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    otibakara

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    otibakara

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    我尊愛SS

    トタンとノック他 【トタンとノック】
    人の命なんてないも等しいような廃れた世界でしか息ができなかった。
    いつしか笑顔で街を駆ける人を見ても憎しみのひとつも顔を出さないようになってきた。
    人のものをとって。たまには殺してお金を貰う。そうしてずっと生きていくんだと信じていた。いつかはきっと自分も殺されるんだろうな、20歳まで生きれるかな…。きっと無理だ。いや、こんな世界こっちから早々に退場してやろう。
    そんな憎まれ口をトタン屋根の下で雨水を凌ぎながらも呟いた。

    たん、たたん。
    トタン屋根を叩く水滴が眠気を誘う。薄くぼろぼろのシャツ1枚だけしか身につけておらず、なぜかこの寒さに身を委ねれば死ぬんじゃないだろうかと考えてしまった。
    早くマンホールの家に帰りたい。
    震える骨ばった肩をさするように抱いた。
    ささくれだらけで痛い手のひらだった。
    たん、たんたん。
    水滴の音に包まれる。
    どこかの家から子供の楽しそうな声が聞こえた。声質てきに…同年代か少し年下くらいだろうか。
    幸せそうな声。
    母がこの名前を呼び子はそれに答える。
    少しだけ心が落ち着いた。
    こんな世界でも幸せな子供もいるんだと思うと、どうしてだか安心した。
    全く知らない子供相手だと言うのに。その子供にずっと幸せが続けばいいなと願ってしまった。
    「…」
    自分の名前はなんだったっけ。
    もう、何年も呼ばれていない。
    確か…あぁ、そうだ。
    「ずー、はお」
    かすれた声がトタンの下で響いた。
    最後に呼んでくれたのは誰だったろうか。
    もう、顔も思い出せなかった。
    *
    「梓豪?」
    「…どうかしたんすか?」
    閉じていた目をそっと開ける。
    「寝てるかと思った」
    「兄さんの前で寝るわけないじゃないっすか、一応護衛として来てるんすからね」
    「お前の護衛とか要らないんだけど」
    けたけたと陽気に、楽しそうにその人は笑った。
    「夢でも見てた?」
    「だから寝てないんだって」
    「あっそ」
    興味をなくしたように兄さんはそっぽを向いた。
    兄さんのためだけに用意された薄暗く設定された照明に高級感と清潔感が溢れる部屋で歪に、しかし相応しい面持ちで兄さんは柔らかなチェアに腰をかけていた。
    「ずっと立ってるとしんどくない? 」
    「そこまで軟弱じゃないっすよ 」
    「隣の椅子空いてるけど 」
    「俺みたいなもんが座るところじゃないっすよ、汚しちゃいそうだし 」
    そう言うと上機嫌だったはずの兄さんの眉間にシワがよった。
    「どうすればいいんすか。俺、今兄さんの護衛っすよ〜兄さんの命令がないと俺壁から離れられないんすから 」
    おちゃらけたように言うとより深く眉間にシワを寄せた兄さんがチェアを立った。
    そのまま一直線に自分の方に歩いてくる。
    「兄さん、分かってるんすか?あと1時間で御相手様来ますよ」
    「あと1時間あるじゃん」
    「あと1時間しかないの」
    足音なく目の前に来た兄さんの額をぺしっと弾く。
    うぇ、なんて間抜けな声を出しながら兄さんは1歩後ろに後退りをした。
    たん。と足音が聞こえた。
    そして右手が少し窮屈だなと感じたのと同時に兄さんと目があった。
    「…なんすか」
    兄さんは何も答えずにスタスタと俺の右手を引っ張って先程まで座っていた椅子に戻っていく。
    チェアまで戻ると兄さんは俺から手を離してチェアに勢いよく座った。
    少しだけホコリがまう。
    「急にドアから敵が来たらどうするんすか」
    「俺が倒しちゃえばいいでしょ」
    「いや兄さんがやったら意味ないって言うかそれ俺の役目っていうか」
    「ん」
    兄さんはぺしっと隣のチェアを叩いた。
    ここに座れということだろう。
    少しからかいすぎたせいか兄さんの機嫌は益々右肩下がりだと言うことが雰囲気から見て取れた。
    仕方ない。相手が来るまであと50分はある。
    ふぅ、とため息を着くと
    「梓豪」
    と手を引っ張られながら名前を呼ばれた。
    …指名されたのだから仕方ない。
    俺は兄さんに逆らわずに隣のチェアに腰をかけた。
    あまりにもフカフカで、居酒屋の固くて安い椅子が好きな俺には違和感しか無かった。
    しかし兄さんはそれで満足したようで機嫌も元に戻っていた。
    「兄さん」
    「ん〜何」
    カチャカチャと隣から音がする。
    見ると銃の整備をしているようだった。
    「やっぱり俺も銃持った方がいいっすかね」
    「なんで?」
    「いや、ほらアイスピックよりは強そうって言うか」
    チェアから身を乗り出すように兄さんの手元に目を向けた。
    「あはは、確かに。」
    「ただ銃は反動すごいじゃないっすか。俺、反動に負けちゃうんすよ」
    そう言うと兄さんは喉で笑った。
    「銃持つ以前に筋トレからでしょお前は」
    「っすね〜…」
    なんとなく手元が寂しくて近くにあった三つ編みに手を伸ばした。
    「整備中はやめてよ」
    いつもの声色。言葉では拒否していても本心ではなんとも思っていないんだろう。
    「っすね」
    そう言いながらもくるくると三つ編みを解いていった。
    三つ編みを全て解き終わるころには銃の整備も終わっていたようでことんと机に銃を置く音がした。
    ぐだぐだと中身の内容な会話が進み、意味のわからないところで腹を抱えて笑い、それを見て苦笑する。
    「酒があったら良かったんすけどね」
    「じゃあこの会議が終わったら2人で飲もっか」
    「兄さんの奢り?」
    「もちろん」
    「やった〜年代物買っちゃおー」
    少しだけワクワクとした気持ちで時計を見ると時間まであと10分ほどとなっていた。
    「まだ御相手来ないっすね」
    「今こられてもやばいでしょ、」
    「確かに」
    立ち上がって衣服の乱れを直す。衿ピンをしっかりと止め直しループタイを閉めた。
    カチカチと時計が進む。
    カチリ。
    会議開始まで5分。
    その瞬間空気が変わった。
    「そうそろそろだよ、梓豪」
    「……わかってるっすよ。兄さん」
    名前を呼ばれ、雰囲気に溶け込む。
    名を呼ばれただけなのに気が引きしまる。
    …そういえば。
    名前…よく呼ばれるようになったな。
    トタン屋根の下の寒いあの日を思い出した。
    どうせ名前なんて覚えていても呼んでくれる人なんてこの先現れない、そう思っていたあの頃の自分に教えてやりたい。
    大人になったら嫌ってほど名前を呼ばれ、嫌ってほど名前を叫ばれ、色んなところに引っ連れ回されるってこと。
    嫌な思い出しかなかった自分の名前はいつの間にかうるさい日常に溶け込んでいくってこと。
    あの日の自分に教えてやったらどんな顔をするだろうか。
    そんな馬鹿げたことを考えながら深呼吸をした。
    コンコンと予定どうりの時間にノックが響いた。

    【冗談だよ】
    「次の抗争も俺が出る」
    凹凸の無いガラス面がするりと手の中からこぼれ落ちる。
    バリンとガラスが割れる音が響き中に入っていた度数の高いお酒がカーペットの上にシミを作る。
    血の匂いが漂う部屋の中、ツンと鼻の奥を刺激する匂いが立ち込めた。
    「な、何言ってんすか」
    冗談笑えないっすよ、そうベッドの上で上半身だけ起こしてこちらを見る廉に言った。
    声が振るえないように頬の中を噛み締めると少しだけ血の味が広がる。
    先程まではたわいのない話をしていたはずだ。それなのに。
    「お前は冗談に聞こえたの」
    「今なら冗談ってことにしてやろうって言う俺の配慮っすよ」
    ぞわぞわと落ち着かない心臓を無理やり閉じ込めるようにして梓豪は何度も足を組みなおした。ベッドの縁に座っていたせいでその度に軋む音が響く。
    廉は何度も何度も足を組みかえ手を合わせて血が滲むまで握りしめる梓豪をただじっと見ているだけだった。
    廉が行くと言えば自分に止める資格はない。そんなの梓豪は分かりきっていた。もう何年隣にいるというのだろうか。分からないはずがなかった。止めたって行くということを分からないはずがなかった。
    「俺が代わりに行く」
    「ダメだ」
    「なんで」
    「これは俺が行くべきだから。」
    「どうしてそんなに頑なんすか、あんたはこの組のリーダーなんすよ。」
    「分かってるだから行く」
    あぁ。そうか。次の抗争相手は……。そりゃ頑なにもなるわ。
    「次は……鞍馬……」
    梓豪が呟くと廉はにっと口角を上げた。
    「そういうこと」
    この人はきっと怒っている。
    玩具だ道具だと言いながらも家族として組を愛しているこの人は、家族を殺した鞍馬に怒りを向けているのだ。
    抗争に参加すると言ったのは廉だ。ならば死人が出ることは廉自身も分かっていたはずなのに。それでも自分の家族が死ぬのは嫌なのか。
    「意味わかんないっすよ。兄さん」
    「意味わかんなくていいよ」
    悲しいのか嫌なのか。今の気持ちをどう表現するのが正解なのか梓豪には分からなかった。こんな時は高い度数のお酒で流し込んでしまうのが正解なのだ。廉の部屋に勝手に置いていた上等なウィスキーの蓋を開けてビールジョッキに並々と注ぐ。
    「ビールジョッキって」
    「あ」
    そう笑いながら廉は梓豪の手の中からビールジョッキを奪い取り1口喉を通した。
    「あれ」
    廉の視界がぐらりと揺れる。
    たった1口。たった1口ウィスキーを飲んだだけなのにグルグルと視界が揺れ動くのだ。
    いつの間にかジョッキを持っていた手がガラスのものから暖かくて柔らかいものに変わっていることに気づいた。
    とんと肩を押されて重力に逆らわずにベッドに落ちた。
    「おやすみ兄さん」
    そんな声が聞こえた気がした。
    *
    廉が眠ってから実に3分がたっただろうか。ずっと間近で本当に寝たかを心音と共に確認していたのを止めて体を起こす。
    よかった。この毒で眠ってくれて
    梓豪はビールジョッキの縁をハンカチでぐるりと拭った。
    最近出始めた無味無臭の強力な睡眠剤。それをジョッキの縁にこっそりと塗っておいたのだ。
    廉が本当に自分の手からジョッキを奪うか、縁に着いただけの毒で本当に眠るか、梓豪がその行動に移すまでに冷静でいられるか。
    運要素は強かったのではないかと後々になって思う。
    少しぬるくなってしまったウィスキーを傾けた。
    血の匂いが滲む部屋。
    はぁ、と大きなため息を着いた。
    つい先日大きな抗争から帰ってきて傷だらけで包帯だらけだと言うのに。
    そんなことを言い出す兄さんは本当に馬鹿だ。
    無理だとわかっていても引き留めようとしてしまう自分はきっと、もっと大馬鹿者なのだろう。
    そんなことを考えながらウィスキーを胃の中に詰める。
    「ねぇ、兄さんさ」
    眠っている廉に話しかける。
    「ここで俺が自分の足切り落として、兄さんが行くならもう片方も落としてやるしそれでもダメなら死んでやる……なんて言ったらどうする?」
    廉の顔にかかった髪の毛を手のひらで掬い上げる。
    廉はピクリとも動かなかった。規則正しい寝息をただ繰り返すだけだった。
    「……」
    ゆっくりと立ち上がるとベッドが大きく跳ね上がる。
    近くの台に置かれていたランプに照らされてキラキラと輝く果物ナイフを手に取った。
    ループタイも外して右足をきつく縛る。
    数分もすれば足からは血色が消え死人のような色になってきた。足の感覚も鈍い。
    まぁこんなものか。
    そう思ったのと同時に梓豪はナイフを大きくふりかざし足に思い切り突き立てた。
    気持ちの悪い音が鼓膜に響くのと同時にボタボタと血液が流れ出しカーペットを濡らす。もうこのカーペット変えなきゃダメっすね。
    勝手にカーペット変えたら怒るかな、兄さん。まぁ謝ればいっか。
    血で濡れて持ちづらくなった柄をにぎり決める。
    果物ナイフで人体を切り落とすというのはとても大変なことなんだと、当たり前のことを考えた。
    その時ばっと手に衝撃が走りカランと音を立てて遠くにナイフが飛んでいくのが見えた。
    「あ」
    「何してんのお前」
    強い力で後ろに引っ張られ、次に来たのは背中からベッドに落ちた衝撃。
    足の先がジンと暖かくなった。
    目をゆっくりと開けると目の前に廉がいた。
    右手にはループタイを握りしめており、あまり感覚はないが左手は恐らく患部にでも当てられているのだろう。
    「ほんとに、なにやってんのお前」
    かなり強い睡眠薬だったのに。象でも半日は起きないって聞いてたのに。兄さんの体どうなってるの。
    そんな疑問だけが頭に浮かんだ。
    「お前も、俺のなんだから。勝手なことするなよ」
    ぐっと左手に力が込められ少しだけ痛かった。
    必死な表情を見て少しだけ笑いが込み上げてきた。
    梓豪は口を開く。

    「冗談だよ」

    【陽炎はひまわりを揺らすのか】
    初めて気がついたのはツンとした胃液の匂いだった。
    「小鈴?」
    そう言えば今しがた廊下を通りすぎて行った小鈴がくるりと振り返る。
    「あ!おはようございます!ズーハオ様!なんでそんな端っこにいるんですか?」
    にぱりとひまわりのような笑顔を咲かせこてんと首を傾げてみせる。
    こうやって見たらこの世界とは縁のない可愛らしい子供にしか見えない。
    「んっとね、タバコ吸ってたんすよ、さすがに6日食べてないとお腹すいちゃって、誤魔化しで」
    「え!?!6日も食べてないんですか!!さすがに食べなきゃダメですよ!」
    そう言って頬を膨らませながら小鈴は梓豪の腕を取った。
    「ビュッフェ!一緒に行きますよ!」
    「んー、ん」
    梓豪は小鈴の腕を力に任せて振り払う。一瞬だけ見えた小鈴の傷ついた顔が梓豪の心を抉った。
    拒否したわけじゃないんすよほんとにほんとに。
    そう心の中で言い訳しながら梓豪は払った手の方で小鈴の手首を握りしめた。
    トンクトクンと生きている音がする。
    「…………」
    人間の平均体温より少し低い。それに脈が早い。
    頭に?を浮かべている小鈴を他所に梓豪は小鈴のおでこに手を当てる。
    若干の発汗を感知し、最後の確認とでも言うように梓豪は親指で小鈴の口を開かせて顔を近ずける。
    「!?」
    慌てふためく小鈴の顔が見えた。
    ………………よくよく考えたら口の中の味確認するって普通にアウトでは?いや普通にダメじゃん。は??????
    梓豪の中の常識が上手いこと働き大事には至らなかった。
    パッと指を離す。
    もうこの方法は使えないか。
    ストリートチルドレン時代、体調不良を隠す馬鹿な仲間を暴くため、げろの味を確認しようとよく使っていた方法だった。自分にはそういう抵抗はなかったし、今更キスがどうやなんて喚くつもりは無い。
    けれどこの子は自分とは違う。危なかった。ふぅと肩をなでおろした。
    「な、なにするんですか!!」
    顔を真っ赤にしながら小鈴が叫んだ。
    妹がいたらこんな感じだろうか。なんて呑気に考えていた。
    「悪かったっすね。つい癖で」
    「癖で!?癖でキ、キスしようとするんですか!!廉様というものがありながらも!!」
    「兄さんは関係ないっすよ」
    「あります!!!だって2人は結婚する仲じゃないですか!」
    「え?俺兄さんと結婚するの」
    「しないんですか?」
    「いや戸籍ないし無理でしょ」
    「そこはLoveの力で……ってあれ、ここ」
    上手いこと小鈴をある場所に誘導した梓豪は、一段と大きく豪華で頑丈そうな扉をノックのひとつもせずに押し開けた。
    「ノックとかって……!」
    「いいんすよ、どうせここにいるの兄さんだけだし」
    「何その言い草。俺がもしお風呂上がりとかで全裸だったらどうするのさ」
    豪華な椅子に腰をかけ何かしらの書類に目を通していた廉がこちらを見やった。
    「今更だし今朝お風呂入ってたの俺知ってるんで、あ、小鈴はちょっと此処で待っててくださいっす」
    そう言って一人梓豪は豪華な部屋に入っていった。
    *
    「で、俺になんの用?梓豪」
    廉は椅子に座ったまま梓豪に問いかけた。
    「小鈴の事なんすけど」
    そう言いながら廉の部屋にしまってある灰皿を取りだしタバコの火を消し、新しいタバコを取りだした。じっと廉の方を見ると舌打ちをしながらもライターを梓豪に投げつけた。
    「小鈴がどうかした?」
    「体調が悪そうなんすよね」
    「どう見る」
    「多分精神的負担とかそっちっすかね……めちゃめちゃ詳しいわけじゃないっすけど。」
    「原因の予想は」
    「さぁ。……まぁイタリアっていう俺たちからしたら辺境の地みたいなところに来てるっすからね。多少負担はかかるっすよ」
    「俺にどうして欲しいの」
    「助けてやって欲しい……なんて言い方は少し変っすけど、まぁ話だけでも聞いてあげたらどうっすか?小鈴も兄さんのペットなんだし」
    「お前ができることじゃないの」
    「なーにいってんすか。俺があんまりそういうの得意じゃないの知ってるっすよね、心理を操るのは得意でも癒すとなると専門外っすよ」
    「……ならさっさと小鈴を中に入れろ」
    ちょいっと厄介者は出て行けと言わんばかりに廉はしっしと手を振った。
    その対応に少し安心した梓豪は軽やかな気持ちでドアノブに手をかけた。
    「明日帰国だ。餓死するなよ」
    「そんなヘマしねーっすよ」
    ぱたんと重たい扉が閉じた。
    *
    「あっ、、、」
    「小鈴?廊下に座ってると寒いっすよ?」
    そう言って伸ばされた手を小鈴は掴む。自分の手よりも冷たく大きな手。
    「兄さんが呼んでるっすよ、小鈴」
    「え、でも。」
    「体調悪いんすよね、無理は良くないっすよ」
    そう言って背中をぐいぐいと押された。
    「ビュッフェは取っといてあげるっすから」
    重たい扉を梓豪は開き、小鈴に入るように促す。恐る恐る小鈴は中に足を踏み入れた。
    梓豪と違って頻繁にこの部屋に入ることの無い小鈴は相手が廉であるにも関わらずドクドクと心臓を早打ち、緊張していた。
    「そこ座んなよ」
    ぱたん。
    光の柱が縮まり扉が閉じてしまった。
    ゆっくりと廉に指定された椅子に近づく。
    くらりとタバコの匂いが鼻についた。
    「調子悪い?」
    小鈴が座ったのを確認した廉は子供に話しかけるようち柔らかい口調で小鈴に問いかけた。
    どくどくと波打っていた心音が少しだけ落ち着く。
    「夢を…………見ちゃって」
    「夢?」
    「それで、家族に嫌われるかもって……思って」
    語末になるにつれてどんどんと小鈴の声は小さくなっていく。
    少しの静寂の後、
    「あっははははは!!!!ばっっかだなーーー!」
    廉の笑い声が部屋いっぱいに広がった。
    あまりに突然の事で小鈴は、目を見開き後ろに倒れそうになった。
    「俺らがお前のこと嫌いになるわけないじゃん!あーあ!心配して損した!そんなことで体調悪くしたの?」
    ケラケラと笑いながら廉は小鈴の頭を包み込むように抱きしめた。
    「そんなことって……ッ」
    「そんなことじゃん。だって俺らがお前のこと嫌いになるなんて絶対にないんだしさ。絶対にないことで悩む必要なんてないぜ」
    ぶっきらぼうで冷たく優しい言葉にジンと胸が熱くなった。
    この人にとっては自分が家族であることが当たり前で揺るぎないことなのだと理解した途端ぽろぽろと涙が溢れ出た。
    そんな小鈴を廉はあやす様に抱きしめ続けた。
    暖かい暖かい檻の中、小鈴達は廉の手網の元に集う。
    それはきっと何があっても変わらないことなのだ。
    死んだとしてもその絆が切れることはない。
    *
    「うまくやってくれたっすかね、兄さん」
    少し中心部から離れた街中、梓豪はトタン屋根の下に座り込んでいた。
    「家族……ねぇ、」
    耳から流れてくる雑音混じりの音声。
    先程部屋に仕掛けた盗聴器からは一部始終が垂れ流しになっていた。
    梓豪にはよく分からない感情だった。嫌われたら嫌われた。それでいい。性質が合わなかっただけだと割り振れる性格だったからだ。昔のことも思い出すだけ無駄で、というか未来を掴むのに毎秒必死で正直昔のことなんて覚えていない。
    しかし小鈴は夢を見て昔を思い出し嫌われることを恐れて体調を崩した。その感受性の豊かさと優しさがどこか羨ましかった。
    時間が解決してくれる、そう生易しいものでは無いのだろうと言うことだけは理解ができた。
    いつも太陽のように明るい彼女の震えた声が再生された。
    いつか
    いつか、
    いつか家族と呼べたら。
    そう思うのと同時女々しい自分に笑いが込み上げてきた。
    「ーーージジ」
    盗聴器から音が鳴る。
    「梓豪、」
    名を呼ばれバレていた事にまた笑いが込み上げた。
    上手く隠せてると思ってたのに。
    梓豪は踵を返してトタン屋根の下から歩きだした。
    みんなが家族と呼ぶ人達が待つあの場所に向かって。
    イタリアの空にさんさんと存在を主張する太陽はとても眩しかった。

    【キスマはつけてはダメらしい】ずーすー
    今日の俺はとても気分が良かった。
    よく行く居酒屋で行われていた飲み比べ対決ではぶっちぎりの優勝をし、なんだかんだ仲良くなった女の子をホテルに連れ込むことに成功し甘い夜を過ごした。
    まだ抜けきっていないお酒のせいかふわふわと地面を掴めない足に力を入れて帰路に着く。
    女の子の暖かな感触、優しい香りが掌から消えずに梓豪はずっと噛み締めていた。一夜限りの関係。だからこそ楽でいいのだ。
    ムカつくことに誰かさんへの恋慕が溢れて止まらなくなりそうな時に、その愛を一方的に送り付けることが出来るから。女の人も女の人で一時的に優しい愛情を経験できるとあって巷での梓豪の評判は悪くはなかった。
    「ねぇ梓豪」
    「ん?」
    女の人が梓豪の吸っていたタバコを奪い取る。そして梓豪の首元にキスマークを付け始めた。
    チュッチュッと可愛らしい音を立てながら点々と赤く染めあげていく。
    梓豪は女性に好きにさせていた。別にすぐ治るものだろうし、この位置であれば首輪で隠れるだろうと考えたのだ。
    「貴方他の人と違ってSEXの後直ぐに帰らないじゃない。だから私貴方のこと好きよ。私、嘘の恋愛ごっこでもピロートークは大切にしたいのよ」
    「女の人ってそういうもん?」
    「少なくとも私はね、もし貴方の本命に振られたとしたら私を本命にしてくれる?」
    梓豪は鼻で笑った。
    「いやっすよ、」
    そう言って女の人にまたキスをすると女の人は満足そうに笑った。
    「そう言ってくれるから私はあなたが好きなの」
    *
    時計の針が4時を回る頃ホテルを出て女の人を家に送り届け梓豪は機嫌よく家に帰った。
    自室の扉絵を開けるとベッドの上で座っている人影が見えた。
    「うわ。びっくりした。電気もつけないで何やってるんすか。兄さん」
    「……」
    廉は何も言わずどこを見ているかもよく分からなかった。
    梓豪は電気をつけるよりも先に廉の隣に座った。
    「調子でも悪いんすか」
    「……べつに」
    そう言いつつも全然目を合わせない廉を不思議に思った。
    廉は梓豪の姿を見てからは不機嫌そうに貧乏揺すりを始める。かさかさと服が擦れる音が聞こえてきた。
    「兄さん?」
    「どこ行ってた」
    いつもよりもずっと低い声が聞こえ、手首を掴まれる。
    きりきりと手首から嫌な音が鳴る。
    ぎゅっと顔を顰めた。
    「どこって酒場っすけど」
    「酒場でそんな跡がつくの?」
    そう言うと廉は乱暴に梓豪を押し倒し手首を地面に縫いつけながら体にのりあげた。
    ベッドの上とはいえ思い切り押し倒されれば多少痛いもので梓豪の口からうぐっと肺が潰れたような音が聞こえた。
    衝撃で閉じてしまった目を開けると梓豪の目の前いっぱいに廉が居た。
    訳が分からなかった。
    梓豪の顔に重力に乗って垂れ下がっている廉の髪の毛が触れる。
    これまでいくら女の人と関係を持とうが廉は一切興味なさげだったというのに、急にどうしたというのだろうか。
    「兄さんほんとにどうし……」
    廉は困惑する梓豪を他所に首筋に顔を近づけると思い切りそこを噛んだ。
    「ぅ……!?いった、、、」
    かひゅっと息が詰まる。
    突然広がる痛みに梓豪の脳内は処理が出来なくなっていった。
    痛い。でも相手は兄さんで、抵抗なんてしても意味ないってこと分かりきっている。
    だから耐えるしかないのに、食い込む歯と絶対に逃がさないという意思の元強く掴まれる手首から逃げたいという意思が思い浮かんではシャボン玉のように弾けていってしまった。
    痛みを誤魔化すように足を動かせば器用に足を絡め取られ固定される。
    逃がせない痛みに悶えながら梓豪は短い嗚咽を漏らすだけだった。
    「う゛……はっ、あにさん」
    離してという意思でそう言うのに廉は何も反応しない。余計に歯を奥へと食い込ませて行く。
    噛みちぎられる。
    生理的な涙がポロポロと溢れ酸素を取り入れようと喉をのけぞらせ呼吸が荒くなる。
    すこし噛まれていたところにすっと風が通ったような感覚がし、廉の謎の行動が終わったと安心した。
    べろりと傷口を舐められる感覚と血が溢れ出る感覚が。
    あぁ、何したかったのか後で聞かないと。
    まだ深い呼吸から降りてこられない中梓豪は考えていた。
    パニックになっていたからこそ気がつけなかった。
    廉がまだ不機嫌で手首はまだ解放されていないということに。
    「か゛…………」
    ぱちぱちと目の前にスパークが走る。
    全身の毛が逆立ち足の先がピンと伸びた。
    喉を思いっきり噛み付かれた梓豪は「ぁッ」っと絞れるだけの声を出した。
    「やめ、めて゛あに。さん!!!!やだ……!」
    のどを噛みつかれながらもできるだけの抗議をするが廉がそれを受け入れることは無かった。
    誰も助けに来ない部屋で梓豪は30分ほど廉に噛みつかれ続けた。
    ドクドクと血が流れる音と時たまにグチャリと肉が潰れる音だけが梓豪の脳内を支配した。
    血が流れすぎたのか、梓豪の目の前が暗くなっていく。
    死んだらどうしよ。なんて縁起のないことを考えていると廉がようやく顔を上げた。
    そして、強く掴まれすぎて鬱血した手首にキスをした。ちゅっと音を立てて印を作る。
    「…………」
    何故こんなことをしたのか。そう聞きたいのに声が出なかった。
    「大丈夫?梓豪」
    廉は見下ろすように梓豪に言った。
    「だいじょうぶそうに、みえるっ、すか」
    腹立たしいです、と全面に出すように梓豪は言う。
    するとくすりと廉は笑った。
    「お前が悪いんだよ。お前は俺のペットなのにあんなに沢山知らない奴の印ををつけて帰ってくるんだから」
    噛み付かれたあとを抉るように廉は首元を触った。
    未だに流れ出る血液のせいでベッドが濡れて気持ちが悪かった。
    「兄さんもしかして俺のこと嫌いだったりする?」
    そう言うと廉はまた不機嫌そうになり「次は腕も腕も噛み付くよ」なんて脅してきた。
    廉はいつの間にか持ってきていた救急箱から包帯とガーゼ、そして針を取り出した。
    「うあー思ったより傷深」
    「やったのはどこの誰っすかね」
    「縫うから動くなよ」
    「っ!!!」
    動いては行けないと言われたが突然針をぶっ刺された痛みで足がビクンと上に上がった。
    「動くから深く刺しすぎちゃったじゃん」
    全く悪びれもせず廉は梓豪の首に針を通していった。
    2回目、3回目は慣れたのか梓豪は動かずに針を受けいれ続けた。
    そして慣れた手つきで梓豪の傷を処置すると、ぐったりとベッドの上で項垂れている梓豪の横に腰を下ろした。
    「女の人はきっとお前のこんな姿みたら失望しちゃうだろうね」
    そう言うと梓豪は憎めしそうに廉を見た。
    「というかホントに何だったんすか……痛かったんすけど」
    「だからさっき言ったじゃん」
    「じゃあ兄さんキスマークに嫉妬したの?だったらもう女の人と関係持つなー……とかって俺に命令したらどうっすか?」
    「いや、それはなんか違うでしょ」 そう言うと廉は貧血でベッドから起き上がれず倒れ込んでいる梓豪の頬にひとつキスを落とした。
    「なに?SEXでもしたいんすか」
    「それも面白いね、けど今日はいいや」
    廉は満足そうに笑うと「おやすみ」とキスをして部屋を出ていった。
    1人になった暗い部屋。
    自分から流れ出た濃い血の匂いで結局一睡も出来なかった。
    ===
    【蛇足というか巻き込まれる小鈴ちゃん】
    「ズーハオ様〜!朝ですよ!起きてください!」
    こんこんとノックをして小鈴が梓豪の部屋を開ける。
    朝毎回行っている会議に梓豪が居ないというのははじめてのことであった。
    廉に聞いても「さぁ?お仕置でもされたんじゃない?」なんて笑顔でそう告げるものだから少し心配になって部屋を覗きに来たのだ。
    部屋を開けて直ぐに気がついた。
    「え!?なんですかこの血……!」
    酔ってしまいそうなほど濃い血の中、梓豪は小さく音を立てながら眠っていた。
    「ズーハオ様……」
    小鈴はベッドの近くまで寄っていき梓豪の顔を見た。
    血だらけで痛々しい部屋の真ん中ですーすーと穏やかで小さな呼吸を繰り返しながら眠っていた。
    ズーハオ様、人前で眠るのは嫌がる性格だから、寝てるところ見るの初めてかも。なんて思っていると後ろから声がかけられた。
    「小鈴。勝手に入っちゃダメでしょ

    冷たい声が聞こえひゅっと息が詰まる。
    「廉……様……」
    振り返るといつも間にか壁によりかかってこちらを見ている廉がいた。
    「勝手に入ったらダメだろ」
    強い口調で言われ、つい体二力がはいる。
    「すみません……でも僕心配で……」
    「そう。後は俺が見ておくから」
    いつもの廉だと言うのに謎の威圧感を感じた小鈴は急いで部屋から出た。
    次の日も梓豪は部屋から出てこなかった。
    小鈴が廉に聞けば「お仕置続行♡」と楽しそうに笑いながら告げられた。

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