現パロ無鉄(彫刻家×貧乏美大生)その7 今日の夕飯はハンバーグだから、遅くならないうちに帰ってこい。そんな予告を聞いて、浮き足立たない訳がなかった。逸る気持ちを抑えながら大学を出る。それで帰宅すれば――玄関に、見覚えのない靴があったのだ。
黒のハイヒール。マンションにはたまに無頼漢の仕事相手が訪れることはあるが、女性が来るのは珍しい。大概来客がある時は知らせてくれるのだが、急な訪問だったのだろうか。俺は気持ち衣服のシワをのばし、恐る恐るリビングへ足を踏み入れる。そこにいたのは。
「おじゃましています。ご無沙汰ですね、我が子」
「……………………」
見間違いだろうか。そう思って瞬きを繰り返す。しかし何度視界が開けてもそこには淑やかな女性が――イゾルデが、いる。
「……な、ぜ?」
辛うじて捻り出した言葉がこれだ。俺の狼狽えっぷりを見てイゾルデと無頼漢が笑う。最近受け取った彼女からの手紙に近々訪問するなど書いていなかったが……無頼漢の様子から察するに、無頼漢にアポを取った上で二人して俺に隠していたな。抜き打ち親訪問イベントってやつか。
「ふふ、大きく環境が変わりましたからね。貴方のことが心配なのと、無頼漢さまにご迷惑をお掛けしていないかと気になって」
俺の脳裏に先日の朝の風景が過ぎる。あれはセーフだろうかアウトだろうか。いや絶対アウトだろ。イゾルデは結構な過保護なのだ。どう考えても無頼漢とのちょっとアレなあれこれは悟られない方がいい。
何となく居住まいを正す。イゾルデは変わらず穏やかな微笑みを湛えているが、どことなく探るような鋭さが漏れ出ていた。
無頼漢にはとても良くしてもらっていて、生活には不自由無いどころか幸せそのもの。だから大丈夫だ。ベッドの中で淫らに体を絡ませ合うだとか、そんなやましいことなど何もない。まずは自分にそう言い聞かせ、促されるままイゾルデの隣へ着席する。
俺の帰宅を見計らったように、テーブルには既にハンバーグが用意されていた。デミグラスソースの掛かった俵型の肉、ドレッシングの添えられたサラダ、ちょっと良いメーカーのコーンスープ……変に気取った風もないいつも通りのクオリティで皿が並んでいる。三人で手を合わせ、無頼漢の勧めでイゾルデが最初に料理を口にした。
「まあ、美味しい……これは無頼漢さまが?」
「ええ。おかわりもありますし、余った分は保存して弁当に」
「素敵ですね……どうか皆さまも、ご一緒に」
イゾルデの合図で俺たちもフォークを持つ。イゾルデとの食事は久しぶりだった。彼女は若く見えるが、無頼漢より少し年上。そんな二人と食卓を囲むのは、そこまでの歳が離れてはいないとはいえ……家族の団欒のようだった。
イゾルデはあまり食事中に喋らない。察した無頼漢も静かにしており、温かくも少しの緊張を伴った時間が過ぎていく。
「ご馳走様でした。栄養バランス、量、彩り……どれを取っても素晴らしいです。我が子の体が以前より愛らしくなったのにも納得できます」
「……ん?」
「いやあ、まだ細っこいですからこれからもおいおい」
「……んん?」
何か……恥ずかしい話をされていないか?
「以前の貴方は痩せすぎでしたから……健康的な貴方の姿を見られて、とても嬉しく思います」
ツン、と細い指が俺の頬に触れる。そこまで柔らかくもないだろうに彼女は赤子の頬をつつくかのように幸せな顔をしていた。少し照れて目を逸らせば向かいの無頼漢と視線が絡む。助けてくれと合図すれば、彼は笑みを深くし――
「!!」
イゾルデとは反対の頬をつついてきたのだ。なっ……なんだこの状況は。無頼漢の行動がイゾルデにどう思われているかヒヤヒヤしながら目線を彼女に戻せば、相変わらず慈愛に満ちた笑顔。何も勘づかれていない……か?
「……食器を片付ける。俺は洗いに行くから……」
早く解放されたくて苦し紛れに提案すれば、二人の指はようやく戻って行った。
俺が皿洗いをしている間に無頼漢がコーヒーをいれ、イゾルデの手土産だというケーキが食卓に並んだ。三人で有難く頂き、近況や他愛のない話をして過ごす。美しい時間だった。
気付けば時計の針は二十時を回っている。名残惜しい雰囲気はあるが、イゾルデも帰るようだ。玄関まででいいと言うので、無頼漢と二人で彼女を見送る。
「本日は良き時間を誠ありがとうございました。無頼漢さま……どうかこの子を、よろしくお願いします」
イゾルデが深々と頭を下げる。無頼漢は彼女に頭を上げるよう促し、入れ替わるよう彼もまた真摯に頭を下げた。幸せにします、という言葉と共に。イゾルデは柔らかい笑みを浮かべ、ひらひらと手を振りながら扉を閉めたのだった。
「……ッはぁ〜…」
緊張の糸が切れ思わず声が出る。俺の様子を見て、無頼漢はいつもの豪快な笑い声を上げた。
「優しくて良い人だったな。お前さん何そんな緊張してたんだ?」
「分かっている癖に……いいか、人畜無害そうに見えて怒ると本当に怖いし勘の鋭い人なんだからな。その……バレてなきゃいいが」
「どうだろうなあ。ま、そんときゃ一緒に怒られようぜ!」
無頼漢の手が頭をわしゃわしゃと撫でてくる。それは親公認という腹積もりなのだろうか。というかさっき、サラッと幸せにするとか何とか言っていなかったか?
それって、つまり。ぶわっと体が熱くなる。俺は悪態をつく事すら出来ず、静かに無頼漢へと身を任せるのだった。