。
    「……オマエ……」
     焦燥や怒り、動揺など様々な感情が敦の中を駆け抜ける。それらの感情を凝縮したような声を思わず漏らすと、彼女が肩を震わした。それを見て、今度は罪悪感に襲われる。
     敦は、彼女を怖がらせないようにそっと彼女の手首に触れる。
    「なんかオマエ、痩せたか……?」
    「え、あ……そうかな……?」
     モゴモゴと言い淀む彼女だったが、その手首は明らかに細くなっていた。改めてきちんと顔を見ても、少しやつれてしまっている。心労を感じ取るには十分すぎるほどだった。
    「わざわざこんなとこまで……ありがとう」
     見張りの教官に動揺を気取られないよう、注意を払いつつ礼を告げる。彼女は下がっていた眉を一層下げ、そして耐え切れないと言うように立ち上がると、敦に抱きついた。彼女の肩越しに、彼女が座っていた椅子が派手な音を立てて倒れたのを、敦は目を丸くして見つめる。けたたましく扉がノックされ、外で待機していたらしい監視役が「大丈夫ですか」と叫んでいる。それでも彼女の腕は緩まなかった。
     教官が外に「問題ありません」と告げ、そしてやんわりと、入所者と身体的接触が禁止されている旨を彼女に諭した。それでようやく、おずおずと彼女の両腕が離れていく。
     お互いが席につき、敦が近況を聞くと彼女は久しぶりの他愛のない話を楽しむように、嬉しそうに言葉を紡いだ。
     思いの外寂しい想いをさせているのだということが、触れた体の隅々から敦に伝わった。彼女には家族がいない。親戚も、両親と死別するよりずっと昔に縁を切っているらしく、天涯孤独の身だ。
     決して豊かではない人生を送ってきた彼女だからこそ、敦の職業も受け入れることができた。むしろ、敦がそうであったからこそ、二人は恋に落ちたと言えるかもしれない。幸福とは言えない人生を歩んでいる人間は、幸福な人生を歩む人間の他意なき一言に傷付けられることがままある。過去の傷を癒した人間ならまだしも、癒えていない傷を抱えている人間にとっては、時に裏の世界の人間と共に生きる方が安寧となる場合もあるのだろう。
     東卍が経営する風俗店のうちの一つで、無茶な稼ぎ方をしていた彼女が目に留まった。集金係として時折顔を出す程度の繋がりだったが、よく話すようになり、いつしか付き合うようになった。風俗を辞めさせたかったが、店の人気嬢である稼ぎ頭を、よりにもよって東卍の人間との色恋沙汰で辞めさせる訳にはいかない。
     彼女と付き合い始めた時から敦は、幹部への昇進と自身が経営する高級キャバクラを設立することを目標としていた。大元が東卍で、かつ自身が店のオーナーであれば彼女を引き抜けると思ったからだ。本音を言えば夜職以外、と言うより仕事自体を辞めて家庭に入って欲しいところだったが、一度金になると判断された華を散りもしないうちに手放すことが許される訳がない。折衷案が高級キャバクラだ。客単価が高い高級店なら、引き抜いても文句は言われないと踏んでのことだった。
     替え玉出頭は、この野望の足がかりにもなる。だから敦に迷いはなかった。けれど、一度深い孤独を知り、そして孤独から脱した彼女だからこそ、今一度一人きりになるのは耐え難かったに違いない。彼女の孤独は分かっていたつもりだった。それでも、先ほどの切羽詰まった瞳を見るに、ほんの一ミリも分かっていなかったのだと敦は思い知ったのだった。
    「ここ出たらさ、一番に式挙げような」
     いくつかの話題を終え、ふと訪れた会話の狭間に敦が言う。
     彼女の瞳がきょとんと瞬いて、そしてみるみる濡れていった。
    「面会終了のお時間です。面会者様から先に退室をお願い致します」
     話の内容は一言一句聞いているはずなのに、教官の配慮はまるでない。こんな場所でプロポーズを行う敦にも、配慮が欠けているのだけれど。それでも彼女は、大粒の涙を零しながら満開の笑みを咲かせ、そして大きく頷いた。

     
     
     それから二ヶ月に一度、彼女は敦の面会に訪れた。
     菓子やジュースを差し入れてくれ、そして必ず季節を彩るなにかしらを毎度持ち込み敦に見せた。二度目の面会の際はお子様ランチの旗風の鯉のぼりと紫陽花の絵ハガキを、四度目には面会を拒絶されないギリギリのラインを推測ったような、突き抜け切らないハロウィンの仮装をして現れた。
     平坦な毎日で彼女と会い話す時間だけが楽しみで、そして幸福だった。なんだか老後を先取っているみたいだと気付いておかしかった。
     ただ、会うたびに彼女が痩せていっていることが気がかりだった。
     彼女の性格上聞いたところで答えないだろうという敦の読み通り、ダイエットとしか言わない。だからと言って話題を逸らされはしなかったので、腑に落ちないながらも納得していた。痩せすぎについて軽く注意を促すだけに留めている。
     会える頻度こそ少ないながらも、だからこそ彼女の大切さが身に染みていた。一生を誓うのは彼女がよかった。
     教官に呼び出され収容期間の延長を告げられたのは、二月の訪れを彼女に教えられてすぐ後のことだった。
     面会に訪れた恋人の身分、つまるところ婚約者であるという嘘が露見したらしい。詳細は聞かされていないが、彼女にも厳重注意がされたとのことだ。
     延長期間は一ヶ月。長い収容期間に比べればたかだか一ヶ月だが、仕事と等しい意味合いで送致されている敦にとっては致命的だった。理由が恋人の管理不行き届であることも。彼女が上にトラブルメーカーと認識され目をつけられれば、風俗から救い出すどころの話ではなくなる。
     何にせよ、塀の中にいる限り謝罪も弁解も出来ない。敦には何一つ情報は入らないが、俗世と隔離された塀の中で起こった情報でも、東卍の精密な情報網には引っ掛かる。敦の出所日が延長されたという情報とその理由については、速やかに半間の下まで伝わったはずだった。
     ぞくりと背筋を撫でるものがある。
     嘘の露見を聞いたその日から、不安と焦りがついて回った。東卍の息がかかった風俗店で勤務する女が粗相をしたとなれば、その体は容赦なく使われるだろうことは想像に容易い。気が弱い割に芯が強い彼女がそれを許容し、耐え抜くことも。
     出所までまだ半年以上もある。品行方正に過ごしたとしても、収容期間の短縮は難しいだろう。すぐに傍に行けないことが悔しかった。
     何も出来ないという心労がここまで大きいものだと知らなかった。キヨマサの支配下にいた時ですら、例えそれが追い詰められた末の浅はかな行為であったとしても、それでも、現状を打破するためにキヨマサを殺すという行動に出ることが出来た。選択が出来た。今はそれすら出来ない。
     浅い眠りに減退した食欲と付き合い、久しくなった頃合いだった。
     死神が、敦の下を訪れたのは。
    「よお、千堂。久しぶり。悪いな、全然顔出せなくて」
     ───半間修二。
     コンシーラーでも使っているのだろうか。手の甲に刻まれているはずの罪と罰のタトゥーが見当たらない。左耳のピアスも。きっちりと着込まれたスリーピーススーツこそ変わらないが、いつもは緩くセットされている髪が綺麗に後ろに流され固められている。髪色も金のメッシュ部分が消え、全頭黒になっている。今日の半間修二の身なりは、どこにでもいる経営者のレベルにまで落とし込まれていた。
     これ差し入れ、と、ジュース缶を差し出される。動揺が表出しないよう気をつけながら缶を受け取り、半間に促されるがまま席についた。
    「お久しぶりです……社長」
     少年院の面会権限は、三等親以内の親族と事件当時在籍していた会社の社長に限られている。 
     敦の名目上の所属は、半間が経営するいくつかの会社のうち東卍のブラインド的に設立されたクリーンなIT企業にある。無論、大元が東卍であることは隠されており、だからこそ敦を替え玉として使うことが出来た。半間も登記上偽名を使っており、真っ当な企業経営者よろしく捕まった従業員の面会に訪れたという訳だ。
    「痩せたなァ。彼女との件、大変だったんだって?」
    「……すみません。面会、もう許してもらえないかと……」
    「何度か蹴られたぜ。でもオマエが凹んでると思ってさ。慰めてやりてぇじゃん」
     ドクドクと心臓が嫌な音を立てる。半間がこちらを気遣うような優しい声色で囁くほど、その傾向は顕著になった。
    「姿見えねえ分心配もヒトシオだろうけど」
     いつものように煙を燻らせていない半間の表情はよく窺えた。けれど、敦は直視出来なかった。怯え過ぎても教官に疑われる、という思考だけが体中の震えをなんとか収めていた。
    「ダイジョーブ、オレに任せとけよ」
     もともとそういう約束だったろ? と。半間が優しく笑った。
     そこからは他愛のない話が続いたが、敦は相槌を打つことが精一杯だった。恐らく、敦の状態がわかった上で相槌だけでも不審に思われない話題を、半間があえて選んでいる。あとは見張りの教官に勘繰られないように適当な話をし、時間をやり過ごせばいい。
     なんせ本題は終えているのだ。
     さあ、と。体中の熱が落ちていく感覚がした。どうして気付かなかったのだろうと、敦は一年半前の自身に激しく絶望する。
    『オマエ舎弟とかいたっけ? ブチ込まれてる間、目ェかけて欲しい奴いんならオレが面倒見てやるけど』
     出頭するにあたっての口裏合わせや少年院内での立ち振る舞いなど、ひとしきりの話を終え、新しい煙草を口に咥えた半間が言う。敦は慌てて火をつけたライターを半間の煙草の下まで持っていくが、半間は億劫そうに「そういうのいいから」と自身のジッポで火をつけた。
    『── え、そんな……半間さん直々になんて……』
    『最近のアッくんの働きっぷり、周りに見習って欲しいくらいだぜ〜? 稀咲さんも一目置いてっからさぁ、舎弟の一人や二人面倒見るって』
     どきりと、敦の心臓が震えた。二人が自分の働きを認めてくれているということが嬉しかった。がむしゃらに頑張ってきていた分、報われた気分だった。
    『あの、舎弟じゃないんですが、うちの店で働いてる女の子がいて……その子、よくしてやって欲しいんです』
    『は? 何オマエ、嬢と付き合ってんのかよ。騙されてんじゃねぇかぁ?』
     半間は呆れたように笑い飛ばす。敦はふと冷静に、その可能性もなくはないなと思った。経営下の男を手駒にすれば悪いようにはされない。実際にまさに今、彼女を目にかけてもらおうと上に掛け合っている。それこそが彼女の思惑で、掌の上で転がされているのだとしたら滑稽でしかない。それでも。
    『騙されててもいいって思えます』
     虚飾なくそう思えた。例え自分が踏み台にされたとしても、彼女が幸せならそれでいいと。
     半間は、揶揄うような笑みをキョトンとした顔に変える。そして今度はおかしそうに笑った。
    『分かった分かった。オマエがいない間、ちゃんと見といてやるよ』
     一つの邪気も感じない、気さくな笑みだった。
     半間修二という男をよく知らない。
     ルーツとしても東卍の初期メンバーとは違う。半間は東卍加入前から稀咲とつるんでいて、稀咲の動向に沿う形で東卍入りした。そのことを物語るように今も半間は稀咲の下についている。
     時折見かける半間はいつも冷たい雰囲気を漂わせていて、他を寄せ付けない貫禄がある。それは何も半間だけに限らず、他の幹部連中もなのだが。いくつもの修羅場を越えた人間特有の肝の据わり方というものだ。けれど半間の所有する威圧感はそれとは何かが決定的に違った。
     半間が醸し出す酷薄の色は、もっと根本的なもののような気がしていた。
     それでも、今目前で自身に向けられた笑顔は、そんな普段の酷薄さを微塵も感じさせない無邪気なものだった。直前に告げられた、思わぬ信頼の提示も手伝い、だから敦は絆された。安心した。
    『戻ってきたら幹部の席用意しといてやっから、お勤めしっかりなァ』
     浮かれていた。手駒を掌握するための、仮面に過ぎない笑みに。
    「時間です」
     一際よく通る教官の声がして、思考の渦からハッと立ち返る。
    「もう終わりか。三十分なんてあっという間だな」
     人好きする柔らなトーンで、半間が言う。
    「本来のオマエが、罪犯すような奴じゃないことは分かってる。事情があったんだろ? 真面目に過ごせば早く出られるよ、オマエの席空けて待ってっからな」
     労わるような、慰めるような声で。冷ややかなナイフを急所にあてがわれているような錯覚をみる。
    「はい…………」
     それは、早く出て来いという命令だった。
     教官に不審がられないように、怯えているのがバレないように。敦の頭の中では危険信号のようにそればかりが巡っていて、絞り出すような肯定と共にへらりと引き攣った笑みとなった。

     ──。

     ────。

     ──────…………。

     薄暗いワンルームに、彼女と共に戻る。
     一年と十一ヶ月ぶりだった。彼女と一緒に住んでいた部屋だったから、捕まる際に契約解除はしなかった。
     敦が収容されていた間、彼女が一人で住んでいたはずで、決して無人ではなかったはずのその部屋の空気は澱んでいた。足を踏み込むと埃が舞い器官を苛む。住んでいる人間が掃除をしていないといった種類の汚れ方ではなかった。それは、長期間人の出入りがなかった部屋の様相だった。
    「……いつから、」
     敦の口から力無い声が漏れ、そして諦めたように途切れる。
     粉雪のように積もった埃の上に足跡をつけながら、彼女を抱く腕に力を込め直し部屋の奥へと進む。家賃の引き落としは彼女の口座から為されているはずで、鍵が取り替えられていないということは残高がまだ尽きていないということだ。いっそのことすっかり尽きてしまっていればよかったのに、と、敦は思う。
     部屋の貴重品も何一つ荒らされた様子はない。律儀な彼女は、同棲を始めた当初に自身の通帳と実印の居場所を敦に教えていた。それらが収まっている引き出しを開けてみても、きっちりと定位置に鎮座していた。
     通帳を取り出し開くと、記帳は今年の三月で途切れている。最後の記帳が為されているページに、ポストカードが挟まっていた。誰かから受け取ったハガキという訳ではないらしい。写真裏には何も記入されていなかった。写真は、桜が咲き乱れる河川敷を写している。右下に、ワシントンD.C.と英語で記されていた。心がざわめき、それを元に戻し引き出しを閉じた。薄く埃が舞う。
     埃が積もったテーブルを素手で丁寧に払い、同じく埃をかぶっているティッシュ数枚抜き捨て、埃で汚れていないティッシュが現れたことを確認するとテーブルを拭きあげた。汚れを取り去った唯一の場所に、彼女を落ち着けてやる。敦はその正面に向き合うように、埃まみれのフローリングに腰を落ち着けた。

    「オツトメご苦労さん」
     出所してすぐ、有り体な言葉で敦に声をかけてきたのは、家族でも恋人でもなく半間だった。
     正門を出てすぐの路地に車を停め、車体に背中を預けた長身を見つけ、すぐにそうだと分かった。面会に訪れた時とは違い、何も取り繕っていない姿に相変わらず煙草を燻らせて。煙草と無縁の施設内にいたからか、煙草の匂いがやたらと濃く不快に感じた。
    「何オメーすげえやつれてんじゃん。中の生活なんて余裕だったろ? そんなんで仕事戻れんのかよ」
    「大丈夫です、すぐにでも戻るつもりなので……」
    「いーよ別に。オレもそこまで鬼じゃねーって。ちゃんと収容期間縮めてきたし? ちょっと休暇やるから娑婆満喫しろよ」
     差し出された煙草を控えめに断る。二重に勧められることはなく、潔く半間の手が退いていく。
     半間が背を預けているのは運転席で、不審に思い中を窺うと運転席は無人だった。
    「半間さん、一人ですか?」
     ───幹部の人間の出所ならまだしも、一介の組員を大幹部直々に迎えに?
     敦の中に居座り続け、これ以上大きくなることはないと思うほど膨張しつくした不安が、さらに大きく重く沈む。
    「ん? そぉ。オマエの女連れてきてっから。水入らずがいーだろ」
    「え、」
     後部座席の窓はフルスモークで、車内は全く見えない。敦にはその黒が、途方もない底なしの闇に見えた。
     心臓が早鐘を打っていた。
     彼女が、そこに、居る。
     ただそれだけの事実が、自分でも異常だと分かるほどに怖かった。この数ヶ月で、彼女の姿を想像し尽くしたからだ。何度も何度も、いくつもの最悪を想像して、院内では幾度か吐いた。
     硬直し、なかなかドアを開けようとしない敦を、半間が焦ったそうに見つめる。煙草をアスファルトに放った半間が「何キンチョーしてんの? バケモンでも乗せてるみてぇな顔してんなよ」と、軽薄に笑う。
    「彼女がカワイソーじゃん。オマエの女だろ」
     敦の肩に手を回し、動かない敦の代わりにドアに手をかけた半間が、後部座席を遠慮なく開け放した。
     最初に痩せこけた足が見えて、そして、その所々には殴打痕が痛々しく残っていて、身なりに気を遣う余力を失くした適当な衣服、蒼白の顔面、艶を失った髪───。
     敦が恐れ、動きを封じられていた彼女の姿は、そういったものだった。
    「───ぇ…………?」
     ほとんど呼吸のような、か細い声が敦の口からかろうじて漏れる。体内に籠った恐怖を吐き出しているようにも、呆けているようにも聞こえた。それもそうだ。
     彼女が乗っている、と確かに教えられたはずの後部座席に収まっていたのは、小さな縦長の木箱だった。
     敦の怯え切った瞳が、純粋な疑問に変わる。
     桐箱だった。敦の記憶の中の既視感は、ブランド物の酒器が収められている箱からだ。包装も施されていない素気ない木箱だったが、どことなく高級感がある。大事な物が収まっているという予感を窺わせる木目の箱。
    「……あの、」
    「ばはっ、オマエ本当ハンパだなァ。サプライズし甲斐がねえじゃんそんなんじゃ」
    「───………? どういう……」
    「身近で誰も死んだことねえの? 平和なこったな」
     半間の長い腕が箱に伸びて、黒い影が箱を侵食する。
     ぬらりと、闇が落ちる。
     特に留め具もないらしい蓋が半間により斜めにずらされて、箱の中が見える。箱の端までずらされ切った蓋が支えを失い座席に落ちた。その衝撃で、キン、と無機質な高い音が響く。野太い少年たちの声ばかりに囲まれていたからか、なぜかふと、その音が女性の声のように聞こえた。
     陶器だった。中に収まっていたのは、小さな桜色の陶器。
     なぜだか、目が離せなかった。
    「見たことねぇ? 骨壷」
     右耳の少し上で、揶揄うような笑みを孕んだ声がする。
     笑い声が吹き込まれた右耳から感覚を失い、足元がぬかるみ、全身がふやけて崩れていく。
     崩れて、いく。
    「あは、ハジメテがてめぇの女で嬉しいな?」
     声も、涙も出なかった。ただ目の前の男が恐ろしかった。
     半間の言葉に呼応しネジ仕掛けの玩具のように頷いて、蒼白な顔面の口角を上げた。
     守りたいと、確かに抱いていた誓いが音を立てて崩れた。生きる支柱においていた女性を失い、背骨が抜け落ちた感覚だった。そのまま脊髄も引き抜いて、あらゆる感覚も感情も、麻痺してしまえばいいのに。
     底の見えない恐怖心だけが、敦の中に楔のように残った。





     エレベーターに乗り込む半間の足取りは軽かった。 
     控えめな稼働音と僅かに不快な浮遊感が襲っても、機嫌が揺らぐことはない。ほぼ無人の高層ホテル最上階まで速やかに上昇したエレベーターから降りた半間は、勝手知ったるといった足取りでスイートルームまで向かう。部屋の前まで辿り着いた半間は、洗練された所作で二度扉をノックした。
     中から返答はない。けれど半間は、聞こえざる声が聞こえたかのような迷いのなさでドアノブに手をかけた。鍵はかかっていない。半間は猫のように体を滑り込ませた。
     このホテルのスイートルームは五つの部屋を有している。その一つ一つを見て回るが、全てが無人だった。その代わり、水音がする。半間がバスルームの扉を開けると水音が大きくなり、曇りガラスの向こうに人影が見えた。几帳面に添え付けのラックにかけられているスーツは、見覚えがあるデザインとサイズ感だった。
     ジャケットを脱ぎ適当に放った半間が、ネクタイ、ワイシャツと衣類を脱ぎ散らかしていく。あっという間に全裸になった半間は、明らかに使用中である浴室に遠慮なしに踏み込んでいく。
     シャワーは出入り口の真正面に取り付けられている。そのせいでシャワーを使用している人間は出口に背を向ける形になる。きちんと鍛えられている白い背中、そして金髪に、シャワーが降り注いでいる。その背中に、半間はするりと絡みつく。
    「勝手に入ってくんじゃねえ」
    「じゃあオレが入る前に止めてくれりゃいいじゃん。気付いてたくせに」
     勝手に侵入し急に抱きついてきた半間に驚くでもなく、シャワーから降り注ぐ湯と同様にただ享受している。閉じられていた目が開き、灰色の瞳が鏡越しに半間を捉えた。
    「なあ、稀咲ィ」
     強く、けれど冷徹なまでの氷点下を纏う瞳の男に、熱っぽい半間の声が不釣り合いに落ちる。甘えるように長身を屈めた半間が、細い肩口に唇を這わす。自らの主人──稀咲鉄太に、褒美を強請って。


     新宿の一等地に建設されたばかりの高層ホテルの経営者と稀咲には、裏で密な繋がりがある。稀咲一人に限ったことではない。ホテル業界と裏社会は、昔から切っても切れない関係にあるものだ。お互いにとって都合がいい。ヤクザにとって、自身の息がかかったホテルは会合場所やフロント事業にできる。ホテル業界者は、その利便性を上納金代わりに、繁華街であるほどヤクザが所有している利権を買う。いわゆるケツモチだ。
     ホテル業界外にも競合が多い商売が、裏社会に阻害されないようケツモチをつける。餅は餅屋。裏稼業が暗躍する業界は水商売だけではない。建設業や不動産業、日本中にひしめいている。
     稀咲は、あらゆる業界に自身を売り込む術に長けている。現状、恐らくどの同業者より稀咲のパイプの数は多い。そしてそのどれもが、非常に強固な信頼関係で結ばれている。
     あくまで守ってやる側、という内心が態度に如実に出る連中が多いのがヤクザの常だ。仕方がない。法に守られることなく、なめられたら終いという価値観の中で、シノギを削って生きているのだ。ただ稼ぎを失うだけとは違う、しくじれば命を失う業界で生き抜いている自負。体の隅々にまで染み付いた傲慢は、意図せずとも一般人に威圧感を与える。そしてヤクザは、その恐怖心を少なからず利用し取引をする。
     けれど稀咲は、恐怖で掌握するようなやり方も、上下関係を作るようなやり方もしない。物腰は柔らかく、けれど有事の際には裏稼業者特有の圧を覗かせ、迅速に問題を回収する。それでいて、稀咲のスタンスはあくまで対等だ。だが不思議なことに、そういう関係性を徹底的に守っていくうちに、相手の方が勝手に稀咲に傾倒しだす。上でも下でもなかった間柄が、先方の意識変革により、稀咲を上に見るようになる。
     本来自分より強い立場のはずの人間から条件以上に恩恵を受ける状況の継続というものは、弁えている人間でない限り悪い麻薬になる。稀咲が与える甘い蜜に溺れ、じわりじわりと稀咲がいなければ事業が成り立たなくなっていく。
     散々溺れ切ったところでふと、蜜が己の体ごと飲み込み、うまく息が出来ないことに気付く。人生の主軸が、自身の手中ににないことに気付く。その頃に稀咲鉄太という男の深淵に気付いたところで、もう遅い。
     事業だけでなく人生共々食い尽くされ、いらなくなれば切って捨てられる。稀咲はそういう、弁えられない人間を選別することが、とても巧かった。
    「最初オマエが目付けたとき、パッとしねえのに何でか分かんなかったけどよ。すげえ遊び甲斐あんなアイツ。そゆとこ分かってたん?」
     特注のベッドに裸身のまま転がり、半間が問う。
     半間が四肢をくつろがせても余裕のある大きさのベッドのせいか、きちんと着込んだスーツを脱ぎ、髪のセットも落ちているせいか。あるいは、つい先程までのセックスの余韻を濃く残しているせいかもしれない。作為的でない限り東卍の幹部の仮面を外さない半間の表情は、ひどく腑抜けて隙に満ちていた。
     長身の半間にはキングサイズでも大きさが心許ない。このスイートルームのベッドは、稀咲の注文によりそのサイズ感を重視され、幅、長さ共に二百センチ弱ある。建設後の設置では搬入出来ないサイズの上、高層の最上階のため窓からの搬入も不可能だった。そのため、工事予定表を変更させてまでこのベッドを事前搬入したのだ。
     時折稀咲は、こうして無意味に半間を甘やかす。自身の支配下にある存在が、自身が与えるものによって喜ぶ様を見る。何かうまくいかない時ほど、その傾向は顕著だった。代償行動なのだろう。それを知ってか知らずか、半間は稀咲の思惑通りに喜んでみせる。つまるところこのスイートルームは稀咲によって、半間に合わせてオーダーされた一室だった。
     強いストレスに苛まれようが、いちいちまともに取り合っていては生き残れない。ゆえに麻痺させた結果、無自覚に表出する歪んだ発散法のうちの一つだ。今回の敦の一件も、あるいはそうなのかもしれない。
    「いいや? 浮わついたツラしてやがったから教えてやっただけだ」
    「あーな。オレ興味なさすぎてツラすら目に入ってなかったんだけど。それは分かるわ。一発目話したとき、なんつーの? 幸せの絶頂です! みてぇなツラしてたもんなぁ」
     大の字でベッド転がったまま、咥えていた煙草を口から外した半間の体内から、濃い白煙が吐き出されていく。半間の胸の上に置かれた灰皿に煙草を押し付ける直前、落ちた灰が早速シーツを汚した。枕を背もたれにし、半間の隣に座り設備を室内設備を観察していた稀咲の視線が明らかにそれを捉えたが、お咎めはない。お互いの精液やローションで、すでに手遅れだからだ。まだシャワーを浴びていない二人の体も同じ有り様だった。
    「オマエな、もっと部下の躾に力入れろ。千堂はオマエの管轄だろ」
    「えーやだ、だりぃもん。オレが興味あんのオマエだけ〜♡」
     そう言って、半間は稀咲の腰に両腕をまわし引き寄せる。
    「おい、オレのために動けねえんなら、」
    「オマエがして欲しかった通りに、ちゃ〜んと躾てやったろ?」
     稀咲の言葉は遮られる。すげなく払い落とそうとしたらしい振り上げられた稀咲の手を、半間が取った。目を細め意地悪く口角を上げた半間が、稀咲を引き寄せ見上げる。真っ直ぐに見つめ合う互いの視線が、探るように、真意を汲み取るように深くを彷徨う。やがて稀咲の瞳が伏され、はあ、と嘆息が続いた。半間はより嬉しげに笑う。
     上げかけていた体を枕に元返した稀咲の腹部に、半間がいそいそと頭を乗せた。
    「重てぇ」
    「ばはっ」
     半間と同じく裸のままの稀咲の肌に、金と黒が散る。苦言こそ漏らされたが退かされることはなく、笑った半間の髪が剥き出しの肌を撫でるばかりだった。
    「で? あのシャブ、全部捌けたか」
    「ん〜瞬殺だったぜ。すげーキマるみてえ。やり方がヘタクソだよなあ、あんなんチンピラが捌くには上物過ぎんだろ」
    「まあな。物の価値も礼儀も分かってねえクズだったが、置き土産としては上等だった」
     敦の恋人が働く風俗のオーナーが、組織に無申告でシャブを捌いていた。店のオプション、セックスを盛り上げる薬として。独自に繋いだらしいルートを使い密輸したシャブを、一定の条件をクリアした一部の客相手に売る。
     オーナーの行いが露見したのは、敦が少年院に入所して半年ほどが経った頃だった。オーナーは密輸ルートから取引相手、販売先の詳細に至るまで全て吐かされたのち殺された。そして今頃は刻まれ溶かされ、骨の一欠片すら残さずこの世から消え去っている。オーナー本人もすでに中毒状態にあり、臓器を売ろうにもその全てが売り物にならなかった。だが、オーナーが仕入れ残したシャブは、素人が仕入れたにしては純度の高い上物だった。きちんと価値が分かっている人間なら、細かく刻み末端の薬と混ぜて販売する。あるいは上客に高額で提供するような代物だった。売人もオーナーも売り物の価値すら分からない極まった素人っぷりで、だから結局死ぬ羽目になる。稀咲は元より、ドラッグ仲介にいい顔をしない。リスクが高い割に仕入れから売却にかかる人間やルートの管理が面倒だからだ。加えて、シャブに手を出すまでもなく、組織のシノギは順調だった。けれど、落ちてきた財源を無下にするような真似はしない。きちんと価値を知っている稀咲により指示がなされ、そして半間によって正しい金額で相応しい人間の手に渡った。
     人一人を緩やかに中毒死させられる量だけを、手元に残して。
    「禁断症状出ててもアッくんとこ行くんだもんなあ。とんだ純愛見せつけられちゃったよな」
     敦の恋人は、オーナーとシャブを共有し客に捌いていた。出来るだけ早く大金を稼ぎたい理由があったのか、ただの金目当てか。今となっては死人に口無しだ。
    「ハッ、あんなモンが純愛か? シャブ中の幻覚の間違いだろ」
     心底せせら笑うように稀咲が吐き捨て、それに、と続く。
    「仮にアレが純愛だっつーなら、千堂が女の変貌っぷりを追求しねえのは笑えるな。役不足過ぎて成立するモンも成立しねえ」
    「さすがに不審には思ってんだろ。ブタ箱ん中じゃ追求しようにも手出し出来なかっただけじゃね?」
    「全員殺してでも這い出して女のもとに行くくらいじゃなきゃ、オレのジャッジじゃ純愛とは認められねえな」
     物珍しいことを言った風でもなく、稀咲がさも当然と口にした。それを半間がまじまじと見つめ、そして嬉しそうに破顔した。
    「ヒャハ♡ そーだなあ♡ 八割完成してた外装ブッ壊さして、オーダーメイドベッドブチ込ませるくらいの気概がねえとなあ♡」
    「オイ触んな底無しか、こっちはもう一本仕事あんだよ一人でやってろ」
     上半身を起こし体を翻した半間が、稀咲の足元に跨り股間に顔を埋めようとする。その顔を稀咲の手のひらが押し退けた。
    「えーつまんね、もう仕事戻んのかよ」
    「オレだけじゃねえ、オマエも戻んだよ」
    「え〜〜」
    「早くしろ」
     半間は不服そうにベッドを転がり抗議の意を示していたが、淡々と身支度を整える稀咲に諦めたらしい。起き上がりベッドの上にあぐらをかくと、ベッド下に落ちている下着を拾った。
    「なあもしさあ、オレがやらかしたとしたらオレのことも遊び殺すん?」
    「オマエは誰よりオレの思考を読めてないとおかしい立場だろうが。オマエがバカみてェな失態やらかした日には、遊ぶどころか地獄見せてから殺してやる」
     ワイシャツを羽織りながら、片手間といった風の返答だった。先程と同じく、当たり前のことを言っているという風で、かつ多少の怒りすら見える。半間はこれまでにない程の満面の笑みを作って見せ、ワイシャツのボタンを止めようとしていた稀咲の手を取り強く引いた。
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    hankisamurijan

    MOURNING相田さんの稀半敦本寄稿用に書いていたのですが、ハジメテの寄稿に気合いだけが空回りし長くなったので没ったやつです🤣
    明日のイベント参加される皆様たのしんでくださーい✨

    ※アッくんがとても可哀想
    ※キャバオーナー軸捏造
    ※アッくんに彼女がいる設定なのでモブ彼女出ます
     柔らかな春の記憶がある。

     花見の約束をしていた。
     仕事の都合で延期を重ねた約束が果たされた日、桜の見頃はとうに過ぎ、訪れた桜の名所の地面は散った花弁で埋め尽くされていた。
     早朝からはりきって弁当を作ったと嬉しそうにしていた恋人の姿を知っているから、敦は彼女に声をかけることが出来なかった。どう謝るべきか模索している敦を尻目に、彼女はピンク色に変貌した地面にそっと踏み込み、そして腰を落とすと花弁を手のひらに掬う。勢い良く振り返り敦を見上げた彼女は、満面の笑みを浮かべ「ふわふわしてる!」と、嬉々とした声をあげた。
     思わぬ反応に敦が何も言えずたじろいでいると、立ち上がった彼女は手を出すように命じてくる。困惑したまま敦が指示に従うと、彼女の両手いっぱいに積み上がっていたピンクの花弁をめいっぱい乗せられる。確かに、ふわりと柔らかかった。
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    ※キャバオーナー軸捏造
    ※アッくんに彼女がいる設定なのでモブ彼女出ます
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     花見の約束をしていた。
     仕事の都合で延期を重ねた約束が果たされた日、桜の見頃はとうに過ぎ、訪れた桜の名所の地面は散った花弁で埋め尽くされていた。
     早朝からはりきって弁当を作ったと嬉しそうにしていた恋人の姿を知っているから、敦は彼女に声をかけることが出来なかった。どう謝るべきか模索している敦を尻目に、彼女はピンク色に変貌した地面にそっと踏み込み、そして腰を落とすと花弁を手のひらに掬う。勢い良く振り返り敦を見上げた彼女は、満面の笑みを浮かべ「ふわふわしてる!」と、嬉々とした声をあげた。
     思わぬ反応に敦が何も言えずたじろいでいると、立ち上がった彼女は手を出すように命じてくる。困惑したまま敦が指示に従うと、彼女の両手いっぱいに積み上がっていたピンクの花弁をめいっぱい乗せられる。確かに、ふわりと柔らかかった。
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