3 共闘「ここが、お前の根城か」
ナハトと瀧川は、タイムジャッカーであるノヴァの案内で、長屋の一室に足を踏み入れた。
月明かりすら届かない部屋の中は真っ暗闇で、ナハトは手元のライトで部屋の中を照らしている。部屋は狭く、全体で四畳程度といったところだろうか。土間には炊事の設備があり、畳の上には箪笥や火鉢が置かれている。この時代にはよくある部屋の造りだ。
「まさかこんなところに、タイムジャッカーが潜んでいただなんて……」
ナハトとノヴァの後ろから部屋に入ってきた瀧川は、戸惑いと落胆の混ざった声を漏らした。これまで現地調査員として目を光らせていた分、こんなことになる前に、もっとできたことがあったはずなのに、と責任を感じているようだ。
「TPAとて完全ではない。あまり気に病むな」
ナハトは瀧川にそう声をかけつつも、斥候が潜んでいないかの確認を進めていた。部屋の奥に衝立のようなものが置かれていたためそれを覗き込むと、そこには寝具が畳まれていた。念のために手を置き体重をかけてみたが、ただの布団で、特に人が隠れていたりはしていなさそうだ。ノヴァはナハトを冷めた目で見ながら、火鉢に火を灯した。
「ふん。そこまで用心しなくても、ここには私とお前ら以外誰もいない。……ここのことを、バルド様が話すはずがないからな」
「誰だって?」
初めて聞く名前に、ナハトの眉がピクリと釣り上がる。
「バルド様。私の主人だ」
「そいつもタイムジャッカーか。そいつは今どこに?」
瀧川がそう尋ねるも、ノヴァは目も合わさずに無言で首を振った。
「まさか、わからないのか」
「……一応、見当は付いている」
「それが、先程の屋敷ということか」
ナハトがそう呟くと、ノヴァは無言で肯定した。
瀧川は、顎に手を当て、うーん、と唸った。
「瀧川調査員?どうかしたかね」とナハトが尋ねると、瀧川は視線をナハトに向け、「暁さんは先程の屋敷、誰のものかご存知ですか?」と返した。
「いや、知らないな」
「そうですよね。普通の歴史の本ではそう見かけませんから。俺の集めた情報によると、あの屋敷の主人はチャオという男で、元を辿れば清国から来た、代々続く商家です。相当な金持ちで、さっきのあの屋敷もこの町で三本の指に入るほどの大きさです」
「なるほど。有力者というわけか」
「はい。だから一応、パトロールするときはチャオの屋敷もよく見ておくようにしていました」
それで、今回のノヴァの強襲にも気付けたということか。ナハトは腑に落ちたようでふむ、と息を漏らした。
「そのチャオという男は、どんな奴なんだ?」
「俺も見たことはありません。そうそう外に出てくる身分の人じゃないですし。ただ、やり手の商人だってことはわかりますよ。かなり儲かってるみたいですし、この町で納められてる税のほとんどはチャオによるものだって言われてますから。屋敷の内外の警備も厚くて、めちゃくちゃ財宝がためこまれてるって、もっぱらの噂です」
瀧川は淀みなくそう言った。
「あの屋敷には……」
それまで黙っていたノヴァが、突然口を開いた。二人の意識がノヴァに向く。
「珍しい楽器が、山ほどある。そして、一流の演奏者も。だから我々は、あの屋敷に近づいたのだ」
「その楽器を盗むために?」
「違う。我々はただ、毎夜人目につかぬよう屋根に上り、屋敷内で披露されている楽の音を楽しんでいただけだ」
「それはさすがに怪しまれるだろ……」
瀧川の呆れた声に、ノヴァの眉間に皺が寄る。
「……バルド様は、やはり盗人として捕らえられてしまったのだろうか」
「まあ……その可能性が高いだろうなあ」
瀧川はため息混じりにそう言った。
「そして、理人もまた、盗人の一味と疑われ、捕らえられてしまったと?」
ナハトの視線が鋭くなる。声も怒気をはらみ、隣にいた瀧川がぶるり、と震えた。
(うわ、暁さんのこんな声初めて聞いたかも。めちゃくちゃ怒ってる……。そりゃそうだ、バディのライゼさんが消えたのが、タイムジャッカーのせいとあっちゃあ……)
「あ、あの、暁さ……」
「ノヴァと言ったな」
瀧川の弱々しい声は、ナハトのそれにかき消された。
「……ああ」
「お前の主人……バルドを連れ戻す手助けをしてやろうか」
「何!?……それは、本当か?」
思わず大きな声を出しそうになったノヴァは、思わず口を抑え、また静かに話し始めた。長屋というものは壁が薄いため、あまり大きな声を出すと隣人に聴こえてしまう危険性があるのだ。
「私を騙すつもりじゃないだろうな」
「いや、ちゃんと手助けするさ。そのかわり、お前は私の理人を救出するために協力しろ」
感情のない声で、交換条件だ、とナハトは言い放った。瀧川は、まさか彼がタイムジャッカーに共闘を持ちかけるだなんて、と内心驚愕した。
ノヴァは数秒黙り込んでいたが、彼にとってもその申し出は悪いものではなかったようで、眉間に皺を寄せながら「背に腹はかえられないか……」と苦々しく呟いた。
深く息を吐くノヴァに、ナハトはふっと鼻で笑った。
「TPAなど信用できるとは思えないが、今はお前と手を組んだ方が良さそうだ」
「私も全く同じ考えだよ。では、契約成立だな。……もし不審な動きを見せれば、身柄を拘束しTPA本部に送るからそれだけは心得ておいてくれ」
「この期に及んで脅しか。……まあいい。私はバルド様さえ帰ってきてくれたら、それで。その後のことは、その後考える」
そう言うと、ノヴァはすくっと立ち上がり、箪笥の中から手頃な着物を何着か引っ張り出した。それをナハトに投げてよこす。
「バルド様のお着物だ。お前は背が高いようだから、貸してやる。汚すなよ」
ナハトは小さく礼を言うと、隊服のジャケットを脱ぎ着物を着た。ジャケットは小さく畳み、着物の合わせの間に挟み込んだ。足元は多少出るが、元の持ち主のバルドという男の背が近いのか、さほど気にはならなかった。
「では、暁さんはしばらくはこの長屋に滞在されるのですね?」
「ああ……お前もそれで構わないか?」
ナハトがノヴァを見やると、「仕方ないから置いてやる」とすました顔のノヴァが首肯した。
「わかりました、それでは、何か情報を仕入れたら、ここに来ますね。俺、さすがにそろそろ帰らないと」
「そうか。途中まで送ろう」
そう言うと、ナハトと瀧川は長屋を退出し、歩き始めた。
しばらく無言で歩き続けていた二人だったが、長屋からだいぶ離れたところで瀧川がおもむろに口を開いた。
「あの。どうして、タイムジャッカーと手を組もうと思ったんですか?」
「唐突だな」
「すみません。でも、気になって。暁さんほどの人であれば、別にタイムジャッカーの力を借りずとも、ライゼさんを取り戻すことなんて、そう難しくはないと思うんですけど」
「そう思うか?」
「はい。だって暁さんは、あの特殊部隊の中でも最強だって、こっちでも評判ですから」
こっちとは、瀧川の所属しているTPAの刑事部のことだ。ナハトや理人は警備部所属のため、同じTPAといえど直接会うこともそうない。その分、ナハトたちの噂が一人歩きしていたとしても不思議ではない。
「まあ、あいつらの中では確かに俺が一番強いかもな……」
鍛え上げられ、二番手へと成り上がった理人ですら、今のナハトには到底敵わない。とはいえ、奇襲や複数人を相手にした戦闘ですら難なく勝利を収めてきた理人が、今回このような形で姿を消している。敵は、一筋縄ではいかない相手かもしれない。
声色が曇ったナハトに、瀧川は不安そうな表情を浮かべた。
「暁さん……?」
「うん?どうかしたかい、瀧川調査員」
そう返すナハトの声は、いつも通りの、余裕をたたえたものだった。
「い、いえ!すみません、変なこと聞いちゃったみたいで……暁さんには、暁さんの考えがありますもんね!俺、時間見つけて情報届けに行くんで!これからよろしくお願いします!」
瀧川は捲し立てるようにそう言うと、一つ先の通りにあった屋敷に、足音も立てずに駆け込んでいった。
「……まったく、騒々しい調査員もいたものだ」
ナハトは小さくため息をつくと、元来た道を歩き始めた。
ふと手元を見ると、ナハトが普段使いしている腕時計が目に入った。どうやらこの時代に飛んでから既に四時間ほど経過しているようであった。
ナハトは、憂鬱な表情を浮かべ、大きな屋敷に隠れていく月をただ眺めていた。