これは大切な準備であり、何も恥ずかしいことじゃない。何度もそう言い聞かせたにも関わらず、セイジは動くことができなかった。シャワールームに入ってもう三十分以上は経っている。いつまでも全裸のまま固まっていては、体にも悪いだろう。そう思うのに、いつまで経っても動くことができずにいた。
四日後にセイジはニコに抱かれる。そう決まってからというもの、セイジは受け入れる側にはどんな準備が必要なのかくまなく調べた。男性同士の性行為には尻の穴を使用するということは、どのサイトでも最初に出てきた。そして、尻の穴の拡張は一日してならず。数日かけてじっくりと行うことが体への負担も少なくなるらしい。そのことを昨夜知ったセイジは、早速準備を始めようと決めたのだ。
今だって、人差し指には指用コンドームを装着し、シャンプーボトルの横にはローションだって準備済みである。問題はセイジの中にある羞恥心だった。本来出すべき役割を果たしている部分へ、ゴム越しとはいえ指を突っ込むのだ。躊躇するのも仕方ないことだろう。
「こんなことじゃだめだよね」
鏡の中の自分と目があったので、とりあえずセイジは笑ってみた。無理矢理笑顔を作れば気も紛れるだろうと思ったのだが、所詮は気休めだ。一度目を閉じ、大きくため息をつく。そろそろ覚悟を決めなければ、夕飯の時間になってしまうだろう。
セイジは手にローションをたらすと、恐る恐る右手を自身の尾てい骨にそわせた。そのままゆっくりと手を下ろすと、尻の穴に指が到達する。緊張で窄んでいるのか、指先ですら入る気配は感じられない。ひとまず表面にローションを塗り、穴の周辺を揉むようにしてほぐしていく。
「んっ……」
反射的に尻が締まり、足は震えた。空いている左手を壁につき、なんとか姿勢を保とうとするものの呼吸は少しずつ浅くなっていく。まだ指の先ですら入っていないのに、こんなにも苦しいのかとセイジは眉間に皺を寄せた。それでもセイジは指の動きを止めなかった。ゆっくりではあるが、緊張を少しでも解せるようにと丹念に揉んでいく。
時折ローションを足しながらほぐし続けていくうちに、ようやく第一関節が入るようになっていった。なんとも言えない達成感に浸りながら、セイジはほっと息をついた。そして、次はどうすべきだったかをスマホで確認するため一度指を抜いた。ふらつく足で回れ右をし、シャワールームの扉を開ける。
「え」
「え」
思わず冷静な声が漏れた。それも二人分だ。
「どうして……」
目の前にいたのはニコだった。ちょうど脱衣所へ来たところなのだろう。まさか裸のセイジと遭遇するとは思っていなかったようで、驚いたように目を見開いていた。
「連絡入れても返事が来なかったから。部屋の中にもいなくて、こっちに来た」
もうそんなに時間が経っていたのかとセイジは呆然としながら、慌てて右手を隠した。しかし、スマホの横に置いていた指用のコンドームが入っていた箱までは隠しきれなかった。目ざとく見つけたニコは、その箱を拾い上げると裏面に記載されている文章を読み始める。
「……」
「ニコ?」
「もしかして、準備してた?」
「あ、はは……」
段々と恥ずかしさが込み上げてきたセイジは、笑って目を逸らした。
「その、どっちがどっちとか決めてなかったから……準備をしておくに越したことはないかなって」
「……おれも、その話してなかったから同じの買ってた」
「え⁉︎」
「ねぇセイジ。セイジは抱かれたい?それとも抱きたい?」
ニコは箱から目を上げると、真っ直ぐにセイジの目を覗き込んだ。
「僕は……」
逸らしたいのに逸らせない。そんな視線を真正面から受け止めつつ、セイジは真っ赤になりながら口を開いた。
「ニコに、抱かれたいって思ってるよ」
そう答えた瞬間、ニコの目の奥が冴わたる三日月のように光った気がした。
「……本当に?」
「うん」
「……ありがとう」
ニコはそう言うと、自分が濡れるのにも関わらずセイジを抱きしめた。
「ニコ、服が濡れちゃうよ」
「別にいい」
「もう」
「それより、続きどうするの?」
「……とりあえず、今日はもういいかなって」
セイジは肩をすくめながらそう答えた。ニコが迎えに来たということは、ご飯はすでに完成しているということだ。ニコのお腹だって限界に近いだろう。
「セイジ」
「何?」
「明日もするんでしょ?」
「まあ、毎日した方がほぐれるだろうし……」
そう答えると、ニコはセイジを抱きしめる腕を解いた。そして、再び正面から向き合うと首をこてんと傾けながら、なんでもないことのように口を開く。
「じゃあ、明日はおれがやってもいい?」
「え」
「準備。一人じゃ大変でしょ」
「え、っと……あの」
「決まり。早く夕飯にしよう」
「ニコ!」
ニコは悪戯が成功した子どもみたいな笑みを浮かべると、クラックディメンションの力でその場から姿を消してしまった。
「そんな……言い逃げなんてずるいよ」
一人でも恥ずかしかったことを、明日はニコにやられてしまうのかという衝撃で、セイジはしばらくの間棒立ちになった。思わぬ形で決まってしまった明日の予定に、セイジはただただ頭を抱えるのだった。