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    推しカプ(付き合ってない)(付き合う予定も無い)(ただキスはする)の馴れ初め話やっと書けた……。何年温めてた……。
    もうオリジナルでやれよお前ってレベルで捏造と俺設定しか無いけどこの派生はこういう感じであってほしいのでこれでいく。ご理解。

    幻想世界と紅の色 昔から本が好きだった。
     紙とペンを介して知らない世界を、見たこともない世界を、見ることなんてできない世界を知ることができるなんて、この上なく面白い。この世にはまだまだ見たこと、聞いたことがないものが満ち満ちている。加えて幻想から生まれた物語までたくさんあるのだ。まだ何も知らない子どもが引き込まれるのは必然であった。
     幼いながらも、きっと己が今いる小さな世界を出て行くことは難しいと察していたのも一因だろう。これ以上『外』を知ることはない。無意識が囁く度、少年はページをめくる。なめらかな指先が、抵抗するように紙を辿る。
     様々な物語の世界の中でも、海を舞台にした冒険譚が特に好きだった。己が見ることのない世界を欠片だけでも理解できた気がして、どこか空虚な心が満たされるのだ。
     そうして今日も、蒼い少年は書庫を訪れる。






     カツンカツンと靴底に打たれる石床が音をたてる。昼下がりの施設内部は静かだった。今日は気持ちが良いほどの晴れ空だ。子どもたちのほとんどは外で遊んでいるのだろう。庭に近い本館に戻れば、その賑やかな声も聞こえてくるはずだ。
     カツン。音が止む。青年はある扉の前で足を止めた。ところどころ塗装の剥げた古めかしいそれの上部、旗のように飛び出て掲げられた札には『書庫』と記されていた。
     大して厚くもない扉をそっと開くと、埃の匂いが出迎える。ここに訪れるのは己ばかりだ。最近はその己すらも来る頻度が減っている。手入れするものがいない部屋に埃が住み着くのは必然だ。
     ちらはらと舞う粒子を軽く手で払いながら、青年は奥へと歩みを進める。さほど広くない部屋の中ほど、子どもの背丈ほどしかない小さな書棚の前で止まる。薄く積もる灰色で汚れることも厭わず膝をつき、彼は手にした本を元の順番通りの位置に戻していった。ぎゅうぎゅう詰めに近い本棚は、持ってきたもの全てを戻し終えてもいくらか大きな隙間が残っている。誰かが本を借りていった証拠だ。子ども達が書物に触れているという事実に、心がふわりと満たされる。物語を愛する者が少しでも増えるのは嬉しいことだ。
     膝を軽く叩きながら立ち上がり、今度は壁際に取り付けられた背の高い本棚に向かう。天井まであるそれは、大人でないと掃除の手が届かない代物なだけあって埃が積もりっぱなしだ。軽く払ってやりつつ、残った本を戻していく。胸に抱えられていた本は、どんどんと元の居場所へと帰っていった。
     さて、と青年は室内を見渡す。今日は何を借りていこうか。とはいっても、子どもの頃から通い詰めていたこともあり、ここにある本はジャンル問わず大方読んでしまった。最近は昔読んだものの内容を忘れてしまったものを読み返すことが多くなっている。
     とりあえず、と目の前の棚の中身をざっと見る。冒険譚、英雄譚、恋愛譚、詩集、郷土資料、図鑑、辞書。大人の背丈に合わせた書棚だけあって、子どもにはいささか難解なラインナップだ。どれも大人になる少し前には読んでしまったのだけれど。
     喉が悩ましげな唸りを漏らす。幾許かの空白の後、骨張った指は郷土史を扱った書物へと伸ばされた。空想世界の物語を読みたいという欲求は、前回の貸し出しである程度満たされている。しばらく触れていないジャンルに手を出したい気分だった。それに、改めてこの土地を知るのは良いことだ。子どもたちに語り聞かせるためにも知識をつけておくに越したことは無い。
     本と本の間から抜き取ったそれを適当に開く。埃とインクと古い紙の独特な匂いが混ざって香り立つ。嫌いなものではないが、少し鼻がくすぐったい。くしゅん、と小さなくしゃみが一つこぼれ落ちる。開いた蒼い目が、すっかりと変色してしまったページに向けられた。
     Gott。
     章題なのか、ページの上部を書き殴ったような筆跡でその四文字が占めている。大きな文字の下に書かれた文章を読み解くに、どうやらこの土地の紙に関する章のようだ。瞬き、細かな文を更に追っていく。
     曰く、遠い昔にこの地を襲った災厄を払った神。村を救った神。語り継いで崇めるべき神。
     そういえば、昔そんな話を大人から聞かされた覚えがある。随分と昔のことで、今ようやく思い出した程度のものだ。土地にまつわる御伽噺に食いつかないはずがない自分が忘れてしまっていたほどだ、よっぽど簡単に話されたのだろう。おそらく食い下がっただろうが、それでも何も覚えが無いあたり本当にただの短い言い伝えのようだ。
     ――紅い髪と目。真紅の外套と剣。その鮮烈な色は、血を思い起こさせた。
     神が起こした奇跡とやらが書き連なる中、そんな一文が記されていた。歴史を記す書にあるまじき、あまりにも詩的な表現に思わず眉根を寄せる。そも、『血』など救ってもらった神に対して使うような形容ではなかろうに。昔の本にケチをつけても仕方が無いのだけれど。
     他のページもぱらりとめくってみる。昔、大人から聞かされた話がいくらか見受けられた。わざわざ本に記そうとされたものだけあってか、昔口伝えで聞いたそれよりもずっと詳しい。中には初めて聞く逸話もあった。
     ほんの少し読んだだけでも好奇心を刺激される、面白いと思えるものだった。今日はこれを借りていこう。きっとこの厚みでは数日足らずで読み終わってしまうが、他にめぼしいものもない。今回はこの一冊だけだ。
     古い装丁がほつれてしまわないようにそっと脇に抱き、蒼は書庫を出る。家に帰る前に、書を借りた旨を台帳に記さねばならない。元々は書庫に備え付けてあったそれは、利用者の減少に伴い職員のいる部屋に移されていた。
     そう広くない施設である、目的の場所に着くのはすぐだった。ノック三回、扉を開ける。中には、カップを手にした女性職員が椅子に座っていた。
    「あら? 今日お休みでしょう?」
    「はい。でも、借りていた本全て読んでしまったので返してしまおうかと」
     突然の出現にかぱちりと瞬く彼女を尻目に、青年は台帳に書名を記す。掠れた表紙と背表紙からかろうじて読み取れるのは、村の名前と『記録』の文字ぐらいだ。少し悩んだ末、『郷土資料』とペンで書く。曖昧なものだが、正しい名前が分からないのだから仕方が無い。
    「明日にすればよかったのに」
    「散歩のついでですよ。それに、返せるものは先に返した方がいいですから」
     真面目ねぇ、と笑顔でこぼす彼女に苦い笑いを返す。真面目も何も無い。ただ、済ませられるものを済ませていないと自分が落ち着かないだけなのだ。それを『真面目』と評価されるような性格と行動をしているのは、己でも理解している。
    「で? 今日は何を借りるの?」
    「今日はこれ一冊にしようと思いまして」
     胸の前に本を掲げて答える。古い表紙に目を移した女性は、細目で厚いそれを見る。ようやく文字が読み取れたのか、あら、と小さな声を漏らした。
    「郷土史の本? 随分と渋いわね」
    「中身を見たら面白そうだったので。それに、己の住む土地を知るのは重要です」
    「相変わらずえらいわねぇ」
     そう言って彼女はニコニコと朗らかな笑みを浮かべる。温かな表情には、微笑ましさがにじみ出ていた。完全に子ども扱いをしている時の顔と声だ。幼い頃から世話してきた彼女らにとって、己はいつまで経っても『子ども』なのだろう。けれども、もう一人で暮らし彼女らと共に働く程度には自立しているのだ。この歳にもなって子ども扱いなど少々居心地が悪い。思わず、慈愛に満ちた目からふぃと視線を逸らした。
    「……興味深い本です。じっくりと読みたいと思います」
    「そうね、ゆっくり読んで。お休み、楽しんでね」
     ではまた明日、と一礼し、青年は出入り口へと向かう。またねぇ、と柔らかな声に再び軽く礼をし、廊下へと出た。
     カツンカツン。石床が音をたてる。遠くから子どもの声が聞こえる。元気に遊ぶ姿を眺めたい気持ちはあるが、今日は裏口から出て行くのが得策だろう。本を借り手にした今、元気いっぱいの彼らに遊びをねだられても付き合うことができない。悲しい顔をさせるわけにも、本を野外に置くわけにもいかなかった。
     施設の裏側、林に向いた面に取り付けられた扉をくぐる。瞬間、飛び込んできた昼空の眩しさに思わず目を細める。雲一つ無い、太陽だけが存在する青い空。洗濯物がよく乾きそうな良い天気だった。
     早く帰ろう。お茶でも淹れて、ゆっくりと読もう。それが最高の贅沢だ。
     脇に抱えた知識の塊に思いを馳せながら、青年は自宅へと歩みを進めた。






     パタン、と音をたてて厚い本が閉じられる。背もたれに体重を預け、青年は天を仰ぐ。ずっと文字を追っていた目を閉じ、外部刺激から逃げた。かすかに走る痛みを誤魔化そうと、目頭を軽く揉む。心地良さに、あー、と情けない声が漏れた。
     目を開き、姿勢を正して時計に視線を移す。短針と長針の兄弟は、日付がもう少しで変わる頃合いだと告げてきた。思っていたよりも長く読んでいた、否、引き込まれてしまったらしい。はぁ、と重い溜め息を吐き出す。長い間同じ姿勢で目を酷使した疲労感よりも、知らない世界をめいっぱい楽しんだ充足感が強くにじんでいた。
     今日借りた郷土資料は、端的に言うならば『当たり』だった。古い蔵書だけあってか、昔口頭で軽く聞かされた程度の話など比ではなく詳しく記されている。どれも言葉短ながら的確で、けれども読者を釘付けにするような文章だ。解説を主としているのにこれだけ読み手を文字の世界に引き込んでいくのだから、書き手は相当な手練れなのだろう。どこにも著者が書かれていないのが惜しいところだ。
     相当数あるページと項目の中、特に力を入れて書かれていたのは『神』についてだ。昼に見た部分はほんの触りだったらしく、ページを追えば追うほど彼について深く掘り下げられていく。記された文は他の章とはまるで別人が書いたような熱量と表現力で、この項目だけ他と力の入れようが違うということがありありと分かる。それほど、著者はこの『神』に心酔していたようだ。
     記された『神』については、幼い頃いくらか聞かされていた。村を襲った災厄を払ってくださった神様。村を助けてくれた神様。この書を読むまで忘れていたようなものだが、こんな熱の入ったものをぶつけられては俄然興味が湧いてくる。他の資料を読み漁りたいと思わせるほどだ。
     気になったのは、『教会に祀られた』という一文だった。そういえば、そんな話を聞かされた覚えがある。けれども、村の外れにある教会は既に管理する者はおらず廃れた状態だったはずだ。あそこは古くて危ないから入ってはいけません、と子どもの頃に何度も言い聞かされたのを覚えている。大人の忠告は素直に受け入れる性質だったのもあり、今の今まで近づくという発想すら出てこなかった場所だ。大人になった今でも、森の奥にあるらしいそれを目にしたことは無い。そもそも、そこに至る道すら放置されているのだ。わざわざ草むらを掻き分けて廃教会を訪れようなんて考える人間はそういない。己も然りである。
     神。救世主。伝説の存在。物語の主役。
     そんな、己にとんと縁が無い非日常があそこにあるかもしれない。そう考えると好奇心をそわりと撫でられる心地がするのは、己がまだまだ子どもだろうか。否、こんなに熱のこもった文章を読んで興味を持たない人間の方がおかしい。当然だ。仕方の無いことだ。それらしい言葉を並べ立てる。こういうところがまだまだ子どもなのであることぐらい、自覚はあるのだけれど。
     今日はもう遅い。明日に備えて寝るべきだ。閉じた本をそっとテーブルに置き、青年は身なりを整えランプの灯を落とす。暖色に包まれていた部屋は、一瞬で黒に包まれた。慣れた闇の中を進み、ベッドに入る。薄い布団を被ると、布地と綿の柔らかさとほのかな温かさが薄着の身を包んだ。
     次の休みにあの教会に行ってみよう。大人になった今ならば、誰にも咎められないはずだ。
     そんなことを考え、青年は目を閉じる。柔らかな寝具に包まれた身体は、眠りの海にゆっくりと浸っていった。





     ザ、ザ、と草を掻き分ける音が薄ら暗い空間に響く。真昼間だというのに、木々が陽光を遮る雑木林は夕暮れのようなほの暗さだった。道なき道を進む不安もあってか、不気味さすら感じられる。幽霊の一人や二人出てきてもおかしくないのではないかなんてふざけたことを考えた。
     長袖を着てきて正解だった。季節にそぐわない黒い生地は暑さと汗による不快感を覚えさせるが、こんな草むらを肌を出して進んでいくより何百倍もマシだ。そもそも、後者が愚かなだけである。草で肌を切ったり虫に刺される危険性はいくらかの我慢を重ねてでも排除すべきだ、と教えられていた。
     ザ、ザ。同じ音が森の中に響いては消えていく。もう少しのはずだが、と辺りを見回す。のびのびと茂る木と我が物顔で地を埋め尽くす草に包まれた空間は、緑で染め上げられている。だが、その一色の中に濃い灰が点々と見えた。石畳だ。至るべき道を確信し、そちらへと足を伸ばす。隙間から草が生い茂り、埋まって土に同化しつつあるそれを辿っていく。カツン、と靴底が石を打つ音が葉擦れの中に落ちた。
     カツン、カツン。石畳の上を靴音が歩いていく。跳ねていく。駆けていく。しばしして、目的の場所に辿り着いた。
     そこは、聞いていたよりもずっと形を残していた。壁はもうほとんど塗装が剥げているが崩壊はしておらず、少しのひび割れを覗かせながらもきちんと役割を果たしている。ドアも木の地が見えきっているが、扉としての形を成して正面を向いていた。古ぼけた屋根のてっぺんに立つ十字架は輝きを失っているが、ここが『教会』という場所であることを雄弁に語っていた。
     村外れの廃教会。幼い頃から行ってはいけないと言われ続けていた場所――あの本曰く、『神』が祀られている場所。
     とくりとくりと胸が高鳴る。生まれもあって、『神』という存在を強く信じて生きてきたわけではない。信仰心なんてものもない。久しぶりの冒険と初めての場所に興奮しているのだ。この歳で、と呆れる己がいる。けれども、昔から冒険譚を読み漁っていた青年にとっては心震える風景だ。なんたって、物語に出てくるような『神が祀られた廃教会』が現実の存在として目の前にある。
     石や段差で転ばないよう、しっかりと地を踏みしめて進んでいく。ザリ、と細かい土と石のかけらが踏まれる音が硬質な足音を彩った。
     廃れた場所らしくもない、しっかりと存在と役割を主張する扉に手をかける。力を込めて押すと、ギィ、と蝶番が擦れる嫌な音が木々に包まれた世界に落ちた。歪むことなく簡単に開いてしまうなんて、これまた廃れた場所らしくもない。不躾な不満が心に湧いて出た。幻想に小さなヒビが入っていくような心地だ。
     両開きの扉を完全に開く。古ぼけた厚い戸の向こうには、寂れた風景が広がっていた。左右に五列ずつ並ぶ長椅子は、埃を被って白んでいる。薄灰のなかに小さく散らばる茶は木のクズの色か、それとも壁の塗料か、破片か。どれにせよ、人が長らく訪れていないことは明らかだった。
     埃くずたちが敷かれた空間、通路に当たる真ん中部分は強い色で彩られていた。ステンドグラスだ。これまた古ぼけているが、割れたり砕けた様子は無い。作られた時そのものと同じであろう姿で講堂を照らしていた。色とりどりの硝子は、木々の隙間から差し込む光を通して狭い聖域を彩る。本当に放置された場所なのか、と疑ってしまうほどの美しさだった。
     その中に、紅があった。
     色鮮やかな紅。よく晴れた夕焼け空のような紅。血のような紅。
     目に焼き付くような紅で染められたヒトが、そこにはいた。
     紅い影が、硝子の極彩色を背負った影が振り向く。布が重たげにひらめくのが見えた。
     そこにあったのも、また紅だった。
     磨かれたルビーのようにつややかな紅。熟れきったいちごのような深く鮮やかな紅。したたり落ちる鮮血のように澄んだ紅。
     ひたすらに美しい紅と、視線がかちあった。
    「――え? ニンゲン?」
     声が重なる。紅い人影も、立ち尽くす己も、深い森での邂逅に驚愕していた。当たり前だ、こんな森の奥、それも村の子ならば『近寄るな』と言い聞かされてきた廃教会に自分以外の人間が来るとは思うまい。
    「え? 何でニンゲンがここに?」
     先に口を開いたのは紅だった。柘榴石の瞳も血の色をした口も丸く開いて、呆然としたように言葉を紡ぐ。自分が言った言葉ですら信じられないと言いたげな表情と声音をしていた。へ、とあがった音は疑問に満ち満ちていた。
    「何で、って……」
     好奇心、と正直に答えるのは抵抗があった。己も大概いい歳である。『本を読んで気になったから来た』だなんて幼稚な事実を口にすることなんてできない。それぐらいは弁えていた。
    「貴方こそ、何故こんなところにいるのですか?」
     場をやり過ごそうと、問いに問いで答える。普段子どもたちにはするな、と言い聞かせていることだ。破ってしまった罪悪感が胸を苛む。けれども、初対面の人間に幼稚な理由を馬鹿正直に話す勇気も、驚愕に溺れる中上手くはぐらかす方法も持ち合わせていなかった。こんな場所なのだから誤魔化しようが無いのだ。
     そうだ、森の奥の廃教会こんな場所に何故人がいるのだ。
     紅い姿をじぃと見る。村では見たことがない顔と服装だ。焚き火のように真っ赤な髪の持ち主なんて村にはいないし、季節外れにも程があるロングコートとロングブーツをまとう人間も見たことがない。街の人だろうか。否、街の人間が少し外れにある村、その中でも外れにある廃教会に来るなんてことはまず無いだろう。では、旅人か。そうだとしても、こんな森の奥底を滞在場所に選ぶなど怪しい。あんなにも目を惹かれた色が、だんだんと怪しいものに思えてくる。
     ただ、何か引っかかるような。
    「何でって、だってオレ――」
     当然だろうという調子で語り出した口がはたりと止まる。へ、とまた間の抜けた音。赤い口の中に尖った八重歯が覗いた。紅玉の瞳が、更に紅玉らしく丸くなる。え、え、と漏らす声はどんどんと上擦り大きくなっていった。
    「ていうかオレのこと見えてる」
     素っ頓狂な声で叫び、目の前の紅い男が駆け寄ってくる。バタバタと騒がしい足音が寂れた空間に響く。何だ、と一歩退くが、それも瞬時に詰められた。コートに包まれた腕が上がり、がっしりと力強く肩を掴まれる。鼻先がくっ付きそうなほど顔が近づく。紅が視界いっぱいに広がった。
    「え マジで オレのこと見えてる 話せてる」
     鮮烈な紅い瞳がまっすぐに蒼を射抜く。キラキラと輝くそれは可愛らしいさを思わせるものだ。同時に、吸い込まれて引き返せなくなるような魔力を感じさせた。とくりと心臓が音をたてる。何故だか分からないが、息を呑んだ。
    「み、『見える』って何ですか。当たり前でしょう」
     意味の分からぬことを矢継ぎ早にまくし立てる男に、青年は眉根を強く寄せる。目を細め、少しでも紅から逃げようとする。無意味だった。紅い紅い目が、己を見つめる。
     人間を見ることを、人間と話すことをこれほどまでに騒ぎ立てるなど、怪しいにも程というものがある。もしや、気でも狂っているのだろうか。明らかな危険性にまた一歩退こうとするが、鷲掴むと表現するのが正しいほど力強く捕らえる手が許してくれなかった。紅い紅い目が、己を映す。
     いや、だって、えぇと、と怪しさと危うさをまとった男は言葉をボロボロとこぼれさせる。何らかの説明はできるようだが、思考と言語化が追いついていないようだ。うぇ、とパニックに陥った子どものような声が聞こえた。紅い紅い目が、縋るように己を射抜く。
     紅い髪。紅いコート。紅い瞳。廃教会。あからさまにおかしい、ヒトから外れた言動。
    「――Gott神様?」
     頭の中に浮かぶ点が、線で結ばれていく。形を持ったそれは、あり得ない事象を思い浮かばせた。馬鹿げたことを、と脳味噌は嘲笑う。けれど、単純な部分が声として吐き出し、空気を振動させ相手に伝達した。古い空間に、疑念と驚愕に満ちた声が落ちる。
     姿形が似ているだけではないか。『神様』なんて馬鹿げている。だって、あれは昔話で。御伽噺で。ただの言い伝えで。『神』なんてものが目の前に存在するはずなどあり得ない。
     けれども、目の前の紅はあの文献が記すそのままの色をしていて。
    「――そう! そう」
     己の馬鹿げた言葉に、目の前の男は顔をパァと輝かせる。そう、と肯定を意味する語を繰り返す声は上擦っており、興奮をよく表していた。声だけでは感情の発露が追いつかないのか、掴まれた肩を揺さぶられる。ぐらんぐらんと視界がぶれる。
    「オレのこと信じてるやつ、まだいたんだな!」
     感動すら感じさせる声をあげ、紅い男は掴んだ肩から手を離した。分厚い生地に包まれた腕が広げられ、目の前の黒い胸に飛び込む。そのまま、ぎゅっと抱き締められた。拘束する力は凄まじい。このままでは骨の一つや二つ折れてもおかしくないような力加減だ。ぅ、と苦しげな声が漏れる。押し退かそうとするが、どういう理屈がびくともしない。その間にも、込められる力は強まるばかりである。ミシ、と嫌な音が聞こえた気がした。
    「ちょ、と、く、くるし、い……」
     せめてもの抵抗で、脇をバンバンと叩く。込めることができた力は普段の半分にも満たないものだ。それほどまでに、拘束する腕力は恐ろしい強さだった。ごめん、と慌てた声。背に回された腕が離され、温度が離れていく。タン、と足音を立て、紅は飛び退いた。つい嬉しくてさ、と漏らす声はしょげたものだ。まだどこか浮かれた調子も見える。高揚感が隠せていない。
    「ニンゲンに会うの、えっと…………かなり久しぶりだからさ。身体使うのも久しぶりだったし。ごめん」
     もそもそと言葉を紡ぐ男の顔はどんどんと俯き、ついには地を見つめる。叱られた子どもの姿そのものだ。姿形はどう見ても大人のそれなのに、言動が完全に子どもである。そのちぐはぐさが、どこか不気味にも思えた。やはり怪しい。危険だ、と脳味噌が叫ぶ。けれど、足は動かなかった――ここから離れる気など欠片も湧いてこなかった。
    「……本当に神なのですか?」
     発してから、何と間抜けなことを、と己が罵倒する。そんな問い、肯定されても否定されても信用などできるはずがない。だって、『神』は御伽噺の世界の存在なのだ。この世にいるはずがない。そして、騙っていいものでもない。どう答えられようと、目の前の男を信用する要素など無い。
    「おう!」
     返ってきたのは、自信に満ち満ちた肯定の語だった。地を見つめていた顔がぱっと上がり、満面の笑みを咲かせる。腰に手を当て胸を張る姿は堂々としたものだ。神を騙るにしてはいささか児戯めいた行動だが。
     でも、こんなにはっきりと肯定されて、当たり前のように言われては、何だか信じてしまいそうになる。姿形が本の通りだから。相手が肯定してるから。嘘なんて言っているように見えないから。たかがそんな要素だけで初対面の人間を、否、『神』を信じてしまいそうになるなんて、単純にも程がある。己はこんなにも馬鹿だったのか、と呆れを覚える始末だ。
     けれど、目の前の紅は何よりも鮮明に語っていて。
    「いやー、オレのこと信じてくれるニンゲンがまだいたなんてなー」
    「……まだ信じてはいませんよ」
     へにゃりと笑う紅に、蒼は警戒心をこれでもかとあらわにした声で返す。どんな感情で塗りたくろうと、移り変わる心からすれば言い訳でしかない言葉だった。
    「ウソ」
     そんな青年の様子を気にすることなく、男は短く告げる。ニィ、と真っ赤な口が意地悪げに弧を描いた。紅い紅い目が、己だけを一心に見つめる。
    「だって、信じてるやつがいねーとオレ動物にすら見えねーもん。触れんのも無理」
     そう言って、男は踏み出し再び距離を詰めてくる。今度は離れる余裕が無かった。呆然と垂れた手に、硬い手が重ねられる。手のひらと手のひらを合わせ、指と指を絡め、きゅっと握られ掲げられる。肌から伝わってくる感触は、温度は、確かに生き物のそれだった。
     見える。話している。触れている。
     男が言うことが正しいのならば、目の前の紅は『神』で、この現象は己が『神』なんて存在を信じている証左らしい。そんな馬鹿な、と心が呆れきった声をあげる。文献一つ読んだだけで『神』なんてものを信じるのか、己は。幼子よりも純粋で、単純で、思わず頭が痛くなる。
     だが、あの本から言い知れぬ何かを感じ取ったのは本当だ。こうやって、休み一日潰して廃教会を訪れるほどには惹かれていた――御伽噺の『神』を求めていた。
    「じゃ、今後ともよろしく」
    「は?」
     絡めた手をぱっと離し、紅い神は笑う。訝しげな声を漏らす青年に、何を言っているのだと言わんばかりに首を傾げた。紅い紅い目が、きゅるりと輝く。
    「だって信じてくれてんだろ? 信仰してくれるんだろ?」
     見つめる瞳は、こちらを信じ切ったものだった。初めて会った人間を心から信用し、確信し、当然のように語る。幼い子どもの行動だ。堂々としすぎて、当たり前のように振る舞われて、うっかり信用してしまいそうになる。
    「い、や、信仰なんて……」
     信仰などしていない。それどころか、未だに目の前の存在を『神』だと信じ切れてすらいないのだ。なのに、何故こうもはっきりと、常識のように言ってくるのか――存在しているのか。
     目の前の存在が、己の心を明確に表していた。
     えー、と男は不満げに唇を尖らせる。それもすぐに、まぁいいや、と切り替わった。表情がコロコロ変わるところまで子どもある。『神』はおろか、本当に大人なのかと疑ってしまう。
    「信じてくれるやつがいるだけでじゅーぶんか」
     ふっと目を細め、紅は、『神』は呟く。あれだけ狂喜し上擦っていた声は、平常らしい見た目相応に低いものになっていた。それが、どこか寂しさを誘う。輝き光る炎瑪瑙の中に、うっすらと影が差したように見えた。
    「……存在できるようになってどうするのですか」
     目の前の存在は『神』で、この世に確かに存在する。それはもう認めてしまおう。目の前の男が『神』を語る狂人であったとて、もう心は信じることに自然と傾いていた。
    「正しくは顕現な。存在自体はずっとしてた。誰にも見えねーってだけで」
     人差し指を立て、『神』は訂正する。彼にとっては重要な事柄らしい。それもそうか、『存在』を否定されてはいい気はしないだろう。
     でも、見えないのに『存在』するんだなんて。それは本当に『存在』と言えるものなのだろうか。誰にも見えない。誰とも話せない。何にも触れられない。それは、『在る』と言っていいものなのだろうか。
    「まぁ、どうもしねーよ。いつも通りここにいるだけ。変わんね」
     ここがオレの居場所だからさ。『神』は語る。そういえば、彼はここに祀られているのだった。唯一の存在場所なのだろうか。いや、でも元は村を救ったという存在なのだ。村にいてもおかしくないのではないか。何故、人など来ないここにずっと『存在』するのだ。
    「こんなに長く人がこね―ってことは、今村でオレのこと知ってるやつなんていないんだろ? ここから出てっても怪しまれるだけだって」
     へらりと笑う男に、青年は唇を引き結ぶ。告げられた言葉は残酷ながら全くの真実だ。『村を救った神』の存在など、子どもが寝る前に軽く語り聞かされる程度のものである。純粋な幼子ならまだしも、現実を知ってしまった大人が信じているはずがない。それどころか忘れているだろう。あの書の存在を知るまで、そんな御伽噺を忘れていた己のように。
     だからさ、と『神』は頬を掻く。眉尻を下げてはにかむ。紅い紅い目が、寂しげな色を見せる。
    「たまに来て、村の話聞かせてくれね? 今どうなってるか全然分かんねーから気になるんだよな」
     平和なままか、と『神』は問う。一応助けたもんは助けたもんだしさー、とまるで世間話をするかのように語る。内容はどう考えても狂人のそれだ。『神』と認めてしまった今は、信じる他ないが。
    「……いいですよ」
    「ほんと」
     ずぃ、と目の前の身体が近づく。また鼻先が触れそうなほど距離が縮まった。相変わらずおかしな距離感に、青年は怖じ気づいたかのように一歩引く。『神』の距離感覚は人間とは違うらしい。
    「あまり頻繁には来れませんけれど。話をするぐらいなら、いくらでも」
     どうせ休みの日はまとめて家事をするか、本を読むかぐらいだ。訪れるのにいささか時間は掛かるものの、話をすることぐらい造作も無い。毎日子どもたちを相手にしているだけあって、何かを語るのは得意な方だ。
     それに、もしかしたら昔のことを教えてもらえるかもしれない。文献にも書かれていないような、昔の話。神話の世界。未知の世界。想像するだけで知識欲が刺激される。利用するようで悪いが、それぐらいは許されるだろう。一応、己の『信仰』により『神』は顕現できているようなのだから。
    「じゃ、約束な!」
     紅い目が喜ばしげにきゅうと細まり、大きく弧を描き、笑顔を咲かせる。季節外れの向日葵のような、満開で、鮮やかで、存在感のある笑みだった。それもすぐに萎み、えっと、と彼は口ごもる。無骨な手が少し丸い頬を掻いた。
    「……名前、なんてーの?」
    croiXクロワです」
     手短に名乗る。いつだったか与えられた己の名前は、長年名乗ってきたというのに未だにどこか違和感を覚える。そんな青年の様子など気にすること無く、男はくろわ、と復唱する。くろわ、くろわ、と紅は噛み締めるように何度も口にする。夕焼け色の頭が大きく縦に動いた。
    「じゃ、よろしくな! クロワ!」
     ずぃと大きく広げられた手が差し出される。あまりにも自然な姿に、思わず不用心に手を重ねてしまった。触れた瞬間、逃がさんとばかりにぐっと握られぶんぶんと振られる。随分と激しい握手だ。加減というものを知らないらしい。
    「貴方は何と呼べばよいのでしょうか?」
    「[[rn:Gott > 神とか神様]]でいいよ。名前ねーし」
    「名前が無い……?」
     当たり前のように告げられた言葉に、青年はゆるりと首を傾げる。名前が無い、だなんてどういうことだろう。何者にも名前は与えられるはずだ。『神』なんて崇め奉られる存在ならば尚更である。崇拝するものに名前が無くては困ってしまうではないか。
    「明確な神格があるわけでもないしな。ただの神」
    「そう、ですか」
    「気にすんなって。神様なんてそんなもんだぜ?」
     他にも名前ねーやつなんていっぱいいたし適当に呼んでたしな、と男は語る。歌うようなそれは、明るい響きに反して何とも寂しい現実である。かといって、自分一人ではどうすることもできない。目の前の『神』は『神』でしかないのだ。
    「じゃ、またな。話、楽しみにしてるから」
     男はひらひらと手を振る。紅い紅い目が己だけを見つめる。瞬間、鮮烈な紅は視界から消え去った。
     え、と青年は声を漏らす。急いで辺りを見回しても、椅子の影を確認しても、扉の後ろを確認しても、あるのは古ぼけたそいつらとボロボロの壁ぐらいだ。手の甲で目を擦ってみる。けれど、晴れた視界は変わらない。あの紅がいない。
     夢だったのだろうか。幻覚だったのだろうか。そうに決まっている。だって、『神』なんているわけがない。
     けれども、この背には、この手には、あの温かな温度と確かなる感触がはっきりと残っていた。
     呆然と正面を見やる。夕焼けに近い色をした陽光を受けるステンドグラスは、物言わず地面を鮮やかに染めていた。
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