繋いだ手 真っ白な世界を、ただひたすらに歩いていた。
視界を染める猛吹雪。踏みしめる大地は雪に覆われ、振り返っても足跡すら辿れない。
いつから歩いていたのか。どこへ行こうとしているのか。
それさえも分からなくて、ただひたすらに足を動かす。
(――ああ、これは夢だ)
無限の雪と無窮の白。
それはきっと、魂の奥深くに刻まれた原風景。繰り返し夢に見る、懐かしい景色。
だけど、今日は少しだけ様子が違った。
降りしきる雪も、先の見えない雪原も同じ。
伸ばした手の先さえ見えない銀世界を、誰かと二人で歩いている。
体が思うように動かなくて、ちっとも前に進まないけれど。
繋いだ手の温かさだけが、まるで道標のように、進むべき方向を教えてくれるようで。
(これは、夢だ)
ぴたりと足を止めれば、少し先を歩く『誰か』も同じように立ち止まった。
ぴんと伸ばされた腕。繋いだ手。
雪原を踏みしめる足も、何もかもが小さくて。
ああ――これは。
己が魔法使いであることも知らず、《死者の島》で孤独に暮らしていた頃の自分だ。
(こんな小さい頃に、誰かと手を繋いだことなんて、あるわけがない)
そう気づいてしまったら、急に世界が暗転した。
真っ暗な世界に、雪だけが白く舞っている。
「――――?」
何か言われたような気がしたけれど、猛烈な吹雪に遮られて、すぐ目の前にいるはずの『誰か』の顔すらも分からない。
白い服の裾から覗く小さくて柔らかな手は、見覚えがないはずなのに、不思議と懐かしくて。
(あなたは――誰なんです?)
虚空に響く、声にならない声。
不意に吹雪が途切れて――その瞬間。
吸い込まれそうな星空の瞳が見えた。
「――ッ」
目を開けば、そこは見慣れた自室で。
そっと隣を窺えば、そこにはすやすやと寝息を立てる晶の姿があった。
(……夢、か)
繋いだ手を引き寄せて、まじまじと見つめる。
小さくて、細くて、少し力を込めれば簡単に握り潰せそうな手。
異界からやって来た賢者――脆弱で無力な人間の手は、今やミスラの生命線ともいえる存在だった。
〈大いなる厄災〉の奇妙な傷――不眠という形で現れたミスラの傷を緩和させらせるかもしれないとオズに提案されて、初めて賢者の手を借りたのは、もう随分と前のことだ。
あの時は寝不足で頭が回らず、ただ眠ることしか考えていなかったけれど。
思えば――誰かと手を繋いだのは、あれが初めてだったのではないだろうか。
「……あなた、夢の中でも俺と手を繋いでいるんですか」
くすりと笑って、握りしめたままの手にぎゅっと力を込める。
「ぅんー……あともう少しだけ……」
わずかに身じろぎをしたものの、一向に目を覚ます気配がない晶の姿を見つめながら、ミスラはもはや輪郭すら朧気な夢に思いを馳せた。
小さなミスラと小さな晶が、小さな手を繋いで雪原を往く。
あり得るはずのない過去。夢のまた夢。
それなのに何故か――その光景が頭から離れなかった。
+++
「? どうしました?」
急に立ち止まったミスラにぶつかりそうになって、慌てて足を止める。見上げれば、彼は何か眩しいものでも見つめるように目を細めて、少し前を歩く親子連れを見ていた。
「――いえ。手を繋いでいるなと思っただけです」
「ああ、あの子ですか。そうですね、まだ小さいですから」
そう答えたところ、何だか腑に落ちないような顔をされた。
「小さいと、手を繋ぐんですか」
「いえ、必ずしもそういうわけじゃないと思いますけど……。やっぱり、はぐれたら心配な相手とは、手を繋いで安心したいんじゃないでしょうか」
そう答えた途端、むんずと手を掴まれる。
「ミスラ!?」
「はぐれたら心配な相手と繋ぐんでしょう。あなた、ちょっと目を離すと何もないところですっころんだり、いつの間にか迷子になったりするじゃないですか」
「そ、そうかもしれませんけど! 俺は成人男性ですからね! それに、人前で手を繋いで歩くのにはちょっと抵抗が……!」
「毎晩繋いでるのに?」
心底不思議そうに首を傾げられてしまうと、それ以上何も言えなくなってしまう。
「いやその……意味合いがちょっと違うと言いますか……」
「昔のことはあまり覚えていないんですが。俺は、誰かと手を繋いだ覚えがないんです」
唐突にそんなことを言い出したミスラは、繋いだ手の感触を確かめるようにぐにぐにと掌を握りながら、呟くように続けた。
「気づいたら一人だったし、村の人間は俺と距離を取っていましたから。チレッタも、やたら腕を組んできたりはしましたけど、こうやって手を繋いだ記憶はないんですよね」
だから、と花が開くようにふんわりと笑うミスラ。
「あなたが、初めて手を繋いだ相手かもしれません」
まるで特別だと言われているようで、思わず胸が熱くなる。
「そ、それはとっても、ええと……光栄です」
「そうでしょう。だから、離さないでくださいよ」
ぎゅう、と力を込められて、思わずぎゃあと悲鳴を上げたら、それはもう楽しそうに笑われた。
「ほら、行きましょう。賢者様」
「いやあのっ! さすがにこれは恥ずかしいんですけどー!」
+++
眩い日差しの中、幻を見た気がした。
赤毛の少年と黒髪の少年が、手を繋いで雪原を往く。
はぐれないように、迷わないように。
小さな手を、ぎゅっと握りしめて。
きっと二人なら、いつかどこかへ辿り着けるだろう。