最近の茨は、よく笑う。
それは、何かを企んでいるような、意地の悪そうな笑顔でもなく。
作った笑みを貼り付けたものでも無く。
穏やかに、優しく笑う。
───私の知らない誰かを、思い浮かべながら。
「閣下、聞いてますか?閣下!」
「!……あ…ごめんね茨。聞いてなかった。何?」
どこかへ飛んでいた意識が、茨の声によって戻された。
目の前にまで顔を寄せられ、何度も呼びかけられなければ気付かないなんて。
茨がそこに居るのにそちらを見ずに、茨のことを考えていた、とは言えなかった。
「何?じゃありませんよ!どうしたんですか、何か自分に頼みたいことがあるんですよね?」
茨は私の発言に眉を顰めた。
そんな顔も可愛いな、なんて思いながら。
そういえば、確かに茨を呼び出した、そこまでは覚えているけれど。…どうしてだっけ。
仕事が終わって私はカフェに、茨は事務所に戻りそれぞれの時間を過ごしていたはずで。
…ああ、そうだ。暫く時間が経ったあとに窓の外を見たら誰かと歩いている茨を見つけて、呼び出したんだった。
送信した内容は忘れたけれど、すぐに駆けつけてくれたらしい様子の茨を見て、私はすこし優越感を感じた。
なんて、これも言えない。
「……何だっけ」
「え?」
「……言いたいことがあったのに、茨の顔を見たら忘れてしまった」
茨を一瞥し、ちょっと冷めたコーヒーを一口飲む。
うん、あまり美味しくない。
「何ですかそれ…。もう、ライブもイベントも控えていて忙しい時期なんですからね。時間の使い方には気を付けてくださいよ!」
はぁ、と大袈裟に溜息を吐かれる。
顔が見たかっただけなのかも、と言ったら、怒るかな。
「御用がないようなので、自分はこれで失礼します。あまり長居しないように!」
「……分かった」
言いながら、どこからか連絡があったようで震えるスマホを上着のポケットから出し、茨は足早に店の外へ出て行った。
「……ええ!はい、……、…」
会計を済ませて私も店を出る。
店を背にして話し込む茨。
気付かれないように足音を消して近付いてみる。
どうやら仕事の電話ではなさそうで、茨が楽しげに誰かと話している声が聞こえた。
「…え?ええ、それはもちろんです。分かってますよ」
その笑顔。
(…私にも向けて欲しかった)
「はい。そうですね、……あの、はい。好きですよ…」
「───……」
その言葉。
(…やっぱり、私では駄目だったのかな)
私は貰えなかった言葉を、茨は誰かに伝える。
その口で、私の好きな声音で、笑顔で。
見ているだけで、胸が張り裂けそうになるほど痛くなってしまう。
(…最近、茨と一緒にいるのが苦しい)
これは、茨の言葉をちゃんと待てなかった私への罰か。
───……ああ。想う人がいるのなら、最初からそう言ってくれれば良かったのに。
そうしたら私は、君への想いをしまい込んでおけたのに。
♢♢♢♢♢♢♢♢♢
最近、閣下があまり笑わなくなった。
穏やかな笑みが、目を細め慈しむような優しげな笑顔が消えた。
だけど、どうやらそれは自分の前でだけのようで。
殿下やジュン、他にも関わりあるたくさんの人々には変わらぬように笑顔を向けているように見えるけれど、それでも、見るとどこか寂しそうに笑っている。
そのままこちらを向いたと思えば、その色がいっそう濃くなる。
(態度に出しているということは、それが何でか気付いて欲しいんだろう)
閣下の憂いは払いたい。
そう思うのは、この人を管理しプロデュースしているビジネスの面での自分がいるのも確かだが、それ以上に、…これは、誰にも言っていないけれど。
閣下にああして微笑まれることが好きなんだ。
あの笑顔を曇らせたくない。そばで笑っていて欲しい。
…できればそれを、いつかは俺にだけ向けてほしい。なんて、エゴもある。
しかし、それを消してしまったのがもし自分ならば。
何としても取り戻さなくてはならない。
仕事を終わらせ、一緒だった閣下と別れ事務所に戻ってきたのだが今日使っていたスタジオに忘れ物があるとの連絡が入った。
それを取りに行った後、連絡をくれたスタッフを駅まで送る中つい話し込んでしまっていると、手の中の端末が不意に震え、一件のメッセージが表示された。
(…閣下からだ)
スタッフの話を適度に聞き流しつつ、自分の意識はもうそのメッセージに向いていた。
『お願いしたいことがあるから、いつものカフェに来て』
内容を把握すれば、スタッフに軽く挨拶をしすぐ別れ、指定の店へ小走りで向かう。
(ここからなら、すぐ着くな)
こうして突然の呼び出しが増えはしたものの、閣下は別段自分を避けているわけではないので、メッセージでのやり取りも普段の会話も特に問題はない。
ただ、今回は閣下の言動が気掛かりだ。
呼び出しておいて何を話すか忘れた、だなんてまず他の何においてもないこと。
それに極端に少ない口数。目すらろくに合わせてはくれなかった。
閣下に振り回されるなど今に始まったことではないが、今の普段との異なる様子に首を傾げる。
(まあ、へんに突いても逆効果でしょう。ここは様子を見て…おっと、また電話。……殿下から?)
上着のポケットで震えるスマホ。ちらりとディスプレイを見ると、滅多に自分へ電話なんて掛けてこない殿下からの呼び出し。
何かあったのかと思い、閣下へのお小言もそこそこに、忙しなく震えるスマホを取り出し店を後にした。
(そうだ。最近食事管理の方を若干疎かにしてしまっていたから、今日は閣下の好物を振る舞おう。幸い時間もあるし、確かサークル活動があると椎名氏が朝言っていたはず…)
予定をチェックしてから電話を取る。
相手は殿下だったので無視するわけにもいかずに足早に閣下のもとを離れてきてしまったが、そうして正解だった。
そこで話された内容が、閣下と自分のことであったため……指摘されることに正直に答えていたことを閣下に聞かれようものなら、きっと取り繕うことすら出来ないほどに焦ってしまったかもしれない。
(何で気付いたんだろうか、殿下は。いえ、流石…と言うべきなんでしょうかね)
────この時、振り返れば良かった。
閣下の様子がおかしいことや、笑顔が消えてしまったこと。
それらに思い当たることが無いわけではない。
しかし誰かに相談出来るわけもなく、自分で解決しようとしているわけなのだが。
(何故か殿下には自分の気持ちすらバレていたが)
それは以前に、閣下から愛の告白をされたということが、始まりのはず。
そう。閣下が、自分に、愛を告白してきたのだ。
また今日のように突然呼び出された、人気の無い空中庭園で。
『……茨のことが、好きなんだ』
(目を逸らしたくても逸らせなかった、自分を見詰める揺れる朱色)
最初は何の冗談かと思ってそれを口にしようとして、閣下の顔を見たら。
じっとこちらを見るその顔は、いつになく真剣な表情で。
『……愛しているんだ。なによりも、誰よりも』
(こちらが声を掛ける隙も無くて)
(というか、声なんて出せなくて)
少し張り詰めた声音で、振り絞るように出した言葉。
珍しい、そっちの緊張がうつってしまうほどに、こちらもちょっと身構えて。
「あ、これは、本気なんだ」と、空気が伝えた。
『……きっと、いい返事は貰えないんだろうけど。でも、ごめん。我儘を言わせて。…答えを、ちゃんと考えてほしい。君の、茨自身の気持ちが知りたい。───そうして出してくれたなら、どんな答えでもいい。受け入れる。決まったら、教えてくれるかな…?』
(答えなんて、とっくに決まっているんです)
(そう言ったら、貴方はどんな顔をしますか?)
寂しそうに笑って俺の頬へ触れた閣下の指は、少し震えているように感じた。
告白自体には何の問題もない、と言うと誤解がうまれるかもしれないが、問題なのは自分のほう。
そうして考える時間を設けてくれたことで、改めて自分の気持ちと向き合ってみようと思った。…それに中々時間がかかっている。
これは一時の気の迷いではないということを、間違いなく閣下と同じ気持ちであるということを、自分のためにも証明したいから。
──本当は、想いを告げられた時に。
アイドルも、色んな立場も何もかも忘れて、その胸に飛び込もうとしてしまった。それはいけないと踏み止まり、何とか堪えはしたけれど。
…だって、願ってもない展開なんだ。
その輝きは一度見たら目が離せない。
もう全てを奪われてしまっていた。
だから、こうなることはもはや必然だったのではないかと、思うほどに。
一番そばでこの人の何もかもを感じていたら、気付いたらどうしようもないほど、自分でもどうかと思うほどに手遅れで、抱いてはいけない感情をずっと抱き続けていたから。
だが忙しさに殺され、ゆっくり考える時間は取れず、あっという間に時は過ぎて閣下の告白から1ヶ月が経とうとしていた。
それで、最初は何ともなかった閣下の態度も、徐々に曇り出して今では笑わなくなってしまった…と思うのはやや自意識過剰かもしれませんが。待たせてしまっているのは、確かだ。
自分にだけあんな態度をされれば、そう思いたくもなる。
もしかして、待ちきれず、もういいと諦めてしまっただろうか。
閣下自身が、あの気持ちは気の迷いだったと思い、距離を取ろうとしているのだろうか。
(……そうだとしたら、仕方ない。またこの気持ちに、蓋をすればいいだけだ)
溢れてしまったものを戻すのには、時間がかかるだろう。
せっかく、閣下と想いが同じだというのに。
伝えることもせず、全部飲み込んで。
だけど、それでまたあの人の笑顔が見れるというのなら、自分の気持ちならどうとでも処理する。
今までもやってきたことだろう、慣れているはず。上手くやれる。……本当に?
それは、例えもう気持ちが離れてしまっていたとしても、それでもあの日閣下が一生懸命に伝えてくれた想いすら、無駄にするんじゃないか?
(俺はいい。けど、あの人の気持ちを蔑ろにする…なんて、そんなことはしたくない…)
答えなんてもう出ているはずなのに。
離れてしまっているかもと思うと、怖かった。
「…ら、茨!貴方、何してるんですか!?」
「!え、…っ……!?」
──突然弓弦の慌てた声がしたと思ったら、左手をきつく掴まれる。
何かと思い手元を見ると、そこには血塗れの自分の右手と刻んでいたはずの野菜。
どうやら考え事に夢中になるあまり手元が疎かになり、包丁で深々と手指まで切ってしまっていたようだ。
そう冷静に分析出来るほどに、痛み云々よりも自分の意識は未だに閣下のことにばかり向いている。
「何をぼんやりしていたのですか!止血をするので、こちらに!」
すかさず弓弦がタオルで右手を包んでくれ、共有ルームの方へ促される。
ソファへ座らされ、どこからか出された救急箱で、慣れた手付きでしっかりと止血を施してくれた。
(ああ、借りを作ってしまったな)
手の痛みより何より、そんなことが頭によぎるだけ。
「……随分慌てているようだけど、どうしたの?」
頭上から聞こえたのは、あの人の声。
(───あれ。いつの間に、戻って……?)
その声に、今まで痛まなかった手に感覚が戻った気がして少し眉を顰めた。
「乱さま…。調理中に、茨が右手を負傷してしまいまして。面目次第もありません、私の監督不行き届きでございます」
驚いていたのも束の間、スッと弓弦が立ち上がり、閣下に事情を話せば深々と頭を下げた。
(何で、お前がそんなことをするんだ…!)
そう思い慌てて振り返ると鋭い視線に射抜かれ、息を呑んだ。
こちらの発言は許されていなかった。
「…君は悪くないよ、気にしないで。不注意と言うなら茨のほうだね」
「……!」
一度弓弦に戻された視線は一瞬で濃い色を潜め、また自分を見る時には鋭さを増していた。
穏やかに話しているように見えてその実、上手く隠しているようだが明らかに怒気を含んでいる。
聞いたことがあるから分かる、という程度だが、これは明らかに、怒りを感じた。
ひしひしと伝わるそれに、嫌な汗が背中に流れ出す。
「…私には散々言いつけておいて、自分では出来ないの?珍しいね、そんなに君の気を引く何かがあった?」
「……も、申し訳、ございません…」
問い詰める言葉にやっと出せたのは謝罪のみ。
それ以上はなにも言えず、黙って俯いた。
「……茨、こっちへ来て」
「あ……、はい…?」
すると徐に腕を引かれ、立つよう促される。
ソファから立ち上がり閣下の隣へ。
怪我をしていない左手をしっかり握られた。
「…一応、茨を医務室に連れて行く。ごめんね、キッチンの片付けをお願い出来るかな?」
「はい、お任せください」
「…ありがとう」
弓弦との会話を最後に聞いて、閣下に手を引かれながら共有ルームを後にした。
迷いなく進む閣下の足取りは些か早く、手を引かれたまま歩くには少し足元が不安定だ。
それでも何とかついて行ってると、明らかに医務室とは違う方向に進んでいるのが分かった。
傍目にはどんな様子に見えているのか、通り過ぎていく人々の視線が居心地悪い。
それを分かっていてか、どんどん人気の無いほうへと進んでいってる。
「閣下、どちらに向かわれるつもりですか」
「…………」
「──閣下!」
呼び掛けに反応すらしないこの人の背に、つい声を荒げてしまった。
それにすら何も無く、返ってこないことに些か不安になる。
何をそんなに怒っているんですか。
何が貴方を……そう色々尋ねたいことばかりなのに、今は何も聞いてもらえないだろう。
言葉を呑み込んでついて行く。
そして閣下がやっと止まったのは、非常階段の踊り場。
少し乱れた息を整え、こちらを向くのを待つ。
「……手、」
「え?」
「…痛む?」
掴まれていた右手を離され、弓弦の手当てによってきつく包帯の巻かれた左手を取られる。
優しく、壊れ物を触るかのように。
閣下の大きな掌に乗せられ、そっと撫でられた。
「あ、えっと…痛みはありますけど、耐えられないほどではありません。弓弦の手当ては適切なものでしたから」
「……そう」
「っ……!?っあ、何を…、閣下…!」
優しかった閣下の手が、突然爪を立てる。
傷口へちょうど定められ、ぐっと押し込まれた。
止まっていたはずの血が包帯に滲みだす。痛みが強くなる。
痛みに顔を顰めつつ閣下を見ると、…ゾッとした。
「……ねぇ、茨。さっき、私のことを考えてたでしょう?」
何故、それを。
そんなことは問えなかった。
その手の強さとは違う、恐ろしいくらいに穏やかで、普段なら見惚れてしまうほどのはずの、美しいとすら言える笑顔。
確か、自分はこの笑顔が見たかったはずなのに。
そのために、色々手を尽くそうとしてみたのに。
これは、違う。…どうして、貴方はこんな顔をする?
「あ、の……閣下…?」
「…何も言わなくていい。分かってる。茨の顔を見れば私は分かるから」
「───っ…!」
「…だから、あの子に触れさせたのも許してあげるよ」
ぎり、とまた力が強くなる。
痛い。痛い。
でもそれを言ったら、もっと痛くなる。
「ぁ、……っ…」
「……羨ましい」
どんどん滲んでくる血の色。閣下はやめようとすらしない。
しかし、耐えなくてはいけない。逃げてはいけない。
……そう自分に思わせるのは、目の前のこの人が俺より痛そうに、辛そうな顔をしているから。
綺麗な笑顔の下に、暗い影を潜めているから。
だから痛くなるのは、この手の怪我より、こころだ。
「閣下……」
「…………」
「閣下、聞いてください。自分……いえ、俺はっ…!」
もう、今だ。今しかない。考えるなんてやめた。
最初から抱いていたこの気持ちを、問われるまでもなかった感情を、全て閣下に伝えてしまえば……!
「……何も言わないで」
「な、…んっ!?」
しかし、決意も虚しくそれ以上の言葉は遮られた。
重ねられた唇によって。
するりと閣下の手が自分の頬に添えられる。
逃がさないというように。捉えられて。
そして視線がぶつかった。
ゾクリ、感じたことのない、けど気味の悪くない震えが全身を駆け巡った気がした。
「……茨…茨、…いばらっ…」
「あっ…!待って、閣下…ん、ふっ…」
ああ。確かな欲を孕んだその瞳に見詰められたら。
呼吸の合間に甘ったるい声で名前を呼ばれたら。
貪るように、何度も何度も唇を重ねられたら。
「はっ……、んぅ、…閣下……」
「……茨…」
縋るように、頬を擦り寄せられたら…。
(何を言おうか、全部吹っ飛んでしまったじゃないですか)
だけど。…ああ、なんて愛おしいひと。
つい笑みがこぼれそうになるのを抑え、少し仕返し。と思って軽く睨みつけた…はずが。
それに閣下が喜んだように見えて、ハッと気付くと隠すように肩口に顔を埋められた。
「───……っ、…どうして……」
そして、
「……どうして、抵抗しないの。何でっ……、こんなことをする私を、責めない…!」
まるで罰して欲しいと言わんばかりに、叫ばれた。
本心なんだろう。でも、こんなことを言わせてしまったのは、間違いなく自分だ。
この人をここまで思い詰めさせてしまったことを反省しながら、すぐ隣の美しい銀髪に頭を預けた。
ゆっくり、口を開く。
「だって、閣下」
「…………」
ぐっ、と腕を掴む手に力が入った。
──続く言葉を、怖がっている。
微かに、息を呑む音が聞こえた。
心配しないでください。
きっと、ずっと、待たせてしまった貴方への…
望んでいたであろう言葉を、今。
「俺は貴方を、はじめから求めていたから」
…告げる。
「好きです。貴方のことが」
さらりと、柔らかな髪を撫でた。
言葉は何も返ってこなかったが、そのかわり、何か小さく声が聞こえただけだ。
すると次第に閣下の手からは力が抜けていき、ゆっくりと顔を上げてくれた。
驚きと、動揺と。見開かれた瞳が揺れていて。
「返事、お待たせしてしまって申し訳ございません」
「……嘘」
「嘘なもんですか。七種茨は、貴方が…乱凪砂のことが、好きなんです」
「…………」
言葉を続ければ続けるほど、閣下は「信じられない」なんて顔をしていく。
(…そんなに驚かなくても良くないですか?ねえ?)
文句の一つでも言ってやりたくなるが、それはあとで。
すっかり力が抜けて下がった手を再び握る。
そうして指を絡めて、頬に寄せた。
「ふふ。ずっとこの手を取りたかった。こうして、触れ合ってみたかった」
さっきこの人がしてくれたように。
手の甲へ頬を擦り寄せる。視線はばっちり絡ませて。
「……本当?私と君は同じ気持ちだって、信じていい?」
輝きを取り戻す瞳。
でもまだ確かめるように尋ねてきながら、そっと手を握り返してくれた。
「ええ。あの日、すぐに伝えられなかった…嘘偽りのない、自分の気持ちですよ」
「───…っ、茨……!」
自分の微笑みを合図に、何かに弾かれたように閣下が飛びついてきた。
「うわっ!」なんて間抜けな声が出たが、しっかり抱きとめる。
体に回された両腕が、ぎゅうっと自分をきつく抱き締めた。
「…ああ、どうしよう。こんなに幸せなことがあっていいのかな。今にも踊り出してしまいそうなほどに、私の体は軽やかだよ」
そう言われると同時、ひょいっと抱き上げられる。
「それは何よりです……が!そこで何故自分を抱き上げくるくると回っているんですか!危ない!」
「…嬉しくってたまらないから。これで心置きなく君を抱き締められるのだと思うと、こうせずにはいられなくて」
「………」
そんな顔をされたら、これ以上なにも言えないじゃないか。
悔しさと共にぐっと堪え、自分の言葉でこうもはしゃぎだす閣下を微笑ましく思い始める。
そっと額に手を添え、軽く口付けた。
「───これから、いくらでも出来ますよ」
不器用かもしれないけど、自分なりに精一杯、死ぬほど馬鹿にしていた愛ってやつを、手探りで見つけて掴んで。
それを全部、あなたにぶつけてやるんです。
「愛してる」なんて言葉にするなら、あなたを一撃で沈めてやれるものに。
触れ合うのなら、お互いが混ざって溶け合うほどに。
そうしてどんどん、もっと深いところまで止まらずに、俺に堕ちてください。
…いいえ。
一緒に堕ちて行きたい。
その手はもう、何を言われても離してやりませんから。
降ろされたのちにこれでもかと降らされるキスの雨を途中で止ませ、こちらからも返してやると。
(ああ、この顔だ)
───それはそれは、太陽のように眩い…。
終
♢♢♢♢♢
「え?カフェ近くで一緒に歩いてた人?ああ、今日のスタジオのスタッフですよ。忘れ物してしまって、その連絡をくれてそれから駅まで……え?そのあとの電話の相手?そちらは殿下です。何か急用かと思ってすぐ店外に……は、話聞いてたんですか!?それじゃあ、自分が何を言ってたか…、ですよね、聞きましたよね。いえ、その…殿下には何も話していないのに我々のことを色々気付かれていて。それで、その…何かと聞かれまして。何かとって何、って…?………本当に閣下のことが好きなのかどうか、とかです。だからそう答えて…もしかして何か勘違いしてました?…やっぱり。すみません、真っ先に貴方に言うべき言葉だったんですが。…ありがとうございます。えっ、あ、この怪我をしたのは…たしかに閣下のことを考えていたからですけど。〜〜〜っもう!全部話すのでいっぺんに聞かないでください!」
2人に幸あれ…☆