「おいっ……」
ギョッとして隣を足早に通り過ぎようとしたアンドラスの手首を掴んで引き寄せた。迷惑そうにこちらに向けられた顔は涙に濡れていて、琥珀の目を真っ赤に泣き腫らしている。
突如与えられた驚きに、嘘のように舌が回らない。
「お、めえ……な、はぁ? 何泣いてんだよ!?」
驚天動地とはこのことだった。あのアンドラスが泣いている。
あの、自分の手首を切り落とそうが全ガルドが泣いた(とか陰気モノクル女とユニコーンのガキが言ってた)感動モンの話を読もうが幽霊を見ようが顔色一つ変えない、あのアンドラスが?
何か言おうと口を開閉していると、アンドラスが目をハンカチで拭いながら首を傾げる。
「ああ……その声はフラウロスか?」
「そうだよっ。……無視してんじゃねーよ」
言いながら全身を素早く盗み見る。外傷はなさそうだ。ちょっとした打撲ぐらいならあるかもしれないがこんなに泣き続けるほどのことでもないだろう。ましてコイツは頑丈だし。そのぐらいなら平気なはずだ。しかし、だったら精神的なモンか? 懇意にしてた知り合いが死んだとか。珍しいことじゃない。コイツ、やべえ感性持ちのくせしてたまに真ヴィータなとこあるしな。んなもん、一々気にしてたらキリがねーっつーのに。
そこまで考えて、違和感に気づく。
でもそれにしては、しゃくりあげてもないし、声も震えてねーし、平静に近い、気がする。
……なんか変じゃねー?
「悪い……ちょっと……」アンドラスはこれ以上目を空気に晒すのが耐えられない、と言った風に目頭を押さえながら言う。「調合してたら、うっかり煙が目に入っちゃってさ」
「……煙?」
「そう、煙」
こちらの考えていることなどものともせずに、アンドラスはケロッと言う。
「だから、とりあえず部屋から脱出して、水場に洗いに行こうと思って……」
その後の言葉は聞いていなかった。煙。煙ね。ギリギリと軋むほど手首を掴んでその体を壁に押し付ける。
片手だけ離して、鬱陶しそうな橙の前髪を梳いてやった。髪をかき分けて、間抜けに泣き腫らした目を覗き見る。
「へえ。煙」
「あ、ちょっと、フラウロス。痛いよ」
「痛くしてんだよ」
「え。いや、こんなところでそんな、困るよ……」
眉尻が僅かに下がる。ようやくこちらを真っ直ぐに向いた目からボロボロと溢れる大粒の涙は一向に止まる気配がない。まるで本当に、心の底から泣いてるみたいだった。普段どんなにひどくしても泣かねえくせに。
「あー! いけないのです! クズが解剖バカを泣かしているのです〜!」
「うるせーぞクロケル! 大体、俺がやってたらこんな構ってねーっつーの!」
「……ああ、そうか」
アンドラスがワンテンポ遅れて、嬉しそうに涙を拭う。
「心配してくれたのか? 嬉しいな」
「うるせーっ」
軽く脛を蹴り飛ばした。アンドラスは「ぐぅっ」と蹲って、しばらく起き上がらなかった。