修羅場▽ルルハワでゲシュペメンバーと王様が原稿修羅場に陥っている話
▽ゲシュペメンバー全員いるはず
▽ぐだキャスギル
開け放たれた窓から、乾いた風が吹き込んでくる。クーラーで身体を冷やしすぎるといけないから、と窓を開けたのはマシュだったかロビンだったか。気温は夏のものだが、日本の熱帯夜に比べるとそうも感じない。湿度が低いからだろうか。遠くに寄せて返す波の音が聞こえるのも涼しげでいい。額に貼った冷却シートはぬるくなってしまっているけど。
遠くで潮騒、近くではカツカツさりさりペンの走る音がしている。ひとつは自分の手元から、いくつかは室内にいる数人の手元から。特異点が消え去るまでのいつもの期間に、せっかくだからサバフェスに参加しようと相変わらず本を作っているのだが、これまでのループと違って人員が一人増えている。立香が仮眠に使う以外使われず資料置き場になっているベッドを占領し、長い脚を投げ出して壁にもたれて座り、文字通り黄金のタブレットにペンを走らせている、ゴージャスPことギルガメッシュP。ピコピコ音のするハンマーの効果が消えたおかげでループを認識するようになったギルガメッシュも、なぜか作業に加わっていた。こういう作業は好きではないだろう、と立香は思っていたから、ギルガメッシュが本作りに混ぜろと言い出した時には驚いた。記憶も戻ったのだし、夏休みには変わりないし、自由に過ごしていてくれてよかったのだが、自由だというなら執筆に混ざるのも自由だろうと言われてしまっては断る理由もない。なのでそれ以降は立香達と共にアシスタント作業をしている。今はセリフ打ちと効果音などの描き文字担当だ。ギルガメッシュはセリフの矛盾を指摘したり、立香よりも日本語に詳しかったりして助かっている。なぜ、という疑問はループも十を超えたあたりで頭に浮かばなくなった。
そのギルガメッシュももう数日寝ていないようで、自前のタブレットを見る目が虚ろになっているような気がした。魔力とか足りてるだろうか。供給しなくていいだろうか、いや、今みんないるしな、今はダメか。あとにしよう。
「……なにをぼーっとしておるのだ、手を動かせ、手を」
「あ、はい」
「主殿、お疲れでしたら仮眠なさいますか?」
「ううん、大丈夫だよ。もう少しでこのページ終わるし」
「先輩、無理はいけませんよ」
「ありがとう、マシュ」
心配げな牛若丸とマシュの視線の他に、ベッドからも視線を感じる。目を合わせて、えへ、と笑えばすぐに逸らされた。
自分用のタブレットに向き直り、もう何度も繰り返した手順で指定されたところを黒く塗り潰していく。こんな細かいところまではみ出さずに塗れるなんて、最近の道具はすごいなあ、と、気温でか疲労でか解らないがぼんやりする頭で考える。次の箇所を塗り潰そうとして、同じようにペンで画面を触るとコマが真っ黒になった。ぎょっとして少し眠気が飛び、慌ててアンドゥする。何事もなかったように元の線画が現れてほっと息を吐く。範囲指定し忘れてたな、と思いながらもう一度コマを塗り潰してしまったのはジャンヌ・オルタには黙っておこう。冷却シート変えようかな。ぬるいし。貼ってても意味ないし。
「おい立香、八ページが終わったぞ。確認せよ」
人肌温度の冷却シートを剥がし、今度こそちゃんと人物の髪だけを指定して塗り潰しながら、立香は背後を振り向く。ベッドの上からこちらを見る真紅の眼に「はい」と返事して自分の作業データを保存し、クラウド内の作業フォルダから最新データを開く。
「あ、では英雄王、次はこちらのページをお願いいたします」
「ああ」
「待て、吾のが先だ。先にできていたのは吾のぺえじだからな」
「何をたわけたことを。先に仕上がっていようが今英雄王に依頼したのは私が先です。順番は守りなさい」
「鬼が順番など守るものか! 吾が先ったら先だ、そら、金ピカ王、今でえたを送っ」
「ズルいですよ! 私が先です!」
「ええい喧しいわ雑種共! まとめて片づけるゆえ、さっさとデータをよこせデータを!」
背後でぎゃんぎゃんと交わされるギルガメッシュと牛若丸と茨木童子のやり取りをなんとなく耳に入れながら、立香は読み込みの終わった画面を見下ろす。
「……………………………………?」
ジャンヌ・オルタが整えた線画にはベタが塗られ、動きや感情なんかを表す効果線が引かれ、背景が描き込まれ、トーンが綺麗に貼られ、今し方ギルガメッシュが文字を入れた。――はずだ。
「……? ? ???」
立香は頭を倒して画面を九十度の角度から見てみる。反対にも倒して同じように。けれど、画面上の文字は立香に内容を伝えてこない。なんだろう、この、小さい細長い三角のようなものが縦に並んだり横に並んだり十字になったり、いや待てよ、これ見たことあるぞ。
「王様、すみませんコレなんて書いてあるんですか?」
見たことはあるけどコレの読み方はまだ知らない。立香が読めるのはせいぜいギルガメッシュの名前くらいだから、こんな長文になるとさっぱりだ。
「なんだ貴様、そんなものも読めぬのか、それは■■■■■■■■ ■■■■■■■■■■■ ■■ ■■■ ■■■■■■■だ。指定どおりであろうが」
耳慣れた声が、素朴で少し単調な、それでいてまろやかな音を発する。意味は解らない。呪文かな?
「すみません、もういっ」
「牛若丸、立香の原稿見てくれる」
立香の言葉を遮って、ジャンヌ・オルタがいやに低い声で牛若丸に指示を出し、牛若丸が短く了承して立香の側へ回り込む。
「あ、牛若丸は読めるんだ?」
「どう?」
画面を見た牛若丸は、軽く問いかける立香は相手にせず、一度立香の顔を見て何やら言いたげな複雑な顔をし、彼女にしては珍しく何も言わずにジャンヌ・オルタに向かって小さく頭を左右に振った。
「……台詞部分、効果音、全て楔形文字、とやらになっています」
「……はい、これは……シュメール語、のようですね……」
「何だ? これは。落書きか?」
同じように覗き込みにきたマシュも複雑そうな顔と声でジャンヌ・オルタに報告する。ひやかしにきた茨木童子も首を傾げていた。
「そうだね、シュメール語だね」
「なんだ? なにがおかしい、どこか間違っていたか」
「ジャーマネ」
「はいよ」
立香とギルガメッシュ以外の様子がおかしいことを不審に思ったらしいギルガメッシュが怪訝な顔でジャンヌ・オルタ達を見、ジャンヌ・オルタは鋭くロビンフッドを呼びつける。気のない返事と共に立香の背後にロビンフッドが現れた。
「ん? ロビン? なんかあった?」
「先輩もギルガメッシュ王もまさかここまでお疲れだとは……気がつかず、わたしは後輩失格です……」
「主殿、英雄王、ここは私達に任せて、どうぞお休みください」
「ん? なんだ立香。寝るのか?」
ロビンの登場に首をひねる立香に、意気消沈したマシュと真剣な表情の牛若丸が、それぞれペンを立香の手から取り上げ、タブレットを持ち上げる。茨木童子はよく解っていなさそうだったが、周りの空気を読んだのか立香から距離を取る。
「え? なに? マシュ? 牛若丸? 茨木? え? ――うわっ」
床に座っていた立香の身体が突然ふわりと宙に浮き、脇にかかる負荷でロビンに持ち上げられたのだと気づく。
「ロビン」
「立香」
「ハイハイ、体調管理はマネージャーの仕事ってな」
「ぎゃっ」
「うおっ」
まるで荷物でも放るようにひょいとベッドへ向かって投げられた立香を、タブレットを放り出して立ち上がりかけていたギルガメッシュが慌てて受け止める。
「ああもう! アンタ達も立派な戦力なんですからね! 無茶と無謀はいいけど無理だけはするんじゃないわよ、ったく!」
「日本語も書けなくなってる英雄王と、それを受け入れてるマスターの疲労が心配だとよ」
「違うわよ」
意訳するロビンと顔を赤くして怒鳴るジャンヌ・オルタをひとまず置いておいて、ギルガメッシュにのしかかったままの立香と、立香を抱きとめたままのギルガメッシュは互いに顔を見合わせ、数秒の間を置いて揃って「あ」と呟いた。
「やっと解った? 解ったらとっとと寝る。これは命令よ。十五……さんじゅ…………一時間後に起こすから。寝坊したらただじゃおかないわよ」
「うん、……ありがと、オルタ」
「ふん」
鼻を鳴らして作業に戻ったジャンヌ・オルタから視線を外し、立香はギルガメッシュの上からおりる。さすがにこの体勢のまま眠るわけにもいかない。自室じゃないんだし。
「先輩、ギルガメッシュ王、お布団をどうぞ。室温を少し下げますから、身体を冷やさないでくださいね」
「ありがと、マシュ、牛若丸も」
「なんのこれしき! 主殿はごゆっくりお休みください!」
「立香のぺえじは吾が仕上げておいてやろう! どうだ、嬉しいだろう!」
「うん、嬉しい。ありがとね茨木」
「ふふーん。感謝の証にまかろんを捧げてもいいのだぞ?」
「ハイハイ、それは後で用意しときますよっと」
「おおっ、さすが緑の人だな!」
マシュから布団を受け取り、窓を閉める牛若丸に笑い返し、ドヤ顔で胸を張る茨木童子を微笑ましく見やる。ロビンに視線を向けるとしっしっと追い払うように手を振られた。早く寝ろということだろう。
「じゃあ、ちょっと寝ましょうか、王様」
「……よもやこの我が、この程度の修羅場ごとき……」
自分が正常な判断能力を失っていたことが結構ショックだったのか、ぶつぶつ何か言っているギルガメッシュに問答無用で布団をかぶせ、よいしょ、と肩を押してベッドへ寝かせる。納得いってなさそうな割に抵抗はないので、やはり疲れは限界にきているのだろう。
「みんな、おやすみ」
おやすみなさい、と口々に返る言葉に笑って、立香もベッドへ横になり布団を肩まで引き上げる。布団の重みがなぜか安心するのをマシュはよく知っているなあ、と感心する。こうしてみると眠い。すぐに眠れそうだ。向かい合わせに横たわるギルガメッシュはまだなにかぶつぶつ言っている。睡眠時間とか過労死とかあの時とかなんとかかんとか、ウルクの時のことだろうか。
「王様」
作業中の皆の邪魔をしないよう、囁く程度の小声で呼び、布団に隠れてギルガメッシュの手を掴む。と、ストップボタンでも押されたかのようにギルガメッシュの口から漏れていた呟きがぴたりと止まった。
「寝ましょうね」
ぎゅう、と手を握って、笑ってみる。スタンしたギルガメッシュは、目を何度か瞬いて、それから控えめに握り返してきた。思わず立香の顔が緩んで、ギルガメッシュはバツが悪そうに目を逸らす。ここが自室じゃない、と思い出せた自分を褒めてやりたい。
「おやすみなさい、王様」
指を絡めながら目を閉じる間際、「おやすみ」とギルガメッシュの薄い唇が動いた気がして、立香は緩んだ顔のまま眠りに落ちた。