旅先で出会う① 都会の蝉もよく鳴くもんだと思っていたが、ここの比じゃないなと駅から歩いて宇髄は思った。
スマホの地図アプリで、目当ての建物を見つける。古風な2階建てで、宿には見えず普通の民家のようだ。インターフォンを探したが見当たらないので、もう一度住所を確認し、声をかけながら引戸を開ける。
ガラガラとサザエさん家の玄関の音がして感動する。
「こんちはー」
「はーい」
タタッと軽やかな足音がして、廊下の奥から人が出てくる。和服美人を期待したが、ド派手な金髪の男。スポーツでもやっているのか、宇髄ほどではないが、がたいのいい男。
玄関に膝を着いてにこりと笑う。
「ご予約のマツモトさんでしょうか?」
「はい。予約はマツモトで、俺は連れの宇髄です」
「お二人と聞いてますが」
「二人で来る予定だったんですけど、一人来れなくなって。すみません、連絡もなしで。宿泊費は二人分ちゃんと払います」
なるほど、と金髪男は頷き、とりあえず上がってくださいと二つ並べていたスリッパを勧めてくれる。通された客間はクーラーが効いていて涼しい。
玻璃のグラスで出された冷たい緑茶を飲んで、人心地がついた。
「お一人で、ちょうどよかったかもしれません」
「え?」
長方形の机を挟んで、正座をしている男は勢いよく頭を下げた。
「誠に申し訳ありません。この宿の主が今朝、暑気あたりで倒れてしまいまして」
「え?」
マツモトさんの伺っていた連絡先に連絡したんですが出られなくて、と申し訳なさそうに続ける。
「あーでしょうね…」
「ここはご夫婦で営まれてるんですが、奥方も今付き添いで病院に。代わりに私が留守を頼まれています」
「ここの息子さん?」
「いえ。近所の者です」
無作法な私がもてなすのでは申し訳ないので、よければ代わりに知り合いの宿を紹介しますと顔を上げて男が言う。若いのに古風な喋り方だな、と宇髄は思った。
「いやいいです」
「はい?」
「泊めてもらえるんならここでいいです」
「いや、しかし…」
「迷惑ですか?」
「…いえ、宇髄様がそれでいいなら」
私では本当にろくなおもてなしができませんが、と男は困ったように言う。
気楽でいい、と宇髄は答えた。こちらも一人だ、予定通り彼女連れだったならまた別だが。
「できれば敬語もやめてくれ。同じ年ぐらいだろ?宇髄でいい」
名前は?と尋ねる。
「煉獄です」
「煉獄さん、俺の部屋どこ?」
よっこいせと立ち上がり、宇髄がバックパックを拾うと、持ちますとそれを引き取る。
「2階です」
「やり直し」
「…2階、だ」
よくできました、と宇髄が笑うと煉獄もほどけるように笑った。俺もさんはいらない、煉獄でいいと言う。
「連絡してもらって悪かったな」
階段を上がりながら、後ろにいる煉獄に謝る。
「彼女に先週フラれて、予約はあっちがしてたから」
その子がマツモト、と続ける。
ここの住所しかわかんなくて、ホームページとかねぇし、彼女は連絡とれねぇし、と肩をすくめる。
「たぶんキャンセル連絡とかしねぇだろうし」
すっぽかすのも迷惑かと思って一人で来たんだけど、と宇髄は続ける。
「なぜフラれたんだ」
「急に踏み込むな」
「すまん。君はモテそうに見えるから」
「まぁな。なんでかねぇ」
わかんねぇから、フラれんだろうなぁと苦笑する。2階の廊下で、ここだと煉獄が前に出て襖を開ける。
畳敷き、ちゃぶ台、座布団、の上に猫。ここに置くぞと言って、煉獄がバックパックを部屋の隅に置く。
「おー」
「この子がきんぴらだ」
座布団の上に陣取っていた金茶色の猫を、煉獄がそう言って抱き上げる。驚いた様子の宇髄に、煉獄が首を傾げる。
「彼女に会いに来たんじゃないのか?」
「あー…?…そういや」
宿には幸運の看板猫がいる、と今となっては元彼女が言っていたような気がする、そういえば。
「知らなかったのか、すまない。もてなしのつもりで君の部屋に」
「いや全然」
煉獄の腕の中で心地良さそうにしているきんぴらの顎を撫でると、なぁんと鳴いた。
「彼女は面食いなんだ」
君のことは気に入るはずだと煉獄が言う。
「今日はこれから用はあるのか?」
「いや、明日はせっかく来たし金刀比羅宮に行くつもりだけど」
「晩ご飯は必要だろうか」
「どっちでも、お前はどうすんの?」
「俺は、…ひとりならカップ焼きそばでも食べようかと」
「俺もそれでいい」
煉獄の腕から、そっときんぴらを引き取る。面食いというのが事実かはわからないが、彼女は嫌がらず宇髄の腕に収まった。
「そういうわけにはいかない」
宿の主人にも申し訳がたたないから、何か店屋物でもとろうという煉獄に、首を緩く横に振る。
「最近、彼女の手料理でオーガニックな健康食ばっか食ってたから、そういうのが食べたい」
「君は、気を遣わせないのが上手いな」
助かる、と煉獄はほっとしたように息を吐く。
「じゃあ、ゆっくりしてくれ」
風呂は一階だ、沸かしておくから好きに入ってくれ君には狭いかもしれないが…浴衣も用意しておくが、一番大きいサイズでも君に合うかどうか…などと色々心配する煉獄を遮って答える。
「着替えは持ってるから平気」
サイズが合わないのは慣れてる、風呂が体に合わないのも、ときんぴらを抱いたまま窓のそばに座る。
「何かあれば言ってくれ」
俺は1階にいるから、そう言って煉獄は部屋から出ていく。
「派手な金髪…」
なぁ?ときんぴらに言うと、なぁんと可憐に鳴いた。
「3分経ったか?」
「すまん!きんぴらに夢中で見てなかった!」
「あーそう」
膝にきんぴらを載せている煉獄に代わり、宇髄が立ち上がり、流し台で二人分の湯切りをする。
「ありがとう」
「いーえ」
麺にソースを混ぜると食欲をそそる匂いが、台所を満たした。
「あーうまい…」
「わざわざ旅行に来て、こんな夕飯ではがっかりだろう」
「うまけりゃなんでもいいじゃん」
同意だと煉獄が力強く頷く。
「お前いくつ?」
「二十歳になった」
「俺はもうすぐ二十歳」
「大学生か?」
「そう2年。お前も?」
「あぁ。夏休みで帰ってきてるんだ」
実家がすぐそこだと、律儀に飲み込んでからそう言う。
「ここのご夫婦には、小さい時からお世話になっていてな」
きんぴらが煉獄の膝を降りて、用意された自分の餌のもとへと歩いて行く。
「客が来るからと留守を頼まれたときはどうなることかと思ったが」
君でよかった、と煉獄がコップに麦茶を注ぐ。
「俺は和服美人を期待してた」
「それはすまなかったな!」
麦茶を飲んで、豪快に煉獄が笑う。
「きんぴらの可愛さに免じて許してくれ」
「お前が明日付き合ってくれたら許す」
「こんぴらさんにか?」
構わないぞと、あっさり煉獄が答える。
中学生以来行ってないしな、と焼きそばを食べ終えた煉獄が立ち上がる。
「じゃ、案内頼むわ」
「任されよう!」
ところで、俺はもう一つ食べるが君はどうする?と棚を開けて振り向いてくる。
「焼きそば以外なら食う」
カップラーメンがあるから半分こしよう!明日はうどんの旨い店に連れていくから、と煉獄が楽しそうにお湯を沸かすコンロに火をつけた。