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    キツキトウ

    描いたり、書いたりしてる人。
    「人外・異種恋愛・一般向け・アンリアル&ファンタジー・NL/BL/GL・R-18&G」等々。創作中心で活動し、「×」の関係も「+」の関係もかく。ジャンルもごちゃ。「描きたい欲・書きたい欲・作りたい欲」を消化しているだけ。

    パスかけは基本的に閲覧注意なのでお気を付けを。サイト内・リンク先含め、転載・使用等禁止。その他創作に関する注意文は「作品について」をご覧ください。
    創作の詳細や世界観などの設定まとめは「棲んでいる家」内の「うちの子メモ箱」にまとめています。

    寄り道感覚でお楽しみください。

    ● ● ●

    棲んでいる家:https://xfolio.jp/portfolio/kitukitou

    作品について:https://xfolio.jp/portfolio/kitukitou/free/96135

    絵文字箱:https://wavebox.me/wave/buon6e9zm8rkp50c/

    Passhint :黒

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    キツキトウ

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    2022/7/7
    書きもの/「Wisteria」
    さ、最終更新が2021/7/21だからまだ一年たってないもん!描きたい絵やラフが溜まってく山に埋もれながら頑張って書いてたんだもん!(なおどちらも遅筆)

    もし誤字脱字がありましたら生暖かい目で見守っていただけると幸いです……。
    ※創作BL・異類婚姻譚・人外×人・R-18・異種姦・何でも許せる人向け。

    #小説
    novel
    #創作BL
    creationOfBl
    #異類婚姻譚
    marriageOfADifferentKind
    ##Novel

    Wisteria(11)「Wisteria」について【項目 WisteriaⅢ】「夢、|現《うつつ》」閑話1 「寝ぼけ眼と蛇の苦悶」閑話2 「ゆびきり」閑話3 「春の陽、遠い日の思い出」「Wisteria」について異種姦を含む人外×人のBL作品。
    世界観は現実世界・現代日本ではなく、とある世界で起きたお話。

    R-18、異種恋愛、異種姦等々人によっては「閲覧注意」がつきそうな表現が多々ある作品なので、基本的にはいちゃいちゃしてるだけですが……何でも許せる方のみお進み下さい。
    又、一部別の創作作品とのリンクもあります。なるべくこの作品単体で読めるようにはしていますがご了承を。

    ※ポイピクの仕様上、「濁点表現」の表示が読みづらい時がありますが脳内で保管して頂けると助かります。(もしかしたら現在はポイピクさん側が小説投稿の表示を調整してくれたかもしれません。:2022/7/7現)
    【項目 WisteriaⅢ】
    「夢、うつつ
    閑話1 「寝ぼけ眼と蛇の苦悶」
    閑話2 「ゆびきり」
    閑話3 「春の陽、遠い日の思い出」



    「夢、うつつ

     さむい……くらい、おなかがすいた。
     なんど「ここからでたい」をねがったんだろう。

     いつのまにかしていたそんなねがい。
     ぼんやりとうかぶおもかげが、「ここをでることができる」ということばをくれる。

     独りで震えていた夢の中で、今まで怖くて開けられなかった扉を、なぜか開けられた時があった。何時も冷たさだけを残していくものとは違って、少しだけ見る夢が変化していた気がする。

     怖いと感じるものは現れなくて。でも、扉を開けて、そして家の外へ踏み出しても、段々と虫食いのように黒い色ばかりが増えていった。……だって、〝家の外〟へ踏み出して遠くへ行くなんてした事がなかったから。だから、きっとうまく描けなかったんだと思う。

     その内に此処から出られさえすればその先が死だろうがどうでもよくなっていた。少しでも外が見れたのならそれで良かった。せめて死ぬだけの自分が誰かのお腹を満たして里が少しでも回復したなら……。

     いやほんとうはどちらでもよかったのかもしれない。どうでもよかったのかもしれない。

     だれかのたすけにならなくても、だれかのなかにのこらなくても、じぶんがこのせかいになにひとつのこせなかったとしても。

     もうくるしいのも、さむいのも、おなかがすくのもいやだったから。

     でれたさきで〝だれか〟にあえればそれでよくなってしまっていた。しらないうちにじぶんのなかにとけこんだなにかがずっとそうしろっていいつづけてた。

     にえになるっていわれたときはすごくうれしかった。たとえそのさきがしだったとしても、でられたさきであえるかもしれないだれかにあいたかったから。

     だからおれは――




     今日も温かな陽が窓から差し込んでくる。
     悲しかったような、あたたかいような。目を覚ますと何だか自身の奥底からそんなハッキリとしない感覚が淡く漂っていた。
    (なにか、夢をみた気がするんだけど……)
     思い出せない。夢を見た様な感覚はあれど、何時もの様に遠くへと去って行ってしまった。仕方ないと息をつき、身を起こすとまだ隣で眠っている白に声を掛ける。
    「おはよう朽名」
     声を掛けても起きないので、もう少しだけ寝かしておいてあげようと思い直す。すると自身のお腹からくぐもった音で抗議の声をあげられた。
    (……何か食べようかな)
     何れ起きてくるであろう相手の分も作りたくて、厨へ向かおうと掛けていた布団を捲り立ち上がろうとする。

     ……だが、気づいた時にはもぞりと動いた白に身体を取られてしまっていた。


              ❖     ❖     ❖


     気がつくと月明りが照らす、薄暗い何処かに居た。
     身は動かさず、静かに当たりを見渡す。見知らぬ場所で広さは感じず、自身の周りは多くの物で溢れ、それらが積み上がっている事が窓から入り込むぼんやりとした光で把握出来る。
     自分が立つこの場所は物置の様な場所だった。
    「……何処だ? 此処は」
     なぜ自分は此処に居るのだろうか……。
    (確か何時もの様に藤と)
     直前まで自身が何をしていたか思い出そうと、思考を始めた時だった。ガタッと背後で音が鳴る。振り返ると其処に気になるものは無い。
     だが、視線は戻さずに、更によく見ようと目を凝らす。隅の暗がりで何かが動いた気がしたのだ。
     よく確かめる為、一歩踏み出そうとした時だった。
    「だれ?」
     その方向から声が聞こえくる。それがゆっくりと、恐れる様に此方へと近づいてきた。月明りに照らされ見えたのは見覚えのある顔をした子供。ただ、その顔は初めて会った時よりも幼く見える。
    「……藤か?」
     発せられた声に、ビクリと目の前の子供が体を震わす。
    「……なんでなまえ、しっているの……?」
    「……」
     互いに黙ってしまい、静かな間が広がっていく。どうしてこんな状況が生まれているのだろうか……。
    (骨董屋が、「面白いから使ってみろ」と言った香炉を置いて)
     此処に来るまで、自分は藤と共に眠りに就いていた筈だ。しかし、今目の前に居る藤は番うよりも前、出会った頃の姿よりもずっと幼い様子で現れている。
    (……これは夢か? こんなに幼い藤に会った事はない筈だが……過去が反映された夢だろうか。それとも共に眠りに就いた藤自身なのだろうか)
    「どろぼう……?」
     黙っている間も、目の前の子供は不安そうにずっと此方を伺っていた。
    「いや、違うぞ」
     静かだった見知らぬ人物が突然声を出したことで、藤がまたびくりと体を震わす。そんな相手に視線を合わせる為に身を低くする。
    「恐れる様な事はしない」
    「……」
     藤が濡れている瞳でじっと目の前の人物を見る。
     そこでふと気づく。月明りに照らされた藤へ視線を合わせた事で、その頬が赤くなっているのを見つけたのだ。
    「それはどうしたんだ?」
     思わず距離を詰めて頬に触れる。小さな体はビクッと震えて驚き、身を引く。ぎゅっと目を閉じた拍子に、その端から今まで溢れきれずに留まっていた粒が零れ落ちた。
    「えっ?」
     だが、次の瞬間には赤味が引き、急に痛みが無くなったので幼いその人物は目を見開いた。
     この状況でも治せた事にほっと息を吐く。
     けれど吐き出した息でまた一つ気がついた。この場所が何処で何時なのかは分からないが、吐き出す息が仄かに白さを含むほど気温が低い。
     藤らしいその少年をよく見てみると、袖が短く布地が薄い服を着ている。陽が落ちて気温が下がり、暗く冷たいこの部屋の中で服から延びる白く細い腕や脚は震え、そこには擦った様な細かな傷や何かにぶつけた様な痣が付く。
     藤に纏わり付く痛みの痕を目にしたら堪らずにそっと小さな手を自身の手で覆った。
    「何処で付けたんだ?」
    「……」
     疑問を口にしてみたが相手は言い淀み、俯いて口を閉ざしてしまう。静かな間ばかりが過ぎていく。依然口を開かない様子を見ながら傷や痣を癒していった。

    「いたくなくなった!」
     傷のあった手足は綺麗に治り、自身の手を不思議そうに見つめている。
    「他にはないか?」
    「だいじょうぶ……ありがとう」
     恐る恐る相手を見ながらもお礼を言う藤に、つい何時もの癖で頭を撫でる。するとまた目を開き、驚かれてしまった。「うーん……」と藤が考え込む。恐らく「誰なのか?」とか「どうして此処に居るのか?」とかを考えているのだろう。
    (どうしたものか……)
     自身の夢の中で、幼い藤にお前の〝番〟だと真面目に話すのもどうなのだろうか……。そんな事を考えていると藤がそっと口を開く。
    「ゆめ? いたくなくなったし……きがついたらしらないひとがここにいるし……。ゆめみてるのかも……」
     伏せ目がちに、独り言の様な小声で呟く。
    「あー……そうだな。夢にな、迷い込んでしまってな。そのうち何処かへ往くが……治したら疲れてしまったんだ。少し此処で休ませてくれ」
     その提案に、藤が戸惑った瞳で此方を見ている。そんな事があるのだろうか、見知らぬ人物と共に居てもいいのかを悩んでいるのだろう。しかし夢だからと納得したのか、やがて小さく頷いた。
    「あかるくなるまでなら……いいよ」
     幼くとも変わらず優しさを見せる藤にふっと息を吐く。壁際に腰を下ろすと、白く息を吐く藤に声を掛けた。
    「寒いだろう。此処に来るか?」
    「え?」
    「寒くてな、共に居てくれると助かるんだが」
     ぽんぽんと膝を打つ。迷っていたが、やはり寒かったのか薄い毛布を胸元で抱えて引きづりながら、静かに近寄るとちょこんと膝の上に座った。毛布を深く膝に掛け直し、羽織っていたものを藤に掛けて二人で包まる。
    「これで少しは暖かいだろう」


              ❖     ❖     ❖


    (あたたかい)
     この物置に放置されていたぼろぼろと擦りきれた薄い一枚の毛布に包まって、只々此処で寒さに耐えていたからその温度差で膝の上がより暖かく感じた。顔が出て、空気に触れて冷えている自分の頬を温めるように、背後に居る人物の指が触れ撫でていく。その手は上へと登り、今度は頭を撫でていた。
     普段、誰かがこうして触れる事など無い。〝触れる〟事があるとすれば、それは自分に痛みを与える時だ。与えられた事のないものを与えられ、どうしていいのか分からなくなる。けれど困惑を産んでいるのに、心地はとても良かった。怖くも無ければ痛くも無い。何時も見る夢はこんなだっただろうか……?
    「ずっと此処に居たのか?」
    「……うん、ねむったときもここだったよ」
     花瓶を割ってしまったのだ。大事だとされていた花瓶を。突き飛ばされた拍子に。
     陽が落ち、痛む頬と脚を携えて、重さを含む用済みになった身体を動かしながらこの部屋へ戻ってきた。そして何時もの様に、冷たく暗い夢の中へ溶け込むものだと思っていたのだ。
    「きょうはへんなゆめ。あったこともないしらないひとがでてきた」
     小さく首を傾げると、ふっと吐かれた白い息が消えていくのを見つめている。此方からしたら会った事の無い幼い藤が現れて驚いたが、藤に初めて会った時の面影を何処となく思い出しては、懐かしさと共に大きな白を作りだす。
    「この部屋は自室なのか?」
    「ううん、ちがう」
     聞かれるとぶんぶんと首を振る。
    「……いえのなかではここがいちばんおちつくから……ずっとここにいる」
     俯いた事で視界に映っていた黒が揺れる。
     自身からはぁっと吐き出された白がふわりと藤のその後頭部にぶつかり通り過ぎる。
    (ずっと此処か……)
    「……この外には、出ないのか?」
     尋ねて帰って来たのは静寂だった。
     再び息を吐くと、無意識に何時もの癖で藤の頭を撫でる。そして静けさを漂わせていると、藤がじっと、扉がある方へと目を向ける。
    「すこしだけ。でも、こわいから……あまりでたくない。……ゆめのなかでも」
     その返答に、眉を刻むように歪めて目を細める。
     向こうに居た時。時折眠りに就く夜の中で、藤が震えながら吐き出す言葉で目を覚ます事があった。今ではそれも無くなったが……。
    (〝行き場が無い〟とあの時の藤が言っていたな)
     自分に〝それ〟を変える力があるなら、変える為に行動を起こしていたのだろうか。だが、きっと。変える事に成功していたら藤とは出会う事が出来なかったかもしれない。今の自分にはその行動を起こす事は出来ないだろう。
    (もどかしいな)
     自分は万能ではない。だからこそ考えを巡らせては〝今〟を見つめるのだろう。未来を見る為に。
     己の中で酷く渦巻くものがある。〝失いたくない〟と呻き続けている。大切なら封をしておけと、捕まえておけと何処かから囁かれる。藤を失わない様にと、〝別の道を辿った誰か〟がそっと置いていく。そんな戯言達が気のせいとして聞こえてきていた。
    (〝歩き出す為の脚〟が、あの子にはあるのにな)
     今はまだ一人外へ出る事が怖くとも、何れ一人で出る事が出来たなら、別の何かを見つけ出してしまうかもしれない。


     ぼうっと考えていた頭に、目の前に居る小さな藤の声が届けられて意識を戻す。
    「えっと……どこかからきたんだよね……? どこからきたの?」
     興味深そうに此方を見上げている。どんな話が聞けるのかと期待に目を光らす表情に、己の中で漂っていた恐怖が何処かへ消えていく。ふっとまた小さく白を吐き出した。
    「この土地とはな、別の所から来たんだ。私の連れと其処に移ってな。……此処に迷う前も連れと共に眠りに就いていた筈なんだがな」
    「どんなひと?」
    「料理が上手いぞ。それと花が好きでな。よく手入れをするから、庭は草木が茂って暖かくなると艶やかな花々が咲く。家に居る事も多いが、遠くへ出かける事もあるな」
    「いっしょに?」
    「ああ、共に出かけるぞ」
    (思えば彼方に移ってから、藤と共に多くの場所へ足を運んだな)
     蛙が棲む大きな池がある寺、風が囁く小道、変な薬師が棲む洋館、沢山の書物がある大きな書庫、様々な者達が行き交う街、見た事の無い草花が茂る植物園、街に新しく出来た駄菓子屋、沢山の燈が吊るされ願いを叶える為に眠る者達が居る場所、去る事を選んだ者達が旅立つ駅。
     自慢げに、誇らしげに。幼い藤に共に見てきた記憶を語る。そんな語り手の楽しそうな様子に、聞き手もきらきらと光が入り込み目が輝いていた。それを見て一層嬉しくなる。
    「……其処へ移る前はあまりものを見せてやれなかったからな。沢山のものを見せてやりたいんだが……あまりに大事にし過ぎてな。手を放したく無くなる。傍にずっと置いて閉じ込めてしまいそうになる」
     自身に纏う独占欲が矛盾した思考を生み出してしまう。何も知らない夢の中の小さな藤に、己に刺さり悩ます思いを告白する。
    「たいせつなひとなの?」
    「ああ。手放さずに、永遠と共に居たい程にな」
     柔い眼で小さな話し相手へと視線を返す。自分の元に座り込むその相手は、変わらず無邪気な瞳で此方を見続けていた。
    「あれが見た事もない物や様々な者達が居るからな。興味深そうにしたり、目を輝かせる表情がまた好い。共に出かけるのが楽しいぞ。退屈もない」
    「いいな……」
     ぼそりと蚊の鳴くような声で呟く。微かに発せられたそれは消えゆき、輝いていた瞳は伏せられてしまう。
    「お前は……此処以外の、この家以外の夢は見るのか?」
    「……このばしょのゆめばかりだよ……。このいえのそとがどうなってるかわからない……」
     零れていく言葉は震える。
     藤は気持ちを噛みしめ、叫んだとしても叶わない願いをそっと奥へと追い詰めていく。追いやられた幾つもの気持ちは何処へ逝くのか、それとも消える事なく留まり続けるか。自身を傷つけられながらも、その小さな体に押し込めたらすぐにでも一杯になってしまうだろう。
     その先で、藤は死を選んだ。行き場が無いから「どうぞ食べてくれ」と、目の前の蛇に願いを告げていた。
     もし自分が藤を受け入れなかったら。もし自分が藤を送り返していたら。もし自分が、藤が選び取った〝死〟を逸らさなかったら。起こる事の無かったもしを考えてしまう。そして「いたい」「なぐらないで」と、泣いていた何時だったかの夜がまた脳裏を横切っていく。
    (……遣る瀬無い。自分が万能でなくて良かったかもしれんな。……藤の手を離した〝その相手〟を噛み殺していたかもしれん)

     ふーっと溜息を吐き出す。
     此処が夢の中で、起きた事を変えれなくても。せめて夢の中だけでも平穏を。
     ぽすっと置かれた手はわしゃわしゃと頭を撫でていく。ぐらぐらと起こされた地震に藤は目を丸くした。
    「うわっ」
     くるりと反転させられると、突然身体が上へと引っ張られる。軽く小さなその身体は簡単に持ち上げられ、立ち上がった相手に合わせて更に浮き上がった。足がパタパタと空を撫でていく。高くなった視線はやがて抱きかかえられる事で相手と同じ高さになった。
    「夢の中くらい好きに描いてしまえ」
     突然の出来事に動けず、此方を見ている藤と目を合わせる。
    「寒いなら暖かさを、部屋から出たいなら出てしまえ。恐ろしいならそんなものなど描く必要なんてない。お前の居たいように居ていいんだ、藤」
     神としての姿ばかり望まれていた自分に、「居たい姿で居てほしい」と願ってくれた藤のその言葉を返す。自分と共に隠世へ移り、同じ時を歩み、そのお願いわがままを聞き続けてくれる藤のその言葉を。
     ぽたっと落ちた粒は地に落ちて弾ける。弾けて消えた涙の、「前に続け」と放たれた合図にぽろぽろと一つ二つと零れ落ちては弾けていった。あまり泣くのを見せたくなくて耐えていた筈なのに、今はもう止める事が出来ない。
    「ほんとうは……ほんとはここからでたいっ! ゆめだけじゃなくて、おきたせかいでも。……このいえからでたい!」
    「ああ、出れるぞ。お前はこの先、此処を出る事が出来る」
    「うん……」
    「それに外だけではない。沢山のものをこれから見る事が出来る。もうこの家に戻る事なんてない。私がそれを絶対に叶えてやる」
     胸元で藤がぐしぐしと泣き続ける。ひくひくと漏れる嗚咽を聞きながら、震えている背をあやす様にさすり続けた。


     暫くの間泣き続け、疲れた藤が眠たそうに自分の胸に縋る。「寝てしまってもいいぞ」と声を掛けると、自分に預けていた頭を持ち上げて此方に視線を向けた。
    「もし……もし、このいえからでたら、あいにいくね」
     そうしたら。
     言いかけた口をきゅっと結ぶ。
    『そうしたら、一緒に色んな場所へ行ってみたい』
     そう言いかけた言葉を、此処が夢の中という事を思い出しては言葉を見失う。起きたらこの人物はもう居ないかもしれないのだ。寂しさが心を覆う。離したくなくて思わず胸元を掴む手に力が籠る。
     いつもは泣いてばかりの夢だったのに、今日の夢は怖くも寒くもなくて。それどころかとても暖かかった。
     またその相手に縋る。触れる暖かさが心地よくて、再び睡魔が藤を誘い出した。
    「ほんとうは、ひとりでいるのこわかったんだ……けど」
     ウトウトと眠気を帯びる目は段々と重さを含んでいく。けれど、それでも伝えたくて言葉を紡ぎ続けた。
    「きょうは、さむくもなかったし……こわくなかったよ」
     そうして浮かべる表情は柔らかく、幼くとも共に過ごしてきた藤と変わらない雰囲気が含まれていた。
    「ありがとう」
     柔らかな笑みで伝え終ると力が尽きたのか、胸元に顔を埋めてすやすやと微かに寝息を立て始める。苦しそうな様子もなく、穏やかに眠るその表情にほっと息を吐いた。
     だがそうしている内に、藤を抱える手が透け出している事に気づく。そして遠くの方で自分を呼ぶ聞き慣れた声が聞こえてきた。
    「また会えるからな」
     不思議な出会いを惜しみながら小さな藤にそっと別れを告げると壁際に座り、別れが来るまでの僅かな間も抱きしめるのを止めない。


     自分を呼ぶ声を聴きながら、藤にまた会う為に目を閉じる。


              ❖     ❖     ❖


    「く……ちな」
    「ん?」
     蛇は呼びかけで目を覚ます。巻き付くその中心に、何か暖かいものを感じながら意識を取り戻していく。
    「動けないよ、朽名」
    「……」
     どうやら寝ぼけていたらしい。夢の中の藤を抱きしめていたつもりが、目を覚ました世界で大きな蛇の姿のまま抱きしめていた……いや、巻き付いていた。
     事態を飲み込むとするりと自身の体を解く。
    「朽名って割と寝ぼけるよね、この前も寝ぼけていたし」
    (まぁ……お前も結構寝ぼけるがな)
     あずかり知らぬ様子の藤に、今までの寝ぼけ方を思い出した蛇が苦笑する。そんな事を思いながら、気がつくと藤が顔を上げて観察する様にじっと此方を見ていた。
    「大丈夫?」
    「ん? 何故だ?」
     唐突に心配の声を上げる藤に疑問の言葉で返す。
    「寝ている時、何だか険しい顔をしている気がしたから……」
    「……ああ、大丈夫だ」
    「本当に?」
    「……お前が積極的に甘えて強請ってくる夢を見たな」
    「もうっ!」
     ぼふっと枕を蛇の顔に押し付ける。
     何時もの調子で返す蛇に呆れつつも、心配ないと判断したのか表情を緩めて寝具から立ち上がる。そして傍に置いてあった香炉を手にした。
    「言われて試しに使ってみたけど……何も無かったね。後で骨董屋さんに届けにいこうか」
    「……そうだな」
     手渡された香炉を見る。
     あの夢の中の藤が少しでも安らげる事を願いながら、そっと箱の中に香炉をしまった。


              ❖     ❖     ❖


     瞼の裏に、光を感じてゆっくりと目を開ける。目を開けた先の窓からは柔らかな陽が差していた。
    「あ! あさだよ!」
     起き上がり、陽が差し込み始めた窓を見る。
     だが、返らぬ返事に辺りを見渡すも、自分以外には誰も居なかった。さっきまで傍に誰かが居た気がしたのだけど……。
    「やっぱり、ゆめだった……のかな?」
     言葉に出してみたが、どこか自分に暖かさが纏わり付いている気がしてならない。けれどその原因を探ろうと頭を抱えても、段々と薄れていく〝夢〟は彼方へと歩き出していた。そこに誰かが居た気がしたのに。喪失感が胸を過る。
     やはり夢の中の出来事だったのだろうと納得し、また訪れる冷たい日々へと目を向ける。消えていく暖かさを思っては寂しさが浮かぶ。そんな寂しさを感じたくなくて、振り払う様に首を横に振った。
    (だいじょうぶ。きっと、いつかここからでられるから)
     その時、お腹の奥からくぐもった音で抗議の声があげられていく。
     もう少しだけ歩く為に、何時もは躊躇ってしまう扉を今日はちゃんと開けてみようと藤は立ち上がる。誰かが告げた、「ここをでることができる」という言葉が何処かから聞こえた気がしたから。

    『たとえ行きつく先が死でもいいから、ここから出たい』
     そう思う様になるのはもう少し後の事だった。

    「あ、なまえ……きいてない」



    閑話1 「寝ぼけ眼と蛇の苦悶」

     自身の匂いがそうさせるのか、立場がそうさせるのか。物の怪の類からみたら神と番った藤は美味しそうに見えるらしい。


     道を聞かれたから、その方向へ目を向けながら応答をした。
     けれど相手は其処へは行こうとせず、突然「美味しそうだね」とよく分からない事を言いながら、其処まで連れていってくれと手を伸ばされて。それから――

     かぷっ

     ……朽名が相手の手を噛んでいた。
     自分にへばりついていたもう一人の存在に気づいていなかったらしい相手は、突然蛇に噛まれて驚き、謝罪を入れる間もなく何処かへ行ってしまって……。
    「……いきなり噛んだら驚いちゃうよ?」
    「変な輩を払う為だ」
     憤った蛇がふんっと息を吐き出す。出していた顔を引っ込めるとまた藤の方へと戻っていった。蛇の言葉を聞いた藤は目を伏せる。
    「……朽名が噛むのは……俺だけでしょ?」
     ぼそりと。聞き取りづらい声で呟く藤の顔は微かに赤く染まっている。言葉を発さず、そんな藤を暫くじっと見ていた蛇はようやく口を開いた。
    「……良く聞こえなかったからもう一度頼む」
    「や、やだ」
     思わず零してしまった言葉が恥ずかしくて、赤らめた顔を隠す為に蛇から視線を逸らして拒否をする。だが、蛇の追及は終わらなかった。蛇はふわりと自身を人の姿に変え、藤の顎を取り此方へと向かせる。
     突然、ふにっと柔らかいものが唇に当たった藤は目を見開く。多くの者達が行き交う場所で唐突に口を塞がれ、腰をぐっと引き寄せられた。
    「゛んんっ――」
     がしりと体勢を固定され、身を剥がす事が出来ない。ぽんぽんと相手の胸元に抗議を入れるが、まるで気づいてないかの如く無視してくる。やがて唇をこじ開けられて舌が捻じ込まれると、往来の視線や藤の抗議などお構いなしに絡め取り始めた。
    「ぅ、…っ、ん」
     交わされる舌でくちゅくちゅと唾液が混ざっていく音が藤の耳にも届く。
     通り過ぎていく何人かがちらりと此方を見て行くのが分かる度に、羞恥心が藤の目を回しいく。長い事口内を味わわれては終わり際に軽く唇を食まれる。やっと相手が離れて行く頃にはすっかり藤の息が上がっていた。

    「ばかっ! ばかばかばかばかっ!!」

     ぽかぽかと相手の胸元を叩くが、叩かれている当の本人はピクリともしない。……それどころか嬉しそうに笑みを浮かべている。
    「聞こえてんじゃん!! こんなところでしないでよっ!」
     涙目で睨みながら、恥ずかしすぎて真っ赤になった顔を此方に向けてくる。
    「欲しそうにしてたからな。それに、お前は神の持ち物だと示しておかねば。あとは……教えなかった事へのちょっとした仕返しだな」
     にっこりと笑みを浮かべ告げてくる。
     蛇の身の方がよく音を拾っているので、恐らく大方は聞こえていたのだろう。聞こえなかったふりと教えなかったのは御相子の筈である。
     だが、言うよりも早くに周囲の自分達へと向けられる視線に耐えきれなくなった藤は、そんなものを物ともしない相手の胸に崩れ落ちると涙目のままそっと言葉を零した。
    「もう…むり……」


              ❖     ❖     ❖


     その後は居た堪れず、羞恥で動けなくなった藤に了承を得る前に身を抱え上げ、〝鍵〟で造りだした扉を使って家まで帰って来た。
     より恥ずかしさに沈められた藤はむすっとした顔を朽名に向けて風呂へ向かい、暫くしたのちに出てくると早々に寝具へ潜り込む。そして頭から布団をかぶった。
     そんな藤の行動に思わずふっと笑みを零す。
    (なんだか懐かしいな。この光景は)
    「悪かったな、藤」
     ぽんぽんとその小さな山を叩く。そして身を蛇に変えると藤の横で共に眠りに就き始めた。


     ふと、温度を肌に感じて目を開ける。
     さっきまで拗ねて身を隠していたのに、今は其処から出てくるどころか自身にぴったりとくっつく藤が居た。くっつけていたであろう頬にはうっすらと鱗の痕が見える。
    (本当に、怒る事に慣れていないな。お前は)
     顔を近づけて、痕の付いた柔らかな頬を撫でていく。
     頭を上げてきょろきょろと辺りを見渡し、寝具の端に追いやられていた布団を摘み咥え、ずるっと藤の胸元まで掛け直した。
     無事に目的を果たし、ふーっと息を吐いてからもう一度寝直そうと頭を降ろし伏せると――
    「……起きていたのか」
     ぱちりと目を開けていた藤と目が合った。
     蛇の行動に、藤がふふっと笑みを浮かべて僅かに身を起こすと、寝ぼけているのか目の前の蛇の鼻先にかぷりと触れる程度で噛み付いてくる。
    「これで許してあげる」
    「……そうか」
     ふにゃりと笑っている藤の様子に、別の意味で煽られた蛇が頭を抱える。
    (なんでお前はそう、何時も煽るんだ……)
     その張本人は変わらずに寝ぼけ眼で此方を見ていた。ぐっと己の中の欲を抑え込んで、お返し代わりに鼻先で藤の頬に触れると、再び頭を伏せて寝る体勢を取る。
    「……」
    「寝ないのか……?」
     寝る気配を見せず、無言で此方を見続けてくる視線の元へ尋ねる。
    「……仲直りしたから」
     言葉が止まると、藤の瞳が僅かに寂しさを含んだ。
    「食べられるかと思った……」
     言葉を聞いた蛇が間も開けず、ぐるりと藤の身体を取り囲む。突然の行動に、何もないのかと消沈して横になろうとした藤が驚いた。
    「期待したのか?」
    「え?」
    「まぁ、そうだな……変な輩に絡まれない様、何時もより〝印〟を付けておくか?」
     言われた言葉の意味を脳が働いていない頭で飲み込む前に、無防備に晒していたその首筋に蛇はかぷっと甘く噛みついた。


              ❖     ❖     ❖


     外から入り込む淡い光が帳の薄い布地を通り越し、熱が上がり続けるその場所を照らし出す。きしりと弾む寝具の音をよそに、薄明りの中で重なり合った二つの影が揺らめいた。
     点々とした赤い痕、食まれた痕、鱗の痕、肌に流れる川の痕。つややかな肌に残された痕達が、吐息を漏らす藤の上で悠々と遊んでいる。
     もう何回蛇は姿を変えただろうか。人に蛇にと姿を変えたのにも関わらず、二人の狭間は変わらず繋がったままだった。姿が変化する度に、蓋をされたままの中で揺れる液体が、音を立てては僅かに覗く隙間から零れ落ちる。藤の中にも外にも沢山の〝印〟が染み込んでいた。
    「あっ」
     白く淡い鱗を輝かせている蛇が、その身をするりと動かす。白が退いた後の肌には新しい痕を残し、また新たな場所を求めて鱗は移っていく。移動した先で停滞すると、半透明な蛇の身が褐色の肌に薄く溶け込んでは沈み、その感覚でまた藤が吐息を漏らした。
     感覚に苛まれ色を零す藤の姿が蛇は愛おしくて堪らない。自身に縋り、身を預けていた藤の項を食む。
    「ひぁ」
     逃さないように、奪われない為に。
     食んだ口先でぐっと項を抑え込む。痕が残る様にじんわりと、ゆっくりと時間を掛けて肌を食む。そして角度がつき、藤が飲み込むその中で休んで居たそれに息を吹き込んだ。
    「っ、……ぁっ、くち、な」
     蛇の胴に身を預けている体と手に力が入ってしがみつき、刺激が藤の身を揺らすと待ち兼ねていたかのように中が震える。
     縋り名を呼ぶ藤の声にまた中に居たものの大きさが増し、堪らなくなった蛇が思わずずるりと大きく胴を動かし奥へと突きたてる。中を貪り始めたそれが最奥の襞を擦り上げた。
    「あぁっ――」
     項を食まれながら鱗が足の狭間を通り抜けていく。
     ちゅぷっちゅぷっと音を弾き鳴らし、幾度も奥へと注がれる刺激に藤が音を上げるのは時間の問題だった。


    「うぅ……」
     息絶え絶えに、白い鱗に囲まれたまま声を漏らす。どうやら巻かれた身の中で意識を手放していたらしい。
    「起きたか?」
     気配に気づいたのか、蛇が声を掛けてくる。自分の近しい記憶から変わらずに室内は薄暗く、意識を放してから目を覚ますまでにそれ程経っていないのかもしれない。
     蛇の渦の中で預けていた身を持ち上げようとするが――
    「っ!」
     身体に走る刺激と共に、まだ中に居たそれが内を掠めていく。掠めた感覚をまた身体が拾い上げた。
    「ああ、まだ抜いてないぞ」
     追い打ちの様にぐぐっと力を籠めて浅い所で動かされる。存在を意識させられた事で見る間にカアッと顔が赤くなってしまった。
    「うっ、うごかさないでっ!」
     そっと力を抜くとふーっと息をつき、自分の身体を見渡してみる。肌の上で戯れている沢山の痕達を見て、また一つ息を吐いた。火照り、赤味が残る顔も身体も熱くて仕方がない。
    「中にも沢山残したからな」
    「いわなくていいから!」
     恥ずかしくて思わず顔を両手で隠す。が、……にやにやとしながら嬉しそうに此方を見ている気がして中々顔が上げられない。
     そんな事を言われなくとも、意識を手放す前の記憶が自覚させていた。
    「抜くか?」
    「……うん」
     少しだけ、手を顔から退けて覗いてみる。
     覗き見える手の向こうの景色は、大蛇がふらりと身を揺らして白い大きな身体を人の身へと姿を移す光景だった。
     朽名は蛇から人へ、または人から蛇へと姿を変える時、薄茶色の髪が数舜だけ白色はくしょくへと変化する。その変化が面白くて、そしてそれが綺麗で藤は気に入っている。
     目の前の変化に、無意識に掌の下の表情が和らぐ。
    「おっと」
     見惚れている間に、気を抜いて蛇に預けていた身をすぐに朽名に抱えられ、そのまま顔を覆っていた手を退けられてしまった。
     向かいあい、膝の上に跨り乗る形で抱えられた事で自分の体温も息も相手に伝わってしまっている。……ずっと胸の奥で鳴っている音も聞かれているかもしれない。そう考えると余計に音が速くなる。顔を見せたくなくて俯かせた。
     変わらず顔を隠す藤に、にやりと笑みを零す。
     何度も隠す顔をあげさせる為、腕の中に納まる藤へと繋がりを保っているその場所を突き上げた。過敏になっていたそこは容赦なく刺激を拾い続けていき、抜くと言ったのに、いきなり訪れた刺激に藤は声を上げて背を反らした。
     意地の悪い神様はそれが狙いだったのだろうか。反らされた喉元をとっさに甘噛む。ちゅっと音を鳴らし去ると藤の肌で戯れる痕をまた増やしていった。
     だが、依然動きは止まらず、繋がったままぽすりと寝具へと倒される。
    「あっ、やっ、はやくぬいてっ」
     体勢が変わった事で刺激が加わり、堪らず声を上げる。
    「ん? いいのか? 藤」
     再び息を上げ始めた藤に指を這わす。その指が辿り着いたのは、足の狭間で息を吹き返しゆるく勃ち上がり始めた藤の性器だ。
    「ここはまだ欲しがっている様に見えるぞ?」
    「ぁっ!」
     先端の口を指先が弾く。
     ただ、藤の様子を指摘した朽名は先の動きに反し、今度はゆるりとした動きで藤が満ちるギリギリを責め始める。
    「っ、…ん……ぁ、ぅ……ふっ…、…ァ、あっ――」
     ぐるりと内壁を撫でる緩やかな動きに、共に応える様に短く声を落としていく。
     けれど、今欲しいのはそれじゃない。くるくると緩やかな動きで感覚を与え続けるが、そのもどかしさに煮られる藤は堪らず止まろうとしない相手に呼びかけた。
    「くちなっ……や、ぅ…それ、…んんっ」
    (それじゃなくて、もっと……)
    「欲しいか?」
     困った様に藤が止まる。
    (我慢……できなくなりそう……)
     もっと欲しいという言葉を口にする事が出来ない。自分に沢山のものをくれるこの神様に望み続けたら、際限なく与えられる〝甘さ〟と自身の〝甘さ〟に溺れ沈むまで望んでしまいそうで怖くなる。きっと、幼い頃から得意だった〝耐える〟という事が出来なくなってしまう。
    (けど……)
     そんな恐怖など投げ捨てて望みたくなる。朽名がほしい。
     特技だった耐えるという行為は、初めて会ったあの時から今まで与えられてきたもので泣きそうなくらいぽろぽろと崩れそうになっていた。
     ぐるぐると巡る思考に、口に出す事の羞恥心も割り込んで藤がもたもたしていると、その内に藤の耳元へ顔が近づきささめく。
    「私はお前に与え続けたいし、求められ続けたい。それは私の我儘かもしれないがな、何者にも〝痕〟を残させたくない……お前だけの〝私〟でありたい」
    (どうしよう)
     嬉しさと気恥ずかしさで声が出ない。
     朽名の言葉に含まれる音の一つ一つが甘さを含んで藤をくすぐる。胸元から聞こえてくる音が忙しい。目一杯に自身を抑え込んでいた所にそんな願いを落とされてしまったら、耐えきれずに溢れ、言葉を発した途端に泣きだしてしまいそうだ。
     呼吸音だけが空に溶け込んでいく。静けさのせいで内から零れ落ちる音がやけに誇張されて聞こえてくる。それでも目の前の人物は柔らかな表情で此方を見つめ続けていた。
     赤く染まる耳元で暇を持て余していた手を持ち上げ、腕を朽名へと回す事で返事をする。潤み、とろんとした目はしっかりと相手を捕らえていた。間近に佇む相手に寄ると唇を重ね合わせ、入り込む動作にどれ一つとして逃さずに応じていく。ひそやかに唇が離れると藤は笑みを浮かべてこくんと一つ頷いた。それを確認した相手は小さく息を零す。
     藤を覆う体は一度大きく身が引かれ、そしてじゅぷっと中で液を練りながらぐっと勢いよく奥に触れていく。
    「゛あっ――」
     与えられる甘い熱の大きさに手を離しそうになってしまう。離れてしまうのは嫌で、相手を離さない為に絡める腕を更に強く結んだ。


    「ぅ……んっ……」
     自分の中を満たしていたものが中から外へ帰っていき、蓋が開けられると共にどろりとしたものが流れ出す。だが、それでも未だ自身の中にはそれが残り続けていた。
     飲み込み続けていたその縁がひくつき、抜かれた衝動で中が僅かにうねる。重さを含んで居座っていたものが無くなると、途端にその場所が寂しく感じてしまう。
     微かな寂しさを藤が感じていると、くたりと力を抜いていた身を抱えられてすり寄せられた。
    (……朽名の匂いが……染み込んでる気がする……)
     ふわりと相手の匂いを感じた気がして気持ちが綻ぶ。触れ合った事で自分に朽名の匂いが染み込んでいくのだろうか。自身の内で気恥ずかしいけれど心地良さを感じてはまた縋って甘さに手を伸ばしたくなる。……もう甘さから逃げ出す事が出来なくなっているのかもしれない。
    (沈み過ぎて……息が出来なくなったらどうしよう……)
     ぐらぐらと目の前の甘さと闘う藤をよそに、甘さを与え続けている当人はじっと藤の身体を見つめる。やがてそっと手を伸ばすと指先が賑やかな藤の身体へと伸ばされた。
    「沢山ついたな」
    「っ――」
     指先ではなく爪先で。肌を辿られる事で過敏になっている身体に刺激が走っていく。漏れ出てしまう息の隙間で、そこらかしこで賑わう痕に視線を誘導され改めて自分の身体を眺めた。
     食まれたり吸われたり、足のつま先にまでキスを落とされていたのが脳内に引き戻される。自分の身に触れた痕をこんなにも残していくのに、朽名は……
    「ずるい」
     そう呟くとふくっと頬を膨らませ不貞腐れる。
    「朽名ばっかり」
     自分にばかり与えていくのは、残していくのはずるい。
     気がつくと何時の間にか沢山の痕を残している。半透明な蛇の身で肌に触れて染み込むだけでも容易く痕を残していく。蛇とは違うこの身では、指先で触れただけでは痕を残せない。自分だって朽名に触れた痕を残したいのに。
    「噛んで痕を付けてもいいぞ」
    「え…痛い…かもよ……?」
    「構わん、ほら」
     しょぼんとしていた藤に提案すると、良く見えるようにと首元を見せてくる。
     その提案に少し戸惑うが、やがて首元に恐る恐る近づくとかぷっと噛んだ。朽名のように甘噛んだり吸ってはみるが、自分よりも堅靭な身に中々痕が付いてくれない。
    「もっと強く噛まんと痕が付かんぞ」
    「んっ」
     ぐっと先よりも強く肌を噛む。そして離された時には藤が残した痕が綺麗に肌へと残っていた。残されたそれをそっと指先で触れる。
     目の前の神様からしたら、自分がつけた小さな痕をすぐに消す事は容易いのだろう。けれどもそれは消えるどころかそこに残り続けていた。目の前の光景が何処か嬉しくて、見ていると胸の底で鳴っている音がまた加速していく。
     ふっと顔をあげる。痕を残され、苦どころか涼しげな顔で嬉しそうに笑みを浮かべている相手と目が合った。
    (ここも……)
     視線で気づいたのか、視界に映る柔らかな表情がにやりと笑う。顔が近づき、ビクリと体が震える頃には口を重ねられていた。腰まで抱えられた腕の中に納まり、ノックされて開いた唇から入り込んだ舌と共に水音をたてる。その口は終り際に軽く唇を食んでいった。
    「素直に欲しがればいいだろう?」
     恥ずかしさに負けた藤は「うっ」と言葉を詰まらせる。何時も羞恥を手放せない。恥ずかしさを感じた途端に伸ばした手が止まってしまう。甘さがほしくなっても、どう強請ればいいのかが分からなくなる。気恥ずかしさや不慣れさや沈む事への不安が自身から離れてくれない。
     けれど、もうあの小さな場所で耐えていた自分でも無ければ、ただの贄として隣に居るんじゃない。自分だって朽名の番として一緒に居たいし我儘も聞きたい。朽名に痕を残すのは自分だけでいたい。素直になる事に慣れる為にも、朽名を視界に捉えると指先で唇に触れた。
    「ここ…俺も噛んでいい……?」
     緊張で揺れた言葉なんて気にもせず、視界には満面の笑みで嬉しそうに破顔する表情が飛び込んでくる。
    「ほら、藤」
     掛けられた声で、恐る恐る唇を食む。
     軽く触れ、舌を挿し入れ、自身で絡め。ゆっくりとした動作だったものが段々と加速していく。絡め合う隙間から漏れ出す吐息や水音が耳から侵入し、自分を羞恥に落としていくのに止める事が出来ない。
    「ふ……、っ…ぅ……」
     あたたかくて、心地良くて、気持ち良くて。少し名残惜しさを感じながら、今度は藤が唇を食んでそっと離れる。赤面と高揚で今も息が調わない自分とは違い、朽名はそれでも笑みを崩していない。
     自身の胸の奥底でもっと触れたいと言うようにとくりと音を鳴らす。だが、甘えすぎて溺れ沈む前に自身でストップを掛けた。
    「もっと強請っても良いぞ」
    「ん…機会があったら……」
    「では今がその機会だな」
     素直になる練習を始めたばかりなのに。
     慣れる事が追い付かず、そして溺れる前に自制して踏みとどまる藤をにこにこと見つめながら、構わずに次々と甘さをえてくる相手にくらくらと眩暈がしそうになる。
     せめてもと視線を逸らして藤が言葉を絞り出した。
    「………じゃあ……お風呂行きたいから…連れてって……」
     声がだんだんと小さくなる藤のお願いを聞くと、喜々として蛇はその身を抱えた。


              ❖     ❖     ❖


     湯から上がり、障子戸を開け放って内縁の向こうに除く外を眺める。建具の硝子から差し込む淡い光が部屋で休む二人を照らす。
     お風呂上がりのこうしてゆったりと流れるひと時がお気に入りでもあった。障子戸に寄り添い、朽名と共にお茶を口に含みながらほっと息をついていると、ふと自身の手を取られ爪先を眺められた。
    「少し剥がれてきたな。塗り直すか?」
     持ってきていたのか、寝室の戸棚に置いてあった箱から爪紅を取り出す。以前街に出た時、朽名に連れられ訪れたお店で自分に合わせて朽名が選んでいたものだ。
     丁寧に一つ一つ爪先に留まる者達を拭き取っているその相手に声を掛ける。
    「……ね、あの……何で最近、爪紅を塗る様になったの?」
     尋ねられた相手は次に小瓶を手に取り、蓋を開けると再び藤の手を取る。
    「〝私のものだ〟という印の一つだな」
     躊躇いも無くあっさりと口にする。
     あの時藤を隠して遊んでいた〝狗子童子〟は、偶に藤の元へと遊びに来る様になっていた。そしてあのかくれんぼ以来、朝や夕と時間が空くと蛇は藤の髪色と同じ白縹しろはなだ色を爪先へと爪化粧を施す様になっていた。
     今も手を取られ施されている指先がこそばゆい。そして手を取られている時間は乾くまで動けないので、自身の全てを相手へと預けている様な感覚で何だか心までこそばゆい。
    「ちなみに食んだ痕も鱗の痕も触れ合うのも……お前の中に私を残すのも印になるぞ」
    (の、のこす……?)
    「血でも出来るがな。……だが、血を飲み続けるのは嫌だろう? 望むなら私は構わないが」
     冗談めいて話す蛇に、即座にぶんぶんと大きく頭を横に振る。飲む行為より、朽名が幾ら傷を治せるからと血が出るほど傷をつけ続ける行為を想像したら嫌悪しかない。
    「せっかく手にしたものを易々と横から奪われる気は無いからな。お前に残しているんだよ。〝私のものだ〟〝手放す気は無いぞ〟とな。何者かがお前を連れて行こうとする度に、私の胸の内が嫉妬に駆られて騒いでいるのを知らないだろう?」
     少しでも自身の痕を残しておく事で相手を警戒するのだと。両手で頬を包まれ染まっている顔を覗かれる。
    「蛇は中々手放さないぞ、藤」
    (じゃあ……あの子と〝かくれんぼ〟してから塗りだしたり、今日みたいに強く印をつけているのは……)
     嫉妬……?
     そう気づいた瞬間、ぼふっと顔の赤色が増していく。
    (……神様くちなも嫉妬するんだ)
     他の神の事情など露も知らないが、そんな事よりも傍に居たいと願った相手が手放す気が無いと自身に対してハッキリ告げてきた事がまた身体を熱くさせていく。
    「花が色づくみたいだな」
    (っ!?)
     朽名が言葉で更に追い打ちをかけてくる。
     気恥ずかしさでわなわなと体が震え、手で顔を遮りたいのに、まだ乾きもしない指先の独占欲に邪魔されてしまう。
    「こんなに愛らしいのだから増々手放す分けにはいかないな。瞳も唇も、朝露に濡れる花びらの様に艶やかで心を魅了し、嬉しさや好奇心や涙目を携える度に輝くこの瞳に見つめられたら全てを掛けてでも失う分けにはいかなくなる。名を呼ぶ澄んだ声は私を捕らえ、囁きは鬱屈を溶かしては安らぎを運び抱擁したくて堪らない衝動に駆り立てていく。そしてくるくると変化する表情も好いな。何時も目が離せず、私を誘い出しては――」
    (このまま口を開かせてたら……)
     意図的なのか、他意は無いのか。
     次々と渡してくる蛇の言葉にぐるぐると目をまわして潤んだ瞳で視界が揺らぎ、クラクラと混乱し始める。
     気恥ずかしい言葉を吐き続ける相手の口を塞ぎたくて堪らないが、けれど乾ききらない指先が邪魔をしてくるのでやりようがない藤は目を泳がす。これ以上顔を染めたくない藤は恥ずかしさを隠す為、そして藤を陥落させようと言葉を贈り続ける相手を黙らす為にも思わず目の前の唇に噛み付いた。


              ❖     ❖     ❖


     柔らかな唇を堪能する。
     饒舌に言葉を贈っていた唇は突然塞がれ温もりに包まれていた。いきなりの行動に僅かに目を見開いたが、相手に限界が来たのを察すると目元に満足そうな笑みが浮かぶ。合わさる相手を深く深く絡め取っていった。
     やがて離れると自身と相手に僅かな糸が引かれていき、藤がぽすりと胸元に崩れ落ちてきた。
    「も……わかったから……おなかいっぱいだから、いらない……」
     ふるふると気恥ずかしさに耐える姿に、更に贈りたくなってしまった言葉を飲み込む。これ以上贈ったらまた布団の中へと閉じ籠ってしまうかもしれない。
     このまま暫く過ごして居ると、藤は眠気に誘われて微睡み始める。爪先に残した独占欲が渇いたのを確認すると、眠ると告げた藤と共に寝室へ向かった。

     静かな呼吸に合わせて胸が上下し、自身の横で安らかに眠る相手を見やる。……思わず顔がにやけてしまう。
     腕に抱かれ、律動を繰り返しながら中の液を練り上げる度に囀っていた藤を思い出す。好い所も最奥も、触れるごとに心地良さに声をあげては強い快感に震えているのに、それでも腕を解かず恥じらいながらも応えようとする藤の姿に胸が一杯になる。
     今まで幾度となく触れ合ってきたが、藤との色事や可愛らしく上げる声に飽きなど来ない。それどころかより一層欲が増していく。
    (現れる表情も逃さずに見ていきたいものだな)
     今まで見て来た藤の〝様子〟が脳内で再生されていく。表情が見たいが為に正面から相対する事も多いが、脱衣所で盛り上がってしまい背面から触れた時の事をふと思い出す。
    (背後から抱かれる藤も愛らしかったが……)
     蛇の身であれば顔を覗けたのだが、如何せん人の身であったが為にあの時の表情を見逃してしまったのだ。その後そっと脱衣所に鏡を設置してみたのをよく覚えている。疑問を浮かべた藤に、「鏡があった方が便利だろう?」と誤魔化した。
    (機会があれば再びあの場所でしてみようか。今度は藤の表情を逃すまい)
     そんな下心を抱え密かに今後の思惑をそっと決意した。
    (……酒がここにあったら進みが早かっただろうな)
     もし寝顔を肴に晩酌していたと知れたら怒るだろうか。
     だが、もう一度怒り慣れていない藤も見たいと思ってしまうから阿呆である。そんな蛇は昨日の愛らしい表情、羞恥を感じた表情や拗ねた表情をまた思い出してはうんうんと頷いている。
     ああしたら、こうしたらと様々な藤の姿を想像する。阿呆の蛇が自身の痴態を想像して噛みしめているとは知らず、藤は変わらずに傍で静かに眠り続けていた。
    (変化していた身体も少しづつ慣れてきている。そろそろ新しい事を試してみるのも良いだろう)
     隣に居てくれるだけでほっと暖かく心を満たしてくれるのだから不思議である。そしてこれからも藤と共に生き、様々な事をしたり出かけるのも楽しみなのだ。沢山のものを共に見て行きたい。
    (だが何れ、藤一人でも外を歩ける日がきてしまうかもしれないな)
     そんな日が来たら嬉しく感じる。けれど同時に今よりも不安に落とされるのだろうな。
     別の何かを見つけたら己から離れてしまうかもしれない。奥底で見え隠れする独占欲が随分前からそう囁き続けていた。嬉しさや楽しさを感じながら、今まで見る事が出来なかった外の世界を見て周る藤を閉じ込めるなどしたくない。だが、誰にも触れられないよう閉じ込めて大切に置いておきたくなるのもまた事実だった。

     もっと話したい、もっと伝えたい、もっと触れていたい、もっと大事にしたい、失いたくない、閉じ込めてしまいそうになる。
     もし藤が心から離れたいと言ったら、手放したくなどない己はどうするのだろうか。そう苦悶する中でふと、以前会った翁の言葉が過る。
    (子孫繁栄か)
     以前までの自分では考えた事もない言葉だ。願い続けるだけの人間達の中で塞ぎ眠っていた以前の自分ならば、今こうしてただ一人の元に居る状況など想像も出来ないだろう。
     藤が望まないのであれば子を成す気はない。藤さえいればいい。……が、もし藤との間に子が出来たならば、どんな子なのかと考えてしまう。きっとどんな子であれ、可愛くて仕方なく思うのは分かりきっていた。
    (藤と出合わなければ考えてもいない事だな。……今の状況を彼奴が耳にしたら「それみたことか」と笑いそうだ)
     今はもう亡きかつての友人とのたわいのない会話があった事を思い出しては、誰かと居る未来、そして自身の子と歩む様な未来を今思い浮かべている。自分はもう〝誰の為にいたいか〟を知ってしまった。
    (人間達の願いを聞き続けてうんざりしていた以前の己に、願いを聞き続けたい相手が出来たと言ったらどんな顔をするだろうか)
     縁とは不思議なものだ。鬱屈としていた縁が結びついて離れないと思えば突然離れる、予想もしていなかった縁が結ばれたと思えば切れて離れるのを恐れだし、大切なものを奪っていく縁が現れる事を恐れる。
     気まぐれが過ぎる。縁も己も。
    (……まぁ、うだうだと考えても仕方の無い事だな)
     焦らずに考えていくべきだと懸念を頭から振り払う。だが、どうしたって失いたくないのは確かなのだ。
     願わくば藤を失う事が無いようにと思いながら、当の神は安らかに眠り続けるその横で共に眠りに就いた。



    閑話2 「ゆびきり」

     隠世に移る幾何か前の事。
     煮詰めたり漬けたり調理したり。朽名が持ってきてくれた野菜や果物を生かしたくて。掃除後の空気の入れ替えをしている縁側で、どう料理に使おうかとわくわくとした気分を携えて本を読みながら手順を確認している時だった。
     ふと庭の隅に目を向けると、一匹の身の細い狐が此方を伺っている。そろそろ冬に向けて木の実や果物も探しながら蓄える時期の筈。だが、上手く見つけられないのか食べ物が少ないのかは分からないがその狐は飢えているようで弱々しく、けれど生きる事を諦めようとはしていない眼で此方を伺っていた。じっと狐を観察するが、一向にその場を去ろうとはしない。やがてぱたりとその場に蹲った。
     見かねてそっと立ち上がると、厨から小さく切った魚の身と林檎が乗るお盆を持ってくる。静かに近づき切り身が乗った小皿を目の前へと差し出す。
     狐は置かれたそれに警戒しつつも恐る恐ると匂いを嗅ぐと、一欠けら口にしたのを皮切りに勢いよく食べ始めた。食べる気力が残っている事を確認し、もう少しあげようと林檎を一つ手にして小さな刃で切ろうとする。が、――
    「っ!」
     果物に付いた水気で刃が滑り、指を少しだけ切ってしまった。その指を避け、器用に林檎を切り分けると小皿へと乗せてあげる。新しく乗せられた瑞々しい果物を美味しそうにしゃくしゃくと食べると、狐は少しだけ元気を取り戻していった。
     ほっと息をついて持っていた小さな刃をお盆に乗せる。途端、自身に被さるように影が差した。
    「ただいま、藤」
     音も無くすっと現れた蛇に狐は驚き走り出す。一度だけ立ち止まり藤を振り返るとまた走り出して行った。
     立ち上がる際に、さっき切ってしまった指を後ろ手に隠す。
    「お、おかえり」
    「……」
    「……朽名?」
     じっと此方を見たまま動かない相手に小首をかしげて問い返す。すると動きの無かった相手から手を伸ばされてするりと藤が後ろに隠していた手を攫って行くと、切った指を顕わにした。
    「……どうして隠したんだ?」
    「……あまり迷惑かけたくなくて……朽名に沢山の事を貰ってるばかりで、頼りっぱなしも嫌だから。これくらいならすぐに治るし……」
     藤の言い分に蛇はふーと大きく息を吐く。
     普段は抱えた痛みを此方に吐き出す素振りは見せず、しかし時折、夢にうなされながら藤が涙の粒を零していたのを思い出す。最近では夜の涙も少なくはなったが、それでも藤が何かに耐えようとする癖があるのを蛇は知っていた。
    「何かあったなら教えてくれ。頼られる事よりも、お前が痛がっていたり苦に耐えている事の方が心が乱される」
    「……ごめん……朽名」
     また申し訳なさそうに藤が表情を暗くする。
     自身が感じているこの胸懐を、長い期間耐え続けてきた藤へと伝えるのは時間が掛かるかもしれない。
     藤の手をそっと取ると、その指先に佇んでいる小さな赤い線を口に含む。
    「んっ」
     ぴくりと震えた指先に舌を這わせていくと、藤が仄かに声を漏らす。綺麗に傷を治すと、滲み出た血の味だけが微かに口内に残った。
     ついでにと唇で指先を軽く食みわざと水音を立てて離れると、直前まで残っていた赤の代わりに今度はその相手の頬に赤が宿る。痕も無く綺麗に治っている指に、すっかり赤に染め上げられた藤が、恥ずかしそうに目を伏せながら「ありがとう」と小さな声で呟いたのを捕らえると、思わず笑みを零す。
    「まぁ舐める必要はないんだけどな」
     その言葉に藤がばっと顔を上げると、真っ赤な困り顔を此方へ向けてくる。
    「前にも言ったが、こうするのはお前だけだ」
    「なんで……」
     疑問符を浮かべ続けるその頭を撫でる。
     きっとすぐに伝えても、胸の内の全ては伝わらないのだろう。恐らく今も「贄だから」で終ってしまっているのかもしれない。
     どうして藤にだけなのか考えてくれればいい。
     我慢なんてせずに気兼ねなく頼ってほしい。自分だけに甘えてほしい。藤の我儘を自分だけが聞いていたい。
     自身の奥底で音を立てて騒めく燈火を、耐える事が当たり前になり、それが染みついてしまった藤に教えるのが難しくとも、抱えている想いがあの子にうまく伝わらずに見向きもされずとも、
    (それでも、時間を掛けてでも伝えよう)
     神と贄でなく、もしこの関係性が変わる時が来たらこの場所を離れようか。そうして、何時だったかに話していた海でもいい、多くの景色や様々なものを二人で見に行けたら。藤にこの場所以外のものも見せたい。
    「藤」
     まだ少し赤味を携えている藤が顔を上げる。
    「具合が悪くなったり怪我をしたり、お前が苦しがっているのは嫌だからな。だから隠さず教えてくれ」
     朽名がそっと藤へと小指を向ける。迷惑かけてしまったと、しょんぼりとしたまま藤もその指に自分の指を絡めた。
    「うん……約束する」
     元気のない声に、藤の性分を知っている朽名はやはりすぐには無理かと苦笑する。
    「っ!」
     表情に影が差し始めた藤だったが、自身よりも背が高い朽名に抱え上げられた事で、突然視線が高くなり驚きで感情の曇りを晴らす。同じ高さまで持ち上げている相手と目線を合されてしまう。
    「それともっと沢山甘えてくれていいぞ」
    「う、うん」
    「お前の我儘を私だけが聞いていたいんだ。遠慮せずにもっと望みを言ってくれ」
     ぐっと近づかれ耳元で囁かれる。
    「……でないと、嫌と言うほどに私から構い倒しに行くぞ」
    「が、がんばる」
     こくこくと藤が頷く。
    「私だけにな」
     もう一度指を差し出されて自身も指をそれに合わせると、二人だけのゆびきりをして約束をした。
     すると、目の前から笑みで息を零す音が聞こえてくると、こつんと額を合わせられた。距離が近くなった事でどきりと奥底から音が聞こえてくる。
    「いいのか、藤。神と、それも嫉妬深いと人間達から言われる蛇と約束なんかして」
     冗談めかした声色で朽名が笑う。
    (……朽名って……嫉妬する事あるのかな……?)
     ちくりと自分の中で何かが刺さる。
    「嫉妬する事……あるの……?」
     ましてや贄であるだけの自分に。
     この人物がそうした感情を抱いた事があったのだろうかと疑問を口にするも、特定の人間に執着している様子を見た事も無ければ話しをする事も無いし、物事に何処かさっぱりしてみえる為に嫉妬を抱いている朽名を想像しにくい。そして贄として来た自分を発端にそんな感情を抱くとも思えなかった。
    「分からぬ。以前まではそんな事を感じなかったからな。だが、もしかしたら最近感じたそれは嫉妬だったかもしれないとな、少し新鮮な気にもなったな」
     気のせいかもしれんがなと、そう返した相手の言葉にまたチクリと何かが胸を刺してくる。なぜそうなるのか分からなくて胸元をそっと抑えた。
    (どうして、)
     朽名はそう思ったんだろう……?
     相手の言葉に驚く半面、知らなかった事……何かに対して胸をざわつかせる事が朽名にもあるのを知らなかった。
     麓では沢山の人達がいる。けれど自分はそうした人達も麓に降りた後の朽名の姿も知らない。此処から出る事は無い自分が知らない世界で朽名が誰に、或いは誰かを思って嫉妬をしたのだろうか。自分の知らない朽名の一面を、他の誰かは知っているのだ。
    「そうなんだ……」
     胸に残る何かの正体が分からないまま、気づいてしまった事にしゅんとする。
    「どうした? 藤」
     気落ちした藤の様子に朽名が声を掛けてくる。
    「胸が痛くて……」
    「具合が悪いのか?」
    「わからない。でも……悪い……かも……。なんだかざわざわする」
    「ざわざわ……か? 原因に心当たりはあるか?」
     首を捻り、心配しながら更に問いかける朽名に藤は直前に感じた事を話してみる。すると、それを耳にした相手の心配に染まった顔色は段々と驚きと喜色に変わり、柔い笑みが浮かぶ。

     もっと話を聞かせてほしい。
     藤の話をもっと聞きたくて告げると、その身を抱えたまま傍に置かれていたお盆を手に取り、暖かな室内へと二人で帰っていった。


              ❖     ❖     ❖


     番った事で、自身と同じく物を直せるようになったと分かると藤は何処か嬉しそうにしていた。藤が嬉しそうにしていると自身も嬉しく感じてしまう。
     そんな風に気を抜いて浮かれていたからだろうか。荷解きしていた拍子に、紙の端で指を切ってしまった。
    「大丈夫?」
    「ん、ああ。大丈夫だ。すぐになお――」
     血が滲み出た指先に、気づいた藤が声を掛けてきた。だが声を掛けた直後、何かに気づいたように藤はハッとする。そして言いきらない内にぱくりと血が滲む指先を己の口の中へと含んでいた。
    「……」
     藤の突然の行動に朽名は硬直する。
     しかも上目気味で此方を見てくるのでぞくりとしたものが身体を駆けていく。
     反応もないまま固まってしまった朽名に、藤は赤い頬を携えるとそっと口から傷が残るままの指を離し、詫びる様に訳を話してくれた。
    「……朽名みたいに怪我も治せないかなって……思って……」
    「そうか……」
     ぐっと湧き出たものを奥へと押し込む。染まった頬と羞恥に戸惑った顔で申し訳なさそうに話す藤に、再び煽られそうになるがその熱を無視する。
    「けどごめん、治せなかった。今まで治してもらってたから、今度は俺が朽名にしてあげたかったんだけど……」
    「ああ……」
     藤は苦笑しなんてことなかったという風にしているが、当の蛇は己を抑える事に気が回っていた。ただ、もし治せたとしても恐らく舐める必要は無いだろう……が、教えてしまってはもったいない気もして黙秘を行使する。
     恐らく今まで自身がそうし続ける事で、藤もそうする事が染みついてしまったらしい。
    (………………病に罹れていたらどう治していたんだ?)
     そんな下心に、思わず病に罹らない身が惜しく感じてしまう。
    「ありがとう、藤」
     そう声を掛けると、すくっと立ち上がる。
     こうしていると藤へと手を伸ばしてしまいそうになる為、解いていた包み紙から中身を取り出す。置くべき所へ収めようと、頭を冷やすのも兼ねてその場所へと向かった。
    「……」
     荷が置かれるその空間に、続きを解こうと一人座る。
     すぐに戻ってくるであろう相手を待ちながら黙々と荷を解いていくそんな折、先程してしまった自身の行為を頭の中で反芻してしまった藤は再びハッとした。
    (舐める必要ないじゃん!)



    閑話3 「春の陽、遠い日の思い出」

     時間が曖昧な隠世でも、鍵屋の気まぐれで創られた四季や季候、そして陽の傾きも存在している。ただ、次の季節が何時来るのかは、来るごとに期間がまばらで一定ではないから予測が立て辛いのだけれど……。
     例えば春が数か月間訪れている感覚の時もあると思ったら、数日から数週間の様な感覚で訪れる時もある。
    (鍵屋は元居た世界とこの場所が、同じ時間の尺度とは限らないって言っていたっけ)
     俺が居た世界の一時間が此処では一分かもしれないし、一日分かもしれない。そしてその流れ方も一定ではないかもしれない。だから時間が〝曖昧〟な場所。外(元居た場所)が昼でも夜でも、部屋の中(隠世)の電気を気まぐれに付けたり消したりしている様なものだと。

     もう自分達の〝世〟はすでに此方になっている。
     だから、俺達がこの場所に来てから向こうの世界でどのくらいの時間が経ったかなんて、〝再び訪れていない〟俺達には分からない。


              ❖     ❖     ❖


     春の陽気が心地良い。
     暫く肌寒さを感じる気温が続いていたので、久しく感じるこの暖かさに包まれたくて二人で外へと歩き出していた。
     桜がふぶき、淡い色が空を舞っていく。降り落ちてくる花弁を朽名と共に追いながら、少し休憩したくて公園内で見かけた木製のベンチに腰を掛ける。風が吹くと先にベンチに寄りかかっていた木漏れ日がざわざわと揺れていく。他に誰も居ないので騒めきも無い。二人で自然が生み出している演奏に耳を傾けていた。
     と、ベンチの下からにゃーと鳴く声が聞こえてくる。
    「あれ? 猫がいるよ?」
     そっと下を覗き込むとほぼ同じくして真っ白な猫が下から顔を覗かる。藤の姿を確認するとまたにゃーと一鳴きし、ベンチの影から陽の下に出て足元に擦り寄ってきた。
    「おいで」
     藤が声を掛けるとまた一つ鳴き、そしてぴょこっと藤の膝に飛び乗る。それを見た朽名は人へと姿を変え、藤の隣へと座った。
    「この子、朽名を怖がらないね」
     わしゃわしゃと指先で擽るように撫でると、猫は気持ち良さそうに目を細める。ここも撫でてくれと角度を変えては藤へと擦り寄っていた。
    「まったくお前は。何時だったかの蛇だの仔犬だの、この前の輩だの……ああ、危ない蛞蝓も居たな。変な者に纏わり付かれ易いのだからもう少し警戒をだな」
    「ただの猫だよ?」
    「猫の振りをしてるだけかもしれんぞ」
    「ふふっ、君は俺を食べないよね。俺を食べたがって常日頃手を出してくる変わり者は朽名だけだもん」
     ふわふわとしてる猫の背を優しく撫でる。
     花が咲くように笑うその表情を、じっと見つめ続けている〝食べるのを許された変わり者〟の事など気にもせず、ふわふわなその背中を藤は堪能する。
     すると何処かから流れてきた桜の花弁がふわりと猫の背へと着陸した。
    「そういえば、こっちに来る前はよくお花見してたね」
    「ああ。桜の下に居るのが雲の中に居る様だとよく言っていたな。お前が作る弁当もまた、何時もとは違う美味さだった」
    「空の下で食べると何だか何時もと違った風に感じるよね」
     楽しそうに顔をほころばせる。
     何だか懐かしくもあり、けれど最近の出来事の様にも感じさせるあの時とは違い、今度は躊躇うなんてせずに隣で自分を見守る相手へと声を掛けた。
    「ねぇ、朽名。また一緒にお花見したいな」
     藤のそのお願いに目を細める。
     懐かしさを感じる程に、藤と過ごしてきた時間がそんなにも存在しているのが嬉しく、渡された願いに自身も含まれている事に心が浮足立つ。
    「ああ、何時でも行こう。桜だけと言わず、季節ごとに花を見に行っても楽しいかもしれんぞ」
     朱色の瞳を煌めかせながらお願いに了承をして深く頷く蛇の周りに、心做しか花が浮かんでいる気がする。なんだか嬉しそうな蛇に藤も喜色を浮かべながら、ふと猫に視線を移す。そして何かに気づくと音を発した。
    「あれ、この子顔の下の所……汚れてる……?」
     丁度顎の辺りだろうか。その場所が僅かに黒くなっていた。指で触れても落ちない汚れに、優しく猫を抱き上げると朽名の膝の上へと乗せる。
    「ちょっと待っててね」
     猫を其方に移すと藤は近くに見える水場へと向かった。
    「……お前、あの時の猫だろう」
    「あ、やっぱり気づいてました?」
     それは何時の事だったか。庭に居た子猫の里親を探した時があった。あの時も今のような春の空気が心地良い日だったように思う。
    「蛇に近づいてるが良いのか?」
     朽名の言葉を聞き、猫がふふっと笑う。
    「あの時はすみません。まだ幼かったもので」
    「何か思う事があって来たのか? お前が生まれた山から降ろして、藤からも離してしまったからな」
    「巡り合ったのは偶々ですよ。でも幼い頃、私に優しさをくれたあの子へ、ずっとお礼を言いたかったという意味では思う所はありましたね」
     少女のような声色で猫は語り、その言葉に蛇は再び目を細めた。
    「……此処に居るという事は何かあったのか?」
    「ああ、いえいえ。ただの寿命ですね。あなた方のお陰で良い主に出会うことが出来ました」
    「そうか」
     何処かほっとして朽名は頷く。それを確認した猫は言葉を続けた。
    「此処に迷い込んだのは偶然です。ただ、その偶然のお陰でまたあなた達に会えました」
     続けていたその言葉の最中で藤が水場から此方に向かってくるのが見える。
     髭が柔らかな風に遊ばれながら、ごろごろと喉を鳴らす。今も誰かの為に動ている藤を見て、猫は嬉しそうにしているようで。
    「あの子にありがとうと伝えておいて下さい」
     春の風に舞う花びらがくるくると遊泳している。
     淡い色を含む春風によく似合う白縹の髪を柔く撫でられ揺らしている藤を瞳に映しながら、愛おしそうにその光景を目に焼き付けている相手に白猫はひっそりと言葉を託した。

     濡らしたハンカチで汚れを拭き取る。
     すっかり綺麗になった猫はにゃーと一鳴きするとぴょんと朽名の膝から飛び降り、てくてくと歩き出して藤達の元を去っていった。
    「行っちゃったね」
    「ありがとうと言ってたぞ」
    「え、猫の言葉わかるの?」
    「さあな」
     笑みを零した朽名を不思議がると、藤は立ち上がり聞こうと思っていた疑問を口にする。
    「それで、どうして蛇の姿じゃないの? 怖がらせない為? それとも寒い?」
    「まぁ、それもあるが……まぁ、温もりが恋しくなったのは同じだな。それに抱きしめるなんて蛇には出来んからな」
    「? 何時もぎゅって巻き付いてくるのに、蛇の中ではあれは抱きしめる内には入らないの?」
     返答の意味がよく分からず、それと同時に蛇の時のそれは何なのかと疑問に感じた事を再び口にする。そんな返しに当の蛇は僅かに目を見開く。……ついでに抱きしめようかと考えていた気を一度自身の奥へと引っ込めた。
    「……そうだな。抱きしめてるな。……ならば私は藤を抱きしめながら歩いている事になるな」
     今度は藤が言葉に驚く。
     突然の抱擁宣言に、今までの歩き方を思い出しては耳が赤くなる。すると腰に手を回され、ぎゅむっと朽名がくっついてきた。
    「!?」
    「外で藤と離れる分けにはいかないからな。こうしてピタリとくっついていれば好いだろう?」
     意地悪そうに笑みを浮かべながら更に藤へと身を寄せる。誰か来る前にこの状況をどうにかしないとと藤がぐるぐると思考を巡らせ始めた。だが、今は冷静さが欲しい藤に反して顔の赤みが急かす様に増していく。
    「このまま蛇でいるのは辞めるか? なに、今まで抱きしめながら歩いていたんだ。私は一向に構わん。だがこのままだとお前は歩きづらいだろう? だから私がお前を抱え――」
    「蛇でいて……」
     言葉を遮り返答すると赤い顔を蛇から逸らす。羞恥心と闘う藤が愛おしくて思わず笑みで息を漏らし、そろそろ解放して上げようかと腕を解く為に力を緩める。けれど名残が惜しいので、蛇は一つ提案をした。
    「ではこうするのはどうだ?」
    「!」
     するりと藤の手を取る。そして自身の指を藤の指に絡めた。
    「これならこの姿でも離れないだろう? それに抱えずに済むぞ」
     相変わらず表情に赤味を浮かべたままの藤が僅かに間を空ける。だが天秤が傾いたのか、こくんと一つ頷いた。
    「……うん」
     幸福感を表情に携えた蛇は藤との散策を再開して共に歩き出していく。

     二人で彩る世界を見る為に。




              - 了 -
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