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    seeds_season

    @seeds_season

    ただいまmhyk小説(メインはミス晶♂・全年齢)がしがし書いてます

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    seeds_season

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    ミス晶♂風味。「呪いと祝福――あるいは奇跡について」の、魔法使い側から見たお話。内容はほぼ一緒ですが晶が寝ている間に何があったかはこちらに書いてます。

    ※まほやく初心者につき、未読イベスト・カドストが山のようにあるので、あちこち設定等で矛盾あると思われ。
    ※魔法に関する捏造が色々あります。ふわっと読んでください。

    祝福と呪い――あるいは奇跡について 《賢者》は異界からやってくる。
     それは悠久の彼方から続く習わしだったから、疑問を抱くことすらなかった。
     異界から召喚された賢者と、その賢者の力で世界中から集められる二十名の《賢者の魔法使い》。彼らの活躍により《大いなる厄災》の襲来は阻まれ、世界の平和は保たれる。
     この仕組みは一体いつから、どのようにして始まったものなのか。その記録は残っていない。
     そして当代の賢者――真木晶もまた、歴代の賢者に倣って召喚された。
     いつもと違っていたのは、彼が召喚された夜――正確にはその直前まで、賢者の魔法使い達が戦っていた《大いなる厄災》が、例年にない規模だったこと。
     どうにか撃退には成功したものの、賢者の魔法使いはその数を半数に減らし、また各地の被害も深刻だ。
     厄災戦が終わった後も各地で影響が残り続けており、その調査や後始末に追われる日々を送っている。
     例年なら魔法舎で暮らすのは賢者と物好きな魔法使いのみ。それ以外の魔法使い達は年に一度集まるだけの、そんな関係だったはずなのに、今は二十二人がこの魔法舎で共同生活を送っているというのも、かなり異例の出来事だ。
     良くも悪くも、今回は何かが違う。そう感じている者は少なくない。
     ぎりぎりのところで均衡を保っていた世界の歯車が、一つ、また一つと狂い始めている――。


     異変は、昼食時に起こった。
    「今日は人数が少ないから、随分と静かだな」
     焼きたてのパンを運んできたネロが、ぽつりと零す。
     任務や個人的な用事などが重なった結果、今日は朝からほとんどの魔法使いが出払っている。魔法舎に残っているのは東の魔法使い四人とリケ、それにクロエという、かなり珍しい組み合わせだった。
    「人が少ないからでしょうか、雨の音がいつもより激しく聞こえますね」
    「いや、季節外れの嵐が吹き荒れているからだろう」
     窓硝子を叩くような雨と風。魔法舎は物理防御の結界が張り巡らされるから、この程度の嵐ではびくともしないが、街中はもっとひどいことになっているかも知れない。
    「これも厄災の影響なんでしょうか」
    「確かに、こんな時期にこれほどの嵐が来るのは珍しいよな」
     天気が崩れ始めたのは昨日の午後からだ。天体観測に出かけたムルが、向こうもこんな天気だったら観測なんか出来ないとぼやいていたが、すぐ戻ってこなかったところを見ると西は晴れているのだろう。
    「調査に出かけた連中は、雨だろうが嵐だろうが関係ないって感じだったけどな」
     今朝方のドタバタ騒ぎを思い出し、くすりと笑うネロ。今回、少々厄介な任務を担当しているのが、スノウとホワイト、ミスラとオーエン、そしてラスティカの五人だった。
    「ラスティカ、大丈夫かなあ。本当は俺も行きたかったけど、双子先生にはっきりと駄目って言われちゃったんだ」
     のんびりしているが押しが強いラスティカの言動に振り回されて、出かける前からミスラとオーエンが疲弊していた。いつもならクロエが間に入って取りなすのだが、今回はそれが出来ない。
    「今回は俺も同行禁止って言われましたからね」
     晶もまた、心配そうな表情を浮かべている。大抵の任務には賢者が監督役として同行することになっているが、今回の依頼は魔法使いしか入れない店で起こった事件の調査だった。人間の晶が同行するとかえって面倒を起こす可能性があり、代わりにスノウとホワイトが監督役として出向くことになったのだ。
     すでに出立してしまった以上、無事を祈ることしか出来ない。気持ちを切り替えようと、クロエはあえて明るい話題を持ち出した。
    「そう言えば賢者様、次に作ろうと思ってる服なんだけ、ど――?」
     晶の表情が、不意に凍り付く。あれ? と思った次の瞬間、慌てたように晶が口を開いた。
    「クロエ!? ――――?」
     その口から飛び出てきたのは、聞いたこともない言葉、奇妙な抑揚。声は確かに晶のものなのに、紡がれる言葉はあまりにも異質で、その意味を理解することが出来なかった。
    「賢者様? 賢者様が何を言ってるか分からないよ、一体どうしちゃったの!?」
    「おい、どうした? ……って、賢者さん、あんた何を話してるんだ?」
     クロエの声を聞きつけて飛んできたネロが、晶の言葉を聞いて目を丸くする。
    「どうした、何かあったのか」
    「賢者様、いかがされましたか」
     配膳を手伝っていたリケやヒースクリフ、昨日の課題について話していたファウストやシノも駆けつけて晶を取り囲むが、あわあわと喋っている晶の言葉を理解できた者は誰一人としていなかった。
    「どうしよう、何が起こってるの?」
    「賢者様、俺達の言葉、伝わってますか?」
     必死に話しかけるヒースクリフに、晶は今にも泣きそうな顔で、懸命に何かを訴えてくる。
    「――、――――……。――――。――――、――――!」
     まるで迷子がはぐれた親を探しているような、不安と寂しさに彩られた表情。晶がこんなにも取り乱しているのを見るのは初めてだ。
     たった一人、何の説明もなく異界から召喚された賢者。ひとりぼっちで心細いだろうに、彼はいつだって明るく振る舞っていた。
     自分のことよりも、他人の不安や悲しみに寄り添うことを優先してしまう、心優しい青年。それが真木晶という人間だ。
     そんな彼はまさに今、必死に自分を律して、不安を押し込めようとしているように見えた。
    「――――。――――!」
     周囲に、というより自分に言い聞かせるように何かを呟いて、ばしばしと頬を叩く晶に、集まった六人がぎょっと目を見開く。
    「―――。――――、――――」
     笑顔を作ろうとして明らかに失敗しているが、それを指摘する者はいなかった。
    「大丈夫、とか言ってるんだろう、君は。まったく」
     ファウストが小さく苦笑を漏らす。
    「賢者様、どうか泣かないで」
     躊躇いがちに賢者の手を握りしめたヒースクリフは、祈るようにその手を額に押しつける。
    「――――。――――、――――」
     きっと「ありがとう」とか「心配しないで」とか言っているのだろう晶の、そのぎこちない笑顔が、あまりにも健気で――いたたまれなくて。
     沈痛な空気を蹴散らすように、ネロがあえて陽気な声を出した。
    「ほら、何はともあれ昼飯にしようぜ。食わないと元気が出ないだろ」
    「僕、お手伝いします」
    「あ、俺も」
     年少組が率先して配膳を手伝ったおかげで、あっというまに食卓が皿で埋め尽くされる。
    「さあ、召し上がれ。ほら賢者さんも」
     さりげなく晶のところだけ好物の品が増やされているところが、何ともネロらしい気遣いだ。
     嬉しそうに昼食を口に運んでいる晶を横目に、早速六人は対策会議を始めた。一刻も早く、この異常事態を打開しなければ。この奇跡のような日々は、賢者が中心にいるからこそ成り立っているのだから。
    「こんな時に限って、双子先生もフィガロ先生もいないなんて」
    「前にもこんなことがあったりしたのか?」
    「いや、僕が知る限り、言葉が通じなくなるようなことはなかったはずだ」
     今いる六人の中で、賢者の魔法使いとして過ごした期間が一番長いのはファウストだ。その数十年分の記憶を遡っても、歴代の賢者と意思疎通が出来なくなったことはなかったし、過去にそういうことがあったという話も聞いたことがない――のだが、客人である賢者の記憶は不自然なほどに薄れやすく、また記録も少ない。絶対にない、とは断言できなかった。
    「なあ、先生。これって呪いの可能性はないのか?」
    「言葉が通じなくなる呪いか。確かにそういった呪いも存在するが、これは明らかに異質だ。呪いというより――むしろ今までかかっていた加護が断ち切られたような、そんな感じじゃないか」
     晶に頼まれて依頼書の音読や報告書の代筆をしているファウストは知っている。異界からやって来た賢者の言葉とこちらの世界の言葉は、文字も文法も、何もかもが違うものだと。
     それなのに会話だけ可能だったのは、賢者側に自動翻訳の加護がかけられていて、今はその加護が弱まった、もしくは消えてしまったのだろう。
    「何にせよ、今考えるべきは二つ。取り急ぎ、意思疎通の手段を確保すること、そして根本的な原因の究明だ」
    「相手の頭の中を覗く魔法もあるんだろう。そういうのを使えば、少なくとも賢者の考えてることは読み取れるんじゃないか」
     物騒な提案をしてきたシノに、ファウストは眉をひそめて「力技だな」と溜息を吐いた。
    「確かにそれは可能だとも。しかし、相手の許しなく思考を読むのは、自白剤を使った尋問と変わらない。賢者に許可を取れない状況でそれをやるのか」
     幸せそうにパンを口に運んでいる晶をちらりと見やり、シノはうーん、と腕を組んだ。
    「……さすがにまずいか」
    「さすがにじゃなく完全にまずいよ!」
     言葉が通じている状況でなら、きっと晶は「構いません、やってください」と言うだろう。たとえ一方通行でも意志が伝われば多少なりとも状況を打開できる。そのためなら彼はきっと、自身の心を暴かれることも躊躇わない――とは思うのだが。
    「おいおい。遺恨が残るようなやり方はなしにしてくれよ」
     スープのおかわりを注いで回っていたネロがそうたしなめて、シノもあっさり「そうだな」と頷く。
    「筆談はどうですか? 確か賢者様は、リケと一緒にルチルから文字を教わっていましたよね」
     ヒースクリフの提案にはリケが答えた。
    「僕も賢者様も、文字だけなら一通り書けるようにはなりました。ただ、賢者様は文法を覚えるのが難しいみたいで、文章を読み解くのはまだ無理だと言っていました」
     リケはすでに簡単な絵本なら読めるようになっているが、晶はといえば自動翻訳のせいで逆に言語の学習に支障を来たしているらしく、簡単な単語くらいしか読解が出来ないようだ。発音に至っては、恐らく絶望的だろう。
    「……手詰まりだな」
     はあ、と溜息を吐いた瞬間、晶と目が合ってしまったファウストは、痛みを堪えたように小さく微笑んでみせるその黒い双眸に、しまったと口を押さえた。
     不安なのは彼の方だというのに、年長者が戸惑いを見せてどうするというのだ。
     一方、その様子を見て動いたのはシノだった。
    「賢者」
     つかつかと晶に近づいて、その肩をがしっと掴む。
    「お前はいつも通りにしていればいい。俺達が、きっと何とかしてやる」
     根拠もないのに自信満々に言ってのけるのは、さすがシノといったところだ。しかし、決意に満ちた赤い瞳はあまりにも輝きが強すぎて、怒りを湛えているようにも見て取れる。まして今の賢者には言葉が通じていない。果たしてどの程度、熱意が伝わっただろうか。
    「おいシノ! 賢者様が驚いてるだろ!」
    「だって今にも泣きそうな顔をするから」
    「お前が脅かしたらますます泣いちまうだろうが。ああほら、心配するなよ賢者さん」
     割って入ったネロが、がしがしと晶の頭を撫でる。子供扱いされてさすがに気恥ずかしかったのか、照れたように笑う晶は、少しだけいつもの表情を取り戻していた。

    +++

     一日経っても、二日経っても、事態は好転どころか進展すらしなかった。
     出払っている魔法使い達に伝令魔法を飛ばしたものの、悪天候もあって、それぞれ帰還が遅れている。
     一番近くにいるアーサーとカインも、城での会議が長引いているようだし、もっとも頼りになるであろう最年長のスノウとホワイトに至っては、調査に行った例の店が強固な結界で守られているらしく、伝令魔法すら届かない有様だ。
     幸い、身振り手振りである程度の意思疎通を図ることが出来たが、それはあくまで日常生活での話だ。もし緊急事態が起きた場合、そうも言っていられない。
     魔法使い達は手分けして資料を当たったり、魔法による解析を試みたりと忙しなく動いていたが、やることのない晶は申し訳なさそうに談話室の隅で読書をしたり、ぼうっと窓の外を眺めていることが多かった。
     心細そうな表情で、時折こちらを窺ってくるものの、話そうとしても会話にならないことをお互い痛感してしまっているから、どうしても黙り込んでしまう。
     会話に支障がない六人も、晶を除け者にして盛り上がることに引け目を感じてしまい、自然と口数が減っていた。
     休憩を取るため談話室に集まってきた魔法使いと、所在なげに本をめくっている晶。
     七人が一堂に会しているというのに、談話室には雨音だけが響いている。
     沈黙に耐えきれなくなったのか、晶が椅子から立ち上がりかけたところで、不意に冷たい気配が談話室を吹き抜けた。

    《アルシム》

     どこからともなく響く声。談話室の奥に突如出現した《空間の扉》から、北の国へ出向いていた魔法使い達がぞろぞろと姿を現す。
    「ようやく帰ってこられたのう」
    「いやはや、厄介な任務じゃった。まさか百年越しの夫婦喧嘩とはのう」
    「愛ゆえの嫉妬は時に厄介ですが、それでも最終的に事件を解決に導いたのは、やはり愛でしたね。素晴らしい」
    「どこが素晴らしいんだよ。二度と受けるなよ、こんな依頼」
     一気に人が増えたことで、ようやくいつもの賑わいが戻ってきた。懐かしい騒がしさに、ネロとファウストが顔を見合わせて、ほっとしたような表情を浮かべる。
    「賢者ちゃん。ただいま戻ったぞ!」
    「よい子でお留守番していたかの?」
     部屋の隅に晶の姿を認めてニコニコと手を振るスノウとホワイト、穏やかに笑みを浮かべるラスティカ。興味ないとばかりにさっさと談話室を出て行こうとするオーエン。そして――。
    「賢者様。どうかしましたか、変な顔をして」
     最後に扉を潜り抜けたミスラは、談話室の片隅で固まっている晶の姿を見つけて、不思議そうに目を眇めた。
     いつもなら「おかえりなさい」と笑顔で駆けつけてくるはずの晶は、何かを堪えたような顔で固まったまま、ぼんやりとこちらを見つめている。
    「賢者様?」
     呼びかけても返事がないどころか、呼ばれていることすら気づいていない様子に、さすがのミスラも違和感を感じた。
     小首を傾げつつ、つかつかと距離を詰める。見た限り、怪我をしているようにも見えないが、留守中に何か心を痛めるような出来事でもあったのだろうか。
     彼が『変な顔』をしている時は、大抵、他人のどうでもいいことに心を動かされている時だ。
    (……またですか。気の多い人だな)
     どうにも面白くなくて、その顔を掴む。別の意味で変な顔になったが、こちらの方がよっぽどいい。
     何があったか尋ねようとして、先ほどからさんざん呼びかけているのに返事がなかったことを思い出す。
     それならば、と少しだけ身を屈め、視線を合わせて、真っ直ぐに呼びかけた。

    「晶」

     その瞬間、凍り付いていた晶の顔に色彩が溢れた。
     みるみる紅潮していく頬、夜空のように輝く双眸――そしてその瞳から、まるで溢れるように零れ出る、透明な涙。
     とめどなく流れる涙が頬を伝い、ミスラの手を濡らす。その熱さに驚いたわけではないのだが、掴んでいた手を離し、改めてその涙のあとを辿るように指を滑らせた。
     拭っても拭っても、涙が止まる気配はない。生憎と手巾の類を持ち歩く習慣がないので、考えた末にその肩をぐいと引き寄せると、自分の胸に押しつけてやった。これなら顔も拭けるし、このどうしようもなく無防備な泣き顔を他の連中に晒さずに済んで好都合だ。
    「ミ、ミスラ……! ――――」
     何やら抗議をしているようだが、名前以外は聞き取れない。どういうことかと周囲を見回すと、少し離れたところで固唾を飲んで見守っていたらしいファウストが「言葉が通じなくなったんだ」と端的に説明してくれた。
    「いつからですか」
    「お前達が出立した日の昼からだよ。解決方法を探しているが見つからない」
    「なんと! 我らがいない間に、そんなことになっておったとは」
    「なぜすぐに知らせなかったんじゃ?」
    「知らせたさ! 君達が調査に向かった店の結界に弾かれたんだ。帰ってきたならさっさと手伝ってくれ。賢者が日に日に萎れていくのを見ているのは忍びない」
     ぎゃあぎゃあと言い合う魔法使い達を尻目に、泣きじゃくる晶をそっと見下ろす。
    「三日間、ずっとこんな調子なんですか」
    「いや、ずっと気ぃ張ってた感じだったよ。何とか身振り手振りで伝えようとしてさ、いつも以上に一生懸命だったな」
     しみじみとした様子で、ミスラの腕の中で嗚咽を漏らす晶を見つめるネロ。
    「いつも泣きそうなのを堪えてる感じでさ。やっぱりずっと我慢してたんだよな」
    「じゃあなんで、今になってこんなに泣き喚いているんです」
    「いや、それはこっちが聞きたいところなんだが」
    「名前を呼んだからじゃない」
     冷ややかな声が響く。見れば、立ち去ったはずのオーエンが、入口付近の壁にもたれかかっていた。会話に加わるつもりは毛頭なかったのに、ついうっかり口を挟んでしまったのだろう、わざとらしくそっぽを向いて、更に続ける。
    「さっきミスラが名前を呼んだでしょ。どんなに言葉が通じなくても、発声器官が同じなら固有名詞の発音は変わらないはず。だから通じたんじゃない」
     なるほど、一理ある。まして動物との会話が可能なオーエンの言葉には説得力があった。
    「そういうことですか」
     小さく息を吐いてから、ようやく泣き止んだらしい晶の頭を掴んでシャツから引き離し、その顔をぐいと覗き込む。
    「――、ミスラ――、――――!」
     真っ赤な顔で何やら喚いている晶。相変わらず何を言っているかは分からないが、オーエンの指摘は当たっているようだ。
    「なるほど。確かに名前だけは聞き取れますね。そうなんでしょう、晶?」
     そう問いかけると、晶はぱちぱちと目を瞬かせて、はっきりと頷いた。
    「――、ミスラ」
     聞き取れたのは互いの名前だけなのに、心ごと伝わっているような、そんな気がした。

     言葉の自動翻訳が上手く行かなくても、固有名詞はそのまま伝わる、ということが互いに分かったところで、談話室は一気に賑やかになった。
    「じゃあ、名前で呼んでやればよかったのか」
    「……そういえばここにいる連中は、いつも賢者と呼んでいたな」
    「お名前でお呼びすれば、賢者様は安心されるんですね。晶さま……でいいのかな」
    「晶ちゃん! 安心せい、こうなった原因は我らが一刻も早く突き止めてやろう」
    「そうじゃ。我ら賢者の魔法使い、お主のために力を尽くそう。どんと構えておるがよい、晶ちゃん!」
    「ちょっとなんですか。便乗するの止めてくださいよ」
     口々に晶の名を呼ぶ魔法使い達に、むっとした顔で抗議するミスラ。今までろくに賢者の名を呼ばなかった連中が、こぞって方針を転換するなんて、虫がいいにもほどがある。
    「何を言う。名前呼びはミスラちゃんの専売特許ではないぞ」
    「そうじゃそうじゃ」
    「大体、お前だって普段は賢者様って呼んでるくせに。二人きりの時だけ名前で呼んでるの? そういう関係なの?」
    「ええっ、そういう関係ってどういう関係?」
    「仲がいいってことじゃないかな」
     様々な会話が飛び交う中、方々から名前を呼ばれまくった晶が、照れながらもはっきりと魔法使い達の名前を呼び返す。それにまた応える声が飛び交って、まるで出立前の点呼のようだ。
     朗らかに一人一人の名前を呼んでいた晶が最後に呼んだのは、ミスラの名前だった。
    「晶」
     そう応えた途端、晶の顔がくしゃっと歪んで、目尻と鼻先が赤く染まっていく。慌てたように目元を擦ろうとするその手を咄嗟に掴んだミスラは、自分が何を止めようとしたのか一瞬分からなくなって、それでもすぐに今すべきことを理解した。
    「泣くならこっちにしてください」
     問答無用で胸の中に抱きしめ、再び手巾代わりになってやる。一瞬だけ抵抗する気配があったが、すぐに力が抜けて、代わりにおずおずと回された手が、ぎゅっとミスラの背中を掴んだ。
    「あのミスラちゃんが慰めようとするとは!」
    「成長したのお~!」
    「馬鹿みたい。すっかり手懐けられちゃって」
    「……手懐けられたのはどっちなんだ……?」
    「えっと、なんで賢者様はまた泣いちゃったのかな」
    「それはその……言うだけ野暮ってもんだと思うぜ」
     周囲が煩いが、正直どうでも良かった。ただ、腕の中で響く泣き声を誰にも聞かせたくなくて、抱きしめる腕に力を込める。
    「……まったく、泣き虫ですねあなた」
     弱い自分を見られたくないと隠すくせに、なぜ人前でこうも泣き出すのか。
     子供のように目まぐるしく、泣いて怒って笑って、また泣いて。
     弱くて、脆くて――それなのに折れない、不思議な異世界人。
     分からないことだらけで、謎めいていて。真木晶という人間は、魔法使いよりも難解で度しがたくて――だからこそ、目が離せない。

    +++

    「泣き疲れて眠ってしまったか」
    「この三日間、気を張っていたようじゃからのう」
     ミスラの腕の中で寝息を立てている晶を見やって、スノウとホワイトはきりりと表情を引き締めると、集まった魔法使い達に号令を発した。
    「一刻も早く、賢者の言葉を取り戻さなくてはならん!」
    「我ら、賢者の魔法使いが一丸となって取り組むべき事態じゃぞ。心してかかるのじゃ」
    「おー!」
     若い魔法使いが多いこともあり、なかなかに元気のいい声が上がる。
    「これまでに調べたことはまとめてある」
     ファウストが差し出した紙束を受け取り、ざっと目を通すスノウの横で、ホワイトはラスティカ、クロエと共に、まだ戻ってこない魔法使い達への伝令魔法を組み上げていた。
    「せめてフィガロとオズだけでも呼び戻さんとな」
    「南の連中は知り合いの結婚式に出席すると言っていたが、フィガロ先生だけでも先に戻ってこられないのか?」
    「この悪天候の中、箒で飛ぶのは無理だとさ。あいつ一人ならいくらでも出来るくせに」
     苦々しく吐き捨てるファウストに、事情を知らない若い魔法使い達がきょとんと首を傾げている。
    「ムルとシャイロックもしばらく戻ってこないでしょうね。新月前後でないと観測できない星を見に行くといっていましたから」
     ラスティカの言葉に、スノウがぱちぱちと目を瞬かせた。
    「新月?」
    「ええ。我々が出発した日が新月でした」
    「そうそう。だから前の夜に出かけていったんだよね。確か月が完全に覆い隠されるのは夜じゃなくて、昼過ぎだって言ってた気がするよ」
     昼間だから見えないけど、計算上ではそうなんだって、と補足するクロエ。その言葉に、双子は揃って顎を掴んだ。
    「――ホワイト、何か思いださんか。何かが引っかかるのじゃ」
    「我もじゃ、スノウ。新月の日……新月の日……そう新月の日には――」
     ぱちん、と両手を打ち合わせ、双子が叫ぶ。
    「新月の日には、賢者の力が弱くなる!」

    +++

    「……まとめよう」
     食堂に集まった魔法使い達を前に、ファウストはこほん、と咳払いをした。
     双子の思い出した『新月の日』の裏付けを取るため、魔法使い達が手分けして過去の資料を漁り、導き出した結論。それを語る前に双子が絵の中に収まってしまったため、仕方なくファウストがあとを引き継いだのだ。
    「ひとつ。異界から呼び出される賢者は、何らかの力によって、この世界の住人との会話が可能になっている」
     賢者の召喚は魔法使いが行う。しかしその原理については不明点が多い。長く賢者の魔法使いとして生きているスノウやホワイトにも分からないことが多すぎるため、ここは一旦保留だ。
    「ふたつ。新月の日には賢者の力が弱くなることがまれにある。つまり、賢者の力は《大いなる厄災》の満ち欠けと連動している可能性が否定できない」
     これに関しては図書室から、双子の記憶を裏付ける記録が発掘された。過去に召喚された賢者の中にも、新月の日に力を発揮できなかったり、体調を崩す者がいたようなのだ。
     晶のように言葉が通じなくなった例は見つけられなかったが、今年は厄災の規模も大きかった。異例ずくめの年なのだから、何が起きても不思議ではない。
    「そしてみっつ。三日前から吹き荒れている季節外れの嵐。恐らくこの悪天候自体が、大いなる厄災の影響を受けている」
     昼日中でも夜のように真っ暗く垂れ込める分厚い雲、一向に勢いが衰えない雨と風。これがただの自然現象でなく、厄災の影響で歪められたものならば。
    「言葉が通じなくなった直接の原因は、恐らく新月の影響。だが、それを過ぎても力が戻らないのは、雨雲に遮られて月の光が届かないから。故に――」
    「雲を打ち払えばいいんでしょう」
     静かな声が、食堂に響き渡る。
    「俺がやります。というか、多分俺しか出来ないでしょうし」
     魔法舎の上空を覆い尽くす巨大な雨雲。それを消滅させるような魔法は、よほど力の強い魔法使いでないと使いこなせない。そしてオズがいない今、この場で一番強い魔法使いはミスラだ。
    「やる気出しちゃって。そんなにいいところを見せたいの? 本人はグースカ眠ってるっていうのにさ」
     揶揄うようなオーエンの言葉にも、ミスラは乗ってこない。
    「地上までは手が回らないので、そっちはあなた方がどうにかしてくださいよ」
    「うむ。我らも出来ることはするが、何せこの状態では万全の力は出せん」
     絵の中で腕組みをするスノウとホワイト。
    「我らの代わりに、オーエン、ラスティカ、それにファウスト。お主らが結界強化を担当するのじゃ」
    「嫌だよ」
    「お任せ下さい」
    「……僕だって嫌だが、やるしかないな」
     三人三様の答えが返ってくるが、双子はそれらを笑顔で受け流すと、緊張した面持ちで指示を待っている残りの魔法使い達を見回した。
    「あとのものは万が一に備えて、賢者を守るのじゃ」
    「ネロ、現場の判断はお主に任せよう」
    「俺かよ。まあ、仕方ないか」
    「よし、では早速準備に取りかかるとしよう!」
     慌ただしく散っていく魔法使い達。その中で、一人食堂に残って軽食や飲み物を籠に詰めていたネロは、突然背後から掛けられた声に飛び上がりそうになった。
    「ネロ」
    「なっ、何だよ。食いもんならそこに――」
    「年少組の引率はあなたでしょう」
     ひどい言われようだが、賢者のそばに残って万が一に備える役割を担ったのは、年若い魔法使い四人と、実戦経験の豊富なネロだ。正直、結界を維持するような魔法は得意ではないため、こちら側に割り振られてほっとしている部分もある。
    「俺が失敗するわけありませんが、勢い余って地上まで薙ぎ払う可能性はあるので」
    「あるのかよ」
     思わず突っ込んでしまったネロに、ミスラは当然のことのように頷いてみせる。
    「ありますよ。加減が出来ないので。ただまあ、双子やオーエンがいれば魔法舎は消し飛ばないでしょう。ただまあ、余波で屋根が飛んだり窓が割れたりするかもしれないので」
     どれだけでかい魔法を使う気なのだろうか。戦慄するネロに、ミスラは少しだけ、何かを探すように視線を彷徨わせて、ようやく目当ての言葉を口にした。
    「ちゃんと賢者様を守ってくださいよ」
     他人を頼ることを知らない男の、それが精一杯の言葉なのだと、ネロには分かる。分かってしまう。
     依頼も信頼も、願いさえも、時として互いを縛る枷になってしまうから――ああなんて、魔法使いとは面倒くさい生き物なのだろう。
    「ああ。役目は果たすさ。だから、あの忌々しい雨雲を、思いっきり吹き飛ばしてくれ!」

    +++

    「では、始めよう」
    「がんばるんじゃぞ、ミスラちゃん」
    「言われなくても」
     双子の声援を受け流し、愛用の箒にまたがる。いつもなら《空間の扉》で一気に移動してしまうところだが、今は魔力を温存する必要があった。
    「行って参ります」
     一気に加速し、曇天を翔け上がる。
     叩きつけるような雨も、荒れ狂う風も、その勢いを阻むことなど出来ない。
     雲を切り裂き、雷光を躱しながら、ひたすらに上空を目指す。
     あっという間に雲の上へ出ると、今までの悪天候が嘘のように、凪いだ空が広がっていた。
     銀色の三日月が見下ろす夜空は、どこまでも静かで、どこまでも美しい。
     箒の上に立ち、まとわりついた水分を魔法で振り払う。風で乱れた髪を手櫛で掻き上げ、ようやく人心地ついたミスラは、改めて眼下に広がる巨大な雨雲を見つめ、やれやれと呟いた。
    「確かに、妙な雲だ」
     分厚く垂れ込めた雲。嵐を起こす雲なら渦巻いて見えるはずなのに、これはただひたすらに分厚く、禍々しいほどに黒く、まるで縫い付けられたかのように魔法舎上空から動こうとしない。
     じっと目を凝らすと、その中心部分に何か禍々しい力を感じた。やはりただの自然現象ではなく、厄災の影響なのだろう。
    「まったく面倒だな」
     そう、それでいい。面倒だと感じるほどに、ミスラの魔力は高まっていく。
    「たかが雲のくせに、俺の眠りを邪魔しようだなんて、いい度胸です」
     掲げた水晶髑髏を中心に、激しい風が渦巻いていく。地上になるべく影響を及ぼさないように、と言いつけられているから、取れる手段が限られているのが実に面倒だ。
    「蹴散らしてやりましょう――《アルシム》」
     極限まで集められた力を一気に解き放つ。ミスラが生み出した巨大な風の渦が雨雲を切り裂き、掻き乱し、その中心にある『核』の姿を暴き出した。
    「……なんです、これ」
     それは布と木の枝で作られた、不格好な人形のようだった。そういえばどこかの地域で、雨乞いのおまじないとして使われていた人形が、このような形だった気がする。
    「水神への供物として捧げられた生け贄の代わり、でしたっけ」
     古い呪具が厄災の影響で、実際に雨を呼ぶ力を宿してしまったのか。何にせよ、迷惑なことだ。
    「《アルシム》」
     水晶髑髏が閃光を放つ。あっという間に燃え尽きた人形は、灰となって風に飛ばされていった。


    「よくやった、ミスラちゃん!」
    「えらいのう、えらいのう!」
     地上に戻るなり双子にまとわりつかれて、心底嫌そうな顔で息を吐くミスラに、なぜか濡れ鼠のオーエンとファウストが盛大な文句を垂れる。
    「やりすぎ。地上への影響を考えろって言われただろ」
    「魔法舎が水没するかと思ったぞ」
     雨雲を切り裂いた段階で、その分の雨が全部降り注いだらしい。魔法舎周囲はまるで川が氾濫したかのような有様になっている。
    「そっちはあなた方がどうにかしてくれって言ったじゃないですか。やることやってくださいよ」
     呆れ顔のミスラに、これ以上は言っても無駄だと判断したのか、それぞれに首を振る二人。
    「もういい。帰る」
    「これオーエン。まだ後片付けが終わっておらんぞ!」
    「知らないよ。勝手にやって」
     ひらひらと手を振って魔法舎へと引き上げてくオーエン。空間移動する余力もないのか、若干ふらついた足取りのオーエンを、双子の絵を抱えたラスティカが追いかける。
    「オーエン、一緒に戻りましょう。クロエがきっとお風呂を沸かしてくれているよ」
    「……入る」
     さすがのオーエンも、ずぶ濡れなのは気持ちが悪いらしい。素直に連れ立って魔法舎へ引き上げていく二人に、ファウストが小さく笑みを浮かべ――そうになって、小さくくしゃみをした。
    「あなたもさっさと戻った方がいいんじゃないですか。病み上がりなんでしょう」
    「いつの話だ。まあ、魔法舎の周囲を軽く見回ってから戻るよ」
     濡れた襟巻きを絞りながら、何故か呆然と立ち尽くしているミスラを見上げる。
    「魔法舎も賢者も無事だ。水も明日には引くだろう」
    「はあ。良かったですね」
    「他人事だな。たった今、君が成し遂げたことだぞ」
     呆れ顔のファウストに、ミスラは心底興味がなさそうな顔で、ふわあと欠伸を漏らす。
    「どうでもいいです。それより俺は眠いので――失礼します」
     任務から帰ったばかりで、しかも三日も寝ていない状態で、これだけ強力な魔法を使う羽目になったのだ。さすがに限界だろう。
    「……そうだな。ゆっくり休んでくれ」
    「はい。おやすみなさい」
     ゆらゆらと長身を揺らしながら、魔法舎へと引き上げていくミスラ。その背中を見送って、ファウストはくるりと踵を返した。
    「まったく、スノウもホワイトも無責任な。なぜ僕が後片付けまでやらなければいけないんだ」


    「おう、お疲れさん」
     賢者の部屋にやってきたミスラを出迎えたのはネロだった。どうやらあとの四人はすでに自室へ引き上げたようだ。
    「凄かったな。急に土砂降りになったかと思ったら、空の雲がぱっと消えて」
    「はあ。オーエンにやり過ぎだと言われましたが」
    「ま、まあ、結界内なのに窓の鍵が吹っ飛んで、雨が吹き込んできたのにはビックリしたけどな。ああ、賢者さんは濡れてないぜ。大丈夫だ」
     予め壁側に移動させておいた寝台では、晶がすやすやと寝息を立てている。泣き疲れて眠ってしまい、寝室に運ばれて寝かされたまま、一向に起きる気配もない。
    「それで、なぜあなたはここにいるんです?」
     不思議そうに尋ねられて、いやその、と頬を掻く。
    「さすがに、この状態の賢者さんを一人にするのはまずいかと思ってな。あんたが戻ってきたなら、俺はもう引き上げるよ」
     不眠症のミスラが毎晩賢者に寝かしつけられており、大抵どちらかの部屋で共に眠っていることは、すでに周知の事実だ。
    「そこの籠に夜食が入ってるから、もし夜中に賢者さんが目を覚まして、腹を空かしてたら食わせてやってくれ」
     それじゃ、と手を振って足早に去って行くネロ。机の上に置かれた籠には、明らかに二人分以上の食事と飲み物が詰め込まれており、ミスラの分も用意されているのは明白だった。
     腹も減っているが、何より疲れた。今はとにかく眠ってしまいたい。
     呪文一つで着替えを終えて、寝台を振り返る。
     晶の寝台は狭いが、今更自室に移動するのも面倒だ。少し考えて、寝台の真ん中に眠っている晶を壁際に押しやり、その隣に無理矢理体をねじ込んだ。
    「晶」
     ミスラが眠るためには、晶が起きている状態で、賢者の力を行使する必要がある。しかし、深く寝入っている晶は、呼びかけても起きる気配がない。
    「……」
     いつもなら問答無用で叩き起こすのだが、涙の跡が残るあどけない寝顔を見ていると、そんな気も失せた。
    「手を、握ってください」
     胸の前で組まれた手を取り、その掌を撫でる。すると、その指をきゅっと握られた。
    「晶?」
     起きたのかと思ったが、返事はない。代わりに、むにゃむにゃと唇が動いて、音にならない声を紡いだ。
    「……夢の中でも、俺を呼んでいるんですか」
     ミスラ、と呼ばれた。その声が聞こえた気がした。
     胸の奥の、どこか柔らかい場所をくすぐるような、そんな声。
     呼ばれるたびに、知らない感情が湧き上がって、嬉しいような、苦しいような、もどかしいような――そんな訳の分からない気持ちになる。
     これは呪いだ。そう、互いの名を呼び合うことは、れっきとした呪いであり、本来ならば忌避すべきことだが、――それならばいっそ、逆手に取ってやろう。そう決めたのは、いつのことだったか。
     名を呼ぶ。繰り返し、繰り返し――互いの名を、互いの心に刻みつける。
     もしかしたらこの呪いが、いつか奇跡を起こすかも知れないから。

    +++

     長くて短い夜が明けて、ようやく目を覚ました晶は、隣で寝転がってこちらを見つめているミスラに気づいて、夜空のような瞳をパチパチと瞬かせた。
    「おはようございます、晶」
    「はい、おはようござ――!!」
     通じている。そのことが分かった瞬間、晶の顔がぱあと明るくなる。
    「ミスラ、言葉が――」
    「ああ、通じるようになりました? それは良かった――って、また泣くんですか、あなた」
     再びボロボロと涙をこぼし始めた晶。そんなに泣いたら、体中の水分がなくなってしまうのではないか。
    「だって、俺――もうみんなと、話せないのかと思って――!」
    「俺を誰だと思ってるんですか。どうにかなるに決まっているでしょう」
     ふふんと不敵に鼻を鳴らして、窓の外を指さす。
    「あの双子が言うには、新月の間は賢者の力が弱まることがあるそうです。それに加えて、数日前から分厚い雨雲が月を遮っていたから、いつも以上に影響が出たんだろう、と」
     だから雲を打ち払ってやりました、と告げたら、一瞬、何やら珍妙な顔をした。……何を考えたのか大体分かった気がするが、気づかないふりをする。
    「ありがとうございます、ミスラ」
    「このくらい、お安いご用です」
     他の連中に感謝されても何とも思わないが、晶から感謝の言葉を述べられると、不思議と気分がいい。いいはずなのだが――未だに泣き止まないその様子を見ていると、また胸がもやっとする。
     泣き顔を見るとこんな風になるなら、見なければいい。ごろんと転がって物理的に視界から外してみたら、多少はましになったが、今度は妙に空虚な気分になる。
    「ミスラ?」
     心配そうに呼びかけてくる声。その柔らかい声を聞くと、胸の中に空いた穴が少しだけ埋まるような、そんな気がした。
     そうだ。昨日もこうして名前を呼んで、呼び返して、それなのに――。
    「俺があなたの名前を呼んだら泣いたのに、なんで他の連中が呼んだ時は笑ってたんです?」
     ……この感情は何だろう。扱いの違いに怒っているのかと言われると、また少し違う気がする。
    「それは――! 嬉しかったから、泣いたんです」
    「嬉しくても泣くんですか、あなた」
     本当に泣き虫ですね、と呟いたら、背中にこつんと何かが当たった。
    「……俺、緊張感が足りなかったんだなって思い知らされました。異世界で言葉が通じるなんて、本来はあり得ないんです。俺のいた世界とこの世界では、言葉も文化も、何もかもが違う。それなのにこの世界で、最初から言葉が通じたから、これが当たり前なんだって思い込んで、その奇跡に感謝すらしなかった。だから今回のことは、いい教訓になりました」
     何故そこで、嘆いたり恨んだりしないのか。この世界にやってきたのは彼の意志でも何でもなく、ただただ周囲の都合に振り回されているだけなのに、それでも「いい教訓になった」だなんて、つくづく人が良すぎる。
    「はあ、そうですか」
    「まずは単語札を作るところから始めようと思います。良かったらミスラも手伝ってもらえませんか」
    「なんです、単語札って」
     聞いたことのない言葉に興味を惹かれて、ごろんと晶の方を向く。その顔からはもう涙は消えていて、代わりにいつもの、力の抜けた笑顔が浮かんでいた。
    「よく使う言葉を小さな紙片に書いて、そこにこちらの言葉と、俺の国の言葉を両方書けば、紙片を見せるだけで伝わるでしょう? そういうのを一通り作っておけばいいんじゃないかと思って」
     あれこれ発想を膨らませている晶は、何だか楽しそうだ。また言葉が通じなくなる事態など考えたくもないが、工夫することで彼が悲しまないで済むのなら、手伝ってやってもいい。
     ただまあ――それは今すぐでなくともいいだろう。
     楽しげに語る晶の手をぎゅっと掴み、星空の瞳をじっと見つめる。
    「あの、ミスラ? あっ……もしかして、昨日――」
    「ええ、眠っていませんよ。あなたが先に寝てしまったので」
     しまった、という顔をする晶。隣に寝ていたから、てっきり一緒に眠ったものだと思っていたのだろう。
    「すいません、ミスラ……」
    「まあ、いいですけど。あなたの寝顔を見ているのも、結構面白いので」
     大きく欠伸をしながら、掴んだ手を両手で包み込むようにして握りしめる。
    「おやすみなさい、晶」
    「はい、おやすみなさい、ミスラ」
     穏やかな声。繋いだ手から伝わってくる温もりと、心地よい眠りの波動。
     賢者の力は、確かに戻っているようだ。そんなことを考えながら、ミスラは四日ぶりの深い眠りに落ちていった。

     ――と思ったのに。
    「ミスラ! 賢者を抱き枕にするんじゃないと何度言ったら!」
    「怒らないでくださいファウスト。ミスラもこの数日、全然眠っていなかったはずなので」
    「それとこれとは話が別だろう。君も嫌ならはっきり断りなさい」
    「別に嫌ってわけでは……」
     昼になっても賢者が一向に姿を現さないことに業を煮やしたらしいカインとファウストが部屋に突撃してきたことで、強制的に叩き起こされたミスラは、寝不足と疲れでまったく回らない頭を抱えながら、ぼんやりと彼らのやり取りを聞いていた。
    「すまない、晶。俺がいたらすぐに名前で呼んでやれたのに」
     そういえばこの騎士も、普段から賢者を名前で呼ぶ一人だった。
    「名前は存在を定義づけるもの。祝福であり、呪いでもある。だから魔法使いに名を知られてはいけない、支配されてしまうから、なんて言われるくらいでね」
     呆れた様子で説明するファウストは、呪い屋なだけあって、その辺りは慎重だ。
    「もちろん、本物の呪いはそんな簡単なものじゃないが、きっかけにはなり得るから用心するに越したことはない。まして人間の君には加護の魔法もかかってない。だから――僕も君を名前で呼ばないようにしていたんだが」
     ごほん、とわざとらしく咳払いをして「不測の事態が起きた場合は、呼ばないこともない」と言ってそっぽをむくファウスト。これはきっと昨日、談話室で晶の名を呼んだことに対する言い訳なのだろう。
    「人の眠りを邪魔しておいて、何をべらべらと喋ってるんですか」
     ゆっくり起き上がり、寝台に腰を掛けた状態の晶に背後からのしかかって、その頭に顎を乗せる。ぎゃあとかぐえ、とかいう声が聞こえたが、すっぱり無視をした。
    「あなたも気安く名前を呼ばれて喜びすぎなんですよ」
     談話室でのやり取りを思い出すと、また胸がモヤモヤする。晶も、他の魔法使い達も、名前を呼び合って嬉しそうに笑って――。
    「いやあの…………あれ?」
     何かを思い出したように首を傾げる晶。
    「あの、ミスラ。ちょっと聞きたいことが……」
    「腹が減りましたね。食堂へ行きましょう」
     二度寝は望めないだろうし、腹は減っている。そうと決まればミスラの行動は早い。晶の問いかけにはあえて応えず、さっさと寝台から抜け出して、呪文一つで身支度を調える。
    「じゃあ、俺達は先に行って、ネロに何か作ってもらっておくよ」
    「他の連中も心配している。さっさと顔を出してやりなさい」
     二人はそそくさと部屋を出て行ったが、同行する気にはなれなかったので、入口で足を止めた。ちらりと晶に視線を送ると、慌てたように晶が寝台から立ち上がる。
    「すぐ着替えますから!」
     クローゼットから普段着を取り出し、わたわたと着替え始める晶。魔法を使わないと、着替え一つでこんなに手間がかかる。まったく人間は不便なものだ。
     時間がかかりそうなので、暇つぶしに喋ってみることにする。
    「魔法使いの名前には、強力な加護がかかってるんです。だから魔法使い同士で名を呼んだところで、よほどの力量差がなければ相手を支配することは出来ません」
     唐突に始まった講釈に驚いたようだったが、晶は着替えながら、ミスラの話に耳を傾けてくれた。
    「まあ、慎重な魔法使いは偽名を使って活動したりしますけどね。だから、名前を呼ばれて云々、というのはあくまで人間側の話です」
    「……あの、その理屈だと、ミスラが俺の名前を呼ぶことも呪いになりかねないのでは……」
     おずおずと問われて、にっこりと頷く。
    「呪いです」
    「呪ってるんですか!?」
     あっさり肯定されたことに驚いたのだろう、着替えの手が止まってしまったが、まあいい。
    「別に構わないでしょう。あなたの名前を忘れないようにする呪いですから」
     窓の外を一瞥し、はあと溜息を吐く。
    「俺も賢者の魔法使いとして、それなりに長く生きていますが。これまでに出会った賢者の顔も名前も、いつの間にか思い出せなくなっているんです」
     晶の前にいた賢者でさえも、多少なりとも会話をしたような記憶はあるのに、どんな人物だったのかすでに思い出せない。比較的交流が深かったスノウやホワイト、アーサーあたりはまだ思い出が残っているようだが、それもどんどん薄れていくのだろう。
    「まあ、さほど興味がなかったので、これまではあまり気にしていなかったんですが。ただまあ、忘れたくないことを強制的に忘れさせられるのは癪なので。だから呪います」
     正確には呪いではないかもしれない。本格的に呪おうとするなら、もっと具体的で確実な方法がいくらでもある。ファウストとはまた方向性が違うが、土着呪術はミスラの得意分野だ。ただ、得意分野の方だといささか物騒な方法になってしまうから、あえて『おまじない』に近い方法を取った。
     名前を呼ぶ。互いに呼び合う。そうすることで、互いの存在をはっきりと刻みつける。世界に。心に。魂に。
    「言葉が分からなくなっても固有名詞はそのまま通じると、今回のことで証明されましたし。せいぜい呪ってやります」
     あなたを忘れたくない。あなたを手放したくない。この気持ちが何なのか、今はまだよく分かっていないけれど。
     分からないなら、分からないなりに。出来ることをすればいい。
    「じゃあ、俺も――俺もミスラのこと、たくさん名前で呼びます」
     照れたように笑う晶に、何を今更、と呆れ半分に呟く。
    「まあ、そもそも俺の名前を呑気に呼ぶ人間なんて、あなたくらいしかいないんですけど」
     同じ魔法使いであっても、ミスラの名を呼ぶ者は限られている。人間に至っては、噂話ですら名を伏せるほどの怖れようようだ。
     それなのに、異界からやって来たこの青年は、まるで親しい友人を呼ぶように、柔らかな声音で彼の名を呼ぶ。
     それはまるで、優しい祝福のようで。
     だからきっとミスラも――呪いたくなったのだ。


    「ミスラ」
    「はい、なんですか。晶」
    「お待たせしました、着替え終わったので、食事をしに行きましょう!」
    「まったく、俺を待たせるなんて、あなたくらいですよ」

     当たり前のように、互いの名を呼び合えること。
     それもまた、奇跡なのかも知れない。
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