そういうわけではないお腹の底に響くような轟音で飛び起きた。
何が起きたのかわからない。ドッドッと煩い心臓を深呼吸で落ち着かせながら、起き上がって周囲を見渡す。そうだ、ここは七海の家。さっきまで沢山してシャワーを浴びてベッドに入って……。外からはザァザァと雨音がうるさい。何?何があった?七海は相変わらずゾッとする程綺麗な顔で眠りこけている。空が唸るような音が耳に流れ込んできて、すべてを理解した。
そうか、雷。
これは非常に良くない。雷はあまり得意ではない。雷が得意というのはよくわからないけど、とにかく得意ではない。理由なんて明白。雷の持つエネルギーは余りにも不安定で、そして大きすぎるのだ。避雷針がどこにあるのかよくわからないし、結局車の中が安全かどうかもわからないし、室内の窓際で雷に打たれた人もいると聞くし、文字通り光の速さで避けられないし、打たれたら死ぬし、でもどこに落ちるか全然わからないし。
雷に打たれる確率は約八十万〜百万分の1程度らしい。しかしジャンボ宝くじの当選確率は千万分の一だから、言ってしまえば宝くじの十倍はアタリやすいのだ。
あとついでに言えば、私が見たホラー映画は何故か尽く雷のシーンが出てきた。ビカビカと稲光に照らされた後、ダダーンと大きな雷鳴と稲光と共に異形が写されるのだ。ああクソ、最悪。嫌なもの思い出した。なんだか七海の白い肌も薄明かりと稲光だけの部屋では死体に見えてきた。最悪。こんな部屋で眠れる筈がない。
七海の頬にぴとりと手のひらを添えた。なんかこう……妙に冷たいような……。寝そべってもぞもぞと這い七海の脱力した大胸筋に顔を埋める。また雷鳴。胸元で飛び上がったのに、穏やかな肺の伸縮に乱れはない。なんなんだ。なんでこんなに起きないんだ。呪詛師に狙われたら一発で死ぬんじゃないのか。ぺちぺちと頬を叩くものの、やはり起きない。何、ここまで起きないと怖い。肩を掴んで大きく揺さぶった。
「七海、起きて」
「んー……」
「んーじゃなくて。起きて。お願い」
「……ん……?」
「寝てる場合じゃない」
「……なんですか」
ぎゅっと抱き締められ悔しいけれど安らぐ。しかしまた轟音が鳴り響きギュッと身体を縮こませた。
「……雷が怖いんですか」
「そういうわけではないけど」
ゴロゴロと音が鳴り肩を震わせる。またもぞもぞと胸に沈み込むと、七海がくつくつと喉を鳴らして身体を震わせていることに気が付いた。
「何笑ってんの」
「笑ってませんよ……、く、」
「めちゃめちゃ笑ってんじゃん」
「怖いんですか、雷」
「そういうわけではない」
「ふ……、」
「なんで笑うかな」
「女王様が可愛くて……、ふ、く……、」
「ヤな奴、っ!?」
またビカビカと光って、爆音。かなり近い。ああもう、正直に言う。かなり怖い。一歩間違えたら死ぬんだぞ、なんで笑ってるんだこの男は。あと稲光の間に異形がそこに現れないとも限らないんだぞ。例えばそこの壁とかに。脇の下から背中に手を回して縋るように抱き締める。色々デカイな……。七海の腕は私の背中でだらんと脱力している。また爆音が鳴って、小さく悲鳴を上げた。そしてまたくつくつと七海の喉が鳴る。腹が立つ。起こさなければよかったかもしれない。
「笑ってばっかいないで、抱き締めるとかそんな優しさはないんですか」
「おねだりですか」
「何その言い方、っ!!!……っ、ハグしてってば!」
「かわいい」
「なんなの、もうホント嫌い……っ」
「よしよし……」
太い腕でぎゅむぎゅむと隙間なく抱き締められて息が詰まる。ぽんぽんと背中を叩く手に酷く安心してしまう。よしよしってなんだ、私をいくつだと思ってるんだ。仮にも先輩によしよしとはなんだ。
「ばか」
「そうですね」
「嫌い」
「はいはい」
「あやされてる感がむかつく」
「雷が怖いのでしょう」
「そういうわけではないってば」
「く……、」
「そんな面白くないでしょ」
「面白さよりは愛おしさの方が上回っています」
「何?俺が守ってやるよとでも言いたいの?言っとくけど七海がどんだけ頑張ったって雷の前では無力だからね」
「ええ、雷は怖いですからね」
「だからそういうわけではない!」
「く、ふ……っ、」
背中をバシバシと叩く。アーイタイイタイと棒読みで呻く男に心底腹が立つ。
「可愛いところあるんですね」
「こんだけ抱いてても可愛いところの一つも知らなかったんですか」
「いいえ、沢山知っていますよ」
「それはそれでなんか嫌だ」
「しかし今日のこれがダントツで可愛らしい」
「……これって何」
「雷が怖いのを認めないところ」
「認めるも何もない」
「そうですね」
すん、と髪の匂いを嗅いでちゅっと口付けられた。この男はなんなんだ……なにがしたいんだ……。
「今後も、雷が鳴ったら起こして良いですよ」
「……それはありがとう」
「泊まってない日なら電話してきても良い」
「いや起きないでしょ」
「起きます」
「さっき肩揺するまで起きなかった」
「眠りが深かったので」
「起きれないんじゃん」
「枕の下にスマホを敷いて寝ます」
「壊れる」
「壊れません」
「一人のときはそれなりに耐えるから良いよ」
「雷の日は泊まりにおいで」
「……」
七海って『おいで』なんて言うんだ。びっくりしてヘンな間を作ってしまった。あれ、なんか胸の奥がむず痒い。なんだ。低くて甘い声がやけに耳に残る。
「……私あんまり天気予報見ないから」
「では貴女が取れる選択肢は二つ」
「何と何」
「天気予報を見るか、ここに住むか」
「こんな馬鹿みたいな理由で同棲出来るか」
「一人の時はどうしているんですか」
「掛け布団に潜り込んで眠くなるまでスマホ触る」
「私がいた方が安心でしょう」
「……そりゃ確かにそうだけど」
「フ─────……」
「その溜息どういう意味」
「実感」
「何の」
「何かの」
「何それ」
「何でもありません」
「……」
「……」
いつの間にか雷は遠くへ行っていたらしく、黙り込んだ途端に静寂が訪れる。静かな部屋にたまに響く小さな雷鳴、そして雨音。さっきまでは銃撃のような大きな雨音だったけれど、今は小雨に変わったらしい。小さな雨粒がサァサァと壁に当たる音だけが響いている。もう七海にしがみつく意味はない。けれどやけに落ち着くこの場所を離れる気にはなれなかった。
「……同棲したらどっちが料理する?」
「朝は貴女で、夜は私」
「負担が公平じゃない。夜のほうが面倒でしょ」
「自炊はそれなりに好きですので」
「料理上手いもんね」
「……」
え、黙る?
「掃除は?」
「水回りは必ず私が。それ以外は適当に分けましょう」
「なんで?」
「水回りはこだわりが強いので」
掃除のこだわりはデリケートポイントだけど、付き合わせないならラクでいいのかもしれない。汚し方や使った後にまで口煩く言われるようならおそらく同棲には向かないけれど……。
「毎晩抱かれるから同棲なんて無理しないけどね」
「毎晩は抱きませんよ」
「じゃあどれくらい?」
「貴女が許した日だけ」
「私がずっと許さなかったらどうするの」
「どうもしません。抱かないだけです」
「セフレなのに?」
「ええ」
「……変なの」
抱けないセフレとの同棲なんてなんで許可するんだろう。許可出たところでセフレと同棲なんてしないけど。七海が、私を抱く力をぎゅっと強めた。雷鳴ってる時にこうしてよ、とは思ったけど黙る。
「キスしても良いですか」
「駄目」
「一度だけ」
「駄目だって。もう抱かれる体力ない」
「流石にあれだけ抱けば性欲なんて微塵も残っていませんよ」
「……」
「一度だけ、良いですか」
「駄目」
「早朝に叩き起こした負い目につけ込みたいのですが」
「………一回だけだから」
「ええ」
衣擦れの音と、雨の音が響く。少しベッドが軋んで七海の前髪が額にかかる。居堪れなくて目を閉じると、鼻どうしがコツンとぶつかった。
「目を開けて」
「なんで」
「起きている貴女とキスする実感がほしい」
「……また"実感"」
恐る恐る目を開けると、真ん前にあった目と目があった。綺麗な海色の瞳は薄い瞼に少し隠れて、柔らかく唇が重なった。たっぷり五秒は数えられそうな間温度を分けあって、小さな音を立てて離れていった。そしてまた衣擦れの音。むにむにと顔を埋めた。
発散し尽くして性欲が欠片も残っていないタイミングで、同棲を提案してキスを懇願した。それって随分、随分……な気がするけれど、セフレのままでいるためにはきっと深く考えない方が良い。今言及すべきは一つ。
「『起きている貴女と』なんて台詞は寝込みにキスしてる奴しか言わない」
「……」
「寝たフリすんな」