夕陽が眩しかった「ふう」
京都から帰ってきて早1週間。
朝日奈唯は菩提樹寮のラウンジで溜め息を吐いていた。
ひとりでいると頭に浮かぶのは京都で出会ったひとりの美しく、そして儚い雰囲気を持つ青年、御門浮葉のこと。
透明感がありそして崇高さすら感じる音色が欲しいと思った。
そして、いつもなら旅先で出会った音楽家たちはスターライトオーケストラに加入してくれた。
だから、今回も御門はスタオケに加入し、バスでみんなと一緒に横浜に帰ってくると無意識に思い込んでいた。
……だけど冷たい雨が降った翌日に知らされたのは彼はこのスターライトオーケストラに入らないという事実。
スタオケがもっと技術的に満足いくオーケストラだったら。自分がそのためにもっとみんなを導いていたら。
この1週間、暇さえあればそのことばかりを考えて溜め息を吐いていた。
「また思い出しているのか、御門のこと」
溜め息を吐いていると現れたのは常陽工業高校のトランペッター桐ケ谷晃。
京都から帰ってきてから彼は何かとこうして自分のことを気に掛けてくれている。
「はい」
「そっかー」
ひとこと返事をし、そして続ける。
「でも、しかたねーよな」
唯のことを責めるわけでも否定するわけでもなく、彼はこうして隣にいてくれる。そのことが今の唯にはありがたい。
「ちょっと出掛けねーか? 今日は晴れているし、ツーリングにはもってこいだろ?」
そういってチラリと見せたのは大きさの違うふたつのヘルメット。
いつからか習慣になったツーリング。唯が煮詰まるとこうして桐ケ谷は連れ出してくれた。そして、ついにはヘルメットを買うようになった。
京都に行く前に一緒に選んだ存在を思い出しながら、唯は頷く。
「はい!」
訪れたのは横浜からも程近い湘南の海岸であった。
「気持ちいい」
「ああ、同じ太平洋でも茨城とじゃ違うけど、悪くねぇ」
京都で感じた冷たい雨とは打って変わって今日は風こそ冷たいものの暖かい日差しが降り注いでいる。
そして縮こまっていた心がだんだん開放されていくの感じる。
思えば京都に行ってから自分は持ち前の元気さを失っていたことに気がつく。魅惑的な男性の御門であったが、まるで彼の世界に引き込まれるような感覚であった。
「今までがうまくいきすぎていたんだよな……」
海岸に押し寄せる波を見ながら桐ケ谷はまるでひとり言のように呟く。
「俺や刑部のようなはぐれものならともかく、弓原や榛名はアイドル。それなのにマネージャーの寺阪さんが頭を下げて加入させてきた」
それを聞きながら唯はスターライトオーケストラのメンバーそれぞれが抱える事情を思い出す。
それぞれ音楽を続けたいという意思は強かった。
だけど、赤羽や三上は飛行機移動、南だっておばあのことが心配だけど送り出される形であった。そんな感じで、スタオケ加入に躊躇する事情があるものばかりだった。
そして御門が抱えている事情は彼らの比ではない。
楽しく趣味で続ける分にはスタオケは申し分ない団体であると信じているが、それ以上のものを求めるには物足りないオーケストラであった。それを差し出せない状況がもどなしくもあり、そして悔しかった。
「御門(あいつ)のことが心配なのはわかるけどよ。でも、あれだけの技量と、あとあいつ、雰囲気いいだろ」
桐ケ谷の言葉に唯は頷く。
宝ケ池で聴いて惹かれた音色。あれは彼が何者か知らなくても惹き付けられるだけの魅力と実力がある。そして、彼の持つ美貌と雰囲気がさらにそれに輪をかけていた。
「あいつ、見た目で騙されるヤツが多いけど、意外とタフだろ。芯が強いというか。たぶんうまくやってると思うぜ」
桐ケ谷の言葉を聞きながらタコパをしたとき、彼の煽るような言葉に乗った御門の挑戦的な瞳を思い出す。
おそらく彼は相当な負けず嫌い。その性格さえあれば、これから待ち受けるであろう困難も乗り越えられるだろう。そんな気がした。
「だからこそ、足元見られて自分を安売りしてほしくねーけどな」
つけ足すように桐ケ谷はそう話す。
それは環境に苦労してきたからこそ出てくる言葉なのかもしれない。そしてそこに優しさが含まれているのは気のせいだろうか。
桐ケ谷の言葉に頷きながら唯は彼の方を向く。
「ありがとうございます」
「礼なんていらねーよ」
わずかに赤くなった頬を見せながらそう返される。
思えばいつも彼にはその言葉をもらっているような気がする。
だけど、今はまだその好意に応えられる立場ではない。
ただ、2ヶ月後に迫っている本選。もしそこで結果を残すことができたら、そのときにもう一度考えよう。彼に対してどのような気持ちでいるか。そして、彼と今後どのような未来を描きたいのか。そのことを。
「また次の土地でも頑張ろうぜ、朝日奈さん」
「はい、よろしくお願いします!」
威勢よく返事をする。
すると彼の向こうに見えてくるのは視界一面に広がる海であった。
だんだん夕陽を帯びてきた海が一瞬虹色のように煌めいたのが印象的だった。