一人勝ち「ふう、今回の標的はそこまで手こずることなかったねえ」
暗がりの建物のなかでモクマは伸した男達を並べていた。彼等にチェズレイは催眠を掛けると縛り付けた縄を解く。このまま警察に出頭させる気なのだろうか。モクマは首を傾げる。
「おや、そう言っているのもいまのうちですよ。今回の作戦の成否はあなたにかかっていると」
「本拠も割れて捕まえているのに?」
「もう彼等に縄はないでしょう? 先程、首謀者に催眠を施しました。次の草競馬の後に警察へ出頭すると」
「うん、そこまでは作戦時に聞いたよ」
チェズレイの作戦、催眠をかけるまではいつもと同じなのだ。ただ、これで終わりではないというのはどういうことだろうか。
悩むモクマにチェズレイは口角と舌を上げた。
「我々のご褒美――強いてはこの地域の組織の運営資金をモクマさんに稼いでいただこうと思いまして」
チェズレイはタブレットに映し出されたページをモクマに見せた。そこには草競馬のエントリーページが映し出されていた。チェズレイの表情と口振りからしてこれに参加しろと言うことなのだろうか。
「ひどい! ここにいるのショーマンとニンジャさんしかいないのに!」
精一杯の乙女の顔つきでモクマはチェズレイに文句を言う。それを想定していたのだろうか、チェズレイはモクマの眼前に指を突き付けてきた。
「そうですか? かつて滞在地の競馬場で勝ちすぎて逃げるように国から出た男の口から出る言葉ではありませんよ。本名を使うか偽名を使うかはあなた次第。要は勝てばいいのです」
「簡単に言ってくれちゃって」
ブランクもあれば捜査の時点でかなりの手練れがこの草競馬にでてくるとの話があった。中には本職の騎手が借金を苦にこの草競馬に出てくるらしい。モクマにとって無理難題にも程があった。
「ご褒美なら勝った後でなんとでも。新しいセーフハウスでも、作戦後のためにホテルを買収しても」
どんなものでもいいですよ、とのチェズレイの声にモクマの意欲がぐんと伸びた。
「そう? じゃあ、勝利の神様からキスをくれないかな?」
俺に勝利の女神はいないけども、と照れて言うモクマが愛しくてチェズレイはしっかりと彼を抱き締めた。
「フフフ……キスだけですか? 抱き締めても、それ以上でも構いませんよ」
「考えておくよ」
『最終レース、勝者は最低人気、元・ミカグラ島のショーマン、モクマ・ジャン!』
最後のレースが終わり、勝利ジョッキーのモクマは表彰式で熱烈な歓迎を受けていた。この様子だとプレゼンターの女性に口説かれているだろう。溜息をつきながらチェズレイはタブレットで電話を掛けていた。終わった頃には表彰式も終わり、貴賓席の担当者が的中した金額を現金で持参する。
『払い戻しは窓口まで。貴賓席の皆様には担当がお届けします――』
役目を終えた担当に催眠を掛け、その彼と入れ替わるようにモクマが部屋に戻ってきた。もう普段の服に戻り、顔には乱雑に拭かれた口紅の跡が残っている。
「あー疲れた」
「お疲れさまでした」
モクマは己のタブレットを叩き、草競馬の馬券的中情報をみ始めた。
「的中したひとはいなかったよねえ、飛び入りのおじさんに賭ける人はいないでしょ」
「そうですか?」
モクマは己の走ったレースを見つけたのだろうか、思わず口笛を吹いた。
「おや一人だけ。かなりの金額賭けてるねえ。ああチェズレイ悪い顔だねえ、舌も出ちゃって」
やっぱりかと思いつつモクマはチェズレイを見遣る。ぴょんとでた舌だけで彼が興奮しているのが判る。
「お陰で現地のドレミ財団支部名義で複数の慈善団体に寄付ができました。払い戻しに来た担当には老紳士が賭けたと催眠を。さて、勝手に賭けられていたモクマさん。先程国一番のホテルのスイートルームを押さえました。ご褒美に天に昇るような美食は如何ですか?」
一気に話すチェズレイにモクマはにんまりとする。チェズレイのほうもやる気は十分らしい。
「そうだね。まずは三日ほどいただきたいよ」
チェズレイをね、と呟いてモクマの腕はチェズレイの腰に回したのだった。