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    8.1話のサンウクさん妄想

    #ジェホン
    jephon
    #サンウク

    静寂 ヒョンスは、間に合っただろうか。
     目覚めてまず頭に浮かんだのはそのことだった。固い床の上に変な体勢で気を失っていたせいで、体の節々に違和感があった。下敷きになっていた左半身はすっかり痺れてしまっていて、起き上がるのに多少苦労した。立ち上がる前に壁へ背を預けて深い呼吸を繰り返し、覚醒しきっていない意識を揺り起こす。夜になり、窓から日が差してこない分、廊下の隅でぱちぱちと燃える火の明るさが目についた。
     夢を見ていた気がする。あるいはなにかを思い出していたような。
     ゆっくりと立ち上がり、足元に残っていた怪物の腕を拾い上げて火へくべる。そのおり確かめてみれば、本体の方は火の中でしっかり炭になっているようだった。手頃な鉄パイプに引っ掛けて腕を千切り、力一杯首をひねって締め落としたあと、復活する前に火種を見つけたのは幸いだった。それでどうにか始末はつけたが、何度か頭や顎に拳を喰らったのが原因だろう、廊下を出る前にぐらりと目眩がして、……こうして、いまだ。
     ヒョンスは間に合っただろうか。あの人たちは無事だろうか。
     エレベーターに乗り込む管理人の背と、その手にあった刃の圧を思い出すと、手のひらがかすかに汗ばんだ。軋む体を動かして、廊下から階段へと出る。一瞬下から吹き抜けた風が奇妙に心地よかった。
     まだ痺れのある左足をいたわりながら、できるだけの速足で階段を降りていく。途中ふと気がついて、破れていたセンサーを結び直しながら進んだ。それでも何階か降りればそのセンサーも無事のまま残されていて、そこから考えればヒョンスはおそらく、相当高い場所から飛び降りたに違いなかった。元々の性質かどうか知らないが、彼はしばしば、自分が傷つく無茶を厭わずこなすきらいがあった。彼に言う権利も義理もないが、見ていて気持ちのいいものではない。
     くぐったり乗り越えたりして紐を避けても、ちりちりんと小さく鈴の音は鳴った。カツカツカツ、ちりちり、カツカツ、と靴の音と交互に響き、高く長い吹き抜けに溶けて薄れるせいか、遠くから耳に届くようだった。何度も何度も繰り返しているうち、感覚が曖昧になって、階段を降りているのに昇っている気分が数瞬まぎれる。一階までの道のりが、いままでよりも長く思えるのはなぜだろう。夜の階段は薄暗く、最下の床が闇に隠れて見えないのは原因のひとつだろうか。とうに数えるのをやめてしまって、いま何階に来たところだかさっぱり分からない。ちりんちりん、カツカツ、ちりん、カツカツカツ。だんだんと鈴の音や紐のわずらわしさが、自分を拒む意識の現れのようにさえ思えてきていた。降りてはいけない、来てはいけない。……どうして?
     無限に続くと思われた階段は、唐突に途切れた。下の段を踏み行こうとした右足が左足と同じ高さを叩き、その感触でようやく底にたどり着いたことを知った。見回せば、薄闇ではあるものの、確かに一階だと目でもわかった。
     階段の近くには乾いた血溜まりがあり、扉の方へと引き摺られた跡が見えた。きっとヒョンスのものだろう。あれだけ上層から飛び降りて、怪我のないはずもなかった。治るとしても痛みは厳しいものだろう。いまは休めているといいが。
     扉の向こうは静かで、怪物や戦闘の気配は感じられなかった。どういう結果にせよ、なにか決着はついたに違いない。その場で助けになれなかったことが惜しかった。扉のノブはひんやりと冷たく、またも咎められている気分にされた。どうしてそう思うのか、自分でも不思議で仕方なかった。
     扉の向こうはいやに静かだった。

    ×××

     ここが夢だと気がつくまでにはすこし時間が必要だった。気づいてみれば、夢らしい奇妙さはそこら中に散らばっていた。
     青い空、白い雲、深い緑の山々。ぎらつく太陽が水の張る田にうつりこんで目を焼いた。記憶にもないわざとらしいほどの夏。
     自分はおそらく、バスの停留所にいるようだった。木造で簡素な、ただ椅子と屋根があるだけの場所だった。日差しは遮ってくれてはいるが、空気の暑さまでもは防いでくれない。だのに不快には感じない奇妙さは、ここが夢であるからだろう。
     ふと、急に、バスが来た。現れた、と言う方が正しいかもしれない。目の前にあるのに、どういうわけか車体の色や柄が分からなかった。見たことがあるような、まったく初めて見たような。もちろんのこと行き先も知れない。バスの乗降口は開かれていて、だれかを待っているようだ。果たしてこれに乗るべきか、それとも。
    「できれば、お待ちいただけますか」
     左隣から不意に声がした。振り返った先にはよく見知った男の姿があった。驚いているうち、ブロロロとエンジン音が鳴り、また前を向けばバスが走り出すところだった。すこしずつ遠ざかり姿が小さくなっていき、途中で突然ふっと消え去った。バスを見届けたあと、もういちど左手側へ顔を向ける。ジェホンはそこで、静かに佇んでいた。
    「……ジェホン、どうして」
     そこまで言って、言葉を続けられなかった。訊きたいことがいくつかあって、そのひとつめをどうするか決めかね、結局口を閉じてしまった。
    「せっかちなのは、よくない。半端に急いでもろくなことはありませんよ」
     遠くの景色を見ながらジェホンは言う。バスのことだろうか。それともバスに乗ろうとした自分のことだろうか。なんのことを言っているのか、だれに向けた言葉なのか、はっきりとは汲み取れなかった。不思議な男は夢の中でも不思議らしい。ジェホンはそれきりしばらく黙り、夢の中は穏やかな静寂に満たされていた。時計がないから、ジェホンの右腕に三角巾がないと気づくまで、どれほど時間が経ったかは分からなかった。
    「右腕は、治ったのか」
    「ああ……」
     ジェホンがいちど右手を見て、それからはじめて、こちらを見た。
    「吊るしたままでは、刀を振れないでしょう?」
     答えはどこかずれていた。夢の中だから仕方ないのかもしれない。けれどたしかに、左手で刀を振るジェホンを想像してみると、なんとなく歪だなと思った。
     問いに答えて勢いづいたのか、不思議なジェホンはそこからぽつぽつと口数を増やしていった。ときおり相槌を打ってやるだけでジェホンは満足そうに喋り続けた。ただし、聞いた端から記憶が綻んで消えていくものだから、ひょっとすると同じ話を繰り返していたのかもしれない。夢の中だから仕方ない。
    「サンウクさん、ひとつお願いしてもいいですか」
     思い出したようにジェホンが言った。こちらを見つめる両の瞳は現実に似て真っ暗で、夢にしては上出来だと余計な感想が頭をよぎった。なんだ、とまずは返事をした。
    「わたしにお酒を注いでくれませんか」
     そんなところをまで現実に似せるのか。
    「やめるんじゃないのか」
    「やめます、やめますとも。その次はぜったいありません。だから最後に、サンウクさんに注いでもらって飲みたいんです。お願いですから」
     身を乗り出して詰め寄るジェホンの気迫に、うっかり首が縦に振れた。肯定を受け取ったジェホンが、途端に顔を綻ばせて笑みを浮かべる。その穏やかな表情には現実にも覚えがなくて、彼がこんな顔もできるなんてとすこし驚きさえあった。
    「約束ですよ。忘れないで」
     夢の中だというのに、笑顔のジェホンが無茶を言う。しかし夢の中だから、なにを契ろうが別に構わないだろう。
     気がつくとまた、バスが停留所の前に現れていた。ちらりと見やってその存在を認めると、ジェホンがゆっくり立ち上がる。真似をして立ち上がろうとしたところを、ジェホンに肩を強く抑えられ、腰を浮かすことさえできなかった。来てはいけない、と言外にはっきりと聞こえた。
     乗降口に片足を乗せ、そこでジェホンはいちどこちらを振り返った。長い沈黙、あるいは一瞬。
    「約束ですからね」
     ジェホンは最後にあの穏やかな笑顔を見せ、バスの中へと乗り込んでいった。その背を見ながら、そのときようやく、ジェホンの左腕がなくなっていることに気がついた。うっかり忘れたのかと焦り振り返って腰掛けを見たが、そこには左腕もジェホンのいた気配も残されていなかった。前を向くと、バスはもう影も形もなくなっていた。
     夢の中はいやに静かだった。わざとらしいほどの夏を眺めながら、夢が覚めるのをじっと黙って待ち続けた。
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