感電 刺された。
夜、ねむるまえ、口先にちくんとささやかな痛みが走ったので蓮はぎょっとした。ねむたくてほとんど閉じていた目もぱっちりと開いてしまう。
くちびるに手をやる。痛かったのはほんの一瞬だけで、もう残ってはいなかった。眠くてまわらない頭でも正体がなんなのかはわかる。
「蓮くんやめてよ、痛いんだけど」
すぐそばから不機嫌な声がした。万浬の声だ。枕元のライトでほの明るく照る部屋の中、かれは頬を大げさにさすっている。
「……え、僕のせいなの?」
「だって蓮くん、さっきセーター脱いだときに静電気ばちばち言わせてたでしょ」
「う、うん」
「それに、蓮くんって静電気起こりやすいしさ」
「それは、まあ、そうなんだけど……」
蓮はそう答えたものの、あまり納得はしていない。静電気なんて、自分が起こしたくて起こしたわけではないのに。理不尽さを感じて、むーっと口をとがらせてしまった。
冬の東京はずいぶんと静電気の起こりやすい場所だなと思う。出身の函館ではあまり気にかけたことはなかったが、上京してからというもの、頻繁に起きているように思う。それに加えて、どうやら蓮は静電気を起こしやすいにんげんのようだった。車のドアに手をかけたとき、服を脱ぎ着するとき、一緒に暮らすアルゴナビスの誰かに触れたとき。頻繁に、ぱちぱちと音を立て、ところ構わずに起きるのには閉口していた。飼い犬のぽんちゃんのふかふかの体毛を撫でていたときにまで起きたのには慌ててしまったが、とうのぽんちゃんはなんでもないようにけろっと平気そうにしている。更に蓮に構われたがって懐いてきて、とっても可愛らしかったものだ。
話を戻す。静電気はうっとおしい、でも最近、慣れてきてもいる。油断しているのは否めなくて、今日がまさにそうと言えた。
夜にねむるまえ。万浬と一緒にねむるとき、かれのシングルベッドにもぐりこんでから。いつものくせで、蓮は、先に寝床で横になっていたかれの頬にくちづけた。おやすみのキス。万浬の頬にくちびるで触れると、キスは無遠慮でささやかな電流にあっさりと塗りつぶされてしまったのだった。
じゃあもうしないよ。なんだか拗ねたような気持ちになって口走る。蓮は枕に顔を寄せた。布団をかぶるとにんげんの匂いがする。自分と万浬のものだ。嗅ぎなれた匂いは、ささくれた気持ちをゆるやかになぐさめる。引いてしまったねむけがまた戻ってきていた。身をまかせてうとうととし始めたころ、声が聞こえる。
「蓮くん」
万浬の呼ぶ声。のそのそと布団から顔を出せば、かれはこちらを見つめていた。いたずらっぽいまなざし。
そっと顔を寄せてくる。
「ごめんねって。……俺は蓮くんからチューされるの、嫌じゃないんだって」
ささやきながら、かれは蓮の頬にくちづけてきた。痛みもしない、はじけるような音もしない。ただひんやりとしたくちの感触があるだけだ。なんだかなだめるようなキスにも思えた、もうしないなんて言わないで、なんて気持ちをこめられたような……。万浬はなんにも言わないからわからない。けれど少し、いや、結構うれしくもある。どんな気持ちのこめられたキスであっても、万浬からであれば、蓮はうれしいのだった。単純すぎるけど本心だ。そんな蓮の心なんて知らないだろう万浬は、ふたたび顔を近づけてくる。くちびるにキスされる気配を感じて、迎えるために目を閉じた。くち同士が触れる、そう思ったときに。
「いてっ」
万浬がちいさくさけぶ。思わず、といった様子で顔を離す。蓮も口先に感じていた。ぱち、という音とちいさな針に刺されたような痛み、ささやかな電流。――静電気。
お互いにくちびるをさすりながら、見つめあってしまった。ふたりともぽかんとした顔だ。実にまぬけ。
「……俺も蓮くんのこと、どうこう言えないかも」
先に口を開いたのはかれだった。なにひとつフォローする言葉を思いつけず、蓮は、えっと、その、とまごまごしてしまっている。
万浬は自分の口をぺちぺちと数回さわっている。何をしているのかわからずに見ていれば、かれはまたくちづけしてくる。今度はなんにも起こらない。ふにゃっとしたやわらかな感触が気持ちよかった。
「あ、大丈夫だった。なにかで見たんだよね、車乗る時の静電気予防に地面とか違うもの触ったらいいって」
「僕は車じゃないけど……?」
とくいげ、という表情で言う万浬に、蓮はややあきれたような口調で返してしまった。かれは、そりゃそうでしょ、とおかしげに明るく笑っている。かれにつられたように蓮も笑ってしまった。へんなやりとりだなあと思う。
それからしばらくとりとめのない話をして、ときどき思い出したようにキスをしてみて、また話をして、その繰り返しのなかで、いつのまにか眠ってしまっていた。
夜中、ふっと目が覚める。万浬の寝顔を見ながら、そういえばおやすみを言い忘れてしまったな、と気が付いた。おやすみ。ちいさく呟いて、そっとかれの口にキスしてみたら。
「……いたっ」
刺された。
静電気。微々たる電流。ふれあって発生したエネルギー。ふたりだけの間に起きたもの。
万浬はおだやかな寝息を立てている。