「私の子だ」私は祈ることしか出来なかった。
普段は声を荒げることなどないシラユキさんの苦悶の声が耳を絶えず揺する。
握られた手は、細い彼女のどこにこんな力があったのかと驚愕するほどに強かった。
私は痛みすら感じるその手を、受け止める以外にできず、ただただ狼狽するばかりだ。
とても気の利いた言葉など掛けられない。
必死に闘っている大事なヒトを前にして、何もできない己の無力さに打ちのめされる。
永遠に続きそうな苦しい時間、早朝から分娩台に転がされてからとうに日は暮れかけている。飲まず食わずで私もすでにフラフラだ。
そんな弱音は、間違いなく一番辛い彼女の横では決して吐けない。
助産師の一人が、声を失っている私の代わりに懸命に彼女を励ましている。
医者らしき男がハサミを取り出したと思ったら、一人の助産師が「失礼します」と、彼女の膨らんだ腹を上から押し込んだ。
一呼吸おいて、潰されるのではないかというくらい力が込められた、手。
そして彼女の声が聞こえなくなった。
代わりに別の声が場を満たした。
声の発信源は、信じられないくらいに小さくて、赤くて、頼りないのに、力いっぱい全力で分娩室の空気をたった一人で震わせている。
本当に彼女から出てきたものなのだろうか
すぐさまそれはスタッフたちに別の場所へ連れ去る。
泣き声は遠くなったが、脳に響くそれの声を耳は捉えて離さない。
私の手を掴んでいたシラユキさんの手はいつの間にか離れていた。
しばらくたって、清潔な白いタオルにくるまれたそれが持ってこられた。
「元気な男の子ですよ。おめでとうございます、お父さん」
私が呆然と見ていたことに目ざとく気づいた助産師が私にその…その子を渡そうとしてくる。
こんな小さなものを扱ったら壊してしまいそうで、私はたじろいだ。
「トコナミさん、抱いてあげて」
優しい声に思わず妻を振り返る。
いつも整えられている髪は乱れたまま、ただでさえ白い顔色は青白く、ここ最近は前駆陣痛とやらで満足に眠れていなかったせいで隈もできている。しかし、今まで見た中で一番美しい笑みを浮かべていた。
「あなたと私の子どもよ」
私の、子
テオティである私と、ジンルイである彼女との子ども。
その意味を、彼女の中に鼓動が宿ってから何百回と考えた。
しかし、そんな理詰めな考えなど、なんと浅かったことか。
そっと震える両手を差し出して、タオルにくるまれて未だに泣き声を上げているそれを受け取る。
その軽さに驚いた。抱き潰してしまわないように、腕は必要以上に曲げられない。絶対に落としもできない。不格好な抱き方になってしまった。
恐る恐る覗き込む。
綿よりも軽そうな頭髪は私の色を受け継いでいて、うっすら見えた瞳の色は彼女と同じ色で。
それを認めた瞬間、私の奥底から何か熱いものが込み上げてきた。
初めて鉄道に触れた時のような感動、いやあの時は泣きなくなるような想いなんて湧いてこなかった。ならばこれは何だ?
これが、我が子に対する愛情というものなのだろうか。
「私の、子」
確認するように呟く。
そうだ、テオティとかジンルイとか関係ない。
私の子だ。
私の子なのだ。
「おめでとう、お父さん」
「…ありがとう、お母さん」
私の様子がおかしかったのか、くすくす笑われた。その目尻にも涙が浮かんでいて、自然と美しいなと思う。
腕の中をもう一度見やる。
まだ名のない私の子。
どんな名前を贈ることになったとしても、この事実だけは変わらない。
誰にも代えることが出来ない。
お前は、私の子だ。
そして、私はお前の父親だ。