煙月が晴れる リンクの上の氷層に乗ると神経が研ぎ澄まされると夜鷹はいつも感じた。そんな氷の上でしか生きられない自分だからこそ最近苛立つ瞬間が出来たのだ。滅多に他人に興味を抱かない夜鷹が最近気にする相手が今同じリンクで滑っている明浦路司だ。
アイスダンス出身の彼は他人から見て奇才があり、彼はメダルを取れる選手だと夜鷹は確信していた。だが彼は2シーズンを選手として過ごした後引退し、アイスダンスのオーディションを受けるも落ち続け、元パートナーに誘われ今結束いのりのコーチを受け持っいる。そして中部ブロックで金メダルを取らせた実績がありコーチに向いているが、夜鷹の気に入らない所は別にあった。
司を夜鷹の貸切リンクに誘うのはもう片手では数えられない程に誘い、夜鷹は毎回司を世間に出そうと奮闘する。
どうしたら司は輝けるかと考えるが、同時に自分だけが彼のスケーティングの上達を傍で独占をする事も頭に浮かび、その度に煙草の煙を肺に送りながら仄暗く口角を上げるのだ。
リンクサイドから彼の為に夜鷹が作り振り付けをした一曲を踊る司を眺める。自分に似たスケーティングながら、自分撚り上手い彼に嫉妬しながら無表情で眺める。夜鷹はその繊細で艶めかしいスケーティングに見入った。
彼は生徒にも公表してないが、三回転ループなら飛べるようになっていた。本人は成功率が低いから生徒には見せられないといつも言う。司の三回転ループは80パーセントの確率で成功しているのに、本当に悲観的で自己肯定感の低い選手だ。だから選手時代彼が表彰台に乗る事が無かったのだろうと夜鷹は思う。
彼のスケーティングは夜鷹でも惹き込まれ観る物がある。夜鷹は彼に魅せられた。それだけで才能があると言うのに彼は悲観的で卑屈だ。
だから今目の前で夜鷹が構成したショートプログラムとフリープログラム踊る彼を、自分の物だと世間に自慢するのは夜鷹の役目なのだ。生徒のものでも誰の物でも無い、夜鷹純自身が今磨く彼を世間に出す準備はしている。 鴗鳥に協力して貰って出来たアイスショーは水面下で彼を主体にした物を世間に発表する準備は整っている。
公然に宣言する準備は出来ている。
だが彼を世間に広くは広めずに、夜鷹の名前を隠した別の団体の一つののアイスショーとして彼を主体に出し最後に夜鷹が出てくる事にしている。振り付け、選曲として彼を導いた者として世間に出す準備を夜鷹は楽しみに待っていた。
今も銀盤を滑る繊細で無駄な筋肉の無い彼を見て、夜鷹は今此処に無い煙草を吸いたいと思いながら休憩でリンクサイドに戻ってきた司を見つめる。
「どうにか形になって来ましたか!」
「さぁね、自分で確認しなよ」
動画を見つめる司の顔を見つめ夜鷹は即座に頭に腕を回し、距離を狭めた。瞬間彼の唇に噛み付くようなキスをする。驚いた司が目を見開き角度を変え振るキスに、散々教え込まれた身体は素直に唇を開くと舌が咥内に押し込まれる。
ぐちゅりぐじゅと頭がおかしくなるような酩酊するような感覚が司を襲う。舌は歯の一本まで愛撫するように舐め、反応が強い弱い所を重点的に責める。司は夜鷹とのキスが苦手であり、毎回快楽を感じ息が出来なく酩酊するような快楽に溺れないように必死だった。
舌を絡め合い夜鷹の舌が逃げる司の舌を絡めとる。弱い所を集中に責め、リンクに響く水音が現実だと認識させ司は酔いそうになる。暫くし満足したのか舌は離れ夜鷹は司を見つめ呟く。
「煙草吸いたい。今日はもう終わりだよ」
夜鷹がリンクから上がり、エッジカバーを付け歩いて行くのを司は必死で追う。夜鷹は先を歩き追い掛けるが突然振り返り司は彼を見つめた。その瞳は獣のような熱を灯し、草食動物を逃がさない肉食動物のように瞳の奥に燃え上がるような熱を灯していた。
「今日は僕の家ね」
その言葉に身体中が一気に熱くなり、夜鷹純から誘われてる事に司は俯き期待を抱き返事を返す。
「…………はい」
返事は無いが機嫌が良さそうな彼は今どんな表情をしているのだろうと、司は彼の後ろで見れない事に後悔した。
数ヶ月後
スケートリンクには客が満席で、 鴗鳥慎一郎が企画したアイスショーに今日を楽しみにしていた客は多い。スケーターも有名所が多く、フィギュアスケートファンは楽しみに待ち望んだ日だ。
騒つく客席が全員座り少しするとアイスショーが始まる。有名選手達が手を振りパフォーマンスするのはとても美しい。
花が舞うように銀盤を滑る演技が終わり、愈々鴗鳥慎一郎が雑誌で是非見て欲しいと言っていた演目が始まる。
一人の男がリンクに立つ。下を向く男が顔を上げ、瞬間始まる演技に客は驚くと、繊細に儚く消えてしまいそうに踊る男に客は一瞬で目を奪わた。その美しくだが芯はあるが消えてしまいそうな演技に目が離せない。
滑る姿も美しく、力強い三回転サルコウからまた繊細な演技に目を奪われ続くスピンに、客席が湧いた。激しい振り付けを三分間の演目に詰められた美しさに客は目を奪われ、白く王子のような衣装は身長が高くガタイの良い彼に会っていた。もう演目が終わると言う最後に勢いを付けジャンプを飛んだ彼は、四回転ルッツを飛び滑り終えた。
何が起きたか分からない客は放送を聞いて更に驚く事になる。
『演目雪と王、振り付け曲夜鷹純』
瞬間客席が湧いた。あの夜鷹純が構成した曲を踊る彼は何者だと。あの鬼の様な激しい振り付けを涼しい顔で踊りきった彼は何者だと世間が騒つく。
それは夜鷹の狙い通りで、世間がやっと明浦路司に気づいた瞬間だった。
次が最後の演目でリンク中央で待つ司の元へ誰かが滑って来た。気づいた客は瞠目し開いた目で隣に話し掛けたり、泣き出す者もいる。夜鷹純が彼の手を取り踊り始めた。
純の選手時代の得意だった。重く呼吸を忘れるような深い夜の様な演技に、満月が辺りを照らすような心地を憶える滑りだった。
何せあの夜鷹純が幸せそうに笑いながら彼の手を取っているのだ。司は先程の演技よりも更に研ぎ澄まされ、アイスダンス出身の彼の得意分野であるペアで踊る演技は司を更に輝かせた。
司の白の王子のような衣装とは反対に、夜鷹の黒に王のような衣装は彼等に合っていた。王子に尽くす王は、自分の大切に仕舞いこんでた物をやっと世間に公表した時なように嬉しそうに綻ぶ顔に、あの無表情でしか知られていない夜鷹のイメージを塗り替えた。
そうまるで才能ある恋人を見せびらかすような事に、と思った所で客は夜鷹の思惑に気づいた。彼は自分の恋人を自慢したいのだと、埋もれた才能を自分が育てたと自慢したいのだと。
そんな彼等を横で見ていたい。慎一郎夜鷹の起こした数々の問題行動を知るために、司へと憐れみと応援を送るのだ。頑張って下さい明浦路先生と。
演技が終わり夜鷹が司の腰を抱き礼をする二人の周りに他の選手が集まり、アイスショーの終わりに満足した客はこれからの司に期待を込め帰るのだ。
海辺の柵に片腕を乗せ、煙草を吸う所作も洗礼された夜鷹の元に足音がする。
「風邪引きますよ」
司がそう呟くと夜鷹が無表情で煙草の煙を吐き出した後呟いた。
「引かないよ」
司はその言葉を聞き夜鷹の隣に両手で柵を掴み、夕暮れの赤から闇に染る空を眺める。水平線は遠くどこまでも続くような錯覚を司は感じた。
「君が世間に知られたな」
「貴方がやったことでしょう」
夜鷹は煙草を指で持ちながらどこか淋しそうに発した。
「もう少し隠したかったな」
夜鷹の言葉に司は驚きと共に歓喜が沸き上がり、今叫び出したい気持ちで溢れた。だが同時に自分が世間に出て大丈夫なのかと、不安も湧く。そんな司の思いを察したのか、夜鷹は一言呟くように言った。
「君は僕が認めたんだよ」
その言葉に司は目の前の景色が明るくなり、自分が憧れてこの世界に入った人に認められた事に涙を流す。どこかで夜鷹が恋人でも司には勿体無いと思って、自分はこの人に釣り合わないと思っていた気持ちが認められた事で晴れていく。夜鷹が認めたなら自信を持たなきゃいけない。もう彼から逃げない。
司は腕で涙を擦り真剣な瞳で見つめる。
「俺純さんに相応しいと思えるような人間になります」
夜鷹は司の強く輝く瞳を見て自然に口角が上がり笑みを浮かべる。彼と最初に出会った時のように、その力強い瞳をどうやって屈服させてやろうかと考え、彼が生涯追い続けるのは自分だけなのだと仄暗い独占欲に執着が湧く。
「楽しみにしているよ、司」
横を向き司の目を眺め珍しく浮かべる薄い悪い笑みに、司は湧き上がる気持ちの儘に叫ぶように返事をする。
「はい!!!」
夜の星は煌めき海を明るく照らす。
一人だった青年達は生涯を共にする者に出会い幸せを知った。二人なら生涯の苦楽を歩めるだろう。
ほら、世界はこんなにも広い。