座にいる王様を見た話▽後編配信前に書き始めたので、後編は見ていない体で読んでください
▽ミクトラン前編のネタバレを含みます
▽ぐだキャスギル
『ではな、人類最後のマスターとやら。
冥界行、大いに励めよ』
『まあ、たしかに三流は斜に見過ぎた。
――二流程度には成長したな、カルデアの』
『――、はい!』
✢✢✢
主のいない部屋。まあ室内を誂えたのは己であるから、半分以上は己が部屋の主である気もするが、アレがいない部屋というものはどうにも静かすぎ、変わらぬはずの広さが変わったように思う。が、それも間もなく終わるであろうというのは未来視ではない。ストームボーダー内全てに響き渡る第七異聞帯の切除完了の報。切除完了。それは今回もまた、人類最後のマスターが生きて帰還することができたということで――
「――――王様⌇⌇」
きっとすぐには戻れない、戻らないだろうと予測していたのだが。
「……、っ、はぁ、 王様、聞いて……」
ドアの隙間から滑り込んできた人類最後のマスターは、息を切らせて前屈みに膝に手をついている。疲弊した上で管制室から走ってきたりなどしたのだろうか。そう簡単に息が切れるほど生温い鍛え方はしていないはずだが、立香は顔を上げられない程度には息が上がっている。
「っ、王様……」
「よい。疾く息を整えよ。話はそれからでもよかろう」
「はぁ……はい………………あー……」
しんど、と息を整えるべく頭を垂れた立香が呟く。その様子だとメディカルチェックなどの類も終わらせていないのだろう。何をそんなに急いでいるのだか。
「…………、お待たせしました」
身体を起こした立香がへらりと笑う。疲労の色は濃いが、それは致し方ない。医務室へ行けばいくらかマシになるだろう。それもせずに駆けてきたようだが。
そして部屋の中央辺りにいた立香は、ギルガメッシュのいる寝台へ近づき、端へ腰掛け身体を捻ってこちらを向く。
「待ってなどいないがな。用があるならとっとと申せ。そして疾く医務室へ行くがよい」
「あ、……はは、ありがとうございます。――で、それでですね、」
立香が義務を放棄してまでギルガメッシュに伝えたいこととあれば多少の興味がある。手を止めて耳を傾ける程度には。
「それで……、オレ、本物の王様に会っちゃったんです!」
「………………………………………………………………………………………はあ?」
「本物ですよ本物! オレ達が困ってたらマシュの盾が座と繋がって! そしたら本物の王様がいて そんで助けてくれたんです、霊薬を送ってくれて――」
立香は興奮気味にまくしたてる。余程の衝撃だったのか説明の起承転結がないし、それ故に何を言っているのか解らないし、ギルガメッシュが解っていないことにも気づいていない。理解できる言葉の断片を繋ぎあわせてみて、座にいるギルガメッシュと会話を交わしたらしいということは理解したが、
(本物、だと?)
本物本物と立香は繰り返す。一度本物と言う度に聞いているギルガメッシュの眉間の皺が増えて深くなっていることにも気づかずに。
英霊召喚や座のシステムを今更解説しようとは思わないが、座に登録されている者を本物と呼ぶのは些か無知蒙昧に過ぎないだろうか。いや過ぎる。過ぎすぎている。無知で無自覚だからと己に言い聞かせ――そこまでする道理もない。
「――――で、だからあの王様はやっぱり本物で……」
「立香ァ」
「ぅわっ あ、は、はいぃ」
突然の怒声に驚いた立香の声が裏返る。背筋を伸ばして座り直したのは身体に染みついた行動だろう。
「先程から黙って聞いていれば本物本物本物本物本物本物ほんものホンモノと……アレが本物ならここにいる我が贋者だとでも言いたいのか貴様は」
立香はまるく開いた大きな目をぱちぱちと瞬き、あ、と音にならない声を漏らす。それからまだ開くのかと感心しそうになるほど大きく目を見開いた。
「ちっ、ちが、違います 違くて、そんなつもりじゃ……そんな意味じゃなくて、……あぁ……、ごめんなさい……」
泡を食った立香は否定の言葉を繰り返すが、そのうち己の言葉に気づいたのだろう、駆け込んで来た時の勢いもテンションもすっかり消え失せ、意気消沈して頭を垂れた。ごめんなさい、と小さな声でもう一度呟く。立香の今の気分は天上から冥界へ急降下だろう。ギルガメッシュは溜め息をつく。思わず声を荒げてしまったのは大人気なかったかもしれない。だが、贋者扱いされて憤りを覚えないほどプライドを捨ててはいない。故に後悔はしていないが項垂れる立香のボサボサの頭にほんの少しだけ良心が痛む。帰還後の検査や回復、報告も一切擲ってギルガメッシュの元へ急いだほどに立香の中では大きなことで、それを共有しようとしただけで悪気などはないだろう。その点は評価に値するが、言葉を選ばなさすぎた。その減点は大きい。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………もうよい。頭を上げよ」
長めの無言時間のあと、溜め息混じりにギルガメッシュは言う。頭を上げた立香は、極度の疲労に落胆と後悔が混じりあい酷い顔をしていた。無知を嘲笑うのも忍びないほどの落ち込み様である。少し言い過ぎたか。
「……反省したな?」
「はい……」
「では以降気を払うがよい。口は災いのもと、親しき仲にも礼儀あり、だったか?」
「はい…………」
すっかりしょぼくれてしまった立香を見ればやはり良心が痛む。言葉に噓はないし後悔もないが、怒鳴ったのはやりすぎだった。かもしれない。
「いつまでも辛気臭い顔をするでないわばかもの。もう一度頭から順を追って説明するがよい。……理性で抑えられぬ程の衝撃であったのだろう?」
ギルガメッシュを見る立香はまたぱちぱちと瞬きをして、それから幾らか明るい表情をして「はい!」と頷いた。辛気臭い顔をしているよりそちらの方が好ましいのは当然だが、反省はしてもらわなければならない。飴と鞭、というやつだ。
立香の話では、今回の旅路では冥界をいくつか攻略せねばならず、冥界を守る番人役に本来立香らと合流するはずのカルデアのサーヴァントがあてがわれていたという。その中の一人を元に戻すため、若返りの方法を求めている時にそれは起こったらしい。冥界にいたせいか、マシュの盾が座と繋がり、座にいたギルガメッシュが宝物庫から若返りの霊薬を立香へ贈った。その時の会話の中でマシュは「本来のギルガメッシュ王には第七特異点での記憶はない」とまあ大体そんな感じのことを言ったらしく、立香も咄嗟にそれに倣ったが、よくよく考えてみれば召喚されたギルガメッシュ(つまり今ここにいるギルガメッシュ)には第七特異点での記憶はばっちりある。あれは生前のことだったとギルガメッシュが言ったのを覚えていたようだ。座との交信中は話がややこしくならないよう追求は避けたようだが、会話からして恐らくその座にいるギルガメッシュは第七特異点での記憶を持っている。まあ己の元なのだから当然と言えば当然だが。
あの記憶がある、つまり共に原初の母との戦いを駆け抜けたギルガメッシュとの久方振りの邂逅で、立香はいたく喜んだようだ。語る顔は明るいし、はしゃぐ様も目に浮かぶ。邂逅はほんのひと時だったようだが、立香の中に焼きつくのには充分な時間であった。
「――と、いうワケでして……」
もう蒼褪めていない立香は、やや窺うような視線を向けてくる。ギルガメッシュが気分を害していないかまだ心配なのだろう。本物発言を除けば常の報告会とさして変わりのない、それよりも遥かに短い報告である。のだが。
「…………」
ギルガメッシュの表情は晴れない。本物発言は謝罪を受け入れたし、立香はその後一度も口にしていない。だというのにこの胸の裡の靄のようなものは何なのだろうか。
「あの……王様?」
まだ怒ってます?と、立香が不安げに問うてくる。怒ってなどいない。が、そう取られてもおかしくない表情をしている自覚はあった。あったが、靄が不快で真顔にすら戻せない。何だこの靄は。
靄が生じたのが立香の報告が原因であることは間違いない。それまでは常と同じに冴え渡っていたのだから。では報告の何が原因なのか。立香の話したことを頭から再生してみる。今回の異聞帯の説明に始まり、冥界で何があったのか。極々短い報告だ。一息で言い切れそうな程に短い、短い邂逅。それのどこに原因が――――
「あ」
「王様?」
口を開いたまま固まったギルガメッシュを、立香は不安げに覗き込む。澄んだ蒼い蒼い瞳と目があって、数度瞬きをして、
「――ッ」
ぶぉんと音がしそうなほどの勢いで、ギルガメッシュは立香から顔を背ける。露骨すぎるが今はとても立香の顔など見られない。顔から火が出そうとはこのことか。
「お、王様? どうしたんですか?」
立香は不安と心配を綯い交ぜにした表情でギルガメッシュの顔を覗き込もうとする。この反応でどうかしていないわけがない。立香の心配は尤もである。だが今この顔を見られるわけにはいかない。立香の視線を両掌で遮り「何でもない」と言ってはみるが立香が納得するわけがない。己であっても納得しない。それは解っているのだが。
(己に悋気したなどと、口が裂けても言えるわけがなかろう……!)
悋気。艶羨。嫉妬。以前の己ならば名前の解らぬもやもやとした感情に首を傾げていただろうがギルガメッシュはそれを知ってしまっている。滅多に抱くことのない感情の類ではあるが、相手が己とくれば話は別だったらしい。己の知らぬ己のことを立香が嬉しそうに話すのを見て聞いて胸の裡に湧いたのは、己以外にそのような表情を向けることへの悋気と、もしかすると立香が離れていってしまうのではないかという漠然とした不安。悋気に加えて不安などと、そんなものに気づけば羞恥で顔も赤くなるというものだ。己に悋気など、恥ずかしいにもほどがある。
「――、……王様」
静かに呼ばれて視線を遮っていた指を少し開けて立香を垣間見る。こちらを見ている立香と視線があって、
「……ふふふ」
含みのある笑い顔をした立香が、ベッドの上へあがり込み、四つん這いでこちらへ向かってくる。これはまずい、と今までの経験が警鐘を鳴らすが生憎背は壁面に触れている。これ以上下がりようがない。逃げ場がない。
「んふふ」
「気色の悪い笑い方をするでない。報告が済んだのであれば疾く医務室へ行くがよい」
ギルガメッシュは再び指を閉じた両手で立香の視線を遮り、顔を背けて早口に言う。のだが。
「王様」
間近でした声にギルガメッシュはハッとして立香の方を見遣るが時既に遅し。距離があるうちは視線を遮れていた両手は、近づかれると意味がない。つまり。
「お、う、さ、ま⌇⌇⌇⌇」
んふふふふふふと笑いながら、立香はギルガメッシュの両手を越えてがばっと抱きついてきた。
「なっ、」
勿論振り解けぬわけはない。だがそうしないことを立香は解っている。
「そんなに心配しなくても、オレが好き――愛してるのは、ここにいる王様だけですよ」
「――――」
大丈夫大丈夫、とまるで幼子でもあやすように言われて、言われたのだが悪い気はせず、むしろ立香の声で言葉で胸の裡の靄が溶けるように晴れていく。有り体に言えば、嬉しく思っている。
「…………心配など、しておらぬわ、ばかもの」
「はい」
耳元で立香がくふふと笑う。さぞニヤけた顔をしているのだろう。それは癪だが、立香の言葉で安堵してしまって引き剥がすことも忘れてしまった。
「王様、顔見てもいいですか」
「………………許す」
ギルガメッシュの返答を聞いて、立香がゆっくりと離れる。両肩に乗せられた手が温かい。右手の令呪は使いきったのだろう、小さな痣のようなものが残るのみだ。忘れるところだったが、立香はまたひとつ世界を切除――否、汎人類史救済に近づいた。だというのにこの男は。全く。
手を伸ばせば簡単に触れられる距離で向かいあう。こちらを見る深い蒼と視線が絡み、立香は少しだけ蒼を細めて微笑う。目は口ほどに、などというが事実立香がギルガメッシュへ向けている瞳は深い深い愛を孕んだもので、未だ立香から向けられる愛というものに慣れていないギルガメッシュは、落ち着きかけていた顔を再び仄かに紅潮させる。朱を差した目元は、真紅の瞳が溶けて滲んだようにも見えた。そのまま見つめあって数秒か数分か、肩に置かれていた手に僅か力が籠もり引き寄せられる。これは抱き締める時のものではなく。
「――――」
反射的に瞼を降ろそうとして、やめる。近づく立香の顔を見ていたくなった。そして唇が触れ――――なかった。
「……?」
違うのか、と、視界が滲むほど近くなった立香の蒼を見て、触れそうな唇から零す。立香は微かに笑って、吐息が唇を掠める。まどろっこしい。立香の方からしないのなら、
「ん、――」
こちらからすればいい。頭を傾けて残りの数ミリを埋める。唇を押し当てれば薄く柔らかい皮膚同士が触れ、その下にある肉の弾力を感じた。残り数ミリで止めていた立香は特に避ける様子もない。どころか笑っているようだった。唇の下で立香の唇が動いたのでそうなのだろうと考えただけではあるが、恐らく外れてはいないだろう。何がおかしいのか解らないが、つられてギルガメッシュも唇だけで笑う。数分前の剣呑とした空気が噓のように甘い。我ながら軽すぎではないかと頭の隅で考えたが、立香と舌を絡めながらシーツに沈んだ時点でそんな考えは消え失せてしまった。
「――……ん、ぅ、 ん、……」
柔らかく押し返す肉が気持ちいい。絡む舌が気持ちいい。唾液と共に流れ込んでくる魔力が気持ちいい。肌に触れる手が気持ちいい。久方ぶりの接触はとろけるように甘く思考を溶かしていく。そして更に、この先があることをギルガメッシュは知っている。だが。
「ん、りつ……んん、 りつか、」
唇の隙間で名を呼ぶ。理性はまだ融けていない。優しく立香の胸を押し返すと、唇が名残惜しげに離れていき立香は上体を起こす。こちらを見下ろす深い蒼の奥にちろちろと情欲の灯が見えて、腰の辺りがざわつく。名残惜しいのはギルガメッシュも同じだ。
「立香」
「はい」
「メディカルチェックが先であろう。疾く医務室へ行くが良い」
「あー…………」
目を瞬かせた立香は目線を逸らしてあはは、と苦笑しながら頬を掻く。その様子ではギルガメッシュが指摘しなければこのままこの先へ進んでいただろう。ギルガメッシュが、はあ、と溜め息をつけばまた苦笑いが降ってくる。
「何も拒否している訳ではない。チェックが終われば戻ってくるがいい。報告はその後だ」
この先へ進むことを拒否しているのではない、と、隠しもせず口に出すのはやや頬が熱いが、真実なので告げておく。立香はまた何度か瞬きをして、
「はい、……はい。それじゃあ、行ってき――」
笑って返事、をするはずだった立香の目から光が消え、ふつりと糸が切れた人形のように支えを失って倒れ込んでくる。一瞬の出来事であるがギルガメッシュの反応が遅れることはない。脱力した身体を受け止め、項垂れる頭を肩へ乗せた。呼吸はある。脈も正常だ。最初にそれを確認して、ギルガメッシュは安堵の息を吐く。おおかた緊張の糸が切れたのだろう。
「――ダ・ヴィンチはいるか」
立香を肩へもたれさせたまま、ギルガメッシュは通信を開いてぞんざいに言う。
『――はいはーい、管制室のダ・ヴィンチちゃんだよ。キミから通信ということは……』
「ああ、立香めは気を失っている。まったく。次からは首根っこ引っ捕まえてでも医務室に向かわせよ」
『ふふ、そうすることにしよう。で、医務室までお願いできるかな』
「我の手を煩わせるとは、流石は我がマスター、だな」
『そういうの、起きてる時に言ってあげなよ。それじゃあ、後はよろしく〜☆』
ピッと電子音がして通信が切れる。ギルガメッシュは溜め息を長めに吐いて、肩へ寄りかからせている立香の腰へ腕を回し、スッと立ち上がる。人間を一人担いでいる重さなど感じさせない、流れるような所作で立香を担いだまま寝台から降り、一度担ぎ直す。そうして、やれやれ、と呟いて扉を開ける。意識を取り戻したら少々説教が必要かもだな、などと思考しつつ、ギルガメッシュは立香を担いで医務室へ向けて歩き出した。