終戦後フェルヒュー+ロレ「すまないローレンツ、待たせたかね」
「いや、僕も今来たところだ」
テラスに現れたフェルディナントの姿は、普段通りの様に見えて少し髪の毛が乱れていた。
帝国というフォドラ統一国家の一将を任されながら宰相も務め、その上エーギル領の統治まで行っている彼は自分以上に多忙である。
そんな彼が合間を縫って昔のように茶会の誘いに乗じてくれるのを、僕は大変好ましく思っていた。
だから今日も彼がいっとう好む茶葉を持参したのだが、予想通り彼は飛び上がらん勢いで喜ぶ。
威厳さを滲ませながらも人の好意を心の底から受け取る無邪気な様は、なるほど、帝国内で人気が出るのも疑いようが無かった。
彼とは昔から貴族という観念について意見をぶつけ、有意義な議論をしてきた。
加え紅茶が共通の趣味であり、彼の目利きは確かなもので、普段から香水よりも茶葉の香りを身に纏っているような男なのだが。
今日の彼の香りは、香水でもなければ茶葉でもなかった。
「フェルディナント、珍しい香りだな」
「ああ、先ほどまで明日の茶会の準備をしていてね。凝っていたら想像以上に時間が経っていたのだよ」
茶会、だと?
いや、間違えようもない。
なにせこの香りは、自分の苦手な……
「それはテフの香りではないか?」
「さすがローレンツだ! テフ豆は焙煎した翌日こそ酸味、コク、苦み、その全てが素晴らしいものとなるからね」
フェルディナントの顔が、先ほど以上に笑顔になった。
しかしどこか緩んだ感じを覚える表情に、疑念は募っていく。
「……僕の記憶では君はテフ嫌いだったように思うが、随分と我が事の様に語るのだね。テフといえばヒュ―ベルトではないのか?」
黒鷲遊撃軍として従軍していた頃、何度かベレスと共にヒュ―ベルトと食事をしたことがある。
彼はいつもテフを嗜んでいた。
僕にはさっぱりその良さは理解できないが。
これはフェルディナントも同じで、苦いだの、泥水の様だの、夜眠れなくなるだの散々な評価を下していたはずだ。
「うむ、ヒュ―ベルトにも出すし、最近は私も嗜むのだよ。案外奥が深くてね、興味があるのなら次の茶会は是非テフを用意するが」
「……遠慮するよ」
「君は私以上にテフが苦手だものな。興味が湧いたらいつでも言ってくれたまえよ」
フェルディナントが、テフを飲む?
確か彼は食わず嫌いではなく、味そのものに嫌悪感を示していたはずだ。
「人は変わるものだな。士官学校では君たちの仲の悪さときたら知らない者はいないくらいだったのに、茶会を行うまでになるとは……しかも君の食の好みを変えてしまうなど、相当ではないか」
「ふっ、愛しい人と食の好みを共有したいと思ったまでさ」
…………
フェルディナントの言葉は、昔から大仰なことがある。
話の流れからしてこの愛しい人とはヒュ―ベルトの事を指しているのだろうが、まるで恋人へ向けるような言葉の甘味に、少しだけ紅茶の味が分からなくなった。
せめて仲の良い友人、といった言葉選びの方が適切であると思うのだが。
「打ち解けたとは聞いていたが、愛しい人とは随分と仲良くなったようだね」
「ああ、挙式こそまだだが籍はつい先日入れたからね」
「ほう、籍を……籍を」
思わず茶を零しそうになったが、なんとか耐えた。
ひとまずカップを置く。
今、彼は籍と言ったか?
籍とは……いや、養子縁組の類でも籍を入れるというはずだ。
……二人が養子縁組をする理由など皆目見当つかない。
しかし、そうなると……あの二人が?
「どうしたのかね?」
「いや、取り乱してすまない。その……続柄は」
「もちろん配偶者だが……そんなにおかしいかね? おっと、噂をすれば丁度いい人物がいるではないか! ヒュ―ベルト! ローレンツが来ているんだ!」
何か書類の束を抱えたヒュ―ベルトがフェルディナントの声に反応し、こちらに向かってくる。
「おやローレンツ殿、先ほどの会議ではどうも。茶会に水を差すのは本意ではありませんが、ついでですのでもうお渡ししておきます」
そう言ってヒュ―ベルトが渡してきたのは、先ほど行われた政策に関する会議の議事録だった。
相変わらず仕事の早い。
「して、フェルディナント殿。何か御用ですか」
「ああ、ヒュ―ベルト。紹介しよう! 彼こそ我が最愛の人にして、この世で最も美しく、それでいて可憐であり、その聡明さはフォドラの中でも……」
「はぁ……」
フェルディナントが言葉の限りを尽くしてヒュ―ベルトを褒めたたえている。
美辞麗句ではない真摯な言葉に、聞いているこちらが恥ずかしくなりそうだ。
呼ばれたと思ったら突然賛辞を並べ立てられているヒュ―ベルトはたまったものではないだろう。
そう思って彼の姿を見たのだが、一体どうしたことか。
動揺するでもなく、フェルディナントの声を聞いている。
……まるで、既に慣れてしまっているかのような。
「……といった彼こそが、我が愛しのヒュ―ベルトなのだよ!」
「今日は一段と精がでますなぁ……どうも、妻のヒュ―ベルトにございます」
「つま……妻」
ヒュ―ベルトと妻という言葉が結びつかない。
籍を入れていた、配偶者だった、妻だった。
情報が洪水を起こしている。
そんな僕の様子を見て、ヒュ―ベルトがいつも通りにクククと笑った。
「ああ、控えめなその笑い方も淑やかで麗しい……!」
「フェルディナント殿、その辺りで。貴殿の言葉はどれをとっても私の身を喜びで打ち震えさせますが、ローレンツ殿が困っておられます」
「……いや、僕のことは気にしないでくれたまえ。これを飲んだら宮城を発つよ」
あの二人が夫婦となるなど、全くの想像もつかなかった。
しかしこのような。
ヒュ―ベルトまでフェルディナントに対し慈しむような目線を寄越しているのを見てしまっては、疑うことの野暮さを認めなければならない。
あれから数日。
ヒュ―ベルトの名で届いた書簡と小包に、何か忘れ物でもしたかと思いながら開封してみれば、懸念するようなものではなかった。
それは謝罪の手紙であり、小包の中身は興味が湧きましたら是非に、と書かれていた。
恐らくテフなのだろうなと思いながら開ければその中には、僕が一番好む茶葉と、やはりテフ豆と——パルミラの香辛料が入っていた。
謝罪と銘打ちながら詫びの品の半分以上が僕の苦手なものというのは、一体どういう了見なのだ。
だが、贈り物を無碍にするなど言語道断である。
少しくらいなら試してやってもいい、そう、思ったのだった。