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    huutoboardatori

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    huutoboardatori

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    友達の卒業祝いにあげたやつ ツイステです
    逃げろーーーーーーッッガッツリ腐っている
    twstは後にも先にもこれしか書かなかったな ジェイトレ(友達の推しカプ)

    下にチビどもが多ければ、そりゃあ上が割りを食うことも多くなる。当たり前だ。俺は『お兄ちゃん』だから。きょうだいのなかで一番年上なんだから、一番分別がついてなくちゃいけない。

    「お兄ちゃんだから、我慢できるよね?」

     そう窘められたら、俺は聞き分けよく「はーい」と返事してやる。
     大人の言うことは、聞いた方が楽だと最近気がついた。大人しくしてれば、小言も言われないし、「いい子だね」って褒められる。さすがはお兄ちゃんだね、とみんなが褒めてくれるのは、悪い気分ではない。

     それでも。

    「お母さん、わたし抱っこー!」

    「はいはい、いつまでも甘えたなんだから」

     母さんは、俺と繋いでいた手をするりと解いて、幼い妹を抱き上げる。
     大人の温かい手が急に離れて、自分の手のひらがすうすうする。小さく拳を握りしめると、まだ母さんの指の感触が残っている気がした。
     妹を抱き上げた母さんは、すたすたと先へ行ってしまう。さっきまでは、歩調を合わせてくれていたと思っていたけど、あれは妹のためだったのか。慌ててその背中を追いかける。
     母さんの肩口で妹は、えへへ、と愛らしく笑っている。
     母さんも、笑顔でその頭を撫でる。

    「うわっ」

     せかせかと、上ばかり向いて歩いていたせいで、足が石ころに引っかかった。小さな体がバランスを崩して、俺はべたんと転ぶ。ざらざらした道の舗装が、柔らかな膝小僧の皮膚を擦る。小石と砂に塗れたピンクの傷跡に、みるみる血が滲んでくる。じんじんと、芯に響いてくるような痛みで起き上がれない。つい声を上げて泣きそうになった。
     でも、先を行く母さんは気がついていないようだ。立ち上がらなければ、母さんと妹は行ってしまう。待ってはくれないだろう。

     俺は、歯を食いしばって立ち上がった。目元をぐいっと乱暴に擦ると、またぱたぱたと駆ける。
     俺の傷に家に着いてから気づいた母さんは、「つよい子ね」と頭を撫でてくれた。

     結局は、そういうことだ。少しずつの積み重ねで、心の奥に生まれた実感を握りしめる。
     ちゃんと我慢してれば、いい結果は出るんだから。欲しいものが全部手に入らないのは当たり前だ。最後に、どうしても欲しいのだけ、一つでも手に入れば万々歳じゃないか。期待しすぎるのは良くない。全部が手に入るわけじゃない。欲張ったら欲張った分だけ、失敗したときつらくなる。

     幼い俺は正しい。『過程より結果』。あながち、間違いじゃないだろう?



    「お持ちしましょうか?」

    「うわびっくりした。デカいのに気配消すなよな……」

    「おや、そんなつもりは無いのですが」

     後ろからにゅっと生えてきたジェイドに、トレイは肩を跳ねさせた。両手で抱えた、教具の詰まった段ボール箱がガタガタと音を立てる。廊下の近くに遮蔽物なんてないはずなのに、どうやって生えてきたんだろうか。トレイは2mに迫る大男を見上げて苦笑した。

    「ありがとう、なら、こんだけ頼めるか?」

     トレイが二つ箱を預けようとすると、ジェイドはサッと三つ持っていった。段ボールは全部で五つなので、これではジェイドの方が荷物を持っていることになってしまう。

    「あっお前悪いよ、そんな持ってもらったら。重いだろ」

    「いえいえ、お気になさらず。このくらい、喧嘩で伸されたフロイドと比べたら羽見たいなもんです」

     ジェイドの軽く袖を捲った長い腕には、うっすらと筋肉の線が浮いている。荷物を持つと、上がきゅっとアーチ状に盛り上がる。思わずトレイは目を輝かせた。男子高校生にとって筋肉とは、万物の中で最も憧れられる宝である。細身に見えるジェイドの意外な筋肉に、思わずトレイの目は釘付けになる。

    「ジェイド、お前って着痩せするタイプか……?」

    「着痩せという概念、陸にしか無いのでよく分かりませんね」

    「そっか、お前の実家海だもんな。すげえな海、お前みたいなムキムキが剥き出しのまま野放しってことだもんな……」

    「ムキムキが野放し」

    「野放しだろ。ムキムキが放し飼いだろ。あっ、だからこそのびのびと育ったのか?筋肉」

    「脱げば誰でも筋肉が付く理論きましたね。でもそうじゃないと思いますよ。アズールという例がいます」

     明確な根拠を示されてしまった。持論を撤回せざるを得ない。話してるうちに、目的地に着く。トレイは足で、がらりと教務室の扉を開けた。足癖の悪さに、おや、とジェイドが含み笑いする。トレイは気まずそうに笑った。どすんと荷物を下ろす。ここにおいてくれ、と指を指してジェイドを見上げると、まるで苦でもなさそうに、すとっと荷物が下された。それを見てトレイは感心する。

    「おお〜、やっぱり筋肉は力なんだな……。俺もあるっちゃあるけど、どっちかと言うと足につくんだ。あんまり腕にこなくてな……」

     そう言って、残念そうに笑って自分の腕を撫で回すトレイ。それを見ていたジェイドが、少し笑って腕を差し出す。

    「さわります?」

    「いいのか?!」

     ワア〜っと顔を輝かせて、トレイはジェイドの腕を持ち上げた。ずっしりと両手に重みが感じられる。中身の詰まった筋肉は、ぎゅっと弾力があった。おお〜っと、思わずべたぺたとジェイドの腕をさわりまくるトレイ。その満足そうな顔を見て、ジェイドはニコリと微笑んだ。

    「お気に召したようで何よりです」

    「いやもう、存分にお気に召させていただいてるよ……!」

    「ふふふふふ」

     腕を堪能させてもらった後、荷物を運んでくれたお礼と、腕を触らせてくれたお礼を伝えると、ジェイドはまた少し微笑んで帰っていった。
     
     トレイは一人、窓のない薄暗い教務室に残される。

    (……いや、近いよな?!)

     じゃあなの笑顔のままで固まったまま、冷や汗がトレイの頬を伝う。顔は赤くなかっただろうか。ポーカーフェイスに自信はあるが、何事にも例外というものがある。

     最近ジェイドが近い。物理的にも、それ以外にも。
     さっき廊下を歩いていた時だって、肩と肩がぶつかるような距離感で、正直トレイは落ち着かなかった。ふとした時に、ふわっと柔軟剤みたいな香りがわかるくらいに近かったのだ。案外可愛い感じの香りで、それもなんだかそわそわした。思い出したトレイは、思わず膝に手をあてて屈み込んだ。ぼんやりと、俯いた頭に血が登っていく。

     今日だけじゃなく、最近いつも同じように、ジェイドはトレイに親切にしてくるようになった。親切、というか、やっぱり距離が近いのだ。出られなかった会議の書類をメモ付きできれいにまとめてくれていたり、みんなに振る舞ったタルトのお礼だと、並ぶところのお菓子をくれたり。
     去年は手作りなんて、やんわり断られて、受け取ってもくれなかったのにな。妙に優しくなったよ。トレイは一人で、一年の時のつれないジェイドを思い出す。あの時から、ほんとうにきれいではあったけど。でも、ただ時を経て親しくなったような感じはしない。それにしてはべったりしているというか、縮まり方が早すぎて不自然というか。だから妙なのだ。

    (俺、あいつになんかしたかな……。知らない間に怒らせたりしたんじゃ……)

     思い当たる節はないが、トレイはさっと青ざめた。ロシアンマフィア風の倫理観を持つ奴らだ。怒らせたら後が怖い。ジェイドは特にだ。一度怒ると、一番静かにしつこくずーっと根に持っている。フロイドが手酷くやられた時のジェイドがフラッシュバックする。完全無欠の輝かしい笑顔で、めちゃくちゃに暴れ回っていたのは、忘れたくても忘れられない。
     怖い。自分が何をしたか分からず、でも明らかにあいつの態度がおかしいのは怖い。
     理由もなく怒る奴だとは思えないけど、自分がすこし無神経なことを言いがちなのも分かっている。知らないうちに、何かしてしまったんだろう、多分。
     あと、あいつらにだけは借りは作りたくない。ここの学生はそれが身に染みている。じわっと出てきた手汗をごまかすように、トレイはがばっと顔を上げた。

    (とりあえず、謝りがてら聞いてみよう……!)



    「あなたのことが好きだからですけど?」

    「は?」

     美形の真顔は怖い。その前に今こいつなんて言った?聞き間違いか?カチッと固まったトレイの前で、ジェイドは何事もなかったかのようにくるくる鍋をかき回す。

    「ああ〜、まあ、あれだな。タルトの生地の穴開けには、やっぱりフォークが便利だよな!」

    「僕はトレイさんのタルトも好きですが、トレイさんのことはもっと好きですよ」

     トレイは今度こそ二の句が継げなくなった。シーンと二人の間に沈黙が落ちる。ぱちぱちと、調合中の薬品がたてる音がやけに響いた。

    (!?)

     固まったままのトレイは、未だにパニック状態だった。自分は、最近やけに近いけど、俺なんかしちゃったか?と聞いただけだ。結構な期間悩んでいたけど、できるだけさり気なさそうに装って。天気でも告げるように、さらりと返された言葉が理解できない。意味がわからない。涼しげな横顔が憎い。

     ぱくぱくと口を開いても言葉が出てこない。そんなトレイに、ジェイドはことりと匙を置いて向き直った。

    「僕は、あなたのことが好きです。だから、親切にしていました」

    「すっ……!」

    「好きです」

     冗談だろ、と笑うには、あまりにその両眼は真剣だった。突き刺さるような太い視線に、トレイはたじろぐ。しゃらりと揺れた青いピアスが、ジェイドの白い頬に透き通った海の色を映している。相変わらずこいつはきれいだ。
     あんまり見つめられるのにばつが悪くなって、トレイは俯き、目を逸らした。ぼぼぼぼっと真っ赤になった頬が熱い。目がぐるぐると回っていて、自分がどうやって立っているのかよくわからなくなる。
     どうやって言えばいいんだろう。どうやって言えば、大切な友人を傷つけずに済むんだろう。ジェイドは、トレイをじっと待っている。

     目を逸らしたまま、トレイは深く息を吸って答えた。

    「……正直、お前をそういうふうに見たことが無い。だから、」

     ちらりとジェイドの方を見上げると、砂漠のような色の瞳がまっすぐにトレイを映していた。こんなときなのに、やっぱりジェイドはきれいだ。余計に辛くなって、トレイはぎゅっと自分の腕を握りしめた。ギシッと、分厚いブレザーの生地が擦れる。

    「だからその……」

    「僕のことが嫌いですか?」

    「そんなこと!」

     聞こえたジェイドの声が奇妙に平坦で、トレイはばっと顔を上げた。感情を出さないよう、震えを抑えた声はああいう調子になると、トレイは知っていた。ばちりと目が合う。何を考えているかは読み取れない。つるりとした瞳の表面に、必死な顔をする、ひどい顔の自分が逆さまに映っている。見かねたのか、すこしジェイドは目を細めた。ほんの少し、切れ長の目の印象が柔らかくなる。

    「でも、好きでもない?」

    「……わからない。わからないんだ。お前のこと、友達だって思ってるけど、そういう好きか、わからない」

     ジェイドは、推し量るように、顎に手を当てて問いかける。トレイの言葉は、ぽつぽつと吐き出すようにへたくそな響きだった。重苦しい雰囲気に耐えきれなくなって、トレイはきゅっと目を瞑る。

    「なあんだ、良かった!」

     ぱっと海面に差し込む陽の光のように、明るい声音でジェイドは言った。そのあっけらかんとした態度に、トレイはぽかんとその笑顔を見つめる。にぱっとした、めちゃくちゃな笑顔だ。くっと上品に上がった口角から、場違いに爽やかなぎざぎざの白い歯が覗く。

    「な、なにが?」

     今、俺お前をフったんだけど。言葉にならない文字が、目の前をかすめていく。

    「だって、あなた僕のことが嫌いなわけじゃ無いんですよね?」

     確認するように問われる。トレイは目をぱちくりさせたまま、こくり、とぎこちなくうなずいた。 

    「なら、あなたに好きって思わせて見せましょう」

     にこやかに、流れるようにジェイドの口からつむがれる言葉。あんまりきっぱりと宣言するから、トレイは飲まれて目を白黒させた。

    「いや、俺は……」

     トレイは言いかけて、目の前にもう誰もいないことに気がついた。使っていた大鍋が空になっていて、課題の薬品用の容器も消えている。慌てて辺りを見回すと、二つぶん容器を持って、いそいそと提出しにいくジェイドを見つけた。心なしか足取りが弾んでいる。

    (ぽ、ポジティブ……)

     さすが、オクタヴィネル。転んでも何しても、ただでは起きないらしい。



    「ねえトレイ、最近なんだか疲れてないかい?」

     幼なじみの、ピコンとのびた触覚が揺れるのを見て、トレイはため息をついた。やっぱり……と目を三角にしかけるリドルを、トレイは首を振って制す。

    「いや、まあ、ちょっとあってな……。」

    (主に年下のウツボ約一匹に、めちゃくちゃ言い寄られていてな……)

     若干視線を泳がせて、乾いた笑いを漏らすトレイ。ははっと落ちた声に、リドルは一転心配そうな顔をした。

    「いや、本当に大丈夫かい?君にはよく気苦労をさせがちだから、何かあるならちゃんと言葉にしてほしいな」

    「いやいや、ほんとなんてことないから。大丈夫だよ。心配してくれてすまないな」

     手を振って去っていくトレイの後ろ姿を見送り、リドルは不満げに腕を組んだ。

    「すまないな、ではなくありがとう、だろうに」





     自分の席の隣に、見知った青い影があるのを見て、トレイは思わず呆れてため息をついた。
     
    「お前三年だっけ?座学なんだが」

    「成績が良ければ、上の学年を科目別に受けられるんですよ」

    「嘘つくな。それならリドルとアズールが二年やってんのおかしいだろ」

    「おや、バレてしまいましたか」

     ジェイドはわざとらしく口元に手を当ててふふ、と笑った。バレるような嘘をついたのではなく、バラすための嘘をついてきたのだろう。それだけ、俺の隣で授業が受けたいと示すために。食えないやつだ。

     トントンと、自分の教科書とノートを机で整えるジェイドを横目に、トレイは机に突っ伏した。普段は休み時間だろうと、きっちりと座っているトレイがそんなふうに脱力するのは珍しい。周りの生徒がちらちらと視線をよこしてくるのを、気に止めようとも思えない。

    「どうせまたなんかのカタに授業をとってきたんだろ」

    「正当な対価ですよ」

     それを決めるのはおそらくお前ではない。そう突っ込みたいのを我慢して、トレイは目を閉じた。疲労感がすごい。眠たい。もうすぐ授業が始まるのに、鉛のような眠気に抗えない。

     それもこれも、こいつが全力でアタックしてくるせいだ。あくびを噛み殺しながらトレイは思った。

     どこに行っても、何をしてても、いつでもそこにジェイドがいる。親切にしてくる。というかくっついてくる。その度にあいつのシャツが香るから、俺はもうその甘い匂いを覚えてしまった。あのうざったそうな髪型の揺れ方。あいつの魔法石にしかない、波間のプランクトンのようにひかる金の粒。シルクの手袋がしゅるしゅると擦れる音。ほかにも、たくさん。全部トレイは覚えてしまった。
     にこやかな笑顔で、色んなことに気を回してくれる有能な後輩。どうしてそんなにしてくれるのか。理由は簡単だ、そいつが俺のこと好きだから。俺に好きって思わせたいから。

     考えるたびに考え込んでしまって、トレイは夜も眠るに眠れなかった。

     とろりとした微睡は、やさしく叩かれた肩に破られる。真昼をぼんやりたゆたう眠りから覚める。トレイは軽く目を擦りながら顔を上げた。くいっと眼鏡をかけ直して、寝起きのじっとりとした目であたりを見る。レンズ越しに、くすくすと、小さく声を上げて笑うジェイドが見えた。少し大袈裟な口の動きだけで、授業はじまりましたよ、と告げられる。

    (……クソ、やっぱりこいつはきれいだな)

     唇にペンを当てて、またジェイドは笑った。親愛が体の中からこぼれ出て、形を取ったような柔らかな声。少し寄せられた眉根から、あいつの好きがにじんでいるみたいだ。笑うと少しだけ、陶器みたいな白い肌に赤みが差す。水面みたいな色の髪の毛が、水が流れるように額を滑っていく。

     トレイはいたたまれなくなって目を逸らした。

     いやいや、もう俺の結果は決まっているのに。いくらジェイドがきれいでも、俺のこと好きでも、過程がどうであれ、俺の結果は「ジェイドのことをそうは見ない」なのに。そんなふうに優しい顔をさせてしまうのが申し訳なかった。自分はそれを受け取るに値しない人間だ。応えられないのに断らないのは残酷だ。

     それでも俺は、はっきり言葉にできない。ぬるま湯みたいな、ふやけそうに温かな言葉に浸けられて動けない。手足が水温と同化して溶けてしまったみたいだ。人の好意に甘えている。俺は卑怯者だ。罪悪感で、もはや物理的な痛みが、ぎゅうぎゅうとトレイの胸に走った。
     ジェイドは、トレイがきゅうっとブレザーの胸を抑えるのをそっと見ていた。さらさらと流れる流砂のように、その瞳は色を変えた。



     傾ききらない午後のひかりは、少しだけ黄みがかった色を帯びている。
     長い人気のない廊下には、窓枠に沿って、規則的にひかりの四角が並んでいた。足を踏み入れるたびに、頬に陽光が当たってほのかに暖かい。眩しくて、トレイは片目をつむった。睡眠不足のせいで、あまり陽に当たるとくらくらと立ちくらむようだ。空は意外なほど高い。

    「おや」

     突き当たりの濃い藍の影から、聞き飽きた声がする。ジェイドは手に本を抱えて、すべるように現れた。トレイを視線の先に認めると、にこっと笑顔を作る。きっといつもの笑顔であろう表情が、逆光でよく見えなかった。
     ジェイドはゆっくりと歩いてくる。出かけたため息を飲み込んで、トレイはぼんやりとした笑顔を作ろうとした。
     
    そのとき、突然背筋が冷えた。何か異様な気配を、目の前の後輩が纏っていたからだ。影が落ちた表情の中で、眼だけが鋭く光っている。ぞわぞわと、痺れるような冷たさが全身を駆け巡る。縫い止められたように動けなかった。
     ぐいっと手首を引かれる。バサバサと、二人分の教科書が落ちて音を立てた。両手首をぎゅっと掴まれて、ぐりんと体を回される。体格差でどうにもならない。為す術もなく、どんっと壁に背中を押しつけられた。う、と思わず声が漏れる。

    「……っ!」

     ジェイドは無表情に体重をかけてくる。痛い。手首がぎちぎちと絞められる。ひゅっと飲んだ自分の息と、静かに吐かれるジェイドの息がぶつかって、混じり合う。生温かくて湿った呼気が、顔と顔の間に満ちる。長い脚が、両足の間に差し込まれる。制服越しの体温が滲む。こめかみを伝う冷えた汗が気持ち悪い。耳元に顔を寄せられて、またトレイは身を竦めた。ジェイドは、ほとんど息を吐きかけるような、かすれた声でささやく。

    「嫌なら、思いっきり突き飛ばしてください」

     そのまま、あいつのさらさらの髪が、自分の頬に掛かるまで、どんどん近づいてくる。狂ったように拍動する心臓が、頭の芯にドクドク鳴り響いている。指先から肚の奥まで、全身の血が沸騰したようだった。

     なんだこれ。なんだこれ。鼓動がうるさすぎて頭が回らない。トレイは瞳孔を見開いたまま、ただ近づいてくる、濡れた黄金色の瞳の表面の凹凸を眺めていた。鼻腔を、いつもの甘い香りがくすぐった。

     その香りで、ぽかんと惚けていたトレイははっと我に返った。渾身の力を込めて、掴まれた手首を引き抜く。

     トレイはそのまま、思いっきりジェイドの肩を突き飛ばした。

     ドンッと鈍い音がして、ジェイドが後ろへよろけた。壁に背を預けて、まだ荒い息を整えようとするのに、ちっとも空気が胸に入ってこない。吸っても吸っても、喉がひゅうひゅう鳴るばかりだ。
     トレイは、まるで溺れたみたいに息苦しい喉元を抑えた。うつむいたまま、顔があげられなかった。ジェイドの目が見られなかった。息が苦しい。息が苦しい。自分で喉元にかけた手にどんどん力が籠っていく。気管が潰れるときの、どうしても飲み下せない、鉛を飲んだような不快感が満ちていく。

    「いけませんよ」

     今しがた自分が突き飛ばした男が、がっちりと首を締め上げる手を引き剥がした。触れられた手は大きくて、予想通りにひんやりとしていて、嫌な汗に濡れたトレイの手をしっかりと捕まえる。

    「すみません。そんなに怖がらせるつもりはなくて…」

     焦ったようなジェイドの声がどこか遠くに聞こえていた。
     今俺は何をした?重たい衝撃がまだ、両の手のひらに残っている。びりびりと震えるような感覚がまだ残っている。指先が震えているのはそのせいだろうか。それとも甘えた自分への罪悪感だろうか。そのまま床にへたり込む。ジェイドが何度か名前を呼んでくれている。うまく返事ができない。ぐるぐると、ぐちゃぐちゃの思考が溶けていく。

     今俺は、こいつの事を拒絶した。はっきりと、それを態度で示した。

     こんな痺れを切らされるまで、人からの好意をなあなあにして、いざ踏み込まれたら拒絶する自分のずるさが情けなかった。心の底から申し訳ないと思った。あいつの真摯さに顔向けできなかった。

     下を向いたままのトレイのつむじを見つめながら、ジェイドはただ、言葉を待っている。抑えられたトレイの手首に、ジェイドの手のひらのつめたさが染み込んでいく。

    「……ごめんな。ごめんな、ジェイド」

     ぽつりと、トレイは呟いた。十分にトレイが落ち着いたのを認めて、するりとジェイドの手が離れていくのを感じる。それをまだ、図々しくも寂しく思う自分があさましくて、トレイは呻くように言葉を繋げた。

    「俺はお前の気持ちには……」

     結果はもう決まっているのだから。あとは自然に、そこに向かうだけなんだから。いつも、冷静に、落ち着いて、そうやって来たんだから。ほんとうにダメになる前に、ちゃんとしなければならない。それなのに。

     言葉が出ない。

     自分は何を言い淀んでいるのだろうか。何を迷っている?次の言葉を言おうと口を開くのに、声は何故か形にならなくて、押し殺したような音が喉元からこぼれて、呼吸と一緒に漏れ出ようとする感情の濁流が止まらなくて、やっぱりなにも言えなくて。

    「……あれ?」

     ぽたぽたと頬に体温がこぼれた。指先で目元に触れる。雫は生暖かった。涙だ。涙?ぱらぱらと、ひっきりなしにこぼれていく。拭っても拭っても、頬は濡れたままだった。あれ?あれ?と、トレイは涙を拭い続ける。これはなんなのだろう。どうして俺は泣いているんだろう。分からないのに、涙は止まらない。

    「まったく、頑固な人ですね」

     呆れたような、でも柔らかい声がする。ジェイドはいつものように、腕を組んで笑っていた。

     すっと歩み寄ってきたジェイドは、人差し指でそっとトレイの目元に触れた。不思議と先程までの圧迫感は感じなかった。撫でるように涙を拭われて、思わず片目を瞑る。その仕草に、ジェイドがふふふと笑う。自分は真面目な話をしているのに。トレイは少し居心地が悪くなって、そっとジェイドを見上げた。

     ジェイドは、笑っていた。トレイの方へ微笑んでいた。ふんわりと緩んだ口元はいつもより少し優しげで、細められた目元から滲む感情は。

    「妙に冷めた年上ぶって、合理主義だけを気取らなくてもいいんですよ。理屈だけで生きようとしてるけど、過程抜きに結果なんて出ないでしょう」

     ああ、そんなふうにしゃがみこんで、目を見つめてこないで欲しい。子供に話すみたいな、優しい顔をしないで欲しい。やめてくれ。必死で自分にすら取り繕っていた虚勢が、がらがらと崩れてしまいそうな気がするから。自分がずっと拠り所にしてきた強がりが、剥がれてしまいそうだから。

     自分ですら忘れていた、焼け付くような胸の痛み。今更それが、ヒリヒリと存在感を主張してくる。

     黙り込んでしまったトレイに、ジェイドはからかうような調子で続ける。

    「僕にはあなたが、ぎゅーっと裾を握りしめた、頑固でさびしがりの子供に見えます」

    「……!」

     思わず顔が赤くなる。ぴくりと跳ねたトレイの肩を、ジェイドは見逃さなかった。

    「欲しいものは、素直に欲しいというものだ」

     しっかりと、真正面から、ジェイドはトレイの目を見て告げた。その目はやっぱり真剣で、いつもみたいな綺麗な色をしていた。

     その視線が含んだ愛着を、トレイは欲しいと思った。

     そのまま、ずっとそうやって熱っぽく見つめていて欲しいと、そう思った。

     トレイはうああ、と声を上げて、膝を抱えるようにうずくまった。完敗だ。お手上げだ。きっと今の自分は、耳まで燃えるような色をしている。
     俺はこいつのことを好きになってしまった。そう、素直に認めよう。
     
    (いや、初めから。ずっと初めから、きっと。)

    「図星でしたか」

    「……うるさいぞ」

     ニコニコと楽しげなジェイドに告げられて、トレイはきまり悪くそっぽを向いた。

     ジェイドの目は、結局光らなかった。あんなに至近距離で見つめておいて、あいつはユニーク魔法を使わなかったのだ。

     どうして?

     俺が、本当は怖がっていただけだと、あいつは分かっていたからだ。受け取って貰えないのが怖いから、自分の思いから目を背けていた。

     こちらの逃げも、やり方も、その奥にある性根まで見透かされていたことも、ぜんぶ恥ずかしかった。今度は別の意味で顔が見られない。あーとかうーとか、言葉にならない照れが口から溢れ出す。

    「どうしてこちらを見てくれないのですか」

    「そりゃお前……」

    (今の俺の顔が、我らが寮長顔負けに真っ赤っかだからだよ!)

     言えるかよ。トレイは膝に顔を埋めて呻いた。両手で顔を覆ったままのトレイの背中を、ジェイドはぎゅっと抱きしめた。丸まった背中を包むように、長い腕が回される。とんとんと、あやす様に優しく背中をたたかれる。

    「あなたに、酸っぱい葡萄は似合いませんよ」

     あの可愛らしい葡萄の歌のほうが、ずーっとあなたにお似合いです。そう続けられて、もう駄目だった。トレイはそのまま、ジェイドの広い背中に手を回して、ブレザーを握りしめた。あたたかい。いつものこいつの、柔軟剤の匂いに、全身から移って行く体温に、心の底から安心している。

     結局酸っぱい葡萄だったんだな。ないものねだりで、過程より結論だなんて嘯いて。
     でもきっと、いや絶対、それだけのはずがないのだ。そんなわけはない。俺たちはみんな、それぞれの過程を過ごすために生きているのに違いないのだ。初めから決まりきっていると、そう思い込んでしまえるものなど、何もないのだ。
     自分の欲しかった過程が、して欲しかったことが得られなかったから、拗ねてしまった小さな自分。必死でさびしさを誤魔化そうとする少年を、トレイは照れくさく、また愛おしく思った。
     
     お前もいつか分かるさ。
     
     今のトレイは、あたたかな過程からくる結論が、何より欲しかった。

     ジェイドの案外たくましい腕に、額をぐりぐりと押し付けるように鼻先を埋める。

    「ごめんな、俺、初めから、ずっと初めから、きっと……」

     くふふ、と鼻を鳴らすような笑い声が、トレイの耳元で聞こえた。
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    Replies from the creator

    huutoboardatori

    DONEオーブの文字です ブラックホール直前くらい?
    死人がガバガバ出てるので注意‼️
     ぐうううううと、そこらを思い切り鳴らすような音がした。

    「お前……」
     ジャグラーは、思わずガイの顔を見つめた。
     ガイは手に持った松明をぱちぱち言わせたまま、まだちょっと理解が及んでいないであろう顔で呆然とした。自分のお腹の音に。
     そこらの倒壊した柱で組まれた櫓が燃え盛っている。焼かれた死体はすっかり炎におおわれて、黒い影のようだ。濃いタンパク質の匂いが、辺りにたちこめていた。

    △△△

     辺境の戦いなんかにろくろく兵は出ない。
     駆け出しのガイとジャグラーが指揮を執るような、一小隊も組めずの分隊が二つ、それと通信兵が一人。軍医は居ない。元々救助隊のガイがいるから割り当てられなかったのかもしれないが、指示を出しながら怪我人の面倒なんて到底見られない。つまるところの使い捨てだ。兵の質もたかが知れていて、逃げたり、死んだり。夕刻あたりに燃えだした村は、日付が変わる頃には耳に痛いほど静かになっていた。小さな火事がいくつも起きて、月も無いはずの暗い夜は不気味に明るかった。燻った家の瓦礫は煤煙がぶすぶすと立ち、足元には息絶えた人間がごろごろ横たわる。ガイはもう一周だけ、と言って村の残骸を見回りに行く。もう悲鳴すらひとつも聞こえないことは、ガイがいちばんわかり切っていた。
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