親しみを恋う荒い息遣いと慌ただしく駆ける足音が深い森の中で響く。灰混じりの桃色の髪を激しく揺れながら細身の女性が木々の合間を走り抜けるのを、後ろから巨大な触手を複数揺らめかせつつ醜悪な臭いを放つモンスターが追いかけて行く。いくら走っても距離を取れそうにないことに心が折れかける。
どうして、追ってこないで。誰か、誰か──。
ふと、怖いもの見たさで後ろを振り向いてしまったせいか、自分が思っていた距離よりももっと近い距離にいたモンスターに上手く走り回ってにげていたはずの身体が硬直した。瞬間、足がほつれて無様に転ぶ。まるで弄ぶかのように真横スレスレに触手が叩きつけられた。粘着質な音と共に気絶しそうになるほどの臭い息を漏らしながら、歯並びもバラバラで歪な大きい口が目前に迫っていた。
「あ……や、やだ……ッ」
こんなところで、こんなモンスターに殺されてしまうのかな。なんでこんなことになったんだろう。
ボロボロと溢れる涙など意に介さず、モンスター──モルボルが触手を突き出そうとした時だった。
「ふっ!」
一閃。スローモーションのように視界がゆっくりと流れていく。寸前で止められたそれが弾かれるように宙空を彷徨い、土埃を上げながらモルボルが痛みを訴えるように大きな咆哮を響かせる。戦闘事に疎い自分でも、モルボルのターゲットが触手を切り落とした男へと変わったのが分かった。
ターコイズグリーンの陣羽織を着たヴィエラ族の青年が鞘に刀を仕舞い、そして。
「大丈夫か?」
よく分からないまま、気が付けばモルボルは真っ二つになっていた。その男の人から声を掛けられていることにも反応が遅れてしまったのは仕方ない気がするの。
「あっ、えっ?うそ……死んでる……?」
「さすがに真っ二つにしたから死んでるだろ。ほら、立てるか?」
そう言って差し出された手に伸ばそうとして立ち上がろうとした時だった。左足首に痛みが走り、立ち上がれないことに気付く。
「ご、ごめ……ごめんなさい……足が痛くて」
「無理に動かさない方が良い。すまないが身体に触れても構わないか?」
「はい……きゃあ!?」
足首を診るのに触れるのかと思えば、背中と膝裏に手が差し込まれて呆気なく持ち上げられてしまった。急なことでつい抱き付くように身体を寄せてしまったことで、恥ずかしさが一気に込み上げて来た。
「安心しろ、絶対に落とさない」
この人めちゃくちゃカッコいい!!
「──ってコトがあったんです!」
三戸の冒険者たちが最近のお気に入りとしている『はこ酒場』にて、目を輝かせながら灰混じりの桃色の髪の女性──ラズはそう語った。
「……おい、お前さんが本当にやったのか?ラズちゃんから聞いた話だとメリジがめちゃくちゃイケメンに見えてるんだけど!?」
「知らん。勝手に美化されてるんだろ」
ラズの話ではまるで颯爽と助けに来た王子様のような語り口だったというのに、当の本人はそんなことないように無心になって食事を進めている。確かに助けたのは事実だと分かっていても、やはり同じ男としては女の子──それも可愛い女の子であればなおさら、キラキラとした眼差しは受けたいもの。オギはその顔に悔しさを滲ませながら地団駄を踏んだ。
「なんだこいつ〜!これだから自覚あるイケメンは!」
「メリジさんって、その後もすごく優しくて」
「ラズちゃん〜!ボクがキミにイイ男とワルイ男の違いをじっっっくりと教えてあげるよ」
「オジも何張り合ってんだか……」
余程その時の体験談が衝撃的だったのか、つらつらと話を止めないラズにオギも負けじと大人の色香というものを見せつけようと気を引こうとする。一方で延々自分の話をされていても頑として食事を楽しむメリジに、気になっていたことがあったレオは良い機会だと思って聞くことにした。
「メリジって確か回復魔法も使えたよな?」
「使える。けど捻挫くらいで使ってたらキリがないだろ」
そうは言ったがこの男、依頼でパーティを組む度にやることがあるのだが、それは戦闘が終わる頃に目視確認出来る範囲でいれば必ず回復魔法を使ってくるのだ。それをレオとオギは知っているし、二人は甘んじて受け入れている。
「……俺らの時はなんともない怪我でもやるのにな」
「なんか言ったか?」
「なんも。ほら俺が釣った魚だぞ、食え」
「お、いただきます」
偶然助けただけの冒険者と気心の知れるようになった仲間とは何か違うのだろうな。それこそ自分たちと初対面の時のような距離感が。
今日のメリジは煙草臭くないことにやや満足したが、少し……ほんの少しだけ何かが足りないなと頭の片隅で考えた。