ロ兄専七がタイムスリップしてくる話今日は久しぶりに何の予定も無い休日だ。前々から気になっていた、今にも潰れそうな重苦しい雰囲気を纏った小さな本屋さんに行ってみたいと思う。あの店は最寄り駅の素っ気なさから既に心惹かれるものがある。お昼前までベッドでゆっくりして、お昼過ぎにご飯を食べてから身支度を始めた。髪をどうセットするか悩んでいるとスマホが振動して着信を告げた。硝子からだ。ちょっと珍しい。
「もしもし?」
『今なにしてんの?』
「化粧してるよ。今から本屋」
『じゃあ高専においで』
「日本語は初めてかな?」
『面白いことが起きてるから』
「えー、休みの日に高専行きたくない」
『面白くなかったらアルコール一升』
「乗った」
硝子がそこまで言うのなら本当に面白いことが起きているんだろう。もし面白くなくても一升瓶が手に入るとあれば行かない理由がない。高専に行くなら気張った髪型にする必要はないから、ゆるく纏めるだけで良いだろう。ぐっと大きく伸びをして高専に向かった。
高専のどこに行けば面白いのか聞いていなかったなと思いながら、とりあえず医務室へ向かったら当たっていたらしい。開け放たれたドアからはがやがやと人の声で賑わっているのがわかる。中を覗き込むと五条、硝子、七海がいた。そしてもう一人。若い頃の七海にそっくりな男の子。これは確かに面白い。サラサラの金髪と何か起きる前から既に不機嫌そうな雰囲気、スッと伸びた背と鉈、そして学生服の着こなし。本当に似ている。部屋に入りながらお疲れさんと挨拶すると各々挨拶が返ってきて、七海モドキくんと目が合った。これでもかというくらい目を見開かれている。
「見てナマエ、16歳の七海」
「え?マジで言ってる?」
「大マジ」
五条がそう言うなら事実なんだろう。へえ、と主に顔を眺めているとどんどん赤くなっていっていることに気付いた。居心地が悪そうにソワソワと視線を漂わせている。さっきから全然喋らないな……。
「なんでそんな顔赤いの?大人の女を見るのは初めて?」
「……赤くないです」
「いや赤いでしょ」
「童貞七海に大人になった好きな子は目に毒なんだろ」
「七海この頃からだ〜いすきだもんねぇ」
「小七海、大人になってもこのネタでイジられ続けるから今の内に諦めておきなよ」
「小七海……」
「で、なんでここにいるの」
「任務で呪霊に飲み込まれたらしいよ。今頃アッチは大騒ぎだろうね」
「え?タイムスリップってこと?」
「そうそう。オマケに帰る手段もわからない」
「大七海、タイムスリップした時の記憶ないの?」
「ありません」
「帰ったら忘れるやつかな?それとも別の世界線?」
「ってことは別の世界線でもナマエにゾッコンなんだ」
「何がどう『ってことは』なの?」
いつもギュッと寄せられていた眉は困ったように下がっていて、フラフラと視線を彷徨わせては私と目が合って慌てて目を逸している。七海ってこんなに可愛かったっけ。頭を撫でたくなるような可愛さをしているけれど多感な年頃だしそんなことしたら嫌われるんだろうな。あ、また目が合った。逸らされた。
「じゃ、七海の家で預かるってことで」
「まあそうなるわな。七海家ならお泊まりも余裕だし」
「……ん?」
「……でっかいソファがあるって意味ね」
関係を匂わせるような口の滑らせ方をしてしまって血の気が引いた。なるべく冷静を装っているけれど変な汗が出ている。多分、バレてない……と思う。気が緩むとこうなるからダメだ。
「七海の家の場所わかるでしょ?送っていってあげてよ。七海今から任務だから」
「嫌。もうこのまま本屋行くんだから。七海の任務終わるまで待ってりゃいいでしょ」
「そーそー。それか補助監督にやらせなよ。僕の可愛い奥さんを足にしないで」
「お、く……さん……?」
「結婚どころか付き合ってすらないでしょ、信じそうな人の前でそういう嘘つくなって何回言えばわかる」
「……私も本屋に行きたいです」
「……」
「……」
「……七海、家の鍵貸して。本屋連れて行った後家に届けとくから……」
「わかりました」
「なんだかんだ子どもに甘いよな。抱くなよ」
「抱くわけないでしょ。多感な年頃なんだから変なこと言わないで」
「行きますよ」
ダブル七海が医務室を出ていくので私もそれに続いた。大七海は鍵だけ渡してくれたら良かったんだけどな……。なんなら、私は合鍵を持ってきているから人前で渡さないのであればもう意味がない。黙って並んで歩く二人を見て七海は高専在学中に結構背が伸びたんだと察する。元々背が高いと思っていたけど、それでも今の七海の方が10cmほど大きい。筋肉も随分と増した。今まで頑張ったんだなんて柄にもなく労ってしまう。小七海を助手席に乗せて、窓を開けて大七海と会話する。
「私が帰るまで家に居てください」
「私の休日を丸々潰すつもり?」
「買った本を私の家で読んでいる内に私の任務が終わります」
「えー……」
「お酒も自由にどうぞ」
「飲んだら帰れないでしょ」
「泊まれば良い」
「寝るところがない」
「『いつも通り』ベッドで眠れば良いでしょう。私と二人で」
「えっ?」
「……今そういうこと言わないでよ」
「失礼」
窓を覗き込むために折っていた腰を伸ばしたから会話は終了。ブレーキペダルから足を離してアクセルを踏んだ。近くに立体駐車場のある本屋は限られているから希望も聞かずに車を発進させたけれど特に文句は無いらしい。むしろ文句があるのは私の方だ。重苦しい雰囲気の本屋に行きたかったのに、あそこは車向きではないから今日は断念せざるを得ない。視界の端でもの言いたげにソワソワしているのがわかる。さっき妙な会話を聞かされたせいだろう。
「……二人は、……つ……、……付き合っているのですか」
「……。それを聞いたら人生のネタバレになると思うんだけど」
「構いません」
「……」
毛嫌いしてる女とセフレになってると聞かされるのは余りにも可哀想なのでは……。ただ、赤い顔でチラチラと視線を寄越していた医務室の小七海からは嫌われている気がしなかった。大人になった私は多少七海の好みの女になっていたということだろうか。もし今も好みが変わっていないとしたら所謂脈アリということになるけれど、実際どうなんだろう。
「どうなんですか」
「……。内緒」
いざ話そうと思うと、高校生相手に『セフレ』という言葉を発する罪悪感に苛まれてしまった。キミは将来そこそこ付き合いの長い同僚をセフレにしますよなんて、隣でいかにも純情そうな挙動を見せるこの若い子に言える筈がなかった。大七海が帰ってきたら言ってもらおう。
「本屋こそネタバレだらけだと思うけど良いの?」
「確かに……。……良くないですが着いていきます」
「んー……じゃあさっさと済ませるわ、買いたいものは決まってるし……」
ついでにフラフラと見て回りたかったけれど、店内に貼られているポスターでさえ何かしらのネタバレを踏みかねない。意図せぬネタバレを踏むのは可哀想だ。諦めて続刊だけを購入して七海の家で読んで時間を潰していよう。休みを丸々潰す気?だなんて食って掛かったけれど、身分不詳の子どもを預かった身だし一応大人が帰ってくるまでは待っているべきだろう。だから会いたくて待ってるわけじゃない。……うん、筋は通ってるはず。
本屋で足早に買い物を済ませて七海の家に来た。慣れた手付きで合鍵を挿し鍵を開けて室内の電気をつける。キョロキョロと見回す小七海を本棚に案内して、好きな本を選ばせている間に珈琲を淹れた。大七海はブラックを好むけど小七海はわからない。念の為砂糖を添えてローテーブルに置いて、何やら本を選んだ七海にソファに座るよう促した。本を与えておけば静かにしてくれるだろう。これが五条や灰原ならそうはいかなかった気がする。タイムスリップして来たのが七海でよかった。少し間隔を開けて隣に座って珈琲を啜った。
○◎○◎
先程購入したばかりのミステリー小説のトリックが全くわからない。このシリーズは主人公が謎を解き明かす前に読者も謎解きが出来るようトリックのヒントが散りばめられている。しかしミスリードを誘う表現も多く、見事に踊らされてきた私の正解率は半分くらいだ。今回は解き明かしたいところだけど、如何せんもう終盤だというのに全くわからない。思考が迷宮入りし始めた辺りからソファに首を預けて電気に翳すように読んでいたけれど、首を反らしすぎて痛くなってきたので七海にコテンと凭れかかった。また最初のページを開いて……いや、途中怪しいシーンがあったからそこをもう一度読み直そう。この男が犯人なのは間違いないと思うけど、どうして事件当日あの場所に……。アリバイがしっかりしているけどおそらくこれはミスリードのはず、でもこれを崩すような描写はどこにも……。
「あの、」
「んー?」
「……普段から、こんな感じなのですか」
「んー……え?」
静かに話しかけられて自分の過ちに気付いてすぐに姿勢を正した。大七海にいつもしていることを癖でやってしまった……。私とは反対側の壁だけを見つめて頑なに私を見ようとしない七海の耳は真っ赤で、膝の上で開かれている本は上下が逆だった。申し訳なさが心を埋める。こんな純情な高校生に私は何を……。
「お気付きの通りいつもこんな感じだから、本に夢中になると癖が出たみたいで……ごめん」
「……いえ。全然気にしませんので」
「ふっ、……ふふっ……」
『全然気にしません』は嘘にも程がある!何この可愛い男の子!笑いが止まらない。
「七海ってこんなに可愛かったっけ?頭撫でていい?」
「駄目です」
「あはは、そっかそっか。駄目かー残念だー」
「……ッやめてください……」
わしゃわしゃと撫でられる七海の顔はやっぱり赤いし、やめてと言う割には大人しく享受している。学生時代の私からみた七海と随分違うけれど本当に同一人物なんだろうか。私くらいの年の女が好みなのかな?ハグしてみたらどうなるんだろうなんて好奇心から魔が差しそうになった時後ろから抱き締められた。驚いて変な声を上げる私の耳元に低い声が流れ込む。
「浮気ですか」
「は……、び……っくりした……。無音で帰ってこないでよ……おかえり……」
「ただいま」
耳元に唇が落とされる。小七海は目を見開いている。
「昔の私の顔が随分赤いですが一体何をしていたのですか」
「ちょっと揶揄って遊んでただけ。ね?」
「……です」
「ごめん、嫌だった?」
「……。……嫌というわけでは……」
「ねえこの子本当に昔の七海なの?私の記憶と全然違うんだけど」
「そのように見えますが何が違いますか」
「素直」
「……」
「……」
「私くらいの年の女が好きなの?」
違いますと声を合わせて答えられた。なるほど、確かに同一人物らしい。じゃあ髪型?何かわからないけど、高専の時の私とは違う何かが小七海に刺さっていることは間違いないはず。チュッチュと音を立てて、女の首筋にキスを落としている未来の自分を凝視するのはどんな気分なんだろう。大七海の額を押さえて一度阻止。
「付き合っているんですよね?」
「大七海、真実を」
「……。付き合っていません」
「えっ……」
「仲が良いだけです」
やっぱり七海も過去の自分相手にセフレとは言えないか。私も過去の自分にこんなこと言えない。
食材を沢山買ってきた大七海に『昔の自分と二人で食べろと言うのですか』と圧を掛けられて結局一緒に夕食を作って食べた。その後は帰ろうとしたのにあれよあれよと言う間に風呂場に押し込まれて結局泊まる手筈が整ってしまった。どうしよう。セフレの家に泊まるってそういうことだと思うけど、大七海はどういうつもりなんだろう。
ソファで寝る予定の小七海に掛け布団を渡して、大七海と私はベッドに入った。いつもならこのまますんなり事が始まるけれど、今日はそういうわけにはいかない。いつものように覆い被さってきたけれど、そういうわけにはいかないのだ。
「16歳の七海は誰かとしたことあるの」
「ありません」
「じゃあ声とか音が聞こえるだけでも嫌だから今日は駄目」
「久しぶりに会えたのに」
「隣の部屋に高校生がいるのに出来るワケないでしょ」
「……貴女にお願いがあるのですが」
「何」
「奴はキスすらもまだです」
「あっ……へぇー……?」
「初めてを貰っていただけませんか」
「お断りします」
間髪いれずにお断りしたものの本当は好きな男の初めてなんて喉から手が出る程欲しい。でも小七海はまだ16歳の高校生だ。
「謂れがないし、子どもにキスなんか出来ないでしょ……」
「……"私"はあの数年後、あまり良くない形でファーストキスを失います」
「えっ」
「貴女とするキスは何より気持ち良いので、それを初めてにしたい」
「いや、いや、いや。逆に七海は出来るの。16歳の私に」
「……。キスまでなら」
「えぇー……。あまり良くない形とやらを教えてあげて避けさせたら良いじゃん」
「避けられません」「えぇー……」
あまり良くない形というのがとてもとても気になるけれど、怖くて聞けない。避けられない良くない形で失われる前に私が奪えと……。そんなもの"良くない形"が私にすりかわるだけじゃないか。
「本人の意思次第じゃ私がトラウマになるだけだと思うよ……」
「!」
起き上がってベッドから出て行こうとする七海を引き止めたくて腕を掴むと、何を勘違いしたのか引っ張って起こされた。そして手を握って向かうのはリビング。小七海が寝ているはずの場所。
「まだ起きているでしょう。話があります」
「なんですか」
「……君には今、ファーストキスに彼女を選ぶ権利があります」
「は……?」
「いやあるわけじゃないけど……」
「残酷な真実を言いますが君が好きな人とキスをするのはもっと先ですし、ファーストキスは好きでも何でもない人で、望まない形です」
そうなんだ。好きな人ともキス出来たんだ。……ふーん。
ていうか七海って小七海を君って呼ぶんだ。
あとなんで小七海のキスにこんなに積極的なんだろう。確かに過去の自分かもしれないけれど意志を持った別個体だし、七海の体験した"あまり良くない形でのキス"が塗り替えられることはないのに。自分の中で建前だけでも変えたいのかな。……それ程に嫌な記憶だったのか。綺麗な顔してるし同意無しにキスされることもあったのかも。もしもそれが初めてだったとしたら確かに辛いはず。
「……良いんですか」
「良くないけど……良くはないんだけど……」
「数年後に望まない形でファーストキスを失う可哀想な私を助けてください」
「こういうこと言われると……なけなしの良心が痛むというか……小七海がもしも望むなら……」
「望みます。したいです」
「うぅ……」
今日ほんの数時間接してみて、小七海の可愛さはしっかり見せ付けられた。男としてというよりは、ぬいぐるみや小動物にするような気持ちでキス出来るだろう。
小七海の隣に座って小さく深呼吸をした。既にほんのり頬が赤い七海は普通に可愛い。うん、出来る。それどころか役得と言っても過言ではない。肩にそっと手を乗せた。
「目、閉じて」
「……っ……はい」
軽く一度唇を落とした。ピクリと震えた肩が可愛い。大七海の大きくて深い溜息を無視して、もう一度口付けた。ん、と小さく声を漏らしていてこれもまた可愛い。薄く瞼を上げて僅かに覗く綺麗な瞳にもう一回キスしたくなる衝動を掻き立てられたけど、我慢して頬に一回キスして顔を離した。
「……もう一度、」
あ、"雄"だ。
「ほんと、だめだって……!」
「可愛い」
「……っ、だめ、高校生いるんだから……っ」
「見せなければ良いでしょう?愛撫は全て服の下で行いますから、貴女の艶っぽい声が聞こえるだけ」
「それが、んぅ……っダメなんだってば……!」
「貴女はココが好きですよね」
「ん、ぁ……っや、やだ……っだめ……っ見ないで……っ」
目が覚めたら太陽はとっくに真上にまで上っていた。これだけ寝たのはいつぶりだろう。昨日ぶりか。脚の間がひりひりする。後ろからは大七海が私を抱き締めていて、前からは小七海が縋り付くように抱き着いてきている。いつからこの格好になっていたのか、軋む身体が教えてくれるようだ。寝返りが睡眠時にどれだけ大切なのか知らないんだろうか。クイーンサイズのベッドが泣いている。私の身体も泣いている。
結局騙されるようにして七海二人から何度も何度も抱かれてしまった。高校生としたくないという言葉はキスに飲み込まれて流されて、ファーストキスを頂くどころか結局童貞まで頂いてしまった。好きな男の今の姿と昔の姿、二人から代わる代わる求められるのは正直とても満ちたりたけれど二人とも絶倫なせいで身体への負担はとても大きい。
童貞なはずの小七海は、大七海の動きをじっと観察していた。交代する度に上手くなっていく腰遣いに正直気が狂いそうだった。身体の相性の良い男が二人。午前中に目が覚めたのは奇跡に近い。
僅かに与えられた休憩時間に『貴女が他の男に抱かれているところを見たかった』と白状された。『実際そんなものを目撃したらきっと殺害してしまうけど、過去の自分なら大丈夫だと思った』と付け加えられた。手を掛けていないから実際大丈夫だったんだと思う。性癖の歪みを感知したけれど無視。少し重い執着心を抱かれているだろうけどそれも無視。その執着心に少し心が跳ねている自分も、無視。
とりあえず離れてと言おうとしたのに掠れた空気しか出なかった。ぐいぐいと両腕で二人を押すと小七海は素直に離れたのに大七海は腕の力をより強めた。こいつ……。
「……」
「少し無理をさせてしまいましたね」
少し……?絶倫二人で好き勝手に弄ぶことが『少し』だと……?大七海の腕にがぶりと噛み付いて腕を退けて、フラフラと水を飲みに行く。喉に冷たい水が滲みる。
「今日任務なんだけど……」
「私は休みです」
「一回ぶん殴らせて」
「ので任務を交代します」
「……え、」
「流石に支障が出そうですので」
「……いいの?」
「ええ」
「……。これでもまだ貸し余ってるから、チャラになったなんて思わないでね」
「私がいない間そこの若いのをこき使ってください」
「デカイのが任務でいない間ずっと貴女のそばにいますので、なんなりとどうぞ」
「……」
「……」
「え、なんで仲悪いの?」