酔っ払い3人20211007 モクマさんBD
その申し出は唐突だった。
「モクマさん、服を選びましょうか」
某国の組織を潰し、次はどこへ向かおうかという話をしていると、チェズレイからモクマに提案があった。こんな提案は一度や二度あったものではない。しかもその時は大抵チェズレイが変装するから服を選びに行きましょうというものが常だったのに何故今回はモクマの服を主題にしているのか――モクマは首を傾げた。
「なんで?いつもの潜入服じゃダメなのかい?」
モクマの答えにわざとらしくチェズレイは嘆息する。
「そうです。入る場所に相応しい服装でならなくてはならないのですよ今度の場所は」
高級ホテルのレストランや旅客列車等、下衆のいる場所はどこにだっている。普段荷物持ちやうだつの上がらない旦那等、チェズレイを引き立たせる役目が多いだけにモクマのほうが今回は主なのだろう。
「わかったよ。チェズレイ、選んでくれない?」
「ええ。購入するのにお付き合いいただけると嬉しいのですが」
「もちろん。で、次はどこに行くんだい?」
「ミカグラ島です」
モクマの持っていたタブレットが音を立てて床に落ちた。
オフィス・ナデシコにて拠点を立てると、二人は昔滞在していた部屋で着替え、高級ホテルのレストランで会食するのに相応しい姿になった。
「これでいいかな?」
「ええ。あ、モクマさんネクタイが曲がってますよ」
「直してくれる? おじさんどうも苦手かもしんない」
「いい加減覚えてくださいね。それともループタイにでもしますか?」
「ループタイ?」
「紐です、紐」
違う紐に聞こえたモクマは丁寧に断った。
「こちらからどうぞ」
オフィスナデシコから呼び寄せたリムジンに乗り、到着したのはそこが入口と思えないほど巧妙に隠れたレストランだった。おそらくは財政界の重鎮辺りが会合等にでも使用しているのだろう。ミカグラに産まれた悪はなんなのだろうかとモクマは構えていると開かれた扉の向こうには見慣れた顔があった。
「遅かったな」
「ナ、ナデシコちゃんなんでここに」
「聞いてなかったのか。今日は私達三人の会食なんだが」
三人の会食にモクマは胸を躍らせたが矢継ぎ早に飛び出たナデシコの言葉にチェズレイが優雅に答える。当事者の意見を無視した答えにモクマは苦しくなる。
「それに……馬子にも衣装のように見えるぞ、モクマ」
「ナデシコちゃん、褒めてる?それとももうお酒飲んでる?」
「褒めているさ。やはりお前は羽織りのほうが似合うかもしれないが」
「見慣れているか否かの差ですよ、ナデシコ嬢」
「それもそうか」
チェズレイとモクマが並び、モクマの向かいにはナデシコが座った。細工と紛うような料理が三人の前に差し出されると食前酒と出された葡萄酒を飲みながら話し始めた。
「しかしよくここ取れたな。ミカグラでも予約の取りにくい場所なんだぞ」
「あァ……。彼にも手伝って取っていただきましたから。礼なら彼の給与に金一封でも」
ハッカーに本職以外の仕事をさせるんじゃないとナデシコは思ったが言わないことにした。目の前の食事は事前評のとおりの美味だったからだ。寧ろ今回を機にシキにこのレストランを予約させようかとまで考えている。
芸術品のような食事と高級年代物の葡萄酒を飲みながら、ふとモクマは気にしていたことを口にした。
「で、なんでここにきたの?チェズレイにナデシコちゃん」
その問いに二人は驚いてモクマのほうを見る。
「モクマ、今日は何の日か忘れてるな?」
「今日は十月とお……俺の誕生日ね」
「そうだ。誕生日おめでとう、モクマ」
「モクマさん、お誕生日おめでとうございます」
照れるモクマに二人は拍手する。
「チェズレイと約束したから互いにプレゼントはなしだ」
「なの? チェズレイ」
モクマはチェズレイを見ると柔和な笑みを浮かべ、チェズレイは答えた。
「ええ。なのでモクマさんが望むなら今日は願いを叶えますよ」
出されたメインディッシュの魚料理を咥えながらモクマは答えた。
「それならね……」
高級レストランから出、少し歩けばその店があった。
昔のマイカスタイルの邸宅に軒先には赤い提灯が吊られている。
「警視総監が行ってもよろしいんですか?他の客が気後れするようなことは……」
年のためにチェズレイはナデシコに聞くと朗らかな声で彼女は言葉を返した。
「勿論。私なじみの店だし酒の種類は豊富だし味も保証するよ。こちらとしてはチェズレイのおごりとはいえ金は大丈夫か?」
金の量を心配しているのだろうと思ったモクマは言葉を言おうとしたが、それを遮るようにチェズレイは己の薄い財布を取り出した。
「その点はご心配なく。ちゃんと綺麗なお金ですよ。警視総監殿とバックダンサーの旧交を深めるために後ろめたいものはありません」
それでよしと笑いながら納得している様子のナデシコにそっちなのという顔をしてモクマは二人の会話を見るしかなかった。
引き戸を引き、ナデシコと連れられて二人が店に入る。もう店内は仕事帰りの者達で一杯だった。そのなかで共に呑むのだろうか……大酒故の情報漏洩が怖いんじゃないかと思いながらチェズレイは辺りを見廻す。席がない。いくらなんでも警視総監と身分を偽った仮面の詐欺師がこの場所でのみをしたら無事ではすまないだろうとチェズレイは思ったが、その心配もナデシコの声で杞憂に終わる。
「大将、いつものとこを」
「毎度!」
店員に案内されるわけでもなく、ナデシコに連れられ、モクマとチェズレイは部屋に入った。成る程ここならば打ち明け話でもするのにはいいだろう。部屋に入って直ぐに壁に貼られたメニューを見てモクマは目を輝かせている。先程まで高級レストランで食べたときよりも遙かに目を輝かせて、だ。
だが暫くすれば連れてきたナデシコや酒のメニューをみてどれにしようかなと選んでいるモクマは前に空港のラウンジで呑んだときのように揃って語彙を喪うのだろう。そんな予感というよりも確信を持ってチェズレイは嬉々として酒のメニューを眺めながら話している二人を眺めていた。
「やー愉快愉快」
眼前に酒の瓶を並べ、ナデシコは新しく届いた清酒をあける。
「ナデシコちゃん、ここのお酒もごはんもおいしいね」
「だろう? 酒も料理も大将の料理は最高だからな」
酒量並に小皿を並べたモクマが舌鼓を打っている。これもおいしいよとモクマはチェズレイに薦めていたがお酒に弱い方向けの酒を飲んだだけのチェズレイはモクマに言われるが侭に食べさせられ、ミネラルウォーターをコップに注がれ渡された。
「モクマさん、もし、私が酔い潰れたらかわりに支払ってくださいね……誕生日の主役なのに申し訳ありませんが」
「いいよ、もうお水だけにしとき?」
「いえ、美味しいどぶろくの豆乳割りができたら……呑みたいです」
「まだ呑むの?」
「二人と呑みたいからです……」
もう全身を委ねている時点で相当酔っているんだけどなと思いながらも一緒に呑みたいといってくれたチェズレイのためにタブレットを叩く。程なくして出てきた少量のどぶろくの豆乳割りを口付け、チェズレイは柔和な笑みで微笑んだ。
「美味しい……」
愉快の声ばかり
夜を知らないブロッサムの明かりが辺りを照らす。会計を済ませたモクマは酔い潰れたチェズレイを背負うと三軒目に寄れないやと謝った。
「ごめんね、ナデシコちゃん」
「チェズレイでも弱いものがあるんだな。欠点がないかと思ったら……可愛らしい」
「これでも呑めるようになったんだよ」
「……健気だな。お前に合わせてくれてるんだろう?」
「うん。ナデシコちゃんは帰宅かい?」
交差点で立ち止まり、ナデシコは別の方向に歩もうとする。
「いや、もう一軒行くさ。モクマ、改めて誕生日おめでとう。初めて誕生日を祝えたな。チェズレイにも楽しかったと伝えてくれ」
「了解。またね、ナデシコちゃん」
「またな、モクマ」
「ナデシコ嬢は帰られたのですか?」
「そうだよ。もう一軒行くって」
「……チェズレイ、ありがとね」
最初の店でシャンパン、次の店で低アルコール飲料とどぶろく。もしかしたらその先も何かのんだかもしれない。薬品や毒の許容量より少ないアルコール
「私が下戸なことを人生で一番呪いましたね」
「下戸でもいいんだよ。ごはんもおいしかったでしょ?」
おじさんたべさせちゃったけどと言いながらモクマは自省する。その姿を後ろから眺めながらぽつりとチェズレイは呟いた。
「二人に混じりたかったんです……」
可愛らしい理由にチェズレイの頭をモクマはよしよしと撫でる。混ざりたいなら飲酒がなくても構わないのに律儀に飲酒に付き合う彼が可愛くてたまらない。
「モクマさん、楽しかったですか?」
「もちろん! チェズレイ、楽しい酒をありがとね」
「それならこちらも嬉しいです。ちゃんとオフィスに戻ってくださいね、ボスと怪盗殿からプレゼントがありますので……」
楽しい時間がさらに楽しくなりますよ。耳許でチェズレイは囁いた。
「了解!」
チェズレイを背負いながらモクマは繁華街を軽やかに抜ける。目指すオフィスナデシコはその先に。モクマは上機嫌でそこに戻っていったのだった。