真っ赤な糸▽オメガバっぽいあれの二人が番になる話
▽ぐだキャスギル
『もうずっとずっとずーーっと昔から、オレは王様のことだけが大好きですよ』
『愛してます』
『オレに、王様の――ギルガメッシュ王の一生をください』
否と言わねばならなかった。それはできないと言うべきなのは解っていた。己はこの、バカ正直で真っ直ぐな少年の未来を奪ってはならない。輝かしい未来に己のような過去の残骸は触れてはいけない。だのに言葉は、何ひとつ出てはこなかった。――全て強い喜びにかき消されて、頷くことしかできなかった。
✢ ✢ ✢
立香の渾身の告白から一ヶ月。ようやくこの関係に名前がついて一ヶ月。この一ヶ月は――特に何も変わりがなかった。寝食を共にする……とまではいかなかったが(主にギルガメッシュのスケジュールによる)これまでと同じように日々を過ごし、これといって特筆すべきことは何もしていない。立香の態度も、いつも通りだった。
ところが遂に、その日はやってきた。やってきてしまった。くることは解っていたがいざ実際にきてしまうと、待ち遠しかったような、逃げてしまいたかったような、なんとも言えない感情が去来した。厄介な熱と共に。
黙っている……という選択肢は有能な秘書の「ご自分で言われないのであれば私から言います」の一言で潰された。大体、黙っていようと意味がないのがこの身体だ。全く煩わしい。けれど、コレでないと駄目なのだ。駄目、らしい。立香が望むのは――
「王様、大丈夫ですか?」
熱で潤んだ視界に、不安げな立香の顔が映った。
寝室でふたり、ベッドの上で向い合って座っている。ギルガメッシュの顔を覗き込み、上目に様子を窺う立香の顔は相変わらず幼くて、今すぐにでもくちづけを、……ではない。違う。
「王様?」
「……は。問題ない。これしきのヒート、抑え込めなくて何が王よ」
もう王ではないのだけれど。魂レベルで王としての振る舞いが刻み込まれているのだから、これはもう変えようがない。
「……もう一度聞くが、気は変わっていないか?」
あれから一ヶ月だ。冷静になって考えた結果、あの結論が覆ることもあるだろう。あってほしいとさえ思う。ほんの少しだけれど。
「変わるわけないじゃないですか。カルデアにいた頃からですよ? オレが結構しつこいの知ってますよね」
「む。……そう、であったな……」
もう随分と永い付き合いになる。マスターとサーヴァント。大学生と大企業の社長。形は変われど立香の気持ちは変わらなかったと言う。それを疑う気はない。あんなに真っ直ぐに感情を向けられて、それに気づかないような愚鈍ではない。
「服、脱げます?」
「とうぜ……ん、」
ボタンに触れる爪が、かつ、と小さな音を立てた。見下ろせばボタンに触れる手は小刻みにカタカタ震えていた。緊張、ではない。ヒートのせいだろう。吐く息も熱い。
「王様? ……、……ボタン、外しますね」
ボタンに手をかけたまま何もできていないギルガメッシュが、ぼんやりと手を見下ろしているのを見、どう解釈したのかは解らないが、立香は距離を詰めてシャツのボタンに手をかけた。
「じっとしててくださいね」
「我は幼子か?」
「こんなでっかい子供がいたら……いや、いますね……」
ぷちぷちとシャツのボタンを外しながら、立香は軽口を叩く。大方カルデアにいた子供を思い出しているのだろう。ギルガメッシュの気持ちを解そうとしているのではなく、平常運転だ。それだから落ち着く。濁流のような本能に流されずにいられる。立香は抑制剤を飲んでいるはずだから、こちらのヒートにあてられることもない。
「……はい、オッケーです。脱げますか?」
そのくらいなら、と頷いて前の開いたシャツをするりとおろし、首を露出させる。うなじが見えれば良いのだからこれで充分だろう。立香が少し目を逸らしたことには気づかなかった。
「えっと、……うなじに噛みつけばいいんでした、よね?」
「そう聞いている」
うなじなら立香へ背を向けた方が楽だろうと、ギルガメッシュが怠い身体をのろのろ持ち上げたところで立香に腕を掴まれた。
「――ッ!!」
瞬間、抑えつけている熱が身体の中で爆発したかのように弾け、全身が総毛立った。咄嗟に腕を振り払わなかったのは賞賛に値するだろう。ただ深く息を吐いて、吸う。思うより身体はなかなかに限界らしい。
「王様?」
黙り込んだギルガメッシュを、腕を掴んだままの立香が覗き込むようにして目をあわせてくる。その目から心配していることは解ったが、真実を伝えるほどに矜持は折れていない。
「……何でもない。貴様こそどうした」
「え? あ、いや、王様が後ろ向こうとしたので……」
「後ろ? 向かねばうなじは見えぬだろう」
「そうなんですけど……そうすると顔が見づらいじゃないですか」
どうやら立香は正面からいきたいらしい。その方がやりにくくはないのだろうか、と思ったが今はそれ以上深く思考できない。立香が良いと言うのだから良いのだろう。浮かしかけていた腰をおろして、立香と対面で向きあう。熱い。気怠い。身体が重い。重力に従って横になりたい。座っているのさえつらいのだからこの際もう向きなどどうでもいい。
「王様、大丈夫ですか……?」
「大丈夫なわけあるか、ばかもの」
「でっ、ですよね!
……じゃあ、いきますね」
「…………ああ」
立香がギルガメッシュの両腕を左右の手それぞれで掴む。ぞわぞわビリビリとくすぐったいような電流のようなものが走るがまだ堪えられる。
「王様」
「ん?」
「愛してます」
「!」
真っ直ぐ、どこまでも真っ直ぐにギルガメッシュを見る溟海の瞳に飲み込まれる、錯覚。近づいてきた立香はそのままギルガメッシュを抱き締めるように身を寄せて、肩口から後ろを覗き込むように、
「――――ッ!」
腕を掴まれた時と比になどならない程の電流が全身を駆け巡って、ギルガメッシュはびくんと大きく背を逸らす。
「――ぁ、――ぁ、あ」
開いた口から勝手に声が漏れる。咄嗟に縋るように立香の服を掴み、首を起点にする電流のような感覚に耐える。頭の中は真っ白で、目の前にパチパチと火花が散っている。
「――王様? お、王様!?」
ギルガメッシュの様子が気になったのだろう、立香は恐る恐る身体を離して――ぎょっとしてギルガメッシュの両腕を掴む。
「ちょっ、え、なんで泣いて……王様?! しっかりしてください!」
腕を掴む手でガクガクと揺らす立香の不安と心配と狼狽をごちゃ混ぜにした顔で、白一色の頭がゆっくりと活動を再開する。
「――…………りつ、か……?」
「そんなに強く噛んだつもりじゃなかったんですけど……すみません、痛かったですか? どんくらいで噛めばいいか解んなくて、すみません、」
謝り続ける立香に、違う、と言いたいのだけれど、脳と身体の連結が上手くいかない。その頬をつっと液体が流れ落ちてぱたぱたと足の上で音を立てる。立香の言う通り、己が泣いているのは解った。解ったところでさて、これはどうやって止めるのだったか。
「あぁぁ王様泣かないで……どうしよ、ごめんなさい、そんなに痛かったですか……」
手をわたわたと動かして狼狽える立香を片手を上げて制止する。待て、と言わなくても黙って姿勢を正す立香は大型犬のようで、ふ、と笑わずにいられなかった。
「大丈夫だ。コレは痛みではない。狼狽えるな、ばかもの」
「えぇ……無理ですよ、王様が泣いたとこなんて……いやでも大丈夫なんですね? 大丈夫? ホントに?」
「本当だ」
よかったあ〜と胸を撫で下ろす立香を横目に、ぼろぼろと溢れてくる涙を拭う。それはギルガメッシュの意思とは無関係に、溢れてきては流れ落ちる。
「本当に大丈夫ですか?」
「我を疑うか?」
「まさか! ……じゃあ、他におかしなところもないですか? さっきまですごくつらそうでしたけど……」
言われて、己の身体を見下ろしてみる。蝕むような怠さも熱も今は感じない。平時に比べれば幾分高揚感はあるものの、ヒート特有の抗い難い性欲は鳴りを潜めていた。
「ない、な」
「それじゃあ……!」
「成功だ」
本日只今の時間をもって、藤丸立香とギルガメッシュは番となった。
「王様ぁ⌇⌇!」
両腕を広げた立香ががばっと抱きついてくる。それを受け止めれば立香はぎゅうぎゅうと抱き締めてきて、いつもならここで力を緩めろだの文句を言うのだが、しかし苦しさよりも先に多幸感がやってきて苦しいだの落ち着けだのといった言葉は全て押し流されてしまう。今はただ、ただただ喜ばしく、嬉しい。立香の背中へ回した手が、無意識に立香のシャツを掴んでいた。
「長かったぁ…………」
耳元で、立香の感嘆の声を聞く。短い呟きはけれど途方もない重さを孕んで落ちていく。
「王様」
腕が緩み、立香は正面から真っ直ぐにギルガメッシュを見る。深く穏やかな海を思わせるふたつの蒼に、今ギルガメッシュが映っている。
「もう、離しませんからね」
「否、とはもう言えまいな」
「言っても聞きませーん」
正面から抱き竦められる。この腕の中を知ってしまった時点で、逃れることはできなくなっていたのかもしれない。ことんと立香の肩に頭を預けて、身体の中の熱が引いていくのを感じる。身体の中で暴れていた、誰かれ構わず惑わせようとしていたモノは消え去り、今は、
「立香……」
「はい」
返事があるだけで何かが溢れそうになる。指向性を持たなかった熱は指向性を持ち、行く先は。
「王様? 大丈夫ですか? 休みます?」
「いや、よい。それより……」
「それより?」
「だ、」
「だ?」
抱け、と、二文字で済む言葉が喉に引っかかって声にならなかった。落ち着いたとはいえヒートが終わったわけではない。立香が欲しい。それはこの厄介な本能だけでなく、心から。
だがそれを口にするには理性が勝っている。
「どうかしました?」
どうもこうもない。こういう時の察しの悪さは昔から変わらない。察さなくても良いことまで察するのに、こういう時だけ、何故。
「貴様というヤツは……」
「え?」
きょとんとしてるのが声だけでも解る。コレは本当に解っていない時の声だ。
「……………………………………抱け」
「え?」
「は?」
「えっ? いや、今なんて、」
まさか聞こえなかったのか?耳元で言ってやったというのに。これには流石の王の寛大な堪忍袋の緒も切れるというもの。
抱き締める立香の肩を掴んでべりっと引き剥がし、案の定きょとんとした顔を正面から見据える。
「服を脱げ。ヤるぞ」
「や………………………………………あっ」
ここまで言って気づかなければ余程の朴念仁か莫迦だが、流石にそこまでではなかったらしい。ようやく気づいた立香の顔がかあっと赤くなる。今更恥じらうこともないだろうに。
「いや、あ、そ、そうですよね、すみません、気づかなくて」
「よい。それよりも疾く、」
言いかけて、立香は抑制剤を服用しているのだと思い至る。成る程それでこの察しの悪さか。
「抑制剤はまだ効いているのか? どうしてもと言うなら日を改めて……」
「いえ! 全然大丈夫です!
…………というか、あの……」
身を乗り出して食い気味に否定した立香は急に勢いを失って視線を逸らす。これは何か都合の悪い時にごまかすか迷っている顔だ。
「なんだ? 隠すこともあるまい。我らは番になったのだぞ?」
「…………ずるいですね、それ」
「事実であろう?」
理性を失わないというのは良いことだ。こんな時の会話が弾んでどうする、とも思うが。
立香はもうしばらく迷って観念したらしく、逸らしていた目をぴたりとあわせてくる。
「怒らないで聞いてくださいね。…………オレ、薬飲んでません」
「……は、ぁ?」
「だから大丈夫……でもないか、あの、日を改めて、とか、そういうのは、ナシでお願いしたいんですけど……というか、正直もう限界かなぁって……」
ごにょごにょと言い淀みながらギルガメッシュから顔ごと横へ背けた立香は、ちらりと横目でこちらを窺ってくる。その顔はいたずらがバレた時の子供のような。
立香達α性を持つ者は、Ω性の発情に誘発されて発情が起こる。抑制剤とは、発情を抑えるものだ。それを服用していないということはつまり。
「立香……」
「ごめんなさい! でも王様だけにつらい思いはさせたくなくて」
ぱん!と両手をあわせて頭を下げ謝罪を口にする立香に、叱る言葉を封じられてしまった。ちらちらと上目にこちらを窺う様など幼子と変わらない。
ギルガメッシュは、はぁ、と溜息をつき額に指を当てる。無駄なものであれ、立香の気遣いはギルガメッシュにはくすぐったい。溜息などついて見せるのは、要は照れ隠しだ。
「立香」
「はい」
額から指を外し、正座して姿勢を正す立香を見る。顔が緩みそうになる、この感覚は番になったからだろうか。否、であると思いたい。これは本能だけではなく、
「……我慢は、身体に良くないな?」
据え膳食わぬはなんとやら、ヒートの熱は暴力的ではなくなったとはいえ腹の奥で燻っている。そして目の前にはもうずっと前から欲しかった獲物が、ちろちろ炎の点った瞳でギルガメッシュを見つめている。
「良くないですね」
「ならば――後はどうする?」
凪の海のような瞳がまるく開いたあと、きゅうと細められた。細められてもギルガメッシュを捉えて離さない視線が心地良い。「王様」と呼ぶ声が胎に響く。
「いただきます」
正座していた立香が腰を浮かせて距離を詰めてくる。それに手を伸ばすと指が絡み、そうしてそのまま、唇をあわせながら縺れるようにベッドへ倒れ込んだ。
「っ、立香、」
「はい」
見下ろす蒼い瞳は今ギルガメッシュだけを映している。立香はギルガメッシュが欲しいと全身で訴えてくる。この眼には昔から弱かったのだ。
「……残さず食べろよ?」
「――もちろん!」
餓えた獣のような雰囲気はどこへやら、いつもの調子でにこやかに笑った立香に再び唇をふさがれて、共有される熱の柔らかさに口端を緩めた。