続ビューティフルドリーマー ①あれから、どのぐらいの月日が過ぎただろうか。
国光がいなくなってから、私は月日を数えるのをやめた。
でも心のどこかで指折り数えてる自分もいた。
私は、高校三年生になった――――。
二学期も始まり、すでに三年生は部活を引退していた。
クラスの雰囲気は受験に向けて少し慌ただしくなってきていたが、不二もゆりもこのまま大学部への推薦を希望していたため、他校受験組に比べると比較的ゆとりがある日々だった。
帰りのホームルームが終了すると、ゆりを迎えに来た不二がゆりのクラスに顔を出した。
「ゆり、今日僕んち寄って行かない?」
「これから? うん、別にいいよ」
高等部に入ってから、ゆりは不二と付き合い始めた。
告白は、不二からだった。入学して半年ぐらい経ってからの事だ。
あの頃ゆりは、毎日泣いていた。
学校から帰る時。お風呂に入っている時。夜、寝付くまで。
涙は何をしていても溢れてきたし、悲しくて悲しくて仕方なかった。
帰りの電車の中で、堪え切れず声を出さずに涙したことも数え切れなかった。それでも、何とか踏ん張っていた。何とか生活していた。
けれど梅雨が明けた7月頃、部活中に我慢しきれず泣いてしまった事があった。
すぐにゆりはテニスコートを離れ(先輩には教室に忘れ物をしたと嘘をつき)、校舎内に逃げようとした。その途中、見つかってしまったのだ。不二に。
ゆりは何も言わずに彼の横を通りすぎようとした。しかしその瞬間、力強く腕を掴まれた。
不二は、驚きと焦燥で両目を大きく開き、何が起こったのか理解出来ない様子でゆりを凝視していた。
「―――ゆり?」
ゆりはどうしようもできない居た堪れなさと、こんな姿を見られたことのショックで声が出なかった。
何か答えようにも、口を開いたら最後、大声を上げて泣いてしまいそうで出来なかった。ただただ我慢して、唇をうんと閉じているだけだった。
「…ゆり? どうしたの?」
ゆりはただ首を横にぶんぶん振る。たまに嗚咽が漏れた。
不二はゆりの腕を強く掴むと、一言も発することなく、そのままコートからほど近い空教室にゆりを連れ込んだ。
二人きりになると、すぐにぎゅうっと力強く不二に抱きしめられる。
呼吸さえもままならないほど、その力は強かった。
「ゆり…ゆり、ごめんね。どうして気づいてあげられなかったんだろう。君が悲しんでいないはず無いのに。―――ねえ、ゆり。僕と付き合おう」
「…え…?」
「―――僕と付き合ってほしいんだ」
不二の告白に、あまりに突然すぎるその言葉に、ゆりは面食らって何度も何度も瞬きした。
「…急に、何言ってるの…?」
「ずっと君の事好きだった。でもゆりは手塚と付き合っていたし…。でも今はもう違う。手塚と別れてもう1年近く経つし。僕と付き合ってよ」
「…でも、私…まだ…」
「手塚のことが好きなんだよね? それは判ってる。でも、それでも良いんだ。僕は手塚の事が好きだっていう君を好きになったんだから」
「…でも、それじゃ不二が…」
「いいから。僕と付き合おう。僕の事はいいんだ、気にしないで。僕の事、利用してよ。さびしさ紛らわすのに使ってよ。それぐらいの役になら立つから」
そこでゆりはいつの間にか首を縦に振っていた。
手塚のことを思い続けるのに疲れ切っていたのが本音だった。
終わることのない悲しみに、ピリオドを打ちたかった。ずっと前を向きたかったのだ。
(この人は、本当に辛抱強く、私の気持ちが整理されていくのを見守っていてくれた。ずっとそばで。ずっとあの人の事忘れられなくて、それを良いよって言ってくれた。僕のこと利用してよなんて、そんな、優しくて私に甘い人…。でも、今は違う。ちゃんと周助のことが好きで、周助と一緒にいたくて付き合ってる。あの人のこと思い出す瞬間も随分減った)
―――完全に、なくなったわけではないけれど。
「うわ~。あっつい。まだまだ残暑厳しいね」
不二は校舎を出ると、テニスコートを横目に、ゆりの手を取り歩き出した。
高等部になってテニス部の面子は少し様変わりしたけれど、まあ、相も変わらず昔馴染みの面々ではあった。中等部の面子に高等部から入学した生徒が増えた。タカさんは、寿司屋の修行のためにテニスをやめていた。大石は医学部進学を目指して他校受験コースに移った。大学部へ進んだら、自分ももしかしたらテニスをやめるかもしれない。不二はなんとなくそんなことを考えていた。写真部に入るのも悪くない。大学部なら設備も充実しているはずだ。
不二とゆりは青春台駅まで歩いた後、電車に乗り、数駅下った先の不二宅の最寄駅で降りた。駅前は帰宅時の慌ただしさもあるが、日が暮れる直前のこの空気が不二は好きだった。
「ただいま~」
「おじゃまします」
「今日は家に誰もいないんだ。気楽にして」
「……それが魂胆だったのね」
「はは、バレた?」
不二はゆりを自室へ通すと、自分はシャワーを浴びてくると行って部屋を出てった。
その意味も兼ねてではあるが、普通に汗をたくさんかいていたので、汗くさかったら嫌だし、さっぱりしたかったのも本当だ。
(う~ん。シャワー浴びながらその事しか考えてなかった僕って…)
部屋に戻ると、ゆりにもシャワーを浴びるように促す。
「ゆりもシャワー浴びるでしょ?」
「うん。お借りしてもいい?」
「どうぞどうぞ。タオルの場所とかわかるよね? 適当に使っていいから」
「ん、ありがとう」
ぱたん、とゆりが部屋から出ていくと、不二はチェストの引き出しからコンドームを取り出し、枕の下にこっそり置いた。
何度彼女と情を交わしても、そのたびにこの世の最高の幸福に包まれているのではないかと思う。それは何度しても変わらないことだった。
じっと座って待っているのも手持ち無沙汰で、不二は本棚から雑誌を取り出す。
往年のテニス雑誌だ。
不二はこの雑誌を定期的に購入していた。国内外問わず、有名選手のグラビアとインタビューが掲載されていたり、人気のラケットや新作のウェアだったり、テニス上達のテクニックだったりと、おそらくテニスをやっている人間なら一度は見たことはあるという程有名な雑誌だった。その雑誌を途中まで読んで、ぴた、と不二の手が止まる。
―――手塚が、いた。
久しぶりに見た彼は、自分が知っていた頃よりずいぶん大人びて見えた。
精悍なその顔つきと鍛えられた筋肉。メガネはそのままだったけれど。
不二はインタビューを読むのもそこそこにして、その雑誌を本棚にぎゅっと押し込んでしまった。
と、同時に部屋のドアが開く。
「お待たせ、シャワーありがとね」
「ああ、うん」
不二は思わず声が上ずった。
様子が変かと怪しまれないか内心冷や冷やしたが、どうやらその心配はなさそうだった。
(よかった。もう少し入ってくるの早かったら見られてたかも)
不二はそう考えながら、動揺を隠すようにゆりを力強く抱き寄せる。そのままベッドに雪崩れ込み、噛みつくように彼女の唇を塞いだ。
「ん…! は、周…助」
「なに?」
「…どうしたの? なんか、怖い」
不二はゆりの上に馬乗りになったまま、彼女を見下ろした。
(確かに、今の僕は余裕がないな―――。あの記事を見た後だからか?)
ゆりのブラウスのボタンを荒々しく外し、そのまま露わになったバストに触れた。
「ブラ、してこなかったの?」
「だ、だって…どうせ…」
「すぐに外すから?」
「…ぁ! …うん…」
ぐっと親指で乳首を圧迫して潰す。ゆりは少し痛いのか、顔を歪めた。不二はショーツに手をかけ、あっという間に脱がすと、両手で思い切り股を開いた。
「きゃっ! やだ、周助…!」
突然、一番恥ずかしい部分がぱっくりと露わになり、ゆりは思わず足を閉じようと力が籠る。だが、不二の両腕がそれを遮るようにぐっとゆりの太股を抑えていた。
「や、やめて…恥ずかしいよ…。そんなに見ないで…」
「今更でしょ? 何回僕に抱かれてると思ってんの?」
指でそこを広げ、不二は舌を差し込んだ。ねっとりと唾液を絡み付け、ねぶるように舐め上げる。
不二は、自分が酷い言葉を吐いているのを自覚していた。それでも抑えが効かない。
さきほどの、あの―――手塚の記事を見てから。
海外のどこかのジュニア大会で優勝したと書いてあった。
そして、彼が近く日本に帰国するということも。
「周助…お願いだから、優しくしてよぉ……」
ゆりの声が泣きそうになっているのに気付き、不二はハッとして顔を上げた。
夢中で舐めていた。すっかりゆりのあそこは濡れていたが、それとは裏腹に今にも泣きそうに両目に涙が浮かべている。
そこで初めて、不二はしまった、と我に返った。
たった一瞬しか見ていないあの記事は、予想外の影響力を持っていたらしい。
不二は慌ててゆりにキスを落としてやる。
優しく、あやすように、キスの雨を降らせてやった。
「ごめん、ちょっと意地悪だったね。ごめんね」
そこからはいつも以上に優しく抱いた。丁寧に愛してやり、セックスが終わると、不二はいつの間にか眠ってしまった。
部活で身体を動かした後の情事だ。いつの間にか瞼を閉じてしまっていた。
ゆりは、ベッドの中で隣で眠る不二の寝顔を、彼の腕の中で眺めていた。
(あの人も、そうだった。いつの間にか寝ちゃって―――)
ゆりはそこまで考えて、自分が誰を考えているのか気づき、思考を停止させる。
(だめ。周助の腕の中で、私、何考えてるの)
自分を戒めるようにその考えを止めた。ここのところ頻繁に、彼の事を思い出すようになっていた。
何故なら、もうすぐ約束の三年後がやってくる。
彼と賭けをした、三年後が。
ゆりは不二の顔にかかった髪の毛をそっと耳に流してやる。起こさないようにそっと。
(私は今、確かに周助の事が好き。こんなに大切にしてくれるんだもの、私だって周助の気持ちに応えなきゃ)
そこまで考えて、自分の思考が恐ろしくなった。
応えなきゃ―――?
私は、義務で周助のこと好きなんじゃない、ちゃんと、―――ちゃんと?―――ちゃんとって、何?
不二の腕の中にいるのが急に怖くなって、ゆりは彼の腕から抜け出した。下着を身に着けて、ブラウスの袖を通す。
そういえば、さっき不二は本棚に何か本を戻していたと思い出し、彼が何の本を読んでいたのか気になって本棚を見やる。
(確か、この辺の…あ、これかな?)
と、雑誌の並びの中で、少しだけ飛び出している一冊を引っ張りだす。いつも不二が読んでいるテニス雑誌だった。パラパラとページをめくり、ゆりは心臓が大きく跳ね上がるのを感じた。
最初はなぜ心臓が跳ねたのか理解出来なかった。
そして、そのページで思考が止まる。
――――国光。
頭では理解出来なかったのに、心臓は飛び跳ねるはずだ。写真を一目見て判った。
少し変化しているけれど、見間違えるわけなんてない。
雑誌を持つ手がぶるぶると震えている。
心臓は張り裂けるんじゃないかと思うぐらい、大きく鼓動を刻んでいる。
記事を読んでも、内容は頭に入ってこない。だた字の羅列を眺めているだけ。
でも、でも―――
わっと嗚咽が漏れそうになるのを、なんとか寸での処で堪えた。
右手で唇を覆い、ぐっと声を堪える。
しばらくそうしており、ゆりはやっと息を吐いた。雑誌を元の場所に戻すと、ベッドで寝息を立てる不二を見つめる。
(周助も、これを見たんだ―――)
ゆりは身支度を整えると、静かに不二の部屋を出た。
――――国光が、帰ってくる。
to be continued
完結は出来てないのですが、すみません、まだ続きます(;´・ω・)