ヴァイオリンロマンスまであと少し「お疲れ~ 今回の路上ライブもよかったね!」
横浜で定期的に開催しているスターライトオーケストラの路上ライブ。
最後の一曲を弾き終えると、朝日奈唯はポニーテールに縛り上げた髪を揺らしながらメンバーの方を振り向く。そして満足げな表情を浮かべてそう話しかけてくる。
徐々に新たなメンバーが入ってきているのが自信につながっているのか、それとも夏の日差しがそう見せているのかわからないが、最近の唯はキラキラ輝いているように疾風の目には映る。
「次の演奏会のチラシも受け取ってもらえましたし、お客さんも少しずつ増えてきていますよね」
片付けをしながら成宮も唯の言葉に同意している。
それを聞いて思う。
活動したての頃は観客がまばらだったことを考えると最近はリピーターも増えてきているのか、知っている顔が増えてきた気もする。
「レパートリー増やした方がいいかな」
ひとり言のように受け止められることを唯はポツリとこぼす。
メンバーが増えたため、楽器の種類も豊富になり、最初の頃は不可能だった金管アンサンブルや木管を交えた演奏もできるようになった。
だけど、学校が違う彼らを常に頼るわけにはいかず、そうなると星奏学院に通うメンバーのみで演奏できる曲目も増やしたい。
「そうだな」
唯の言葉に疾風は頷く。
わざわざ忙しい時間に足を止めて自分たちの演奏を聴いてくれる観客。
彼らにより一層充実した時間を過ごしていただきたい。そう思えたから。
すると、成宮が唯に近づいて話しかけるのが見える。
「俺、朝日奈先輩と二重奏弾きたいです」
あまりに率直な言い方。
その言葉に恋心が含まれているかはわからない。だけど、真っ直ぐな言い回しに近くで聞いていた疾風の方がむしろ恥ずかしくなる。
唯も成宮の言葉に頷き、少し考えるのが目に入る。
「そうね。あと、銀河先生にも声を掛けてヴァイオリンとチェロとピアノの三重奏とか、朔夜もいればヴァイオリン二本とチェロの三重奏もできるし、うーん、夢は広がるなー」
唯の頭の中で広がるアンサンブルの輪。
だけど、そこに自分の楽器が出てこないことに疾風は軽いショックを覚える。
「朝日奈先輩、竜崎先輩のことを忘れちゃだめですよ。ほら、あちらで捨てられた子犬のような瞳をしていますから」
急に自分の話を振られ、疾風は焦る。
すると、唯が何か照れた様子で自分を見つめてくる。
「そうね……」
唯は小さく呟く。
そして、聞こえるか聞こえないかの大きさの声で疾風に話しかけてくる。
「竜崎くんも一緒にいいかな……?」
その言葉を聞きながら何今さらのことを話すんだと思う。
事情があってスタオケ発足直後こそ参加はしていないものの、スタオケで活動するようになってからはできる限り優先して参加している。
特にヴィオラは弾き手が少なく、また自分が参加することで弾ける曲が増えるとわかっているからなおさら。
「もちろん、当たり前だろ」
そう返すと唯は頬を赤く染めるのが見えた。
今日は暑いしな。ここで切り上げて正解だったかもしれない。
そう思いながらも疾風も自分の胸がとくんと打つのを感じた。
それが何から来るものかもわからず。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「ヴァイオリンとヴィオラの二重奏か……」
路上ライブの翌日、疾風はスタオケのライブラリーを覗いていた。
弦楽四重奏をはじめ、ヴィオラが活躍するアンサンブルは多数ある。
しかし、せっかくなら唯と、つまりヴァイオリンとヴィオラの二重奏を演奏してみたいと思った。それが何から来る気持ちなのかはよくわからないでいたが。
「しかし、全然ねーな」
ヴァイオリンとチェロは多くの作曲家による二重奏がある。
それに比べてヴァイオリンとヴィオラの二重奏はモーツァルト作曲の二曲を除いてほぼないに等しい。
以前、楽器店に足を運んだときも、この二つの楽器を用いた二重奏は、ヴァイオリンとチェロの二重奏のチェロパートをヴィオラ用に編曲したものの譜面がほとんどであった。これではヴィオラ本来の魅力を発揮できるとは思えず、疾風は譜面を買わずに楽器店から出てしまった。
「チェロはいいよな……」
思わずそんなことを呟いてしまう。
決してヴィオラのことが嫌いなわけではない。
むしろ音域の割に楽器が小さいために曇ったような音になるところが愛しいと思えるし、作曲家によってはアンサンブルの中で独特の動きを持たせ音楽に厚みを持たせるところも気に入っている。
だけど、やはりヴァイオリンやチェロほどはっきりした音色でないためだろうか。ソロ曲もほとんどなく、またヴァイオリンとのアンサンブルも限られている。
そんなときだけこの楽器を選んだ自分が恨めしく思う。
ふとそのとき、ひとつの譜面が目についた。
タイトルは「愛の挨拶」。編曲者のところに志水桂一とある。もしかすると、今では世界的に有名となった作曲家のことだろうか。だとすれば彼は星奏学院出身だと聞いたことあるから、この譜面がここにあっても何らおかしくはない。
譜面を見ながら疾風は脳内で音を再生させる。
ヴァイオリンとヴィオラ、それぞれが男女が愛を紡ぐかのように掛け合い、そして混ざり合っていく。
実際に演奏すると印象は異なるかもしれないが、かなり甘美な音楽になりそうな予感がした。
……それにしても。
まだ当時は作曲家の卵だったとはいえ、志水桂一がわざわざ「愛の挨拶」をヴァイオリンとヴィオラの二重奏に編曲したのは意味があるのだろうか。
思わずそんなことを考えてしまう。
その答えを見つけてはいけないような気がする。なぜだかはわからないけれど。
頭をブンブンと振って疾風は譜面を持ち出した。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「今日のライブもうまくいってよかったね」
二週間後の路上ライブ。
いよいよ太陽の光は強くなり、また夏休みに入ったこともあり、子ども連れの姿も多く見える。
「先輩がたの『愛の挨拶』よかったですよ。思わず見とれて落ちそうになってしまいそうでした」
片付けをしていると成宮が疾風と唯に話しかけてくる。
子どもの観客が多いこともあり、堅い曲ばかりではなく馴染みのある曲も入れてみようとなった。そこで「愛の挨拶」を演奏することになったのだが、思いの外好評だったらしい。
ライブのあとの反応も上々だったし、成宮をはじめメンバーからもさまざまな感想が聞こえてきた。
あえて言うのであれば……
その曲の意味を考えると恥ずかしさで演奏不能になりそうだったため、感情移入という点では満足いかなかった。
一方で冷静になろうとすればするほどアップテンポになり、どうしようもなかった。
もっとも観客からはそのライブならではの反応がよかったらしいが。
「朝日奈、すまない。無様な演奏をして」
反応は悪くないものの、自分では納得いくものではないため、疾風は唯に謝る。
すると、唯は軽く首を横に振る。
「ううん、竜崎くんから二重奏弾きたいと言ってもらえて嬉しかった。しかも『愛の挨拶』だからなおさら」
そのときの唯の笑顔。なぜだかわからないが、今まで見てきた中で一番かわいく思えた。そして、他の誰にも見せたくないということも。
「二重奏、また一緒にできるといいな」
また一緒に。その言葉を聞いて、疾風の胸の鼓動が早くなるのを感じる。
そして星奏学院に伝わるヴァイオリンロマンスの伝説がふとよぎる。
コンクール中に恋が実るという伝説。
いや、今は学内コンクールではなく、国際コンクールの予選を控えている身だぞ。そう思いつつも、星奏学院の妖精はいたずら好きらしいという噂もなぜか思い出す。
唯とアンサンブルをしたいと思った気持ち。
そんな彼女がかわいく見えること。
そして、その彼女も自分とのアンサンブルを望んでいること。
それらの先にひとつの大きな感情がありそうだが、太陽の光が眩しくて見ることは叶わない。
もっとも今の自分にはそれがいいような気がしたが。
-今年の夏は暑くなりそうだな。
そう思いながら疾風は空を仰ぎ見る。
ふたりの関係が変わろうとしていることをまだ知るよしもなかった。