烈日のコニー花街を歩いている訳ではなくとも、ウルダハのマーケット通りから少し離れたような寂れた所では今でも娼婦たちによる客引きがある。それらは大体ぼったくり価格だし、一度利用してしまえば裏にいる存在から資産までむしり取られることで有名だという話をメリジから聞いて、その点は裏稼業に身を置く自分にとっても聞き慣れたような話だった。
そこを利用したことがあるのか?と問えば、冒険者を始めたての頃に一度騙された、と返答が返ってきた時は彼でもそんな時期があったことに少し驚いたものだ。二つ歳下の男は若気の至りだとは言っていたので、始めたてだったらしい十四にしてそういうものに興味を持つのは早すぎた故の反省なのだろうか。
なぜその話になったのかといえば。
「ねぇそこのヴィエラ族とミコッテ族のお兄さんたち、うちの店寄って行かない?」
「ここら辺じゃ一番のサービスって有名なのよ」
自らのチャームポイントを見ろと言わんばかりに素肌を晒し、しなやかにくねらせる肢体による色仕掛けは確かに都会に出たての純粋無垢な男なら引っかかってしまうのかもしれない。
普段の行いからして他人に目移りするような男ではないと分かっているので、たまには女の柔らかい体を抱きたい時はあるのかどうかなんて野暮な質問をメリジに投げかけた暁には、一日中ベッドの上で過ごすだろうし睦言を絶えず与えられる羽目になるのは目に見えている。自分の首を絞めることを言わないのが吉なのだ。彼の若気の至りの話ではないが、一度言い寄ってきたらしい女をあしらった後にそう聞いたらとんでもないことになったのは言うまでもない。
だからこうして一度は無視をしても粘り強く掛け声を続けてくる女たちをどうやり過ごそうかと思っていると、メリジが身体を屈めて耳打ちをしてきた。
「先行っててくれ」
「お前は?」
「気にしなくていい」
硬い声音のまま背中を軽く押されてしばらく歩を進めたが、何をどうするつもりなのかと気になって軽く振り向いてみる。壁に手を付いて女の耳元に顔を寄せてはいるが、よくよく見てみればそこにいたのは一切の表情を消したメリジの横顔だった。わざわざあの場から自分を離したのはきっとこれを聞かれたくなかったからだろう。遠くてもはっきりと聞き取ってしまうこの耳に、彼の言葉が少しでも触れてしまったのをなかったことにして再び背を向けた。しばらくすればメリジも何事もなかったようにして再び隣に並んで歩き出すだろうから。
初めて自分と他人との接し方でメリジの顔が違うことに気付いた。
◇
「そうだよ?レオは知らなかった?」
「なんでオジの方が知ってるんだよ……」
「オギだって!言ってるでしょー!」
別日、ウルダハのクイックサンドにて、半ば恒例のやり取りをしたオギはひと息吐くと手元のジョッキに手を掛けた。喉を鳴らしながら飲む様はこちらも飲みたくなるほど良い飲みっぷりで、自分も手元のジョッキを引き寄せて口にする。運ばれてきたばかりだったジョッキを半分飲み干したらしいオギが次に手を伸ばしたのは大皿に乗ったシャクシュカで、ララフェル族向けではないスプーンで小皿に取り分けながら「まぁ」と切り出した。
「浮き名を流しているような男だったら釘は刺したかもしれないけどね。ちゃんと弁えてるし、あれでいてボクたちのことは遠回しにだけど気遣ってくれてるから」
そういう所に行っていたことは前から知っていたことだし、メリジも隠すことなく聞かれたら答えるスタイルで明け透けなく言うものだから、当時は本当にただの仲間としか思われてないだろうと考えてた時期があった。頻繁とは言わないが、それでも迷惑にならないようこちらへの配慮は徹底されていたように思う。オギの女へのデレデレ具合のが多いだろう。
「前と比べて今はレオに本心を曝け出してる方が多いんじゃない?」
「確かに」
「ボクからしてみれば前も今もそんなに変わらないけどネ〜」
「……前からあんなだったか?」
「当事者には意外と分からないものだよ」
「オジのくせに」
「オジじゃなくて、オギ!!」
前のめりにしてきたオギの顔を押し出して席に付かせれば、「まったく」と言いながら先ほど小皿に寄せていたシャクシュカを食べ始めた。
「メリジは変わらないから安心していいよ」
「……」
「レオの相棒のボクが言うんだからね!これからも気にせず堂々と愛されていれば良いのさ」
「……オジのくせに」
「オギだってば〜!もう、照れちゃって〜!」
「煩い」
オギの言う通りなのが癪だが仲間内で食事をしている時ですら女から声を掛けられることはあっても、その都度メリジが断りを入れながら抱き寄せてきてアピールしていたので彼がどこかに行ってしまうかなんてこれっぽっちも考えついていないのは確かだ。
オギが女に声を掛けるならまだしも、メリジが来るまでは掛けられることなどあまりなかったのだ。長身で程よく鍛えられているスタイルに加え、顔も良いと来たら狙わない女はあまりいないだろうからと思われる。自分と付き合っていなかったらきっと選り取り見取りだっただろう。そんな人物が、何がどうしてそうなったのか分からないが自分と付き合っているのだから物好きな男である。
こうして集まっていたのは明日に予定していたグリダニアの中央森林での依頼をこなす為なのだが、メリジがウルダハ近くで別の仕事をしてからなら、ということで夕飯も兼ねて集合場所にしたのだ。
オギと二人でメリジそっちのけで酒と共に少し早い夕飯を頂いていると、奥の方に座っていたおかげで店の入り口辺りで件の男がちょうど入ってくるところが見えた。すぐに来るかと思いきや、共に入ってきたらしい女にやたらと絡まれている。
「メリジくん、ほんとモテるねぇ……羨ましいねぇ……!」
いつものことだからとスピナッチキッシュを取り分けて食べているとオギも遠くの方で女に絡まれているメリジを見たらしく、ぐぬぬ、とわざとらしくハンカチを噛み締めていた。見なくとも声は聞こえるので視線の先は料理に向くが、遠くから聞こえる声音は相変わらず固いものだ。
「お待たせ」
「待ってないやい!女の子連れてくれば良かったのに〜!」
「見てたんなら助けてくれよ、オギ先生」
「……お前、ろくでもない相手ばっかり引っ掛けるよな」
「外面は良いからな」
腰帯に差していた刀を一差しだけテーブルに立てかけると同時に、アップルグリーンの色に紫が混じりそうなくらい顔を近付けてきた。ついこの間に見た感情すら削ぎ落とした生気の感じられないものではなく、いつもの見慣れた柔らかい雰囲気を醸し出しながら微笑まれる。ギャップとはまた言えない何かを感じるが、それがなんなのかハッキリする前にメリジはあっさりと身体を引いて隣に座った。
「明日は久しぶりに釣りしに行くんだろ?」
「ボクが持ってきた依頼をやるんだよ?」
「いや、釣りだろ?」
「"鏡池桟橋の辺りで大切な指輪を落としてしまったから探して欲しい"は潜らないとな、オギ先生が」
「二人も一緒に探してほしいな」
ララフェル族三十代男による指を組みながらのおねだりに誰が可愛さを感じるというのか不思議に思うも、まぁオギだしな、と特に何も言わないままスピナッチキッシュを食べた。
「貸しでいいぞ」
「俺は煙草一箱分でよろしく」
「薄情者!」
◇
「この流れだと下流の方まで行ってるんじゃないか?」
指定地点に着いてまず、探し始めるにしても闇雲に手当たり次第なのはさすがに効率が悪いだろうと現地の調査をしていたメリジが予測を立てる。
オギが言うには依頼人は確かに水辺に落としたとのことで、メリジが指をさしたのは桟橋の向こうに広がる水上であり、そこから探すのは骨も心も折れそうだった。
「とりあえず三箇所決めるか。俺はそこの浅瀬に行く」
「あっちの桟橋辺り探してくる」
提案してすぐに背中を向けたメリジに続くべく、残された二択の内の一つをさっさと選び取る。桟橋の方なら少しは濡れずに済む。そうなると見据えてて言い出したのかは分からないが、その気遣いはありがたく頂戴しておくべきだと思ったのだ。
「えっ、深い方……」
「頼んだぜ、オギ先生」
「よろしくな、オジ」
「オギ!!……もう〜!」
まるで当てつけのように陸地から勢いよく浅瀬に着地したオギが声を張り上げる。水飛沫が顔に掛かりそうになって腕で防ごうとした時、陣羽織の袖を広げたメリジが壁となった。おかげで濡れなかったが彼の髪や陣羽織には相当掛かったらしく、毛先からぽたぽたと水滴が落ちている。
「……オギ先生、やってくれたな」
「二人ともそっちはよろしくね!!」
小さな身体で水の中を掻き分けて行くのを軽く見送って、特に何も言わないまま──言えないまま、メリジはさっさと自分の担当する箇所の捜索へと向かって行った。
しばらく桟橋の辺りを探してみたが見つかりそうにはなく、そろそろ水中に足を踏み入れる覚悟を決めるべきかと悩んでいると浅瀬の方から水を掻き分ける音が聞こえてきた。そちらに目を向けて見れば少し遠いところでメリジが時折水中を覗き込んだり、刀の鞘で水底を掻き回しているようだった。
「それじゃ当たったかどうか分からないだろ」
「ん? あぁ、良いんだ。本命はオギ先生の所だからな」
「どういうことだ?」
「エーテルの動きを見て、ここから深い方に流れたのは見えたからな」
「……見えたならわざわざ浅瀬に入って探さなくても良いだろ」
「オギ先生にばっかり良い思いさせる訳にはいかないだろ」
そうは言っているが、あとでオギが一人で火に当たらないようにと変な気を回しているだけだ。そんなことしなくてもあいつは何かしらふざけて言うだけで本気で怒ったりなんてしない。そしてそれはメリジの中でそれくらいやっても良いと思ってくれていることになる。ひたすらに甘やかされている。振り返ってみればオギにもまぁまぁ甘いけど、殊更自分に対して甘いのもそうだ。さっきの水飛沫を防いだことだって、放っておけばいいのに使えるものを最大限に使ってまで甘やかしてくる。
いつかその甘い優しさも与えられることがなくなってしまうのだろうか。この身と心に刻まれた愛情すらも、こいつの心から干上がってしまったら一生与えられなくなってしまうのだろうか。
少しネガティブな考えになってしまっているのが分かる。らしくないとも。
それくらい与えられることに慣れてしまった。離れてほしくない。数ある未来の中であんな冷たい目で見られるくらいならばいっそ、嫌われる前に。
「もし俺と別れたくなったらいつでも言えよ」
「は……?え?なん、……えっ?俺、レオに何かやらかした?」
「あー……ほら、お前って結構他人に対する態度冷たいだろ。さっきみたいな気遣いもしないし」
「えっ……」
「お前と別れた後にあんな目で見られたくないなって思っただけ……──っ!」
浅瀬の中へ引きずり込まれるように勢いよく押し倒されて半身が水に沈む。組み敷いてきたメリジが泣きそうな顔でいるのに気付いて、少し言葉選びを間違えた可能性に行き着いた。
なんてことはない。ただ本当に、自分でも珍しく何も考えないまま口にしただけだった。
「ああいう気遣いは嫌だった?」
「……嫌じゃねぇよ。ただ、甘やかされてるから別れたらって」
「あんたと別れるなんて冗談でもありえない。レオの命尽きた後も、俺自身が死ぬまでこの心と身体はレオだけのものだ。あの時傍から離してやれないって言ったよな?」
「言った」
「どうして分かっててあんな聞き方した?俺に至らない点があった?」
「それはない。けど、俺と周囲との温度差が気になって……」
「俺はレオのこと、特別扱いしてたけどそれがダメだった?」
水面下で縋るように指の合間を絡められ、爪を立てることもままならないほど力強く閉じ込められる。その間もメリジから目を逸らすことなんて出来なくて、不安そうに揺れる虹彩を見ていたら、言い方一つ間違うだけでこんなにも自分に振り回されてしまう存在がいたことに動揺した。
「俺のこと不安にならないようにしてくれてたのに、あんなこと言われたらお前が不安になるよな」
「だったらなんで……!」
「悪かった。いつも近くで見てるはずのお前が、いつかは遠くに行ってしまう気がしたんだ」
初めてあの顔を見た時からの違和感がようやく分かった。誰しも隠したい一面があることすら知っていたいような、手元に置いておきたいといったような感情を無意識に抱いていた。昔のことを懐かしそうに話すメリジの姿も、どう生きてきたのか、何を見てきたのか、どれを好むのかも。恋人という間柄になる前から見てきたから全てを知っていたいと望んでしまう。それら全てを叶えてくれていた男が隠したがっていたことすら暴きたいなんて思ってしまった。自分は話せていないことが多いというのにそれ以上を欲しがっている。
「レオのものだって周りから分かるように首輪でも付けようか?」
「どうしてそうなる」
「俺が絶対にレオから離れないことが分かってもらえるならなんでも。もう全部レオのものだから」
「……首輪なんか付けなくても充分」
奇しくもあの時のオギの言う通りで、メリジはいつだって隠し事すらあっさりと曝け出しては心を満たしてくれていた。きっと自分の秘密の全てを曝してもこの男は喜んで咀嚼して美味しそうに飲み干すのだろう。魂に焼き付けられるほど強く身も心も焦がしてくる愛情も悪くない、と。
水中から上半身だけが引き上げられて、どちらからともなく顔を近づけてい。遠くでパシャパシャと水面を駆ける音が聞こえてくる。あと少しで唇に触れるという時だった。
「あったー!!!!指輪!!ねえ二人とも!!指輪見つけたーーー!!!!」
オギの掛け声に驚いたメリジが顔を離す。
「オギ先生、随分とタイミングが良いことで……うわっ」
離れかける身体が惜しくて、掴まれていた手を引いて軽く触れるだけに留めた。
「続きはお前の家で」
「……最低二日は覚悟しろ」
「一日に留めろ」
◇
「メリジくんったら、まーた女の子連れてるよ〜」
「いつものことだろ」
「うわ、レオが愛されてる自覚持ち始めて自信家になってる」
「煩い」
今日も今日とてメリジは厄介そうな女に絡まれて、その都度人を殺しそうな目で撃退していく。あの目が向けられることは一生ないだろう。