リクエスト「ごちそうさまでした! ネロの作ってくれるご飯は本当に美味しいですね!」
エッグベネディクトとコーンスープの朝食をぺろりと平らげて、嬉しそうに笑う晶。
今日は南の兄弟のリクエストで、どちらも少し甘めの味付けに調整している。甘めにするとリケやアーサーも喜ぶので、卵やミルクを使うレシピはつい甘めに作りがちだ。
「そいつはどーも。賢者さん、昼は戻ってくるんだろ。何が食べたい?」
空いた皿を片付けるついでに尋ねてみたが、晶はいつも「なんでも! ネロが作ってくれるものなら何でも美味しいですから」と答えるのみで、具体的なリクエストをしてくれないから困ったものだ。
「俺はムニエルがいいー!」
「何言ってやがる、フライドチキン一択だろ!」
「僕はオムレツが食べたいです」
ここぞとばかりに主張してくる連中を「はいはい」といなしつつ、慌ただしく出かけていく賢者を見送って、ネロはそっと息を吐いた。
「ほんと、賢者さんは遠慮しすぎだよなあ」
手際よく皿を洗いつつ、ついぼやいてしまうのは、晶がいつだって他の誰かを優先して、ちっとも自身の望みを言ってくれないからだ。
ネロは知っている。晶はもう少ししょっぱめの味付けが好みだし、実はコーンスープよりもオニオンスープの方が好きなことを。
これでも長いこと飯屋を営んでいたから、注文や食事の様子から客の好みを把握するのは得意中の得意だ。好みの味付けの時は目の輝きが違うし、心底嬉しそうな顔をして口いっぱいに頬張って食べるから、まるでリスのようだなと思ったりもする。他の連中に比べて食が細い晶がおかわりをしてくれた時などは、誰もいないところでこっそり「よし!」と拳を握りしめてしまうほどだ。
「……もっとワガママ言ってくれりゃいいのになあ」
「そうですか? 俺にはさんざんワガママ言いますよ、あの人」
急にそんな声が降ってきて、思わずぎゃっと飛び上がりそうになってしまったネロは、恐る恐る背後を振り返った。
「ミスラ、いつからいたんだ」
「あなたが溜息を吐きながら皿を洗い始めたところからですけど」
ということは最初のぼやきから聞かれていたことになる。まったく、北の連中と来たら神出鬼没で困ったものだ。
「仕事が終わらないからちょっと待てとか、ちゃんと寝間着に着替えない人とは添い寝しませんとか、昨日なんて暑いからくっつくなとか言われましたし。俺にあそこまでずけずけとワガママを言う人間なんて、あの人くらいじゃないですか」
本当に怖い物知らずですよね、などと言いつつも、その顔はどこか楽しそうに見える。
「そりゃ恋人同士ならワガママくらい言うだろ」
どうして俺は惚気を聞かされているんだろうと思いつつ答えれば、ミスラはきょとんとした顔で、まるで小鳥のように小首を傾げた。
「俺とあの人は恋人同士なんですか?」
「えっ……」
毎日のように手を繋ぎ、同じ寝台で眠る仲を、それ以外になんと表現すれば良いのか、むしろネロは知らない。
「……違うのかよ」
返答次第では二人まとめて説教コースだぞ、と思いつつ尋ねれば、ミスラはぼんやりと頬を掻きながら、意外な言葉を口にした。
「よく分かりませんけど、そういうのは、宣言してなるものなんじゃないんですか」
つまるところ、何となくいい仲であっても、告白もなしに恋人になることはないと、ミスラは言いたいようだ。そしてその口ぶりから察するに、どちらもそういう意思表示をしていないのだろう。
(意外と身持ちが堅いんだな)
もっとも、魔法使いはおいそれと約束や契約をしない。それは奔放で傍若無人な北の魔法使いであっても同じことだ。一方の晶といえば、食事のリクエストさえ飲み込んでしまうほどに慎ましい性格と来ている。
「するってぇと、今のあんた達の仲って、なんなんだ」
「賢者様は『添い寝友達』って言ってましたよ」
「なんだよそれ!!」
思わず頭を抱えてしゃがみ込むネロに、ミスラは「何なんですかね」と同意を示した。
「まあ、俺は眠れればそれでいいので。それに、あの人を見てると退屈しませんし」
大きな欠伸を漏らしながら、踵を返すミスラ。そのまま立ち去りかけて、思い出したように足を止める。
「そうでした。今日の昼飯はあれがいいです。ほら、賢者様がたまに作る――ラーメン、でしたっけ」
「ああ、あれな。材料が残ってたかな……」
教えてもらったレシピを思い出しながら、調味料や粉物をしまっている棚を漁る。麺は小麦で作れるし、スープは確か鳥ガラで取った出汁と『ほぼ醤油』があれば何とかなるはずだ。
これなら何とかなりそうだ、とほっと胸を撫で下ろすネロの背中に、軽やかな声が飛んできた。
「昨日、賢者様が食べたいと言っていましたから。きっと喜ぶんじゃないですか」
それでは、と足早に去って行くミスラを見送って、やれやれと肩をすくめる。
(……まったく、妬けるよな)
食事のリクエストなら俺に言ってくれよ、なんて思ってしまうのは、単なる料理人としての矜持なので。
そのくらいのヤキモチは許して欲しいところだ。