As you wish. 2「たまには、庶民的な店に行ってみるのはどうですか?」
そう言った尾形に喜んだのは勇作で、ぜひとも行ってみたいですと意気込んで返事をした。
「私も連れて行ってくれるんだろうな?」
まさか置いていかれはしないだろうとは思ったが、一応聞いておくべきだと思って、音之進は問い掛ける。
「この二人と俺だけで行くわけないだろうが」
尾形はため息交じりに答え、音之進はそれならいいと大きく頷く。
「どんなお店なんですか?」
勇作はいつになく興奮した様子で、音くんは行ったことがありますか、と尋ねる。
「小さな店なので、ちょっと入れるか聞いてみます」
尾形がスマホを手にしたのを見て、着替えなくてはいけませんね、と平之丞と勇作が立ち上がる。
「そのままでいいですから!」
慌てたように尾形が声を掛け、でもジャケットくらい羽織らないと、と二人はクローゼットに足を向ける。
「音之進、地味なの選んでこい」
指示を出す真剣な表情に、機嫌を損ねると大変だと音之進はソファから立ち上がって二人を追いかける。二人はTPOを弁えているから、庶民的な店と言われて、カフスをするなんてことはないだろう。
「尾形が連れて行ってくれなくなるといけないから、地味なのにしてな」
「兄様と合わせなくてはいけませんしね」
ニットにしますか、と勇作はアイボリーのカーディガンを手に取り、平之丞はエスニック柄のカーディガンを手に取る。
「それならいいと思う」
尾形は綿シャツにアランセーターを着ているし、音之進はニットベストだ。尾形もこれなら文句は言わないだろう。それが尾形が考えもしない値段のするものだとしても、だ。
「どんなお店に連れて行っていただけるんでしょうね」
「時々、会社員時代の知り合いの店に行くって行っていたから、そこじゃないだろうか」
音之進にはまだ早いと言って連れて行ってくれないが、楽しそうな顔で帰ってくるから、きっと良い店なのだと思う。兄たちのおまけとしてでも、連れて行ってもらえるのが嬉しい。
「米月町にあると聞いた」
「ちょっとレトロな街並みがあるという町ですね」
勇作が兄様の以前の会社が近くにあったはずですと言う。
「尾形さんの行きつけということだな」
楽しみだねと平之丞は笑い、クローゼットを出ると尾形がリビングから出てくる。
「店は大丈夫そうか?」
「今ちょうど人が帰ったところだから、空けておいてくれるそうだ」
それじゃ、タクシーを呼んで貰おうと平之丞はマンションのコンシェルジュに連絡を入れ、4人揃って家を出る。
「どんなお店なんだい?」
「月島って男がやってる店なんですが、小料理屋っていうのかな。めしやって屋号には書いてあって、酒とかおでんとか、飯に合わせられるような料理が並んでるんです」
「居酒屋のようなのではないんだね」
「ドラマに出てくる小料理屋みたいなのの、もっと素朴な店です」
行けばわかりますよ。と尾形は言って、権八みたいなのを想像していないといいけどな、と思った。
「こんばんは」
声を掛けて入ってきた四人連れに、月島は一瞬息を呑んだ。
一人は先ほど連絡のあった尾形だ。月島のかつての同僚が連れてきた男で、一時期ここで夕食を食べて帰るという生活をしていた程だったが、最近は月に数回しか顔を見せることはない。そんな男が珍しく席が空いているか尋ねる電話をしてきて、可能ならば他に客がいない方がいいと言った。
どういうことかと思いつつ、この男が言うのならばそうするのが良いんだろうと、貸切だと言って客を断っていたが、そうしてよかったとしみじみ思う。
何故なら、どう見ても他の3人が場違いだからだ。きている服は尾形のものとさほど違わないと思えなくもないが、明らかにものが違う。服装になど詳しくはない月島だが、店を訪れる客を見ていれば、質の違いというものがわかるようになる。
そして、その人間の育ちの違いもそうだ。立ち居振る舞いと言うが、とにかく存在感が違う人間というのが世の中には存在して、この3人はまさにそれだ。
人生の中で金に苦労したことがない人間だと、ありありとわかるのだ。そしてそれはけして悪いことではなく、素晴らしいことだと思わせるような品がある。正直に言えば、何故こんな人たちを連れてきたのだ、と言いたい。言いたいが、月島は自分の作るものが彼らに相応しくないなどとは思わない。思わないが、やはり違うのだ。
「素敵なお店ですね。兄様」
「尾形が通っていたのもわかるな」
どこへ座れば良いですか?と声を掛けられ、月島はカウンターの角を取って二人ずつかけるように勧める。横並びに四人座るより、顔が見えてそちらの方がいいだろう。
「適当に何か出してくれ」
「私はおでんが食べたい」
カウンターの中のおでん鍋を見た年若の青年が声を上げ、奥へ入った尾形の隣へ腰を下ろす。
その隣へよく似た顔の年嵩の青年が腰を下ろし、その隣へ尾形を兄様と呼んだ青年が座る。
そういう組み合わせで座るのか、と思った自分を月島は少し恥じて、お酒は飲まれますかと声をかける。
「日本酒をいただこうかな」
「私も」
酒の品揃えには自信があってよかった、と月島は少し思う。
「燗をつけますか?」
「お願いします」
品のいい人間は、こんな時も相手を侮ったりはしないのだなと月島は思い、尾形に言われて冷蔵庫を覗きに行く青年に目をやる。
「ここの漬物とかも取っていいのか?」
「冷たいのはそこから取っていただく仕組みです」
月島が答えると、青年は漬物の小鉢とビールを手に取る。
「勇作さん、枝豆食べる?」
「いただきます」
尾形を兄様と呼んだ青年が答え、それにつられるように隣の青年も冷蔵庫を振り返る。
「音、私にはその豆腐を取ってくれるか」
「ん」
青年はビールと漬物の小鉢を冷蔵庫の上に置いて、頼まれたものを取り出すとカウンターへ運ぶ。
「こういうお店は初めてですけど、素敵ですね」
嬉しそうに言う勇作という青年は、きっと本当にこんなに小さな店に来たのは初めてなのだろう。それでも言葉に嘘はないようで、キラキラとした楽しそうな目で店の中を見回し、カウンターの上の大皿を眺めている。
「この里芋の煮物をいただきたいです」
「はい」
燗をつけている間に小皿に料理を見繕い、月島はカウンターへそれを差し出す。
「おでんは、お好みのものはありますか?」
「大根とがんもどきをください」
尾形の隣へ戻った青年は、尾形が瓶を開けるのをおとなしく待って、グラスにビールが注がれるのを眺めている。
「始めてしまっていいですよ」
食べ始めるタイミングがわからない様子の二人に、尾形が声をかけると、彼らは安心したようにいただきますと声を掛けて箸を取る。
「この人、昔の職場に勤めてた人で、仕事辞めてこの店を始めたんですよ」
「尾形が会社を辞めて大学に入ったのは、その話を聞いたからか?」
ぱっと言葉が返る程度には、この青年は尾形と親しいらしい。全く接点がなさそうに見えるが、ずいぶん親しげだから、意外に付き合いは長いのかもしれない。
普段なら月島は客を見てこんなことは考えないが、今日は少し自分も動揺しているようだと思う。
「この里芋、とても美味しいです」
「味が染みていて、素晴らしい」
褒め言葉もいつもとはまるで違い、月島は少しばかり気恥ずかしくなる。
「ちょっと奥で揚げ物を作って来ます」
温まった酒を二人の前に出し、月島は奥へ足を向ける。
「レバーフライがあったら食べたい」
「ありますよ」
「私はハムカツが食べたいです」
「はい」
うちの薄いハムカツで、この人たちは満足するんだろうか、と月島は思ったが、きっとこの人たちはなんだって初めて食べるという顔で、手放しに褒めるんだろう。
そんなことを考えて、月島はガラにもなく喜んでいる自分に少しばかりの驚きを感じる。
「本当にいいお店ですね」
「ええ。また来たいです」
「私はお昼に来たいな。メニューが違うんだろう?」
「お前は昼向きかもしれないな」
四人の楽しそうな声は、嘘偽りないもののように聞こえて、最初は驚いたが、案外いい客になってくれるかもしれないなと月島は思った。