彼岸よりその学校には、死者と会話できる鏡があると言う。
云く、秋の彼岸の頃、深夜12時に鏡の前に立って強く念じれば、死者の声が聞こえるらしい。
その鏡が死者の姿を映すことはないが、確かに言葉を交わすことができるのだと。
無論、男はそんなおまじないを試しに来た訳ではない。数日前に行方を消した、ある少年の足取りを追ってここにいるだけだ。
男は耳を澄ませる。すると、そう遠くない場所から微かに物音が聞こえてくる。
「……子!……美弥子……!」
西の方向だ。そちらに歩を進めるにつれ、声は徐々に大きくなる。
「あの時から、ずっと思ってたんだ。僕さえ逃げなければ、君は……。」
階段の下に立った男は、踊り場に立つ少年の姿を視界に捉えた。少年は何かを手に握りしめつつ、鏡に額を押し付けるようにして、夢中で話しかけている。その背後で音もなく階段を上る男に気付いた様子はない。
「うん。うん。……ごめんね。僕もすぐに行くよ」
言うなり、少年は手に持っていたそれを振りかざした。踊り場に差す僅かな月光を、鋭い刃が反射する。男は少年の手を掴み、力づくでそれを奪って放り投げた。そしてそのまま、想定外の事態に狼狽える顔を思い切り殴りつけて昏倒させる。少年が崩れ落ちたのを最後に、夜の校舎から一切の音が消えた。
彼と、美弥子なる少女の間に何があったのか。それは男の知ったことではない。今回の依頼は少年の発見であって、心の傷を探ることではないのだ。
男はナイフを拾い上げた。持ち手の部分に「M」とある。先程の発言から察するに、美弥子のものなのだろう。こんな場所にまで持ち込むというのは、余程大切にしていたらしい。
「……いや、こんな場所だからこそ、か」
男は呟くと、硬いケースの中に美弥子のナイフをしまった。次いで、少年の方に向き直る。
彼には本当に何かが見えていたのか、それとも自責の果ての狂気が見せた幻なのか。
いずれにせよ、死者のように過去に囚われたまま動けず、延々とその瞬間を反芻し続ければ、いずれ生から見放されてしまう。
そんなことを頭の隅で考えながら、男は鏡へ視線を向ける。そこにはぐったりと倒れ込んだ少年と、踊り場の床しか映っていない。
「なるほど。……嫌な遊びだな」
琉嘉は一人呟いた。