「かわいいね」 バンド練習の帰り道、蓮が、
「部屋に遊びにこない?」
と言うので、万浬はその誘いに乗ることにした。
今日は土曜日。お昼過ぎからバンド練習があった。スタジオで三時間ほどみっちり練習した後はいつもの公園に移動する。反省会をしたあと、皆、それぞれ用事があるとのことで解散となった。
めずらしく、バイトのなかった万浬はシェアハウスに戻る。最近忙しかったし、部屋の掃除でもするかと家路につけば、一緒に帰っていた蓮から、このあと遊ばないかと誘われた。誘いはうれしいが、財布の中身が心もとないというか、ちょっと金欠気味だ。そのあたりを万浬がしょうじきに話せば、
「じゃあお出かけじゃなくて……、僕の部屋に遊びにこない? おうちデートってやつだよ」
「おうちデートねえ……」
それって、普段は別々に暮らしているカップルが、相手の家に遊びに行くからデートとして成立するんじゃなかろうか。同じ家で一緒に生活している者どうしなら、いつもの日常生活ではなかろうか。つい重箱のすみをつつくようなことを考えてしまったが、断る理由もない。蓮と過ごすのは楽ちんだ。あんまり取り繕わなくてもいい。まるで、きょうだいと一緒にいるようなここちよさがある。
いいよ、と返事をすると、蓮は、ぱっと表情を明るくした。
「実はね……、スターファイブの去年の劇場版のBlu-rayが最近出たんだけど買っちゃったんだ! 一緒に見ようよ」
万浬が目をまるくしていれば、蓮はたたみかけるように「お菓子もいろいろ買ってあるんだ。お茶も淹れようね」と言う。あまりにも準備万端で思わず笑ってしまった。
それからの帰り道、蓮は面白いくらいにうきうきと浮かれていた。露骨だなとあきれる、でも、かれのそういう素直なところは割と好き。
のんびり歩いて帰宅する。
留守番をしていたぽんちゃんの様子をみれば、すやすや気持ちよさそうにお昼寝中だ。今日の当番の結人が帰ってきたらぽんちゃんとお散歩に行くから、今はそっとしておこう、と起こさずに、蓮の部屋に向かった。
部屋に通されると、窓からは陽が差し込んでいた。昼から夕方にかけての、あたたかな光に照らされて、だいだい色に明るい。あかねに染まっている。
蓮は机の上に置いてあったBlu-rayを取ってきて、うれしそうに「これだよ」とパッケージを見せてくる。万浬は、その表情にふと既視感を覚えた。前にも見たことがあるような、と考えたところで思い至る。――万浬の年の離れた妹だ。函館の白石家で生活していたころ、妹は父母や兄から新しい服や小物を買ってもらうたび、万浬に「兄ちゃん、いいでしょう?」と見せびらかしてきた。ずいぶん年下の女の子に、得意げに自慢されても、腹が立つどころかほほえましい気持ちになったものだ。思い出してすっきりしたのはいいが、かれに、小学生の妹に似ているなんていうのはすこしはばかられたのでやめる。
話を戻す。蓮は、いそいそと準備をはじめている。ノートパソコンを出してローテーブルに設置したあとは、お茶を淹れてきたり、お菓子の袋をあけたり、とにかく手際がいい。いつもはもたもたしていることが多いのに、スターファイブのことになるとあいかわらずだなあと苦笑した。せっせとうごくかれをよそに、万浬はローテーブルの向かいに位置するベッドに腰掛ける。そのうち蓮も準備を終えたようで、万浬の隣に座った。
「わかんないところあったら解説するからね。なんでも聞いてね」
「俺だって一回見たころあるから大丈夫だと思うけど。……ほら、はじまったよ」
万浬のことばに、蓮の視線はノートパソコンの画面に引き寄せられた。万浬も目をやる。
スターファイブの劇場版は、昨年、函館に住んでいた時に公開されたものだ。蓮と一緒に見に行った。当時の万浬は下のきょうだいから「スターファイブの映画につれてって」とせっつかれていて、それをたまたまバンド練習のときに話したら、蓮が一緒に行きたいと言い出した。蓮は公開初日に見に行っていたようだったので不思議に思っていれば、入場者特典を集めているからとなんでもないように言った。そんな経緯で蓮と、万浬のきょうだいとで見に行ったのだった。きょうだいの付き添いのつもりで行ったのだが、期待以上に面白かったことを覚えている。蓮も、「いつもはひとりだから、万浬たちと一緒に来れて楽しかった」と終始笑顔だった。その一年後の今、こうして、かれの部屋でゆっくりと見ることになっているのはなんだか不思議なことだ。あのときはともだちだったけど、今はもっと距離が近くなった。
牛乳たっぷりのあたたかいカフェオレ片手に、おやつのチョコチップクッキーをさくさくとかじりながらストーリーを追う。ふと、蓮があまりにも静かなことに気がついた。隣をちらっと見やる。
(目がきらきらしてる……)
蓮は目を輝かせて映画を見ている。夢中なのか、握られた両手にぎゅっと力がこもっている。何度見たとしても飽きないようだ。ここまで突き抜けてくれると何も言う気が起きないし、うらやましくすらある。長い間、夢中になれるものを見つけられるのはしあわせなことだ。
そのまま、かれの横顔を見ている。
蓮は凛々しくて整った顔をしている。つり目がちの大き目の瞳と、下がり気味のきりっとした眉が印象的だ。見た目に意志の強さや頑固さがにじみ出ている。バンドのボーカルとして歌っている時の蓮はとてもかっこいい。精悍な表情で力強く伸びやかに、ときにやさしい面立ちで繊細に歌い上げるかれを、万浬は心から惹かれるし尊敬している。(その反動なのかなんなのか、普段はぼんやりしていることが多く、ちょっとだけ、ほんの少しだけたよりない。)
けれど今はその凛々しさはなりをひそめて、子どもみたい。好きなものを見ているから、そうなってしまうのだろうか。表情はとても豊かで、ころころとよく変わって、見ているだけでほほえましくなるし、かわいい。これはこれで好き。
最近、気が付いたことだが、蓮には結構かわいらしいところがある。ささいなやりとりから発見することがあって、今もそう。
「……万浬、どうしたの?」
さすがにじろじろと見すぎてしまったらしい。蓮は、戸惑ったようにこちらを向く。
「ぼーっとしてるけど、眠い? 今日のバンド練習、すごく気合入ってたし疲れたかな。今日は一旦やめちゃう?」
「まあ確かに、バンド練はがんばったけど……。眠いわけでは」
蓮の顔をじっくり見ていた、だなんて素直に言えなくてごまかしてしまった。そんな万浬の様子に蓮は「もしかして、映画つまんないかな……」とぽつりとこぼす。かわいそうになるくらいしょんぼりしているので、万浬はあわてた。
「ううん、映画はおもしろいよ!」
「ほんとう? よかったあ。万浬も知ってると思うけど、ここからもっと盛り上がるんだよ!」
蓮はほっとしたようだった。へにゃっと笑うかれを見て、万浬はちゃんと集中しようと、そう思いなおしていた。せっかく遊ぼうと誘ってもらって、いろいろお膳立てしてもらったのに、ちゃんと映画を見ないのは失礼だろうし。
ちょっと冷めかけたカフェオレを飲み切ったが、蓮の言うとおり映画は後半に入って、ますます面白くなってきたところだった。お茶のお代わりを淹れたいが、スターファイブと敵の冥天パイレーツとの闘いが白熱してしまって、立つタイミングを失ってしまう。空のカップを手に持っていながら、はらはらしつつ見入っていたら――自分の顔がなんだかむずむずする。居心地がわるい。もしかして見られてる? そう思って横を見やれば、案の定、蓮がじっと万浬を見つめていた。目が合う。
「蓮くん?」
「ちょっとごめんね」
蓮は腰掛けていたベッドから立ち上がった。パソコンを操作して流れていた映画を止めると、すぐ隣に戻ってきた。音が消えると部屋の中は静かだ。蓮の声がよく聞こえる。
「なに、映画、いいところじゃん。見なくていいの?」
「そうだけど。……そうなんだけど」
蓮はなぜだか照れたような顔をしている。ことばをさがしていたようだったが、やがて、
「なんだか嬉しくなっちゃって」
「なにが?」
いぶかしがる万浬をよそに、蓮はひとりで勝手ににこにこしている。
「万浬が楽しそうな顔してるから」
「え」
「しかもそれがスターファイブの映画を見てなんだもん。……僕の好きな人が、僕の好きなものを楽しんでくれるの、すっごく嬉しくて」
「……なにそれ」
「そのまんまの意味だよ。万浬、かわいいなあって」
よくわからないが、この状況はかれにとってはいいことらしい。それよりも、ふたりそろって同じことをしていたのか。文句をいうつもりはないけど、なんともいえない気持ちになってしまう。顔ぐらい、堂々と見たらいいのだ。それはそうとして。
「かわいいって、なに」
「万浬、スターブルーとスターパープルの危機にスターレッドが駆けつけてくれるシーンで、すごくほっとした顔してたんだ。僕も、あのシーンは大好きだからわかるなあって」
「えー、そんなことないと思うよ。蓮くんじゃあるまいし」
否定はしたけれど、実際はそのとおりだったからひやひやとしてしまった。かれの言ったとおり、そのシーンは確かに胸をなでおろして見てしまった。蓮は気にした様子もなく続ける。
「でね、自分で気が付いてるかどうかわからないけど……、万浬って楽しいときってすごく顔に出てるんだ。表情がころころ変わって、そんなところすごくかわいいなって思ってて。好きなんだ、万浬のそういうところ」
「……」
やっていたことも考えていたことも同じ。ちょっとあきれてしまったが、けれども、好き、と言われてまあ気分はよかった。単純なものだ。でも言われっぱなしはちょっと嫌。
「俺も、蓮くんのことはかわいいと思うけどね」
手を伸ばす。かれの頬に触れてみた。ふにふにとつまんだり伸ばしてみれば、やわらかい。ずっとこうしていたくなる。最初はおとなしくしていた蓮だったが、そのうち、ちょっと不服そうにしている。さすがにやりすぎたなと思って手を離した。頬を擦りながら、口をかるくとがらせていたが、そのうち機嫌を直したようにへらりと笑った。
「なんかへんなこと言っちゃった。映画の続き、見ようよ」
ベッドから立ち上がると、また映画を再生する。戻りながら、蓮は万浬に顔を近づけてきた。万浬の頬にふれるひやっとする薄い皮膚、くちびるが、ふれる。キスされた。ちゅっ、とさえずるような音が鳴る。
蓮は照れたような顔をしている。そんな調子でくちづけするから、自分にだって伝染してしまう。このあまったるい空気はくすぐったくって面倒くさい。さっきからいちいちまだるっこしいのだ、悪くはないけれど。
「蓮くん」
名前を呼べば、かれは万浬を向く。蓮の口に、自分のくちびるを押し付けていた。くちびる同士がふれれば、ふにゃっとした感触。さっき頬にキスされたときはひんやりしていると思ったのに、今、くちづけた蓮のくちはなまぬるい。
蓮はおどろいたような顔をしている。ぽかんと開けた口も、照れたのかちょっとだけ赤くなるやわらかい頬も、自分を見つめるやさしい目も、万浬が好きなものだった。蓮くんってかわいいねえ、と言えば、違うよってむっとしている。そんなところもふくめて、やっぱり蓮のほうがかわいいじゃないかと思えて、万浬は笑ってしまったのだった。