記憶の砂▽ぐだおと王様がDK
▽転生記憶あり現パロ
▽海に行くなどする話
▽王様のテンションが低い
▽ぐだキャスギル
それはある日突然訪れた。波が寄せてくるように、それよりももっと急激に、脳を記憶が埋め尽くす。映像、音、光、感触、痛み、涙、……、……。
それは生前から第二の生のこと。はっきりと、自覚を伴って思い出した。己が元は古代の王であり、数々の冒険の後、ウルクを、人理を守ったこと。更には英霊として、サーヴァントとしてより一層の冒険をこなしていたこと。
そして、サーヴァントであれば当然、マスターがいる。
勿論覚えている。思い出した。なぜ忘れていたのだろう。傍らに、常にマスターがいたこと。
そのマスターと築いた関係も。
「りつか……」
未だ幼い舌は発音が甘かったが、その名を口にした瞬間に記憶とも違う感覚が波のように流れ込んできて、余りの情報量に溺れたように息ができなくなって、そのまま昏倒したのだと思う。暗転していく視界の端に、今はもう他人だとしか思えない、己を産み育てた女の顔が見えた。
✧✦✧
さわさわさわと木々が揺れている、ように見える。閉め切られた窓の外なので擬音は脳内で勝手に付属されたものである。木々が風に揺られ、さわさわ、さわさわ、と葉擦れの音を立てているのだろう、と想像する。季節は新緑。空は快晴で、ちぎった綿のような雲がまばらに空に浮いている。気温は何度だろうか。今朝のニュースでは初夏の気温だと言っていたような気もするが、記憶ははっきりしない。そこまで注視していたニュースでもないからだというのは解っているが、記憶が曖昧になる感覚には未だ慣れない。意識的に忘れようとしなくとも、不要なことも必要なことも等しく、指の間から砂のように零れて落ちる。人間の記憶とはこんなに儚いものだったのか、と、青い空をぼんやり眺めながら思考する。こんな風にぼんやりする、ということも以前はなかったように思う。思考はどこまでも広く深く遠く、全てを識り、全てを視たあの頃は、今の数倍……いや数百倍、数千倍は思考していた。はずだ。少なくとも並列思考すら時折混乱する今よりはずっと。
「――――……おうさま、おうさま」
益体のない思考を、囁くような小声と背中をつつかれる感触で中断した。ちょいちょいと後ろからつついてくるのには振り向かず、左手を右脇腹の横から出して揺らす。見計らったようにその手の中にかさりと紙が押し込まれる。机の陰に隠れるようにして開いたメモには『放課後ヒマですか?』という文字が書かれていた。これは授業中に聞かずとも、休み時間に聞けば良いことなのではなかろうか。まあ、受け取ったことだし、メモの端に「ヒマ」とだけ書いて折り畳み、また脇腹の横へ差し出すと、後ろからスッと引き抜かれた。カサカサとメモを開くかすかな音がする。教師はこちらに背を向けているから気づかれてはいないだろう。が、後ろから小さく聞こえた「やった」という声は言わなくても良かったのではないか?という気がする。喜んでいるようだからなんだか胸のあたりがむず痒いが。放課後に何があるのだろう。立香からの誘いであれば、愉快なことがあるのではないか、と期待してしまう。あの頃から変わらず、立香は愉快なことを持ってくる。
✧✦✧
チャイムが鳴る。一同は一斉に起立して、礼をする。そして教室を出るために思い思いに鞄を掴むのだ。ギルガメッシュは、ほうと息を吐いて後ろを振り向く。
「行けます?」
顔を見るなり立香が問うてきたので頷く。荷物の詰まった鞄を机から持ち上げ、椅子を机の下へ収める。
「じゃあ、行きましょうか」
にか、と立香が笑う。持ち上げられた右手は、こちらへ伸べられるのではなく鞄を掴んだ。二人連れ立って教室を出、外の駐輪場へ向かう。と言っても自転車で帰るのではない。立香は、十六になるなりバイクの免許を取り、バイクで通学している。そして己はその恩恵に与っている。簡単に言うと、立香のバイクで登下校している。立香は「王様を乗せたいんで!」と言って原付ではなく普通ナントカとかいう免許を取ったらしい。肝心のバイクは、親戚から中古で譲ってもらったそうで、代金は出世払いだとか。バイトも考えたようだが、校則的には原則バイト禁止である。親戚とやらが気を利かせてくれたのだろう。真っ青な車体が立香の瞳の色と似ていて良い、と思っている。
「王様、メット」
「ああ」
校門を出たところで立香にヘルメットを差し出され、被る。途端に周囲の音が遠くなった。
「どこかへ行くのか?」
「はい」
「どこへ?」
「着いてのお楽しみってやつです」
こもって聞こえる声でそう言って、立香はヘルメットを被り、バイクに跨ってエンジンをかけた。手慣れたものである。
立香の後ろへ跨り、その腰へ両手を回す。立香はそれを感触で確認したようで、ハンドルを切ってゆっくりと走り出した。
✧✦✧
低く唸るようなエンジン音を響かせながら、立香はバイクを走らせる。アスファルトは太陽に熱せられてジリジリと焼け、照り返しで体感温度を上げているが、風を切って進んでいるからかそれほど暑さは感じない。運転する立香の背に頬を押し当ててみる。身体の方が熱いくらいだった。
行き先はどこなのか言われていないが、この道は見覚えがある。少なくともどちらかの家には近づいていない。赤信号で停止した立香は、左折を知らせるウインカーを出す。
そうだ。この先には――
「――――」
ぱちん、と光が弾けるように視界が明るくなる。濃い青空には大きな入道雲が浮かんでいて、青と白のコントラストが鮮やかに眼に焼きついた。その空から視線を下ろすと、太陽の光を受けてキラキラと揺れる大海原。海だ。そう、この道は海へ行くための。
立香は防波堤に沿ってバイクを走らせる。この先に、砂浜へ降りられる道があったはずだ。目的地はそこだろうか?
水平線まで続く海は広大で穏やかだ。田舎の街だからか真夏になっても海水浴客は余り訪れず、地元の子供の遊び場にはちょうど良かった。前の人生で生まれ育った場所の海は、こんなに穏やかだっただろうか。朧気な記憶でははっきり思い出せず、海から目を逸らした。立香の白い背中が見える。
立香は思った通り、途切れた防波堤近くの駐車場にバイクを停めた。のそのそと降りてヘルメットを取っていると、片手を差し出される。
「行きましょう!」
ああ、と返事をする前に立香に手首を掴まれ、道路を渡り石の階段を駆け下りて砂浜へ。立香は片手で器用に両方の靴を脱ぎ、靴下も脱ぎ捨て、また走り始める。やや出遅れたギルガメッシュは、走りながらひとつずつ取り払って裸足にならざるを得ず、振り向けば立香が靴を脱いだ場所から点々とギルガメッシュの靴達が砂浜に落ちていた。
「――――」
ふ、と立香の手が離れる。前を行く立香は、振り向きもせず波打ち際へ向かって真っ直ぐ進んでいく。そのまま海へ入りそうだ。制服が濡れることを思ったが、よく見れば立香はスラックスを膝までまくり上げている。いつからだろう。教室にいた時からだろうか。準備万端である。
砂浜に残されたギルガメッシュがのそのそとスラックスの裾をたくし上げる間、立香はそのまま波打ち際まで行き、それから振り向く。
「王様!」
顔を上げると全開の笑顔を浮かべた立香が、こちらへ手を伸ばしていた。
(――――ああ、)
その手を取らずにはいられないことを、立香は知っているのだろうか。その手を取るために、ギルガメッシュが全て置き去りにしてきたことを。
(――否。)
そんな些末なことはどうでも良いのだ。その手を取らずにいることに比べたら。
波打ち際へ歩く。初夏の太陽で熱せられた砂は、容赦なく足裏を焼いてくるので自然と早足になる。残りの数メートルは小走りで。立香はそれを笑顔で見ていた。
ざぶ、と足が波に触れる。膝にも届かない浅瀬ではあるが、それでも波が打ち寄せて返せば足元の砂ごと足を引かれるような感覚に見舞われる。確りと立っていなければ足を掬われてしまうだろう。
「王様、手を」
立香が手を差し伸べてくる。ギルガメッシュはその手を取り、ざぶざぶと波を掻き分けて近づく。立香はその手を引き、こちらに背を向けてゆっくりと前進する。遠浅の海とは言え、海水は脛の半ばほどまできており、このまま進むと二人揃って濡れ鼠になるのだが、立香は手を離そうとしない。どころか、握り返す手は力強い。あの日取れなかった手も、こんな風に強く握り返してきたのだろうか。詮ない思考。あれはもう、遥か遠くへ過ぎたことだ。
「――……立香、これ以上は……」
立香は止まらない。波は今や裾スレスレだ。恐らく立香の方は裾が濡れてしまっているだろう。ざざあ、と押し寄せる波は白い飛沫を立てて立香の足にまとわりついているが、それにも構わずギルガメッシュの手を引く。
勿論抵抗すればすぐに振り解けるのだが、ギルガメッシュに今のところ抵抗する気はない。だが制服が海水に浸るのも遠慮願いたい。抵抗すべきだろうか。制服のことを考えれば抵抗すべきだろう。だがそれもできず、立香に引かれるまま海の中へ入っていく。
「――王様」
聞き慣れた呼び声が波の合間に聞こえた。背中を向けていた立香はゆっくり振り向き、
「えーい!」
掛け声ひとつ、両手を器のようにして溜めた海水を、思いっきりギルガメッシュにぶちまけた。
「っ」
咄嗟に顔を背けたが、なんの意味もない。頭の上から海水をかぶり、滴った海水が舌に塩味を伝える。塩っぱいにも程がある塩辛さ。
「貴様……!」
どういうつもりか解らないが、不意を打たれた。やられっぱなしではいられず背を屈めたギルガメッシュは、立香と同じように両手で海水を掬い、立香のいる方へ撒き散らす。
「ぅわっ」
ギルガメッシュがそんなことをするはずがない、とでも思っていたのだろうか。油断していた立香は、海水の塊をモロに顔面で受け止める。その一発で立香は頭の先から膝まで見事にずぶ濡れになった。
「うへぇ、しょっぱ……」
ぺっぺっと口の中の海水を吐く立香を見てやや溜飲が下がる。未だぽたぽたと髪の先から海水が滴るほど濡らされて、そう簡単には許せないが。
「立香、貴様どういう……」
「隙あり!」
どういうつもりか、と言い終わる前に、立香はまた海水を掬ってこちら目掛けて撒き散らす。頭から海水をかぶったギルガメッシュは、勿論ずぶ濡れだ。最早濡れていないところを探す方が難しい。
「……どういうつもりか知らぬが……」
にこり、と笑いかけると立香も笑顔を向けてくる。青空の似合う、いい笑顔だ。
「この我の不意を打ったこと、後悔させてやろう……!」
言い終わるが早いかギルガメッシュは先程と同じように海水を掬い、立香の頭を狙って撒く。流石に二度目は学んだか、立香が顔をガードしていたので追撃をお見舞いした。
立香がまたやり返し、ギルガメッシュがそれに応じて反撃する。真っ青な夏空の下、二人の歓声が響く。
✧✦✧
「あー! 疲れた!」
バシャッと浅瀬に座り込み、両足を放り出す立香を波が揺らす。黒髪からぽたぽた垂れて落ちる雫が口端を伝い、遅れて舌が舐めとる。
ギルガメッシュは立香よりも浅瀬で、同じように脚を伸ばして波に揺蕩っていた。勿論二人共全身びしょ濡れで、ワイシャツの生地は透けて下に着ているTシャツの色が透けていた。ちなみに二人共黒いTシャツだった。
こんな身体の動かし方は記憶する限り初めてではないだろうか。海は貴重な資源であり、貿易路であり、こんな風に波と戯れるなど考えもしなかっただろう。
「でも気持ちよくないですか? ちょっと生温かいですけど」
太陽は頭上を少し過ぎたところから光と熱を地上に撒き散らしている。できることなら頭の先まで水中に潜ってしまいたい。陽の光が強すぎる。
「…………、何故、今日だったのだ? 海ならば次の休みでも良かろう」
土日は一週間のうち最も拘束時間が短い。こんな風に授業が終わって急いで来る必要もない。着替えも用意できるし。
「うーん、それもいいんですけど……、今日は今日かなーって」
「理由になっておらぬぞ」
「あはは、思い立ったが吉日ってやつです」
へら、と緩い笑みを浮かべる立香は、どことなく安心したような顔をしていた。
「そろそろ帰りましょうか。うちに寄っていってください。着替え出しますんで」
「……ああ」
ギルガメッシュの返事を聞いた立香は、波に揺蕩っていた脚を引き寄せて立ち上がる。透けて張りつくシャツからぼたぼたと海水が流れ落ちていた。ざぶざぶざぶと浅瀬を歩いて、ギルガメッシュが座り込んでいる前に立ち、右手を差し伸べてくる。立ち上がるのにその手は必要なかったが、流れるようにその手を掴み、引き上げられながら立ち上がる。ギルガメッシュのシャツやスラックスからもぼたぼたと大粒の雫が垂れ落ちた。
立香はここへ来た時のように、先導してギルガメッシュの手を引く。砂浜の細かい砂の粒が足の裏中にくっついて気持ちが悪い。波に流される感覚は悪くなかったというのに。
「よっ、と」
ギルガメッシュの手を引きながら、立香は背を屈めて砂浜に脱ぎ捨てられていた靴達を拾い上げる。勿論ギルガメッシュのも一緒に。
「早くシャワー浴びたいですね……全身ベッタベタですよオレ」
「それは自業自得であろう」
「そうですねぇ」
あはは、と笑う立香は来た時の道を戻り、道路を渡って駐車場に着くまでギルガメッシュの手を離そうとはしなかった。駐車場ではあっさり離れていったが。
「じゃ、帰りますか」
「ああ」
「……気分、少しは良くなりました?」
「――――」
開いた口で何を言おうとしたのか、忘れてしまった。まさか立香にバレてしまうとは、――否、立香だから解ったのだろう。察したりしないだろうと高を括っていたが、立香は見逃さなかったのだ。
「………………たわけ。この程度、どうということもないわ」
「あは、……それなら、それでいいんです。悩むのも考えるのも、結局結論はやってみないと出ませんし」
言いながら、立香はヘルメットをかぶる。後半の声はヘルメットの中で籠もったが、聞き取れない程ではなかった。ギルガメッシュもヘルメットをかぶる。外の音が遮断され、己の呼吸音がやけにクリアに聞こえた。
立香はバイクに跨り、エンジンをかける。その立香の後ろへ座り、立香の腰へ両腕を回す。服はまだじっとり濡れていて、ベタつく手を更にベタベタにしたが、伝わる立香の体温はあたたかい。立香の背にヘルメットを被った頭を寄せる。白いシャツは太陽光を反射して眼に眩しく映り、ギルガメッシュは目を伏せた。
バイクは海を背に、滑るように進む。この無力感を海に沈めてしまえたらどんなにか楽だったろう。もう考えても仕方のないことなのだ。全てを置き去りにしてでも立香の手を取る方を選んだ。それは間違っていないはずだ。間違えていないと信じている。
それでも思考は廻り廻る。この無力感は強烈で、己はこんなにも何もできなかっただろうかと頭を抱えたくなる。これでは、これでは立香に何かがあった時に護れない。今のところ、そんな物騒な騒ぎに巻き込まれたことはない。ないが、いつかあるかもしれない。その時に何もできませんなどと言えるわけがない。護身術でも習おうか。役に立つかは解らないが。そしてこれら全て今のところ杞憂である。用心するに越したことはないが、この片田舎で一体なにが起こるというのだろう。近所の老婆は鍬を盗まれたとか言っていたか。到底人の命を脅かすものはこの世界にはなさそうだ。それが益々ギルガメッシュの無力感に拍車をかけている。せめて立香の役に立てたら、存在価値があるというものだろう。
ぎゅ、と立香の胴へ回した腕に力を込める。苦しくない程度に。湿ったシャツ越しに、立香の呼吸を感じた。立香は生きている。当たり前だが当たり前ではないので、当たり前と思えることには感謝したい。
この世界は、何もない。人理が焼却される心配もなく、剪定事象を終わらせることもない。ただあるがままに生き、そして死ぬ。だから、その日まで立香と共に在りたいと願うのは傲慢だろうか。同じ時代を生きていられるだけで充分な奇跡だ。これ以上など、望むべくもない。
二人を乗せたバイクは、海から離れ住宅街へと走る。見慣れた道。狭くなった青い青い空。振り向いても、もう海は見えない。
立香の背に耳を押し当てると、拍動が聞こえる……などということはない。背と耳の間にはヘルメットが立ちはだかっている。布越しの体温が単に落ち着くだけだ。立香が生きている。それだけのことで、酷く安心する。それだけのことで。否、それだけのことではない。だって立香は、██████。――やめておこう。
雑念を消したくて、緩んでいた腕にもう一度力を込める。腕の中の体温は、いつも少し高い。それに酷く安心して、それから、失うことを何より恐ろしく思った。