富豪×ディーラー 3────────
「『赤の16』…かなわんなぁ。まぁたそっちの勝ちや」
その宣言に、ワッと一斉に声が上がる。
人々が注目する先は、赤と黒交互に色が分けられ全38の数字で構成された円盤(ホイール)… アメリカンルーレットのテーブルだ。そしてその円盤のポケット、宣言された16の位置にボールが転がっていた。
円盤と同じ色と数字で割り振られたテーブルのスポット、宣言された色と数字の箇所にのみ専用のチップが積まれている。
それを囲む人々の集まりは、結果を見ながらあれやこれやと話し出す。
そのざわつきを横目に、ディーラーが口を開く。
「流石やね、日和はん。ルーレットは初めてのくせして、ストレートアップでここまで当てられると、ディーラーとしての自信を無くしてまうなぁ」
アメリカンルーレットはヨーロピアンルーレットのシングルゼロの円盤と違って、36個の数字と「0」と「00」のポケット──それをダブルゼロと呼ぶ──が増えており、還元率が低くチップを賭けてカバーしなければならない数字がシングルゼロより多くなる。プレイするのなら、多くが勝率の高いヨーロピアンルーレットの方を選ぶだろう。
だがそこへ更に、『ストレートアップベット』。プレイヤーが1つの数字だけを選ぶという、最も当てるのが難しいベット方法でのプレイ。
これは当たれば最高配当の36倍で返ってくるのだが、ストレートアップで賭けるのは余程自信があるか手持ちに余裕があるか──はたまた、一発逆転を夢見る者か。とはいえ、日に何度も見られるものではないし、稀なことだ。
そんなベット方法で先程からプレイヤーに勝たれてしまい、苦笑し配当を渡しながら話すのは桜色の髪と中性的な顔立ち、関西訛りが特徴のディーラー・桜河こはく。
「ふふ。選ぶ数字は一つで十分だし、運はいつだってぼくに味方しているからね!こはくくんが落ち込む必要はないね。ぼくが凄いだけなんだからね!」
対するは、テーブルを挟みこはくの正面座る、大勢の客に囲まれたただ一人。
地下深くのカジノへと出入りしているようには到底思えぬ、見目麗しき高身長の美青年。
傍目からでも高級品と分かるスーツを着こなし、柔らかにウェーブのかかった若草色の髪を軽く払うと満面の笑みを浮かべるのは、数少ない上級客──ハイローラーの一人である、巴日和。
つい数十分前にやってきてからというもの、馴染みのディーラーであるこはくのテーブルでずっと勝ちを収めている。
負け無しの麗しきプレイヤーと、その自信満々の高らかな声につられて出来た人集り。注目は集まるばかりだった。
しかしその中心にいる当の日和は、これが当たり前といった様子で周囲のざわつきなどは気にもとめずに、こはくとのゲームをただ楽しんでいた。
「というか、せっかく久しぶりに来たっていうのに茨は今相手出来ないって言われるし。ぼくより優先する人がいるってことなの?許せないね!」
と思えば、打って変わって途端に不機嫌になった日和には目的の人物がいたようで。ここへやってきた時に他の従業員に断られてしまい、会うことすら出来なかったことの不満をこはくに話す。
日和の態度に、ん?と首を傾げたこはくだが、すぐに合点がいったようで頷いた。
「ああ、ほっか。日和はんは、さっき来たから知らんのやったな」
「え、なぁに?」
「オーナーはんなら、今あっちで…」
こはくがフロアの奥を指すと同時、店を揺るがすほどに湧いた歓声とどよめき。
先程日和のテーブルで起きたものより大きかった。
「ほれ。随分盛り上がっとるみたいや」
なにやら楽しそうに微笑むこはく。
響いた驚嘆に日和はぎょっとして差された方を向くが、いまだ日和を囲む人集りによってその騒ぎの中心は見えなかった。
驚きを隠さぬままこはくに尋ねるが、返ってきたのはやはり楽しそうな声だけ。
「なっ…、何が起きてるの!?」
「コッコッコ♪興味あるんやったら、見に行ってみるといいわ。オーナーはんの、珍しい様子が楽しめるで」
♢♢♢♢♢
「……Black Jack」
テーブルに広げられた2枚の手札は、スペードの『A』とハートの『K』。
2枚のカードのみで出された、強運の証──それは配当も2.5倍に跳ね上がる、AとJ、Q、Kのいずれかの組み合わせでしか成り立たない『ナチュラルブラックジャック』。
これを出されては、相手は文句のつけようがない負けである。
「……また私の勝ちだね、茨」
一般的にも有名なカードゲーム『Black Jack』は、配られたカードの合計が21に近いハンド…役を作ったプレイヤー、またはディーラーが勝つ。
プレイヤーの『Black Jack』での目的は、ディーラーより21に近いハンドを作れれば勝ちなのだが。
同じゲームで三度目の勝負。そのいずれもがナチュラルブラックジャックを引き当てるというその強運で豪運の男は──カードを引く指先までしなやかで美しく、美術品のように均整の取れた体に端正な顔立ち。
見る者全てを惹きつけるまでの美貌すら持ち合わせて、それでいて微笑みはやわらかなものを浮かべる。
しかし騙されてはならない。人当たり良さそうに笑う奴ほど信用出来ないものだ。
微笑まれ「茨」と名を呼ばれたディーラーは、このカジノのオーナー。彼は男がここにおける上級客であることも御構い無しに、不機嫌さを露わにして鋭く睨みつけた。
「気安く名を呼ばないでくれますか?」
「……ああ、教えてくれただけで、呼んでいいとは言っていなかったっけ?ごめん、勝てたことが嬉しくて…♪」
もはや殺気にも似た目線と声音で言ったにも関わらず、この男は、相も変わらず男女問わず見惚れさせ惑わせるような笑みを浮かべておきながら。
子供のように無邪気に喜んでいるように感じるのは、語尾がやや跳ねたからだろうか。
ただ純粋に、勝利が嬉しくて。
茨との勝負が、楽しくて笑う。
その瞳が、笑顔が心底憎たらしい。
向けられるたび茨の眉間の皺がいっそう深くなっていく。
茨はオーナーである前にこのカジノで誰より多くの勝ちを収めてきた、勝率No. 1のディーラー。
もちろんそれに足るだけの実力、運も味方につけては、更に本人の数々の努力でカジノも茨も業界でここまでのしあがってきたのだ。
彼とこのカジノを知らぬ者は、今ではこの業界にはいないほどに。
そんな彼を一度目の勝負以来、どのゲームでも完膚無きまでに…それこそ本来なら滅多にお目にかかれないような奇跡的な勝ち方ばかりをしてくるのが、今まで茨の立つテーブルでだけはゲームをすることのなかったこの男。
(カードでもルーレットでも、どうしてこんなに勝てない!?有り得ないだろ!)
普段ならする駆け引きも一切通用せず、初めて対面でプレイするというのに自身の狡猾さなど見抜かれていた。
悔しさが込み上げる。それでも折れたくない心。
どう足掻いてみたって覆せないと思われても、まだ諦めたくない。
テーブルの影できつく握り締めた拳で、茨は一度自分の足を殴る。
(これ以上ペースに呑まれるな。遅いかも知れないが、まだ認めるわけにはいかない。ギャンブルなんてそんなもんだ。どうしようも無い負けから、わずかでも何か掴めれば、ここからの逆転勝ちを夢見れる…!)
頭を冷静に切り替えて、いつものように笑ってみせた。それは決して強がりではなく。
はたから見れば無様でも、最後には掴み取れればいいのだから。
「…何故、今になって自分なんですか。貴方ほどの方ならば、ここに対抗し得るカジノだってディーラーだって用意できるのでは?」
ハイローラーであること以外に、素性も何も知り得ない。知りたいとも思わないが、名前すら知らないのに。
ここで探りを入れてみることで何が変わるのか分からないが、少しでも自分の勝率を上げるためならと口を開く。
他の従業員たちからの話で、この男はやたら羽振りがいいことだけは聞いていたが、これほどまでにゲームが強いのは聞き及んでいなかった。
「……他じゃだめ。敵になりたいわけでもない。私は、ずっと君だけが欲しかったんだよ」
だが、にこやかに話しているくせに男の本意は全く掴めない。
この様子じゃ、名前だってとっくに知られていたはずだ。あえて茨の口から言わせたのは、敗北の条件の一つでもあったが、こちらのプライドすら折るためか。屈辱を味わって、こちらに従えということだろう。
それならば、美しさで見えぬ腹の中はどれほどに黒いことか。
人のことは言えないが、目の前の男も相当だろう、と茨は考えた。
「……この勝負だって結局、一つの手段に過ぎない」
「は?」
「……君を確実に手に入れるための、ね」
「…………」
男がまた微笑む。
まさか、本当にそれだけのためにこんな大袈裟な勝負を持ちかけたのか?
(何を言ってるんだ、こいつは)
ここまで這い上がってきた俺を、築き上げた信頼を、全て投げ打ってかけてきたこの店を奪うために。
どこまで俺を馬鹿にすれば気が済むのか。
「……そもそも、人に値段はつけられない。私、貪欲ではあるけど傲慢ではないから。確かに君を買うとも言ったけれど、この店を買えてしまえば、自ずと君もついてくる。だって、手放せないでしょう?」
もはや上級客への敬いなど出来るわけもなく、冷静さを手放しかけ表情を顰める。しかし突き付けられた己の敗北に、この男へ従わざるを得ないのも事実。
忌々しげに茨が舌打ちをすると、敏くそれに気付いた男の顔から笑みが消える。
真正面から見据えられ、茨は体が強張るのが分かった。
「……この店を買えるほどに稼げるまで勝負を続けるつもりだけど、まだ足りない?結構いい額になってるよね」
「───っ……!」
男の目的は、『勝負に勝ったらカジノと茨を買う』というもの。
自分ならば負けないと踏んだ茨はそれに口約束を交わしたが、もしそんなことになればうまく抜け出す算段だって立てていたのにもかかわらず。
(ふざけんな、クソッ!何で…何で俺が、こんな奴に!)
そんなことは絶対に出来ないと、勝負の最中から感じてしまうほどに見せつけられていた。
茨も分かっていた。この男の圧倒的な、決して逆らえぬ強さを。
いくら態度を変えようが、思考を巡らせ勝利への僅かな一つを探そうが、もうとっくに茨はこの男の手中から逃れられない。
「……店を買ったら次は君だよ、茨。約束、まさか反故にしないでしょう?」
男が、恐ろしいほど穏やかに話す。
先程の無邪気さなどとうに身を潜めた琥珀色の双眸は──宛ら、獲物を仕留める獣の如く──更には瞬き一つで色を変え、赤く妖しく、茨から離れることなく定められた。
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