幕間カズタマ冒頭先読み「はぁ~あ。あんの激にぶ野郎……」
「なんやシリウス。まーたコンプラにかわされたんか」
午後九時、消灯前。私は合宿所での同室のタマモクロスに同情されていた。
「そうだよ。笑いてぇなら笑えよ……結構攻めてるつもりなのによぉ」
「笑わへんて。シリウスはよう頑張っとると思うで?」
目の前の彼女は眉尻を下げ、うんうんと頷きながら言う。
タマモクロスには合宿初日にトレーナーのことが好きなのだろうと言い当てられて、隠すことでもないと思い肯定した。以降、ちょくちょく部屋でこういう話をする仲になっている。
「つーかさ……お前はどうなんだよ。金髪のこと、好きになったりしねぇの? トレーナーって、本当に自分のために全力になってくれるだろ? 好きになるじゃねぇか、こんなの」
『金髪』というのは、タマモクロスの専属トレーナーであり私のトレーナーの親友でもある高橋一馬、その人である。ツーブロックにした短髪を鮮やかな金色に染めているため、私は金髪と呼んでいる。
「そうやなぁ……。カズは彼女おるんや。そやさかいそんなんは、あれへん」
「ハァ!?」
私はびっくりして、ごろりと寝転んでいたベッドから飛び起きてタマモクロスの方を見た。
「うわ、びっくりさせんなや! なんやねん」
「金髪、彼女いるのか?」
「せや。大学時代からずっと付き合うてるんやて」
「……気が回らなくて悪い」
そんなの、もし仮に金髪が好きでも、素直に好きとは言えねぇよな。私は自分の身勝手さを恥じた。
よく考えてみれば、私のトレーナーに彼女がいないのがそもそもおかしいのだ。あんなに気が回って、やさしくて、事務処理もレース研究も出来て、運動も勉強も得意なアイツが。それは私にとっては好都合で、願ったり叶ったりなのだが……もちろんそうじゃないコンビだっている。当たり前のことなのに、自分たちを自分の中のスタンダードにしてしまっていて気づかなかった。反省だ。
「カズのこと、好きになってまいそうな時もあるで。せやけど、彼女がおるさかいって思うと気持ちにブレーキかけられんねん。せやから大丈夫や」
「タマモクロス……本当に悪かった」
「いや、シリウスに話して少し気持ちが軽なったで! 聞いてくれておおきにな」
どう言葉をかけていいのか分からない。かけた言葉がタマモクロスにとって刃となってしまうかもしれない。けれど、何か声を掛けたい。どうしたらいいのだろう。
「……なあ、もう少しだけウチの話聞いてくれるか?」
「! ああ、もちろんだ」
タマモクロスは少しだけ間を置くと、ぽつぽつと話し始める。
「カズ、ずっとウチと一定の距離を保っとってんけど……最近いやに近いねん。ウチはもうそれがしんどうてしんどうてたまらん。今まで引いとった線をいきなり無かったみたいにして、近づいてくるんや。それがうれしくて、しんどいねん」
「ああ」
「カズと付き合いたいやら恋人になってほしいやら、そんなんちゃう。ウチはカズのこともう家族みたいに思てる」
「ん」
「……家族になれたらって、……思て、もうてるん、や……」
「タマモクロス」
タマモクロスの方を向いて両手を広げる。来い。私の胸を貸してやる。いくらでも好きに使え。そんな気持ちを込めてじっと彼女を見つめる。
「っ、うう、ぁ、シリウスぅ~~!」
全力で胸に飛び込んでくるタマモクロスをぎゅっと抱き締めて、背中を擦ってやる。
そんな気持ちで毎日一緒にいるなんて、さぞつらいことだろう。恋人のいない男を落としたい私とは違う。手を出してはいけない『他人のもの』である男を好きになってしまったら、どうしたらいいんだろうな。
⏱⏱⏱
翌朝、まだすやすやと眠るタマモクロスを起こさないようにこっそりと部屋を出る。今日は休息日だ。つまり、きっとまたトレーナーと金髪は朝のランニングをしているだろう。
『もし自分がヒトだったらトレーナーは私を朝のランニングに誘ってくれただろうか』とは、もう思わない。だって、トレーナーにとって『親友』は金髪なのだ。私がウマ娘であろうがヒトであろうがそれは変わらない。それでいいじゃないか。私はアイツの親友になりたいわけじゃない。ただ一人の特別な人——人生のパートナーに選んでほしいのだから。
それに、私がもしヒトだったらアイツに出会ってすらいなかったのかもしれないのだ。アイツがトレーナーであろうとなかろうと、私にとって好ましく感じる類いの人間であることは間違いなかった。ならば、トレセン学園でこうしてトレーナーとウマ娘の関係で出会うのが一番手っ取り早い出会いである可能性だってあった。『もし』『こうだったら』なんて、ありもしない仮定の話をこねくり回すのはもうやめだ。私は今の私の現実と向き合って、アイツを落とせばいいだけの話なのだから。
身支度を済ませジャージで外へ出る。あの二人を見つけられるといいのだが。
「……お、いたいた」
浜辺に出ると、おそらくランニング前のストレッチに励むトレーナーと金髪を見つけることが出来た。この間この二人を見つけた時より少しだけ早く合宿所を出てきて正解だったな。浜辺へ降りるための階段に足を掛けた時、二人の会話が耳に入ってきた。
「え、カズ、彼女と別れたってこと!?」
ん? これは……申し訳ないが聞き耳を立てさせてもらうぜ。
「うん。だって両立できなかったからさぁ。ダラダラ付き合ってても申し訳ないし」
「そっかぁ……でもちょっと分かるかな。俺も彼女いたとして、シリウスの練習やレースがあったらそっち優先しちゃうもん」
トレーナーの言葉に、思わず口の端が上がってしまうのを必死に抑える。ふぅん……とにかく、金髪は彼女と別れたんだな。
「だろ? 自分が走ってたからこそさぁ……今はタマに集中したくて。いろいろやってやりたいこと多いし、オレには両立無理だったわ。ま、そもそも今年入ってから数回しか会えてなかったからあっちもあっさりしたもんだったわー」
「変にこじれなくて良かったじゃん」
「まっ、『私よりウマ娘の方が大事なのね』とは言われたけどな!」
「実際そうなりがちではあるよね……」
へえ。トレーナー業の人間にとって、恋愛って両立難しいんだな。つまりトレーナーにこれから恋人ができる可能性も低めと捉えて良さそうだ。
……はあ。タマモクロスのために聞き耳を立てているのに、自分のことばかり考えてしまう自分に少しだけ嫌気が差す。初めての恋心は、取り扱いが難しいのだ。振り回されたくないのに、気づいたら振り回されている。冷静に事を運びたいのに、空回りしたり恥ずかしい思いをしたり……でもそんな気持ちを始めて抱いた相手がトレーナーで良かった。そう思うくらいには、私はアイツのことが好きだった。
「トレーナー!」
「えっ、シリウス!?」
二人の話が一区切りついたところを見計らって、あたかも今来ましたという体を装って声をかけた。
「今から走るんだろ? 私も仲間に入れてくれよ」
「いいけど、シリウス今日休息日だよね?」
「ん? ああ。でも少しくらい走ったっていいだろ?」
「まあね。後で一緒に出掛けようって声かけようと思ってたからすれ違わなくて良かったよ」
「へえ? まるで私が断らないみたいな言い方じゃねぇか」
「……た、たしかに……!? 断っていいんだよ、全然!」
「バーカ。断らねぇよ」
「オレは一体何を見せられてる……? というかオレの存在忘れてる……?」
金髪がひとりごちる。
「忘れてねぇよ。タマモクロスはまだ寝てるから。ほら、行こうぜ」
「三人で併走かぁ……なんか新鮮だね!」
「オレどういう立ち位置でいればいいわけ?」
⏱
その後は大した収穫もなく併走を終え、各々シャワーを浴びたら食堂で落ち合おうということになった。私は自室に戻ってシャワーを浴び、まだ眠っているタマモクロスを覗き込んだ。
「……昨日は結構泣いてたからな……疲れてんだろうな」
すぐにでも金髪に彼女がいないことを伝えてやりたいところだが……私から言うのは少し違う気もする。一番良いのはもう一度、タマモクロスの前で金髪の口からあの話をしてもらうことだが……誘導次第で可能だろうか……? かなり難しい気もするが、このあと四人で出掛けるつもりらしい。ならば今日一日、チャレンジしてみてもいいだろう。
「タマモクロス」
「ん、ふぁあ……シリウス?」
声をかけて揺さぶるとタマモクロスは目を覚ました。
「おう。飯食いに行くぞ」
「……ウチ、目腫れてへん?」
「昨日寝落ちした後、冷やしてやったから平気だぞ」
「えっ、ほんま!? おおきにシリウス。恩に着るわぁ~……うん、痛ない」
タマモクロスは目を触って確かめた後、洗面所へ向かって行った。
身支度が済んだタマモクロスに声を掛けられて立ち上がると、彼女が言い出しづらそうに口を開いた。
「あんなぁ、シリウス。昨日のことやけど……」
「何にも言わねぇよ。私たち二人の秘密だ」
「へへ。ありがとうな。借りひとつやな」
「バァカ。貸しなんて思ってねぇよ」
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