避妊に失敗した話どうやら私は風邪を引いたらしい。確か任務で雨に打たれたあたりから食欲は無いし微熱が出ている。立派な成人がこんな小学生のような風邪の引き方情けないな……と思い続けて二週間。大人の風邪は治りにくいだなんて言うけれど、果たして二週間も続くのだろうか……。
微熱が出ている二週間七海のお誘いを断り続けていたから一昨日は高専でばったり会った七海に空き部屋へ引きずり込まれて額に手を当てて体温の確認をされた。二週間はおかしいです、一度しっかり休んでください、と真っ直ぐ目を見て言う七海を見てまるでお医者さまのようだなと考えてしまった。ずっと怖いくらい真剣な真顔だったから『迷信を信じるな』といった軽い反応に期待して『移せば治るらしいよ』なんて言ってみたら、ドロドロに溶けるようなディープキスをされた。解せぬ。風邪は治らなかった。
微熱だから特に心配せず任務を引き受け続けていたけれど一度確かにしっかり休んで回復させる必要があるのかもしれない。そうして休みを確保して丸一日暖かい布団で横になって過ごしたけれどやはり何も変わらない。
あーあ。七海のお誘いをいつまで断り続けたらいいんだろう。最後にしたのいつだっけ。ゴムが無くなって生でしたら中に出されたあの日?……さすがに外で出してくれると思っていたのに、まさかゴムがある時のように奥の奥に叩きつけるようにして出されるとは思わなかった。出した後もまるで塗り広げるかのようにゆるゆると腰を動かし続けてはまるで慈しむかのように唇を重ねられて、下腹部が何度も収縮してしまった。それが結局七海を刺激することになりなんとそのまま行為が再開してもう一度中に出されてしまった。恍惚とした表情を浮かべながら下腹部を優しく撫でる七海が少し怖かったのを覚えている。
……いや、この日が最後ではない。その一週間以上は後に『そろそろ生理だから』と数日かけて何度も何度も丁寧に抱かれたのが最後だ。ゴム無しの暴力的な快感がちょっと恋しくて『生でもいいよ』と口走りそうになったが必死で堪えたのを覚えている。……ん?そういえば、生理、来てない……ような……。
嫌な予感は叩き潰すのが吉。薬局の検査薬では『陽性』と出たけれどこれはきっと何かの間違い。すぐさま産婦人科に向かった。
「おめでとうございます。妊娠五週間です」
嘘だと言ってくれ。
▽△▽△
妊娠が発覚して真っ先に考えたのは『七海と別れよう』だった。セフレに子どもが出来たとか重すぎる。生でもいいよと言ったのは私だ。私だけが受け止めれば良い。それにあの時の七海は生でする行為を渋っていた。結局二回も中で出してきたとはいえやはり子どもは本望じゃないのだろう。
でも、私はこんな仕事でも子どもが欲しい。父親の心当たりがセフレである七海しかないから妊娠発覚してしばらくは絶望しかなかったけれど、別れようと腹を括ってからはもう我が子への期待しかなかった。異国の血を感じさせる金髪と海色の瞳さえ遺伝しなければきっと誰が父親かなんてわからないだろう。以前七海が言っていたように、少しずつ距離を置いてじわじわ七海の人生からフェードアウトしよう。
……そう思っていた私の気持ちをまるで見透かしているかのように、また空部屋に引きずり込んだ七海の目は怒りに満ちていた。ひた、と額に当てた手。そして舌打ち。
「熱、下がっているようですが」
「忙しいの。体調不良で休んでた分の任務をやらなきゃいけないから」
「貴女の任務は私が代理で済ませています」
「……え、」
「知らなかったということはやはり嘘ですね?」
「……」
「距離を置いて私を捨てようとしていますね」
憎いまでの鋭さだ。泳いだ視線で正解を確信した七海が噛み付くようなキスをするから身体がじゅくりと疼く。随分躾けられた身体だと他人事のように思う。抵抗する腕を一つにまとめられて呼吸もままならないような激しいキスがようやく終わる頃には肩で息をしていた。こうして出来上がる二人を繋ぐ銀の糸を舐め取るのが好きらしく、今も唇を舐めるようにして糸を除いた。キスは駄目だけど、今の七海にそんなお願いが通じるとは思っていない。
「言いたいことは色々ありますが、」
「…っはぁ…うん…」
「捨てたい理由は」
「七海のこと嫌いだから」
「……元々そうでしょう」
「やっぱ無理だった」
ぷち、ぷちとシャツのボタンを外される。手を出されるのは困る!もしもお腹の赤ちゃんに何かあったら私はきっと目の前の男を本気で憎んできっと殺そうとするだろう。
「やめて!なんでこんな、嫌!」
「無理じゃないとわからせます」
「場所を考えてよ」
「大きい声を出さなければ誰も来ませんよ」
「嫌だ!やめて、お願い…」
「……『ずっとそばにいてください』と言ったのに」
「状況が変わった」
「状況?」
ハッと口を閉ざす。何も言わなくなった私にまた舌打ちを一つ零した七海はするすると下腹部に手を伸ばす。逞しい片腕で易々と捕えられた両腕ではなんの抵抗も出来ない。襟のあるシャツでさえ確実に人目に触れるような場所にクッキリと所有印を付ける男に何を言えば離れてもらえるんだろう。わからない。切ることに苛立っているけれど、このままだと抱かれてしまうし、切らないと言えばセフレ続行だから結局抱かれてしまうだろう。どうすれば、どうすれば。ああ、もう、わからない。
「なな、み」
声が震えてしまった。ギョッとして目を合わせた七海が私の目元の雫を見て固まる。拭う腕は拘束されているし顔をそむけても意味がない。悔しい。七海の前で泣きたくなんかなかった。
「なんでもするから抱かないで…」
「……は、」
「抱かれる以外ならなんでもするから…お願い…」
じっと目を見る七海は何やら考え込んでいるらしい。どうすれば止めてくれるんだろう。今は手が止まったけれど、拘束している腕は解放する気がないらしい。
「なんでも、というのは」
「七海のこと切らない」
「……。……キスは」
「いつでも許可する」
「セックスは」
「それだけはやめて」
「……。好きな人が出来ましたか?」
「出来てない…」
「……ん、まさか、……生理が来たのはいつですか」
「二週間くらい前」
「……そうですか……」
拘束を解かれてハンカチで優しく涙を拭ってくれる。少し腰を折って目線の高さを合わせられた。見透かされているようで怖い。
「貴女の嘘くらい見抜けます」
「嘘じゃない」
「何年貴女を好きだったと思っている」
「え」
「本当は貴女にもちゃんと好きになってもらってから言いたかったのですが」
「は?」
「結婚してください。必ず幸せにします」
「……え?」
先程までいやらしく這い回っていた手はすっかり慈しむように子宮のあるあたりを撫でている。この動き、この表情には覚えがある。中に出した直後に同じことをしていた。どういうつもりでこの男は中に出したんだろう。ただ快楽に溺れていただけなら、今も同じことをしているのは辻褄が合わない。まさか最初から、子を為すために……?
「一人…二人?もしかして三人?何人でしょうか…楽しみですね」
「七海…?」
「今すぐ指輪を選びに行きましょう」
「えっと……、正気ですか……」
「ご挨拶にはいつ伺えば良いでしょうか。早めのアポ取りをお願いします」
「スピード感に全然追い付けない……。結婚するなんて一言も言ってない……」
「断るつもりですか」
「………………」
七海を切ろうとしていたのは、七海が『セフレに出来た子を鬱陶しがる』と思ったからだ。でもそうではなくて、七海は実は私のことが好きだったと…。…もう切る理由はない。むしろ結婚するのに十分すぎる理由がお腹にある。でも何より、目の前の男の穏やかな瞳に囚われて動けないのが他の誰でもない七海をそばにおく理由。
「……断ら、ない、…です」
スゥ、と息を吸う音が聞こえたと思ったらぎゅうと抱きしめられた。
「愛しています」
「は……、」
「いつかは貴女も私のことを好きになってくださいね。……いつまでも待ちますから」
「わ、」
私たぶん七海のこと好きだよ、と口に出そうとした言葉は七海の柔らかい唇で押し戻されてしまった。