「ソンソちゃんその顔初めて見るよ。」ヒューゴの朝は早い。
いや、早い、というよりかは彼の同居人のソンソー彼女の朝が遅いといった方が良いのか。
ともかく、ソンソはヒューゴが支度を終え、家を出る頃合いになって漸くベットを抜け出すのだ。
静かな足音がせわしなく動いているのを尻目に歯を磨き、顔を洗ってお気に入りのクッションに埋もれる。
用意が済み、いってくる、と簡素な挨拶に、寝起きのひきつった声で小さく、いってらっしゃ…い、とへたくそに応えてから半日以上。
ぼーっとしていた頭でふと目が捕えたのは、テーブルに置かれた【至急】と書かれた封筒だった。
どうしてそれが読めたかは覚えていない。急、という字はいそぐ、もうめっちゃすぐ、超スピードで!という意味があることを先日教わった気がする。
ソンソは頭の中で【フラフラするな】というヒューゴの言いつけと【超スピードじゃないとこまる】を天秤にかけて、後者を取った。
珍しく。
ソンソという人間は出かけるのがあまり得意ではない。
外の喧噪は耳に痛いし、知らない人間が多くいる場所は好ましく思えない。
いつも自分の横や前を歩いてくれる人がいないという心細さはソンソの脚を後ろへとひいてしまう。
信号に引っかかるたびに、俯き気味の視線が【急】の文字を捕え、それだけの理由で自分を奮い立たせた。
「あれ?ソンソちゃん…?今日は一人で…どうしたんですか?」
「………………おはなやさん…」
見知った顔が、ソンソの手の中の物をみて、ヒューゴくんのですか?と尋ねた。
こくん、と頷くのをみて、うちで待ってみますか?連絡してみる?と優しい救世主が扉を開けてくれるが、ソンソは甘えそうになるのを必死で堪えながらふるふると首を振る。だって困るのだ。これがないと。彼が。だから。
うんうん、と唸りだしそうになりながらソンソは引かれる後ろ髪を振り切って、ばいばい、と手を振った。
「ソンソちゃん。学校は近いから。もしすれ違いそうならヒューゴ君に伝えてあげるから。知らない人に着いて行かないように。」
「…う、ん。」
「気を付けて下さいね。」
「……(こくん)」
頷きながらソンソは重い足を前へ前へと蹴りだすように歩き始めた。
…のを、後悔することになるなど思いもよらない。
たっぷりニ十分以上かけて大学に着いたはいいが、さて目当ての人は何処なのか。
出かける際に封筒と鍵を忘れないようにすることに必死になりすぎて、渡してもらった自分用の端末を忘れてしまった。
店に戻ろうか思案するところだが、自分の体力がもう限界を来たしていて、たどり着けるか不安なのがいただけない。
ソンソは校門でうんうんとまた頭を捻り俯いて、厄介なことに、苦手とする部類の人間に見つかってしまった。
「ねね、きみ、うちの学校に用?」
「それうちの封筒だよね?」
「誰かの家族?知り合いかな?」
「名前なんて―の?」
「このこめっちゃ無口じゃーん。アンタかお怖いからじゃないの~?」
「キャハハハハハ」
応えるまでもなく矢継ぎ早に言葉が飛び交う、この場がソンソは果てしなく怖かった。
腕に大事にしまっていた封筒の端にしわが寄ってしまうほどに力をこめて縮こまってしまう。
他人は怖い。知らない場所は怖い。でもこれを渡さないと。だって。いそぐって。
強張る体に反してぐるぐると回り始める思考がソンソを後ずさりさせた。
「なぁ~~にやってんの、囲んじゃって~…弱いものいじめよくないデーs…ってソンソちゃん!?どーしたのォ!!!」
慣れた顔というのはこれほどまでに頼もしいのか。
心配そうに、驚いた様子のパリピ…ことルーカスの背中に隠れると、ソンソは漸く息が出来た気がした。
「…………何やってる」
「そんなしかめっ面しない!ソンソちゃんてばお前の為に大冒険だぞ~~」
んネ~、と頭をなでる手に後押しされながら、ちょっとくしゃくしゃになった封筒を渡す。
一瞬跳ねた眉をみて、ちょっとだけ誇らしくなったのは、やはり大冒険だったからだろうか。
ソンソはわかる人にはわかるくらいの変化で、ふんす、と胸を張って見せる。
なんといったものかと、言いあぐねるヒューゴの後ろで扉が開き、いかにも教授といった風貌の男がおお、バーナード!と親しげに声を掛ける。
「…なんだお前。その提出期限、まだ先だろう。気が早いやつだな。はっはっは」
「………」
「………」
「………」