憧れは彼女の形をしている。ーー刀のような人だった。
身体は玉鋼を重ねて鍛えあげた刀身のようで、前を見据える瞳は切っ先を思わせる。
熟練の刀鍛冶が、心血を注ぎ祈りをこめて鍛えれば、彼女になる。
そう思わせるような人だった。
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ぴん、と伸びた背中が見える。ついで、さらりと動きにあわせて揺れる緑の黒髪を視界に捉えて、乙骨憂太は一瞬だけとんでいた意識を取り戻した。
任務中であれば命取りになりかねない隙だが、今は久しぶりの高専だ。任務中のように気を張りつめている必要はなく、憂太は細く息をついて窓の外を見つめる。
グラウンドでは自分以外の二年生達が訓練をしている。
憂太が参加していないのは、彼が任務地から戻ったばかりであり、任務中のことを五条に報告した帰りだからだ。授業に参加しようとする憂太を止めたのは、たまたま五条と一緒にいた医師の家入だ。医師の判断に逆らうのは得策ではなく、そして前提として他人の忠言を無闇に無視するような性格を憂太はしていない。
彼女の言葉を受け入れ、それでも寮に戻る前にひと目同級生達を見たくて立ち寄った矢先の出来事だ。
窓ガラスを挟んだ先で、同級生達は何やら談笑していた。日陰になる木の下で狗巻とパンダが倒れている隣に、彼女は立っていた。
禪院真希ーー髪を揺らしながら、地面と仲良くしている狗巻とパンダに何やら告げている彼女は、憂太にとって『特別な人』だった。
ーー何がしたい、何が欲しい、何を叶えたい
今でも思い出すのは、初の実戦で真希に胸ぐらを掴まれながら問い掛けられた言葉だ。
ずっと、ずっと。里香の死を受け入れられず、呪いをかけてしまったあの日から、憂太は流されるまま生きてきた。
『里香ちゃん』が誰も傷つけませんように、と祈りながら殻にこもって死を願う日々だった。
上層部に囚われたのは、彼らなら終わらしてくれると思ったからだ。五条の手を取ったのは、憂太の欲が顔を出したからだが、状況次第ですぐに沈み込むようなものだった。
ーー誰かと関わりたい
ーー誰かに必要とされて、生きてていいって、自信が欲しい
だから、自分の中の欲をはっきりと言葉にしたのは、あの時が初めてだった。
どうせ無理だと勝手に諦めて、何も知らないと見ないふりをしていた憂太の『欲』を引きずり出したのは、真希だった。
「憂太?」
懐かしい記憶から引きずり戻したのは、五条だ。
横に並ばれ、ちらりと横目で見上げる。相変わらず目元は隠されていて、彼の視線がどこを見ているかはわからない。それでも、顔の向きからして自分と同じものを見ているだろう。
「硝子に参加止められてなかった?」
「はい。なので、少しだけ見てから寮に戻ろうかと」
「ホントに皆のこと好きだね〜」
五条の言葉に、もちろん、と強く返す。
初めてできた友人達だ。本来ならば、任務で離れることなく一緒に授業を受けたいし、一緒に訓練をしたい。
だからもう少し任務減らしてくれてもいいんですよ、と言いたくなるけども。特級の肩書きは飾りではないこと、五条が無闇矢鱈にホイホイ任務へ行けないこと、残り二名が連絡つかないことを思えば、憂太が行くしかないのもまた事実だ。
深く息をついて、意識を五条からグラウンドへ戻す。
グラウンドでは、未だに木陰で横になっている狗巻とパンダ。そして、そんな二人に飽きたのだろう。木陰からすぐの所で棍棒を扱う真希がいた。
ぐるんと、彼女を支点に棍棒が回る。それに軽やかな足取りが加われば、棍棒の回るスピードが速くなった。それでもまだ彼女が繰り出す最速には程遠い。鍛錬を目的としているのではなく、あくまでも暇つぶしの一つなのだろう。
窓ガラスを隔てなければ、風を切る音が聞こえてきそうなそれを、憂太は目に焼きつけるようにして見つめる。
「憂太は、真希がいてラッキーだったね」
「どういう意味ですか?」
「真希は呪力も術式も持たない。フィジカルギフテッドで身体能力が跳ね上がってるし、何より真希の頑張りが根底にあるけど、それでも『誰にでもできる動き』ではある。呪術のことなんかサッパリわかんなかった憂太からすれば、1番分かりやすいお手本だったでしょ?」
呪力と術式を持つと、呪術師の能力はそちらへ偏る。
狗巻もパンダも、体術が弱いわけではない。それでも、『呪言』という術式を持つ狗巻は体術のみでの決定打が弱く、パンダは骨格がそもそも人間ではないからお手本としては微妙だ。
だからこそ、真希は五条の言葉通り『最良の』お手本だった。体格も近いから、彼女の動きは憂太ができる可能性が高い。
「だから、小学校へ行くペアも真希さんだったんですか?」
「まさか。あの時重要だったのはそこじゃない」
「へ、」
「あの時も真希が言ってたでしょ。『なんも目的もなくやってるほど、呪術高専は甘くねぇぞ』」
見据えられた気がした。実際は布を一枚隔てているから、五条の瞳がどちらを見ているかわからない。
それでも、確かに憂太を見据えている気がして、背筋が伸びた。
「目的は大事だ。目標とも言えるかな。こんな仕事だからね、それがないとやっていけない。そして、ブレない目標ってのは自分を見つめ直さないと出てこない。自分を見つめ直す時に必要なのは、真希みたいな奴だ」
「目を逸らさない強さ……」
「わかってるじゃん。実際、真希からの喝は効いただろ」
「はい。とても」
あの時の、真希からの言葉があるから、憂太は目標が出来て、進むことができる。
「他人に影響されて、他人に影響して。そうやって強くなるのが『青春』ってやつだ。頑張れよ、若人」
じゃあ、僕は任務だから。
ひらりと手を振って去っていく五条の背中を見つめる。随分と久しぶりな、五条の講義を受けた気分だった。
背中が小さくなるまで見送って、憂太はグラウンドに視線を戻した。
五条と話している間に、狗巻とパンダも復活したらしい。パンダと手合わせをする真希の動きは、1人で棍棒を操っている時よりもずっと速く鋭い。
武具を操る姿も、自身の身体を操る姿も。呪力を纏わずに行われるそれは、憂太が目指すものだった。
真希の棍棒がパンダを殴打する。もちろん、パンダもやられてばかりではない。真希の棍棒を防ぎ、返している。それでもリーチの差がどうしてもある中で、真希が不意に大きく振り被った。
真希でなければ隙だが、真希ならば誘いになる。パンダも重々承知だろうが、それでも誘いに乗ることにしたらしい。
パンダの拳が真希に向かう。が、拳が真希にぶつかることはなかった。パンダが突っ込んでくると分かった瞬間、パンダに向かって振り抜こうとした棍棒を途中で止めて地面に突き立てたのだ。そして1度身体を伏せて拳をかわした後、そのまま棍棒を軸に飛び上がり、拳を振り抜いたパンダの背中に飛び乗ってしまう。
結果、真希の体重と重力を予想しない衝撃として受け止めたパンダの身体は、地面に崩れることとなった。
「すごい」
素直な気持ちが口からこぼれ落ちた。
振り抜こうとしていた棍棒を、途中で止めるという芸当。力の流れを腕力だけで引き止めるというのは本当に難しいのだ。その選択を可能にする真希の強さに、憂太はただただ胸が高鳴る。
勝負がつき、パンダの上で棍棒を肩にのせる真希から憂太は目が離せない。
強い人だ。
天与呪縛・フィジカルギフテッドーーそれだけでなく、身体の使い方を知っている人。おおよその人間ができない動きを可能にしてみせるのは、彼女の積み重ねが根元にある。
憂太は、実際に『禪院家』の内情がどんなものかわからない。それでも、真希が時折こぼす内容と様子から、家での真希の扱いが良くないことがわかる。
御三家だか何だか知らないが、憂太からすれば、彼女の強さがわからないなど、ただのバカにしか思えない。
ーー 一級術師として出戻って、家の連中に吠え面かかせてやりたいんだ
満面の笑みで、当たり前のように目標を告げた彼女を思い出す。
そしてちょうど視線の先で、パンダの背中から立ち上がった真希が憂太を見た。止まったのは一瞬だ。ぱち、とひとつ瞬いた後に、あの時と同じような笑みを浮かべて、真希が片手を挙げた。
ーー刀のような人だと思った。
強くて、真っ直ぐで。邪魔するものなんて全部切り捨てて、勝気に、強気に、笑いながら光に向かって走っていく。
彼女を真似れば、きっと自分も光に向かって走っていける。
そう思わせる人だった。
その年の晩秋。
妹を喪った彼女が生家を『惨殺』という形で壊滅させたことを、憂太が知った時。真希はもう笑っていなかった。