【ていまほ】一時休戦🙅♀️◆
雨の音を聞きながら、イロハは重い瞼を開けた。空を見上げると、いつの間にか雷雲が立ち込めている。ごろごろと遠くで雷が鳴る音が聞こえてきた。
「あー……」
顔をしかめながら、イロハは自分の腕を見る。包帯が巻かれているものの、血は既に固まっていて傷口は塞がりかけていた。「……いや生きてんのかよ」と呟きながら身体を起こすと、背中に鈍い痛みが走る。木にもたれて寝ていたせいか、負わされた傷のせいかはわからない。
ふと辺りを見渡していると、隣でもぞもぞと何かが動く。視線を落とすと、詠が寝息を立てていることに気づいた。
「……無防備」
そう呟いて頭を掻いた後、その寝顔を覗き込んだ。彼女の頬には、涙の跡がついている。
イロハは小さく舌打ちをすると、それを指でなぞった。雨が全て洗い流していてくれれば、わからなかったかもしれないのに。ひとつため息をついて、静かにその場から去ろうとしたところで──「イロハ?」詠の声に呼び止められ、振り返る。同じく怪我だらけの彼女が、起き上がっていた。
「起きてんじゃねーよ」
そう言ってデコピンを食らわすと、彼女は短く悲鳴をあげて、縮こまる。何か文句の一つでも言ってくるかと思いきや、額を抑えたままじっとイロハを見つめてきた。
「んだよ、ちんちくりん」
「……」
詠は何も言わなかった。それでも目を逸らそうとはしない。イロハは痺れを切らすと、彼女に問いかけた。
「お前、なんであたしのこと他の奴らに黙ってんの。 殺意まんまんで喧嘩ふっかけてくるわりにさ」
尋ねられると、詠は少し俯いた。しばらく沈黙した後、彼女は小さくつぶやく。
「……お前だって私を殺さないくせに」
「そりゃ、暗殺対象じゃないし。それにお前に手出したら、志弦の野郎があたしを殺しに来るじゃん」
「……あの人が、そういうことできると思うんだ? お前が死んだって知った時の志弦の沈みよう、見せてやりたいぐらいだけど」
軽く睨んでくる詠を、イロハは鼻で笑う。「殺すに決まってんだろ」と一蹴すると、再び木にもたれかかった。天を仰ぐと、どんよりとした暗雲が広がっている。大粒の雨が葉を揺らしていた。
「軍警の妹と、魔法犯罪者の妹。どっち取るかなんて明白だね」
「どっちとかの話じゃない」
詠は不服そうに異を唱え、同じく木の幹へと寄りかかる。それを横目に、イロハはわざとらしく大きなため息をついた。
「あいつ独爪だし、コワ〜イ隊長の弟子だし。刺激するようなことしたかねえわ」
「イロハは昔から志弦のゲンコツ喰らってるし、独爪とか抜きにしても勝てないでしょ」
「………そういうことばっか覚えてんじゃねーよ」
かぁいくねえやつ、とイロハが睨みつけると、今度は詠が鼻で笑う番だった。
「可愛げのない姉より下に生まれたから、そうにもなる」
「……言うねえ。やっぱ殺すか?」
「こっちのセリフだ」
お互いに武器に手をかけ、またも沈黙が訪れた。ざあざあと降りしきる雨の中、二人はじっと睨み合ったまま動かない。
………先に目を逸らしたのはイロハの方だった。彼女は大きくため息をつくと、「まあいいわ」と手を払う仕草をする。
「あたし別に怪我したいわけでもないし」
「私だって」
「んじゃ休戦。今はお互い殺し合う理由もねーしな」
イロハの言葉に、詠は何も言わなかった。ただ不満そうな顔でこちらを見つめている。それに気づかぬふりをして、イロハは目を閉じた。
しばらくしてから、詠が小さく呟く。
「家には、帰ってこないの」
イロハはそれに応えなかった。より一層雨足が強まる中、詠もそれ以上は話しかけようとせず、背を向ける。そうして二人は、静かに眠りについたのだった。