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    melisieFF14

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    melisieFF14

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    自機(うさお)の過去話

    名を継ぐ者「お前、なぜここにいる」

    そう問われた時、真っ先に出てきたものは"怒られる"だった。住んでいた皇都イシュガルドから追われるまま逃げて忍び込んだ先で、食糧よりも気になったのは無造作に積まれていた本だった。それを読んでみると内容は分からないがいつも見ていたものよりも面白く、気付けば気配を探ることもせず暢気に読み耽っていたところに扉が開いて見つかってしまったのだった。
    身体の内側からバクバクと音は鳴っていて、上手く息が出来ないまま、何も感情の乗っていない目で見つめられる。恐怖のあまりぎゅう、と本を握る手に力が入れば目を逸らすことを許されない中で女性の眉尻が上がるのが分かった。
    これは奥様が怒る時の仕草と同じで、子どもにとってはそれが恐ろしく嫌な仕草だった。その次には打たれるからだ。この人も、奥様のようにその手にしている細い物で殴ってくるのだろうか。

    「聞こえなかったか?なぜここにいると問うている」
    「ぇ、あ……ご、ごめんなさい」
    「うん?なぜ謝る」
    「ほ、本を勝手に読んで、ごめんなさい」
    「そこじゃないんだが」

    うぅん、と唸りだしたその女性は仕えていた奥様と同じ尖り耳だったが、八つ当たりのような咎めで自分を打つことはなかった。真っ先に打たれると懸念していたことで見えなかったものが、緊張が徐々に緩んできたことにより見えてくる。子どもを見る女性の目に蔑みはなかったのだ。それどころか顎に手を添えてなにかを考える仕草もしている。奥様は感情的ですぐに手が出る人だった。それと比べるにはあまりにも、目の前の女性に失礼過ぎた。

    「文字は読めるのか」
    「は、はい」
    「ふむ……。ならば、書かれてることは分かるか?」
    「えっと」

    旦那様は従者達に事務仕事を任せていたから、従者に連ねていた子どももまた、読み書きが出来るようにと仕事を始めた頃と同時に教育を受けてきた。しかし今手にしているこの本は分からない言葉が多く、子どもにとって読み解くのが困難なものだった。分からないと伝えることが恐ろしい。旦那様や奥様が言った『お前は使い物にならないな』という言葉が胸を刺す。

    「どうなんだ」
    「……ごめんなさい、分からないです」
    「そうか」

    今度こそ打たれる。せめてもの、この本だけは。無駄な抵抗かもしれなかったが胸の中の本を守るように自身を抱きしめた。歯を食いしばって来るであろう痛みに耐える。しかしいくら待てども痛みは来ない。時間差か?身構えている時には打たないのか。
    いつまで経っても来ないお咎めに痺れを切らしてそうっと片目を開ければ女性の姿は目の前にはなく、少し離れた先の扉を開けながらこちらを見ていた。

    「何をしている?こちらに来なさい」

    足音を鳴らすことなく扉の向こう、薄暗い廊下へ消えていく。お咎めはこの場ではなく別の部屋で行うのだろうか。抱きしめた本をどうして良いのか分からず、腕の中に閉じ込めたまま子どもはこれ以上のお咎めは受けたくない一心で女性の後を追う。
    慌てて廊下に出れば、女性はある部屋の前でドアノブに手を掛けながら待っていた。ちゃんと付いて来ていることを確認すると、子どもが辿り着く前にまた扉の向こうへと消えていく。
    目線を切った今この瞬間、ここで逃げればお咎めなど受けずに生き延びられるかもしれない。身を隠すのにちょうど手近な家屋だったから今晩の寝床にすべく忍び込んだ先だった。外はもう暗いが春を迎えた今の時期であれば、高原と謳われるクルザスの地でも無理をしなければ死ぬことはないだろう。咎めを受けるよりマシだ。……だというのに子どもの足は逃げるのではなく、不思議と女性の後を追うように歩き始めていた。それは女性から窺えた知性が旦那様や奥様とは違うと思わせたからか。
    女性が入った部屋は先ほどいた部屋よりも大量の蔵書に囲まれていた。それが見えた瞬間、子どもの目がきらきらと輝き出す。

    「わぁ……!」
    「お前、本を読むのは好きか?」
    「は、はいっ」
    「で、ドレスネルの従者だったか?」
    「……はい」
    「うん。なら、必要な時だけ私の身の回りのことをしてくれれば良いから、自由な時間は好きなだけここにある本を読みなさい」

    思いがけない提案に呆然としてしまう。子どもは不法侵入者だ。そんな者を罰さずに、従者としてだけではなくここにある本を読むためにいても良いという。本当に良いのだろうか?そうして悩み出してしまった子どものことを放って、女性は備え付けの調理台へと向かっていった。これもまた主人と違う一面で子どもは困惑を隠せない。
    来たばかりでどうしていいか分からない子どもは、命令が下されるまで部屋の隅で気配を消すように息を殺して立つことにした。旦那様は命令外のことをして出しゃばるような真似を好まなかったからだ。

    「ドレスネルのところなら淹れるのも上手いと聞く」

    そんな子どものことなどお構いなしに、女性はクルザス茶葉とヤクの乳が入った瓶を調理台に置くと空の小鍋を手にしたままこちらに振り向いた。何をさせるのか。これまでの従者経験のおかげか、それを見ただけでは子ども女性が何を望んでいるのか理解した。そして彼女もまた、子どもが理解したことに満足したのか、初めて笑顔を見せた。

    「フィアールレイン家はイシュガルドティーを好むのさ。ジャン・ドゥ、淹れてくれるな?」

    アドネール占星台の隅っこで暮らすイシュガルド人、メリジ・フィアールレイン。後にドレスネルの従者だった子どもの師となる女性である。





    「お前、本当にそれだけしか食べないつもりか?」
    「食欲がなくて。……ごめんなさい」

    アドネール占星台の隅っこで暮らすメリジ・フィアールレインに拾われて数ヶ月。ドレスネルの従者だった子どもは彼女の元で穏やかな生活を送っていた。
    ドレスネルとは子どもが仕えていた家名だが、イシュガルドで今もなお続く竜詩戦争に於いて功を焦った旦那様が異端者に騙されたことで取り潰しとなった家だ。旦那様は騎士たちの前で血を飲み干し、ドラゴンへと変貌したが耐え切れずそのまま死んだらしい。そのことで奥様は異端者審問に掛けられ、死をもって無実を証明してみせることになった。しかしそれだけでは異端審問官たちの審判は止まらず、ドレスネル家に仕える者も疑惑を掛けられてしまった。一番幼かった子どもは皮肉にもその貧相で小さかった体躯が幸運を呼び、なんとか皇都イシュガルドから逃げ延びることが出来て今に至る。
    頭がぼうっとしてケホケホと咳き込むこの身体はどうやら弱いようで、度々起こる体調不良に子どもは悩まされていた。頻度は以前より減ったものの具合が悪いのは変わらない。テーブルに夕飯を用意し、新たな主人であるメリジを呼んで席に着いたのも束の間、子どもはついに耐え切れなくなってしまったのだった。

    「風邪でも引いたか。熱はどうだ?」
    「ねつはないです。……んんっ」
    「あるだろ!まったく、お前はすぐ体調を誤魔化すんだから」
    「あうっ」

    額に手を添えられたかと思えば軽くでこピンを食らわされた子どもは耐え切れず身体を後ろへ。しかし椅子から転げ落ちる前にメリジが子どもの背中を支えると、そのまま抱き上げて寝室へと連れて行った。
    この部屋も子どもだけのものとなっている。ぎゅうぎゅうに詰められて雑魚寝をしていたドレスネルの従者時代とはまた違う扱いに最初は戸惑っていたが、最近ようやく慣れてきたところだった。
    大人にとっては狭いが子どもにとっては広いその部屋の、窓際に備えられたベッドへ優しく降ろされ、布団を掛けてもらう。それだけで子どもはとても幸せだった。新たな主人とはいえ実の子のように接してくれる彼女に好意的な印象を抱くようになるのは、与えられたばかりの部屋に慣れるよりも早かった。

    「何か胃に入れておくべきだが……。そうだな、イシュガルドティーを淹れてやろう。待っていろ」

    子どもが返事をする前にメリジは部屋から出て行ってしまった。出会った頃もそうだが彼女はあまり人の話を聞かない。あんなに慌ただしく出て行ったというのに足音はあまり聞こえず、騎士様のような人なのだろうかと子どもは思っていた。でも、いつも本を読んでいるだけなんだよなぁ、と主人の普段の姿を思い返す。未だに謎は多い。というよりも何をしているのか、子どもには分からないことが多い。分かることがあるとするならメリジは絶対に子どもを傷付けないということだ。
    子どもは従者の中で一番幼く小さかったからか、よく旦那様や奥様から教育という名の暴力を受けていた。殴る前に必ずやる仕草が見えたらガードする、怒られないようにする。そうやって積み重ねてきた結果得たものは顔色を窺うことと、従者として与えられていた書類仕事による速読速記だった。ここにきて役に立っている能力といえば速読だろうか。
    メリジの家はほとんどが本だ。家具は必要最低限で、八割が本なのではないかと思う。最近では読める本が増えてきたおかげか、彼女からあれやこれやと薦められるまま読み、さらには意見や感想を求められることが多くなった。そして初めて読んだあの本、イシュガルド式占星術の専門書も読めるようになった。
    だから、だろうか。
    子どもはメリジの役に立ちたくて仕方なかった。生まれて初めて心の底から敬愛する主人の力になりたいと願うようになった。弱くて幼い子どもは早く大人になって彼女の力になって近くで支えるのだ、と。しかしずっと一緒にいたいと心が願っても、身体はちっとも言うことを聞いてくれないことにもどかしさが募る。
    そうしてベッドの中で悶々としていると、いつの間にかメリジがまた音も立てずに戻ってきていたようだった。

    「待たせたな、少し冷ましてきたから飲みやすいはずだ。今はとにかくこれを飲みなさい」

    サイドテーブルに置かれたトレイの上からわずかに湯気が立つマグカップが見えた。起き上がるのも困難なほど、本格的に体調が悪くなってきていた子どもの背にメリジは手を伸ばす。彼女自身の身体に子どもを寄り掛からせることで飲みやすい体勢に整えた。

    「飲めそうか?」
    「は、ぃ……」
    「ん、偉いな。ゆっくり飲みなさい」

    優しい声音で促された子どもは言いつけ通り、ゆっくりと差し出されたマグカップに口を付けようと覗き込む。クルザス茶葉の紅茶はヤクの乳白色によって柔らかな香色に変化していて、水面がゆらりゆらりと反射する灯りのおかげで輝いて見える。
    いつもメリジと共に飲むイシュガルドティーは子どもにとって甘く優しく、そして幸せな気持ちにさせてくれるものだった。熱風邪で辛い今、あのささやかなひと時を思わせてくれるのであれば子どもはこんなものなど跳ね除けてみせるだろう。ふぅ、ふぅ、と微かな吐息で水面を揺らし、熱の伝わったマグカップに口を付けた。

    「〜〜〜ッ!?」
    「どうだ?我が家は風邪を引くとイシュガルドティーに東方の薬を混ぜて飲むのさ。苦味がいつもより抑えられているだろう?」
    「うぇっ……あぇ、にが……っ」
    「その苦さこそが風邪を早く治すんだ。さぁ、ちゃんと全部飲みなさい」
    「ごしゅじんさまひどい……」
    「そう言うな。飲み切ったら私のとっておきをやろう」
    「とっておき?」
    「そう。頑張ったご褒美」

    その一言で子どもは苦くて吐き出しそうになるイシュガルドティーを少し飲む気になった。頑張ったら褒美がもらえる。ドレスネルの従者をしていたときはそんなものなかった。何かをしたら何かをもらえる喜びを知ったのはメリジの元にやって来てからだ。初めてイシュガルドティーを淹れたあの日、ありがとうと礼を言われた時の喜びは忘れられない。
    メリジがこの苦くてまずいイシュガルドティーを飲み干すことを望んでいるのであれば、子どもは飲み干すだけだ。敬愛する主人の言葉は子どもの世界にとって全てだった。
    細い管を口にし、ぷかりぷかりと煙を吐く主人に見守られながらこくりこくりとその苦さに顰めながら飲んでいく。底がようやく見えてきた頃、子どもに煙が行かないように背を向けていたメリジは細い管の先にある窪みに葉を入れる仕草を二度行い、六回は煙を吐いていた。

    「ごしゅじんさま」
    「ん?おぉ、よく飲み切ったな。偉いぞ」

    底が見えるマグカップを見せれば、メリジは優しく子どもの頭を撫でる。そうしてトレイの上に置かれていた小箱から取り出し、マグカップの代わりに手のひらに乗ったのは、子どもの小さな口でも一度に食べ切れるほど小さな粒のマロングラッセだった。それは主人がたまのご褒美といって大事そうに食べていたもので、見覚えのあった子どもは彼女を見る。

    「これ、食べていいんですか……?」
    「あぁ。ご褒美だからな」

    口の中に広がる苦味から早く開放されたくて、小粒のマロングラッセを一個丸ごと口にする。舌の上に転がった瞬間甘いシロップがじわりと広がり、マロンの持つ和らかな味わいが後からやって来た。たったそれだけで口に広がっていた苦味が消えていく。美味しい。なんて美味しいものなのだろう。頑張ったご褒美にもらえたマロングラッセのおかげでもう苦味はないが、ついさっきまで狼狽えていたことなど吹き飛ぶほどの美味しさだった。

    「あとはしっかり寝なさい」

    けほけほと軽く咳き込む子どもはなんとかして瞼が閉じないように抗おうと気張るが、腹が満たされたことと高熱によって意識を保つことが難しくなってきた。瞼を必死に開けては耐え切れなくなって閉じるを繰り返す。その何度目かの意識との戦いも終わりを告げるのはすぐのことで、打ち負かされた子どもはそのアップルグリーンの瞳を瞼の向こうに隠してしまったのだった。






    「エーテルは生命の煌めきだ」

    色とりどりのエーテルを手のひらに集めながら、メリジは目を輝かせて見つめる子どもに教えていく。それは徐々に赤く染まり、次第に部屋全体が暑くなるくらいには熱を帯び始めていた。

    「お前のエーテルは何色だろうね?」

    アップルグリーンの瞳がメリジのエーテルの色を写し取った。





    アドネール占星台の隅っこで暮らすメリジの仕事は観測台から得た情報を精査し、皇都イシュガルドにある教皇庁へと結果を送るものだった。
    子どもはこれを知った時、メリジより異端審問官に密告されていたかと思ったが、そもそも一年も経つというのに音沙汰もないし至って平穏だ。それにイシュガルド自体が格式や気位というものは一種のステータスでもあり貴族にとってはそれが誇りでもある。日々ドラゴン族へと勇猛果敢に立ち向かうことを信条とする彼らに異端者と疑われた時点で逃げ場はないのだ。未だイシュガルドの地に長く留まれているのは単に匿ってくれているメリジのおかげと言っても良い。
    それにドレスネルはやたらと外聞を気にする家だった為、上の者には媚を諂い、下の者には蔑みの目で力を振るわれてきた子どもは貴族という上流階級への偏見があった。その中で出会ったメリジという女性は、今や子どもにとって何をされても良いと思えるほどイシュガルド人らしからぬ人となりだった。

    季節が一巡りする頃にもなると体調を崩しがちだった子どもは健やかに過ごせる日々が続き、おかげで風邪を引くことも寝込むことも少なくなってきていた。メリジ曰く、充分な食事によりエーテルを取り込めるようになったことで不足していた分をようやく子どもが健康に過ごせるレベルまで上げられるようになったのだろうとのことだった。それをきっかけに子どもはエーテル学というものに興味を示すようになる。
    メリジの家には大量の本がある。一生掛けても読み終わらないのではないかと思える蔵書と共に彼女の身の回りの世話をしながら空いた時間に本を読むようになってから、子どもは次第にメリジの仕事の手伝いもするようにもなっていった。

    「お前はエーテルの扱いが上手いな」
    「お師様のおかげです」

    気付けば見方も呼びも主人から師へと変わり、平穏で温かく、そしてなにより子どもにとって心地良い静かな暮らしだった。

    「お師様、僕は大きくなったらお師様みたいになりたいんです」
    「……そうか。ならまずはお腹いっぱい食べないとな」

    いつまでも続くと思っていた。


    子どもが平穏な日々を過ごせたのはたったの三年だった。
    ノックよりも強めに、しっかりと圧を掛けるような音が扉を鳴らす。家主の声が上がる前に扉は乱暴に暴かれ、外から吹き荒ぶ雪が甲冑を身に纏う騎士たちと共に温かな空間を脅かす。その瞬間、メリジは自然体を装うようにして本を読み耽る子どもの前に立ち上がった。子どももまた、三年前の逃亡劇を思い出して持っていた本で顔を隠す。

    「夜分遅くに失礼する。ここに異端者と通じている者を匿っていると通報を受けた」
    「なんのことでしょう?もしや家をお間違えになられては?」
    「間違いではない。ここにヴィエラ族の子どもが住んでいるだろう。そいつだという情報を我々は掴んでいる」

    さすがに成長期の少年を成人のエレゼン族とはいえ隠すことは出来なかったのか、神殿騎士の一人がメリジの横に回り込んで背後に匿われていた子どもを指さした。
    逃げ出したあの時、他の従者や使用人たちを出し抜いたのがいけなかったのだろうか。逃げ去る時に後ろから聞こえた悲鳴が、今や怨みの声となって子どもの背後からじわりじわりと忍び寄ってきているようだった。それでも怖くないと思えたのはメリジが目の前で堂々と立っていてくれているからだろうか。

    「うちの子が異端者?馬鹿馬鹿しい」
    「大人しく差し出せば貴様は赦免となる。さもなくば……」

    ゆっくりと見せ付けるように鞘から剣を抜き、明かりとして灯される炎の揺らめきをその白刃に反射させる。脅しでもそれが容赦なく斬りかかってくるだろうと思うのは容易だった。

    「神殿騎士殿は礼節というものを弁えられないと見た」

    いつもより一段と声音が低く囁かれた言葉を合図に、メリジの周囲に凄まじい熱量が集まり出す。触れたもの全てを焼き尽くしかねないほどの熱風が雪の侵入者たちを追い出そうとしているようだった。間近で当てられた神殿騎士たちは熱気に充てられて後退りしていたが、真後ろから見ていた子どもの目にはそれが緻密なエーテル構築をしているのだと分かった。子どもには温かい風にしか感じられなくとも、しっかりと神殿騎士たちにはその熱を伝えているのだ。その上で成り立った繊細かつ苛烈な火のエーテルがメリジの体内エーテル、オドで生成されていること。それがどれだけすごいことなのかを理屈抜きに師の力量を見せつけられていた。

    「死に晒せッ!!」

    剣を構える神殿騎士に向かって火の魔法が猛烈なスピードで飛んでいく。寸でのところで避けてみせた神殿騎士の背後へ着弾した魔法は、イシュガルド様式の特徴的な石造りの壁すら勢いよく破壊し、周囲のあらゆるものを吹き飛ばしていった。発動させてからひと息吐く間もなく、メリジは近くにあった道具袋を手にし、呆気にとられる子どもの左手首を掴んで走り出す。呻き声を上げながら衝撃波で倒れ伏していた神殿騎士たちの横を通り抜けて、荒れた銀世界へと飛び出したのだった。

    「お師様!」
    「黙って走れ!!」

    魔法の発動によるエーテルの濃度から解放され、清涼感漂う銀世界に飛び出した今、もう二度と師はあの場所に戻れない。メリジの怒声に、直感で自分を差し出す気などないと分かってしまった子どもは置いていってほしいなんて嘘でも言えなくなった。大人しく手首を掴まれ、引っ張られるまま、ただただ彼女の足跡によって踏み荒らされていく雪と師の背中を見ながら走る。
    師のパールホワイトの髪が雪風に靡く中で、普段の師の姿とはかけ離れた形相が浮かんでいると気付いてしまった。もしもあの時、忍び込まなければ師は今もアドネール占星台の隅っこで平穏に暮らせていたのではないか。楽しそうにエーテル学を語る師の邪魔をしないでいられたのではないか。イシュガルドティーなんて淹れなかったら。見つかったあの日、すぐいなくなれば──

    「絶対に生かす!お前はまだ十四しか生きていない子どもなんだぞ!!」

    心の声を見透かしたかのようなタイミングに、視界がじわりと銀世界に滲んで消えていく中で師の声が響いた。この人はこんな状況になっても一緒に逃げることを諦めていないと分からせられた。掴まれた左手首に更に力が込められたことで、子どもは足元の踏み荒らされた雪を見ることをやめ、師の背中だけを見ることにした。

    雪の降る中をひたすら走る。踏み締めた足跡はくっきりと残され、いくら地の利を得ていても神殿騎士や異端審問官より体力のない子どもと、それを連れる女では手の施しようがなかったのか。気付けばすぐそこまで追っ手たちは来ていて、しん、と静まる雪の中で二人を脅し、獲物を追いやるように金属音を鳴らしながら追い立てていた。

    「モードゥナまで逃げればあそこは……──ッ!」

    メリジが何かを言いかけた時、掴まれた左手首が一瞬強く引かれて、バランスを崩して子どもは雪に飛び込む。すぐに上体を起こして見上げれば、メリジの右肩に矢が鋭く突き刺さっていた。

    「ぐ……ッ」
    「お師さま!!」

    矢が突き刺さる傷口から溢れるように流れる血を止めようと添えられるも、その手は何も出来ないまま、ただ震えるだけ。苦しそうに歪める師の顔と傷口に視線を彷徨わせていると、雪に足を取られることなく神殿騎士は剣を振りかぶりながら一直線に駆けてきた。

    「逃がすか!!」
    「やら、せる……かぁッ!!」

    勢いを付けた突きが繰り出される瞬間、メリジは気力を振り絞り、狙いを澄ませた剣先と子どもの間に立ち塞がる。突き刺された剣は寸でのところで割り込まれた脇腹を貫き、子どもの目先でようやく動きを止める。尻をつく子どもの目の前でカタカタと剣先が動く。騎士が引き抜こうとしているようだったが、メリジが雄叫びを上げながらそれを抑え込んでいた為、上手くいっていなかった動きだった。成人男性の筋力を上回る馬鹿力を発揮させたメリジは、肩に矢を刺したままその手で柄を掴み、もう片方の手で神殿騎士の兜を掴んでみせた。

    「ぁがっ……き、きさま、なにを……!?」
    「こいつには、手出し一つさせんッ!!」

    メリジの左手のひらも灼きながら神殿騎士の兜を赫く煌かせる。灼熱が兜を伝ったのか、何が起こるのか分かった騎士はその奥で情けない声を上げてもがいて離れようとしても、メリジはその手を一切離させなかった。

    「や、やめ……──ッ!?」

    赫い煌めきは断末魔を添えて、その頭部を派手に破裂させる。銀世界の中で赤い花びらのように散りゆく肉片はそれだけで追っ手の士気を削いだ。首から上が派手に飛び散りなくなったその身体が雪の中に沈むのを見て、かたりかたりと弓を持つ追っ手たちの手が震えている。
    だらりと下げたメリジの手からは湯気が上がり、よくよく見れば皮膚は爛れて赤く染まっている。だというのにその手を追っ手たちに掲げて、尚もあの光を生み出そうとエーテルを集めている。腹を貫いた剣をそのままにして息を荒げながらも闘争の意思を見せるメリジに、怯んだ追っ手たちは我先にと逃げ出した。そうして雪の向こうへ姿が見えなくなるまで睨み付けていたメリジはようやく張り詰めていたものを消すことが出来たのか、脱力したように膝をついた。

    「お師様っ!」

    あの騎士の身体と同じように雪の中に埋める前に、滑り込みでなんとかメリジの上体を受け止める。が、肩を貫いた矢が受け止めるのに邪魔になっていることに気付いた子どもは先ほどの震えを今度こそ無視して鏃側の篦を折り、矢羽を持ち真っ直ぐ引き抜く。すぐに手を添えて応急処置を始めようとするも、凭れかかる身体は既に力なく、ついに受け止めきれなくなった子どもは師を抱えながら雪の中に身を埋めることになった。止め処なく溢れる血が衣服を紅く染めていくのも気にせず、止血をするべく肩の傷口に手を力強く添えて治癒魔法を掛けようとする。

    「お師様、今手当てを──」
    「やめろッ!」

    添えた手をそのままに、怒声によって子どもの動きが止まる。満身創痍になり血を流し続ける師は息も絶え絶えで、もうそこまで死が迫っている。今ならまだ間に合うはずの応急処置も、行うことを拒絶された子どもはどうしたら師を救えるのか分からなくなってアップルグリーンの目に涙を浮かばせる。
    それを見た師は荒く息を繋げながら安心させるように子どもに微笑む。そしてその身を震わせながら傷だらけの手を懐に入れると、師はそれを子どもに見せた。

    「これを……」

    手渡されたのはいつも師が手にしていた細い管だった。金細工が施された逸品で、いつも吸い終わるたびに手入れを行うほどには大事に扱っていた代物だった。今や血塗れの手で触れられた煙管は彼女の生命を吸い尽くしたように赤く煌めいている。

    「持って、行きなさい……ハッ、はぁっ……ぅぐッ……、すこし、ばかりは……かね、なるだろ……」
    「お師様、僕をひとりにしないで!一緒に逃げましょう?」
    「モードゥナの、レヴナンツトールに……わたしのち、ちいさな……友人がいて……」
    「しゃべらないでください!!」
    「そいつはな……焦茶の髪をした……」

    少しでも動けるようにエーテルをかき集めて、煙管を持つ手に触れて師に分け与えようとする。しかしいくらやっても受け入れられることはなく、ただエーテルが霧散していく様を見せ付けられるだけだった。

    「さいごに……お前に、わたしの名をやる……。そうしたら……ゲホッゲホッ!お前はまだ……はぁっ、はぁ……ひとりじゃない、だろ……」
    「いやだ……やだ、やめて……!僕はあなたといたいのに」
    「いきなさい」

    涙を瞳の中に留めるせいで何も見えなくなる。血塗れの師の姿も。全部自分のせいだと責めても現状を変えられない非力な子どもの瞳からついに大粒の涙が溢れる。悔しさの中で託された煙管が重たく感じても、それを手離すことだけはしないと固く決心させた。

    「いくんだ……いきるんだ、メリジ・フィアールレイン。おまえは、自由がいちばんにあうから」
    「お師様……僕は、」
    「あいしてる」

    滲んだ視界の中で優しく微笑む師の姿が見えた。さっきまであったはずの温もりが、触れていた手から急速に引いていったように感じて、急いで引き戻すように強く握る。しかし力が抜け切ってしまった彼女の手からは握り返されることはなく、閉じた瞼と僅かに上がった口角はそのままに雪風で前髪が揺れ動くくらいだった。

    「お師様……?ねぇお師様、こんな……こんな寒いところで寝たらだめじゃないですか……」

    肩に触れて揺り動かしても、手を強く握っても、師がただ眠っているのではないと頭で理解している。ただ、たった数十秒前には話していた人との別れ際がこんなにも呆気なく訪れることに心が追い付いていなかった。

    「お師様……あ、ああっ……あぁぁぁ……っ!!」

    強くなってきた雪風に埋もれていく師を守るように抱きしめても、腕の中の温もりはとっくのとうに消え去っている。目の前にあるものに縋っていても師は二度と目を覚まさない。
    遠くの方で金属音の重なり合う音が、なにもかも吸い込んでいく雪の中の隙間を縫うように子どもの耳に入る。師を悼む時間すら与えられていない状況に、彼女が紡いでくれた希望をここで無駄にしてはいけないと早る気持ちが子どもを急き立てる。でもどうか、どうか今だけは。強く師の身体を抱きしめて吹き荒ぶ雪の中で潜むように嗚咽を噛み殺した。


    それから弱まるのを待たず、雪の中に彼女の遺体を置き去りにした。極寒の中を何度も足を止めそうになったが歩き続けた。歩いて、歩いて、歩いて……その先にお師様が託してくれたものがあると信じて。
    師が共に抜けようとした先、雪が降る季節のクルザス中央高地を抜けてモードゥナ地方へ足を踏み入れた時、東の空から暁光が降り注いで大地を柔らかく照らし始めていた。師を失ってから枯れそうもない涙を流し続け、擦るのすらやめても腫れた瞼に写すにはあまりに眩しすぎる光景だった。寒空の下をずっと歩いていたからか、その光景を目にした瞬間、酷使し続けた脚は限界だと訴えてきたせいでその場に座り込んでしまう。

    『ごらん。星々が輝いているだろう?あれはエーテル界の魂がこちらを覗き見ている証拠なのさ』
    『エーテルが?論文には星界と呼ばれる場所に存在していると……』
    『そんな現実主義みたいなことを言うとモテないぞ』
    『いいです!僕にはお師様のようになるという、大事な夢があるんですから!』

    ふと少し前に家の窓から観測を行った時の師との会話が呼び起こされた。なにも疑いもしなかった将来の夢を語り、笑い合っていた日々は手の中に握りしめた煙管がもう訪れないのだと現実を突き付けてくる。師の遺体を丁重に葬ることも許されないまま、逃げ続けていた子どもの目に再び涙が溜まる。堪え切れなくなった涙が一つ、二つこぼれ落ちた時、よく音を拾う子どもの耳に朝の営みの音が聞こえた。

    『ところで、どうして昼と夜があるんですか?』
    『うん?それはな──』

    俯いていた顔を上げ、小高い丘だったその場から見えたのは冒険者たちが営むキャンプ地だった。その地を眺めた時、朝早くから活気に満ちた人々の賑やかさもようやく目に入る。薄明を迎えて陽が昇り始める頃には眠り静まっていた世界を覗き見ていたエーテル界からの目たちは、すでに地平線の向こうへ消え去っていた。いや、今度はその向こうでも営みを見ているのかもしれない。それとも見えないだけで陽の向こうから見ているのだろうか。
    師があの時教えてくれた言葉の意味が少しだけ、ようやく分かった気がした。

    『世界が生きているからさ。だからエーテルたちも世界を覗きたがる。いつか、自分がそこに辿り着く場所でもあるから』

    師が教えてくれたもの、与えてくれたもの、託されたもの。手渡された煙管はただの金品ではない。いつか、エーテル海へと航海に旅立った師が再びこの世界に辿り着いた時、この名と共に渡せるように。流し続けていた涙を拭って前を向く。まだ子どもだけど、もう子どもではいられない。

    キャンプレヴナンツトールに足を踏み入れた時、ラセットブラウン色の髪のヒューラン族の女性がこちらに気付き、持っていた荷物袋を近くの木箱の上に置くと近づいて来るのが見えた。少し驚いたような顔をしていたが、彼女はそれを一瞬見せるだけに留めた。

    「あんた、クルザスから来たのかい?」
    「はい」
    「……何用で?」
    「自由に、なりたくて」

    血だらけだというのに、何があったのかも聞かずに何用かと問うてきた女性にそう言ったら、不思議と満足そうに微笑まれた。どこかその微笑みを見送った師と重ねてしまうのは喪った直後だからだろうか。しかし師にはなかった、ラストレッド色の瞳が己を見定めるようにスッと細まるのを見て、負けじと強い意志を持って見つめ返した。

    「いいね。名は?」

    師は自由が似合うと言った。それにただ倣って何かを始めるのも良いが、薄れゆくエーテルたちを照らしたあの暁光を見た時に感じたのだ。師と再び出会えた時、不甲斐ない自分のままだったら繋いでくれた師の命はどうだ?師の誇りを、向けてくれた愛情を裏切りたくない。
    ならば、己がすべきことは決まったも同然だ。書物や師から自由に駆け巡る冒険者の話を聞いて、そして今目の前に立つ女性冒険者の堂々たる振る舞いを見て、子どもはその自由さに酷く恋い焦がれていたのだと気付いた。

    「僕は……俺はメリジ・フィアールレイン。──師の名を継ぐ者だ」
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    😭😭😭😭😭😭💴💴💴💴😭
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    Replies from the creator

    melisieFF14

    DONE両片想いのすれ違いもだもだしてる付き合う前のメリレオ。
    Hit on恋焦がれるようにその身体に触れたい、声を自分にだけ聴かせてほしいと、その目に映るのは自分だけでありたいと願うことをやめられないまま、紫混じりの黒髪と赤紫の気の強そうな眼差しをいつも追い求めている。それは仲間に対して向けることを到底許される感情ではないことを理解していて、当人には察知されないように気を張るようになっていた。
    であればその欲望の捌け口はどこへ行くのかと言えば、恋う人と似た容姿の女へと向けていた。とはいえ共通点など黒髪だけだとか、目元や表情が似ているからなど、部位のみ投影して後は補完し、何も知らない女たちへ欲を吐き出していた。声ばかりはどうしても違い過ぎるので、春を売る女たちに声は出さなくて良いと伝えていたが何やら勝手に盛り上がられて喘がれることもしばしば。聴きたくもない声音を情事の最中に手で塞ぐのはナンセンスだったので唇で塞ぐことが多かったのがメリジにとっては煩わしかった。欲の捌け口でしかないから相手を思いやる気持ちなど一切なく、ただの性欲処理の行為に快楽などある訳もなかろうに。実際メリジには性感による気持ち良さなどなかった為、彼女たちに対して情を持ち合わせることもなければ穴としか見ていなかったことも事実だ。
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