メインディッシュは俳優さん以外テイクアウト不可能です!× 26(司side)
「えむ、すまなかったっ!」
「大丈夫!お客さん少なくて、あたし一人でも全然平気だったよ!」
「本当にすまん」
ぱちん、と手を合わせて頭を下げると、えむはいつものようににこにこと笑ってくれた。神代さんが熱を出したと聞いて、家を飛び出したのが金曜日。翌日の土曜日はバイトが入っていたのだが、神代さんを放っておけず休みの連絡をさせてもらった。えむにしっかり事情を伝えたら、えむから二人に話をつけてくれたらしい。当日の連絡にも関わらず、快く休ませてくれた。そのお陰で、神代さんの傍にいられたのだが…。
「それより、司くんの特別のお客さん、大丈夫?」
「あぁ、昨日には熱もしっかり下がっていたからな」
「そっか!それなら良かったね!」
パッ、と笑顔を浮かべるえむに、オレも肩の力を抜く。本当に、優しい友人をもったものだ。うんうん、と一人頷けば、目の前でえむが小首を傾げた。
「ところで、司くん、昨日も特別のお客さんと一緒だったの?」
「…ぇ、……あ、あぁ…」
「もしかして、一緒に勉強したの?とーっても仲良しさんだね!」
「…………まぁ、…そう、なのか…?」
いつもの調子で笑うえむから、そっと顔を逸らす。顔が熱くなるのは気付かないふりをして、机の下に隠した手をぎゅぅ、と握りしめる。
えむの言う通り、日曜日はそのまま神代さんの家で一緒に勉強となった。というのも、土曜日の夜まで微熱が続いていて、気になって帰りづらかったのだ。あと少し、夕飯まで、もう少し様子を見てから、と帰るのをどんどん先延ばしにしている内に夜も遅くなってしまった。結局、一人で帰らせるのは不安だから、と神代さんの家にもう一晩お世話になることになったのだ。そのまま翌日はお礼と称して勉強会になった。貴重なお休みなのに、オレの勉強に付き合わせてしまって申し訳ない。
(…いや、それよりも……)
ぶわりと昨日の事を思い出した瞬間、顔が一気に熱くなる。脳裏に浮かんだ神代さんの嬉しそうな顔に、きゅ、と唇を引き結んだ。看病している間は必死だったこともありあまり気にならなかったが、日曜日の勉強会はいつもの調子の神代さんと二人きりだったのだ。いや、いつもの調子とは少し違った。なんというか、こう、神代さんの雰囲気が…。
「………………」
「司くん?」
「……あー、…いや、なんでもないんだ…」
「ほぇ…?」
不思議そうにするえむにそう返して、顔を逸らす。熱い顔を手の甲で隠し、オレは小さく息を吐いた。
昨日一緒に過ごした神代さんは、今までで一番雰囲気が甘かった。
―――
「…………え、と…、神代さん……」
「おや、どこか分からないところがあったかい?」
「…いえ、そうではなくて…、……その、…ち、かぃ、です…」
テーブルに向かって座るオレの右隣にぴったりとくっつく神代さんに、小さくなる声でそう言った。腰に添えられた手が離れることを許してくれず、神代さんの方へくん、と引き寄せてくる。今度はオレが発熱しそうな程顔が熱い。いや、もしかしたらすでに熱があるのではないだろうか。こんな幻覚を見てしまう程、神代さんを想ってしまっていたとは。きっと夢なのだ。そう言い聞かせるように心の内で繰り返すオレの耳元に、さらさらとした髪が触れる。
「天馬くんは、嫌かい?」
「ひぅッ……?!」
「僕は目が悪くてね。あまり離れると問題が読めないから教えづらいんだ」
「…っ、……ぃ、や、とか…では、…」
「良かった。それなら、もう少し寄ってくれるかい?」
「……ぁ、……っ、…」
耳へ直接落とされる様に低い声で囁かれて、背がゾクゾクと震えた。腰を抱く手が熱くて、上手く呼吸の吸えない肺が痛い。頭がくらくらしそうな程熱くて、シャープペンを強く握り締めた。参考書とノートを神代さんの方へ少しずらされてしまうと、オレもそちらへ寄らねばならなくなる。すでに触れ合う程近い体が、更にぎゅ、とくっついた。
(………し、んでしまぅッ…)
変な汗が背を伝い落ちる。正座する足が震えて、視線が泳いだ。とん、と参考書を指さす綺麗な指をちらりと見ると、耳の縁に何か柔らかいものが触れた気がした。
「ここの文法が大事だから、よく覚えて」
「…っ……は、はぃ…」
「まずは、この文法を使う問題をいくつか解いてみようか」
「………ん…」
神代さんの少し熱の篭った低い声で、指先が痺れたように動かなくなる。どろりとチョコレートが溶けていくように、オレも内側から溶けてしまいそうだ。上手く声が出てこなくて、ドキドキと煩い心音と不規則な自分の息遣いがやけに響いて聞こえる。だと言うのに、神代さんの声だけはそれよりもはっきり聞こえてきた。
いつも距離感が普通より近い神代さんだが、いつも以上に今日は距離が近い。思考が全く追いつかず、ショート寸前だ。
「…っ、……」
なんとか震える手でシャープペンを握り直し、ノートへ文字を書き込む。現実逃避に近い形で、問題に無理矢理意識を集中させた。そうしなければ、神代さんの事でいっぱいで勉強所ではなくなってしまう。
指示された問題を一つひとつ解いて、何とか終わったノートを神代さんへ見せた。じっとノートを見ていた月色の瞳がオレの方へ向けられて、ふわりと微笑まれる。それだけで、胸の奥がきゅぅ、と音を鳴らした。
「よく出来ました」
「……、…ぁ、り、がとうございますっ…!」
「それでは、御褒美に」
「…む……?」
ノートをテーブルに置いた神代さんが、体をオレの方へ向ける。にこ、と良い笑顔で両手を広げられ、思わず固まってしまう。じっ、と神代さんの手を見つめ、視線をゆっくり上げれば、綺麗な瞳が細められた。広げる手がオレの方へ少し寄せられる。
「おいで」
「ぃ、や、…ぇ、…あのっ…」
「全問正解の御褒美に褒めてあげよう。ほら、遠慮しないで」
「…っ、…こ、子ども扱いしてますよね?!」
「そんなつもりは無いよ。ただ、頑張った天馬くんを褒めてあげたいだけだからね」
にこにこと笑顔の神代さんに、視線が泳ぐ。両手を広げて『おいで』なんて、どう考えても神代さんに抱き締められるということなのでは…? そんな事してもらって正気でいられるわけがない。というか、絶対に子ども扱いではないか。でなければ、男子高校生に御褒美でハグなんて有り得んだろう。
ちら、と神代さんの手元を見て、視線を下げる。正直に言うなら、行きたい。神代さんが『おいで』と言ってくれている。こんなチャンスは中々ないはずだ。俳優神代類に御褒美で抱きしめてもらえる、なんて神代さんのファンからしたら卒倒ものだろう。触れていい、と、神代さんが許可をくれているのだ、とても行きたい。だが、これで神代さんに抱きしめられたら、子ども扱いを受け入れていると言うことになるのでは無いか。
うぐぅ、と踏み込みきれずにいるオレに、神代さんがほんの少し眉を下げて笑った。
「御褒美はこの後のやる気にも繋がると思うし、そんなに深く考えずに甘えてほしいかな」
「ぅ…」
「それに、御褒美とは言っているけれど、僕が君にしたい事だからさせてくれないかい?」
「………そ、れなら…」
もう一度神代さんの手を見てから、体を正面に向ける。おずおずと膝で近寄って、ほんの少し体を神代さんの方へ傾けた。何となく恥ずかしくなって止まりかけた背中に神代さんの腕が回されて、そのままぎゅ、と抱き込まれる。ふわ、と神代さんの匂いがして、頬が熱くなった。髪を梳く様に頭を撫でられて、掌の熱で心臓の鼓動がどんどん早まる。
「よく頑張りました」
「……っ……、や、やはり、子ども扱いしてるじゃないですかっ…」
「そんなことは無いよ。けれど、この御褒美は二十秒だけにしようか。あまり長いと、手が出てしまうかもしれないからね」
「に、二十秒っ…?!」
長過ぎではないか?!いや、短いのか?今何秒経ったのだろうか。全く分からん。嬉しいような恥ずかしいような気持ちがぐちゃぐちゃに混ざりあった感覚に、視界が回っている様にさえ感じる。そんなオレを落ち着かせるかのように、神代さんはとても優しく頭を撫でてくれていた。
神代さんの腕の中が温かくて、夢の中にいるかのようだ。髪を優しく撫でられるのが心地よい。どこか甘い様な匂いに思考が揺れて、行き場に迷っていた手をそっと神代さんの背へ回した。そっと抱きしめ返して、胸元に額を擦り付ける。
(……神代さんの、心音…心地良い…)
ほんの少し早く感じる心音に、目を瞑って、もう少しだけ体を寄せた。ゆっくり息を吐いて、もっとこの甘い匂いを取り込もうとしたオレの肩が、少し強い力で掴まれる。バッ、と体が引き離され、思わず目を瞬くと神代さんがにこりと笑った。
「二十秒経ったから、もう一度頑張ろうか」
「ぇ、あ、…はい…」
「次はこの辺りだね」
「はい」
参考書をぱらぱらと捲って、神代さんがまた説明を始めてくれる。その説明を聞きながら、オレはシャープペンを持ち直した。先程と同じくらい隣でぴったりくっついた体は、ほんの少し肌寒く感じてしまう。抱きしめられていた時の、あの包まれる様な感覚が消えてくれない。それを振り払う様に頭を左右に振る。
と、そこではたと思い出した。
(……手が出てしまう、とは、どういうことだ…?)
神代さんの言っていた、『手が出てしまうかもしれない』とは、何のことだろうか。言われた時は、二十秒もこのままだという事に気を取られてしまったが、今思い返すとなんの事だったのか。神代さんが、という事だとは思うが、『手が出る』、というのは…? もしや、暴力的な意味だろうか。いや、神代さんに限って、暴力を振るうとは思えんのだが…。
(…それに、その前にも何か、言われたような…?)
なんだったか…。首を傾げて思い出そうとするも、中々出てこない。右へ、左へ、と首を傾げるオレの隣で、神代さんがくす、と笑った気がした。
ハッ、として顔を上げると、隣にいる神代さんが面白いものを見るかのようににこにことオレを見ていて、ぶわわ、っと顔が熱くなる。
「どこか分からないところがあったかい?」
「い、いえ、すみません、…考え事を…」
「ふふ、今はこちらに集中してほしいな」
「…ひぅ、……」
腰にそっと手が添えられて、体が寄せられる。甘ったるい様な低い声に思わず身体が跳ねて、目を強く瞑った。楽し気な小さい笑い声と、くすぐったい様な手の感触に裏返ったような声が出てしまう。これは、勉強に意識を集中させねば死んでしまう。
瞑っていた目をノートへ向けて、慌てて問題を解き始めた。時折、分からないものは神代さんに聞いて、ひたすら目の前の参考書に意識を集中させる。
そうして一日が終わった頃には、集中し過ぎてくたくたになり、どうやって家に帰ったのかも分からなくなっていた。
―――
「………………はぁ…」
昨日の事を思い返して、小さく息を吐く。病み上がりで人肌が恋しかったのだろう。神代さんとの距離感に、昨日は振り回されていたと思う。それが嫌だったのかと問われれば、首を左右に振るが。好きな人に勉強を教えてもらえ、しかも御褒美に抱き締められ頭を撫でられる、なんて中々出来ない体験だろう。相手が人気俳優の神代さんなのだから尚更だ。子ども扱いされた事も全く気にならない。いや、少し不甲斐なさはあるが。
それでも、夢のような時間だったとも思う。
「……だが、あれを毎回は流石に身が持たんな…」
「…………?」
不思議そうにするえむは、オレの目の前で首を傾げている。そこでタイミング良く始業のチャイムが鳴り出した。オレに手を振ってから自席へ向かうえむを見送り、オレは鞄の中からノートを取り出す。
次に神代さんに会うのは、水曜日だろうか。そんな事を考えながら、口元を手で隠してそっと頬を緩ませた。
―――
(類side)
「天馬くんと交際することになった…?」
「ふふ、そうなんだよ。この前返事がもらえてね」
「…………高校卒業まで待つんじゃなかったの?」
「僕もそのつもりだったのだけど、気付いたらプロポーズしていて、天馬くんからもしっかり返事がもらえたよ」
にこにこと寧々に報告をすれば、呆れた様な驚いた様な顔をされてしまった。それでも、実際に天馬くんとお付き合いが始まったのは事実なので、包み隠さず話す。熱が出て、寧々と間違えて天馬くんにメッセージを送ってしまったこと、看病に来てくれた天馬くんに勢い余ってプロポーズをしてしまったこと、そんな彼から返事を貰えたこと。
今なら一週間徹夜で仕事をしても平気かもしれない。それ程、僕は浮かれていると自分でも分かる。
「…ふーん。ま、良かったんじゃないの」
「日曜日も天馬くんの勉強を見ながら、恋人としての時間を過ごしてね」
「また無理言って困らせたりしてないでしょうね?」
「大丈夫だよ。勉強はしっかり教えてあげたからね。正解した御褒美に沢山褒めてあげただけだよ」
「……………」
じと、とした寧々の視線に、首を傾ぐ。嘘は言っていないはずだ。
天馬くんは集中して話を聞いてくれるので教えやすい。そんな彼に何か御褒美を、というのもずっと考えていた事だ。正直、恋人になれて浮かれていた事もあって、隣に座るだけでは我慢出来なかった。彼を子ども扱いしていたつもりだって決してない。僕が、彼に触れたかっただけだった。恥ずかしそうに視線をさ迷わせる彼が愛らしくて、少し悪戯心があったのも認める。けれど、いざ抱き締めて頭を撫でると、彼は恐る恐るではあるけれど抱き締め返してくれた。胸元に顔を寄せて甘えてもくれた。とても愛らしい天馬くんの姿に、手を出さなかった事を褒めてもらいたいくらいだ。正直、あの場で押し倒してキスでもしてしまいたかった。
それ程までに、あの日の彼は可愛らしかった。
(…直前まで避けられていたのが嘘のようだね)
僕の為に駆け付けてくれて、一生懸命看病してくれる天馬くんを思い出してはジン、と胸の内が温かくなる。昨日会ったばかりだというのに、もう会いたくてたまらない。高校を卒業してから、と約束はしたものの、今すぐにでも僕の家に彼を連れ帰りたい。もっと長く、彼との時間が欲しい。
後半年が、とても長く感じてしまう。
「浮かれるのはいいけど、バレないようにしなさいよ」
「気を付けるよ」
「……そういえば、類が熱を出すなんて珍しいね」
「あぁ、寧々に送ってもらった喫茶店での打ち合わせ中に雨が降ってしまってね」
スケジュール帳を見ていた寧々が僕の方へ顔を向けた。そんな寧々に、あの日を思い返して話した。打ち合わせの内容も報告して、あの日はあっさりと打ち合わせが終わったこと。帰りに雨が降っていて、共演者の子に話しかけられたこと。それに対応するのが面倒になって、雨の中走って帰ったことなども寧々に掻い摘んで話す。
結果、ずぶ濡れで帰って熱を出してしまい、寧々には迷惑をかけたことも謝る。そんな僕に、寧々は変な顔をしていた。
「共演者ってあの子でしょ?今名前を売り出している高校生アイドルの子」
「そうだね。とても社交的な子のようだ。僕のファンだと言って急に手を掴まれたよ」
「それ、絶対名前を売るために類を利用しようとしてるじゃん」
「お陰様で、雨の中を走る羽目になったかな」
寧々の言葉に苦笑を返す。きっと、あの打ち合わせもスタッフの誰かが仕組んだのだろう。もしかしたら、監督も共犯かもしれないね。僕を最後まで引き止めて、彼女と二人にする為に。会計をしていたスタッフの人は、いつまでも店から出てこなかった。彼女のマネージャーも、彼女を一人にしてどこへ行っていたのか。
「すぐに振り払ったから、写真に残されてはいないと思うけれど」
「完全にあの放送を利用する気じゃん。自分が弟子なんです、って言えばすぐ話題になるし」
「僕は彼女に興味はないんだけどね」
「そんなの、相手にそれっぽい証拠を用意されたらすぐ広まるわよ」
はぁ、と盛大に溜息を吐く寧々は、頭を手でおさえている。
あの放送とは、天馬くんの後輩である青柳くん達と共演した番組の事だ。僕には『弟子』がいる、と宣言したあの放送。間違いなく、あれは天馬くんの事だ。僕が愛おしいと思っている歳下の可愛らしい恋人の事。まぁ、当の本人はあの放送の事を無かったことにしている気もするけれど。あの放送以来、『神代類の想い人』としてマスコミが探し回っているのも知っている。SNSではファンの子達が大騒ぎしていたのも懐かしい。それなりに月日は過ぎたはずだけれど、未だにこっそりと騒がれている。
そこに、『私が神代類の想い人です』と名乗りを上げれば、確かに知名度は上がるだろうね。それが例え事実無根であろうと。『神代類の想い人』として広まることだろう。それだけは避けたい。
「せっかく天馬くんと恋人になれたのに、浮気を疑われては困るからね」
「あんたの基準は全部天馬くんなの…?」
「当たり前じゃないか。彼が辞めてくれと言えば、今すぐにでも芸能界を引退する覚悟はあるよ」
「まぁ、あんたは元々固執してないものね」
ファンが泣くわよ、ともう一度溜息を吐いて寧々がそう言った。
役者となった彼と共演はしたい。彼が演じる姿を沢山見ていたいと思っている。けれど、彼が僕を一人占めしたいのだと言うなら、喜んで引退だってする。彼の隣に居ることを選ぶ。それ程僕は彼が愛おしいのだ。彼が僕を好きな事には薄々気付いていたけれど、漸く昨日返事をもらえた。それも何の準備もしていない勢いだけのプロポーズに、だ。『不束者ですが』なんて、嫁入り文句で返してくれた天馬くんのあの恥ずかしそうな顔はきっと一生忘れられないだろうね。
うんうん、と一人頷きながら、可愛い恋人の顔を思い浮かべる。昨日は本当に夢のような一時だった。
「……………わたしが天馬くんなら全力で逃げるわ」
「おや、僕を甘く見ないでおくれ。天馬くんが逃げるならどこまでも追いかけて捕まえてみせるよ」
「本当に、天馬くんには同情する」
肩を落とす寧々に、にこ、と笑って返す。
漸く捕まえたというのに、逃がすわけが無いじゃないか。彼が受け入れてくれたなら、僕の傍から離れられなくなるほど甘やかしてあげるつもりだからね。まずは彼が無事に役者への道へ進む手助けをして、この先もずっと隣にいられるよう手を回さないと。
その為にも、まずは協力者を得ることからかな。
「早く返事が返ってくるといいのだけど」
「そう簡単に踏み切れないでしょ。もう少し待ちなさいよ」
「どうせなら、同業者も何人か引き抜こうか」
「………それ本気で言ってるの…?」
「ふふ、その方が楽しそうだと思わないかい?」
呆れた様な顔をする寧々に、僕は笑って返す。新しいことを考えるのは、いつだって楽しいからね。
そんな風に話をしていれば、控え室の扉がこんこん、とノックされた。スタッフの声に、寧々が立ち上がる。撮影の準備が出来たようだ。
「じゃ、休んだ分きっちり取り返してきなさいよ」
「ふふ、もちろん、頑張ってくるよ」
「はいはい。どうせ、今日は天馬くんのお弁当の日だからでしょ」
ひらひらと手を振って顔を背ける寧々は、どこか呆れた様な雰囲気を纏っている。僕の幼馴染み兼マネージャーな寧々にはお見通しのようだね。
食べ終わったら天馬くんにまたメッセージを送るつもりだ。そう思うと、早く仕事を終わらせようとやる気も出る。彼に会ってから、僕の日々は彼を中心に回っている様だ。それも悪くないと思うほど、彼といる時間はとても楽しい。
「じゃぁ、また後で」
「行ってらっしゃい、類」
「行ってきます」
ゆっくりと控え室の扉を開いて、寧々に小さく手を振った。
―――
(司side)
神代さんと定期的に勉強会をするようになって数ヶ月が経った。相変わらず距離感は近い気もするが、最近は少し慣れて来たとも思う。
「司くん、こっちこっち!」
「えむ、そんなに走ると転んでしまうぞ!」
「だって、たーくさんあるから早くしないと全部回れないよー!」
「…たく、仕方ないやつだな」
掴まれた手をぐいぐいと引っ張って走り出すえむについていきながら、小さく息を吐く。今日は、えむとあの遊園地に来ている。えむのお兄さん達から譲ってもらったチケットで、だ。前に神代さんが言っていたが、やはり来場者は少ないらしい。乗り物も乗客無しで動いているものもある。待ち時間がほとんどなく乗れるのは有難いが、やはり少し寂しいものだな。
以前は、人が少ないから来やすいのだと、神代さんが言っていたが。
「司くん、何から乗る?あっちに行く?こっちから行く?」
「少し落ち着け。えむが一番乗りたいものから乗っていくのはどうだ?そこからぐるりと回れば良いだろ」
「いいの?!じゃぁ、こっち!この先にあるのがいい!」
「分かった分かった」
走り出す気満々のえむに苦笑して、手を握り返す。こうなっては、はぐれないようについて行かねばならんのだろうな。きらきらした瞳で指さした先を見るえむは、どこか幼い子どものようだ。そんなえむに手を引かれるまま足を踏み出した。
以前来た時とは、ほんの少し雰囲気が違って見える。親子の姿があるからか、それとも季節か。えむのはしゃぐような声音を聞きながらぼんやりと思い浮かべるのは、神代さんの優しい表情ばかりだ。
「天馬くん」
そう呼ばれた気がして、足が止まった。オレが立ち止まったから、えむも驚いた顔で立ち止まってくれる。振り返ったえむは、どこか不思議そうな顔をしていた。そんなえむに、すまん、と一言謝って辺りを見回す。
神代さんの事を思い出していたからだろうか、あの人に名前を呼ばれた気がしたのだが…。さすがに忙しい神代さんがこんな所にいるはずがないだろう。ここまでくると、オレはその内神代さんと恋人になる幻覚まで見てしまいそうだ。そんなにも神代さんに会いたかったのだろうか。自分の事ながら少し怖いな。そう思いながら後ろへ顔を向けると、見慣れた帽子と眼鏡が視界に映る。
「…………ぇ…」
「あぁ、やっぱり天馬くんだ」
「か、神代さんっ…?!」
ゆっくり近寄ってくる神代さんが、ひらひらとオレの方へ手を振っている。その隣には寧々さんもいた。何故か眉間に皺を寄せて顔を顰める寧々さんに、えむがパッと表情を綻ばせる。「お姉さんっ!」と嬉しそうな声が隣から聞こえてきた。そんなオレ達の正面に来た神代さんは、にこにこと笑顔で首を傾げる。
「今日は二人かい?」
「はい、えむに遊園地のチケットをもらって…」
「ふふ、そうだったんだね」
「神代さんは…、その…プライベート、で…?」
「少し視察にね。ここのオーナーと話をしていたんだ」
「……そう、ですか…」
いつもの優しそうな顔でそう答えた神代さんに、安堵してしまう。こんなにも分かりやすい自分が情けない。もし、寧々さんとのデートとかだったらどうしようかと思ってしまった。神代さんにはちゃんと婚約者の方がいて、オレを選んでくれるはずがないと分かっているというのに、どうしても心のどこかで期待してしまいそうになる。それもこれも、神代さんがオレを特別の様に扱ってくれるからだ。役者の卵として、期待してくれているのだと知っているが、もっと、違う意味でも期待されているのだと、思わされる。
「二人さえ良ければ、僕らも一緒に回ってもいいかい?」
「は…?」
「ぇ…」
「もしかして、お姉さんもっ?!」
神代さんの突然の発言に、オレと寧々さんが同時に顔を向ける。にこにこと笑顔の神代さんは、相変わらず何を考えているのか分からない。えむだけが、きらきらと瞳を輝かせて神代さんを見ている。「もちろん」と答えた神代さんに、えむはとても嬉しそうに両手をぱたぱたと振り始めた。手を繋いでいるせいで、オレの手も上下に振られている。えむはずっと寧々さんと仲良くなりたいと言っていたから、嬉しいのだろう。毎週月曜日のお手紙も、毎回律儀に書いていたからな。えむがここまで喜んでいるなら、オレが断るわけにもいかないだろう。
「神代さんは、仕事は大丈夫なんですか…?」
「今日は元々オフだからね。せっかくならこのままダブルデート、なんてどうだい?」
「でッ…?!」
「ちょっと、類。わたしたちまで巻き込まないでよ」
にこ、と笑った神代さんの言葉に、ピシッと身体が固まる。今、『デート』と言われたのか?しかも、ダブルデート…?ということは、神代さんと寧々さんは、やはり…。そればかりか、オレとえむが付き合っていると思われているのではないだろうか?それは困る。いや、告白するつもりはないが、だからと言って、オレが神代さん以外に想いを寄せているなんて勘違いされるのは嫌だ。伝わらずとも、伝えずとも、そんな勘違いはされたくない。
「あの、オレとえむはっ…!」
恋人ではないです。そう言いかけた言葉を、思わず飲み込んだ。えむと繋いでいた手が掴まれて、パッと引き離される。あまりに一瞬の出来事で、目を丸くしてしまう。呆気とするオレの手をしっかりと指まで絡めて握った神代さんが、ふわりと笑う。
「さぁ、行こうか、天馬くん」
「んぇ、…あ、ぇ、ちょっとまっ…?!」
「はぐれないように、ね」
「……な、なななぜ…?!」
ぐっ、と手を引かれて、慌てて足を踏み出す。駆け出した神代さんは悪戯が成功した子どものような顔をしていた。遅れて状況を理解した途端、ぶわわっ、と顔が一気に熱くなる。何故、神代さんに手を引かれているのだろうか。というより、寧々さんは良いのか?
わけが全く分からないまま、神代さんについて行った。