花札の向こう 煉獄は職員室で、机の上にある花札を眺めた。
一枚足りない。予備の白札を見てため息をつく。
心当たりはある。昨日のあの時だろう。
残業後の帰り道、花札を道にばら撒いてしまった。
探しに行くべきか胸の前で指を組む。
そうしたらまた会えるかもしれない、とぼんやりと思った。男は絵の具の匂いがした。
結局一度あそこへ行って見たがその花札が見つかることはなく、男に会うこともなく、半年が過ぎた。
放課後、美術部の作品の運び出しを手伝っていると、その絵の具の匂いにあの長身の男を思い出した。煉獄が散らかした花札を拾ってくれた、整った顔の「天元さん」。花札って何?としゃがんで聞かれたときは、気合を入れて説明してしまった。
運び終えて軍手を外しながら、そんなことを考えているとイーゼルに足を取られ転ぶ。
「大丈夫ですか?!」
「大丈夫だ」
駆け寄ってきた生徒に手を振って、倒してしまったイーゼルを立てる。作品が置いてなくてよかったと胸を撫で下ろす。
「珍しいですね!煉獄先生が転ぶなんて」
「考え事をしていてな」
LINEの着信音がして、生徒はすみませんとポケットからスマホを取り出す。画面を見ると、顔が綻ぶ。それから、煉獄を見上げた。
「先生!お手伝いありがとうございました」
それで、あの、と言い出しにくそうに俯く。その姿に首を傾げる。
「もしかして急ぐのか?」
その、とスマホを握りしめて口籠る。
「…他の学校の人なんですけど、今から会いたいって」
「甘露寺が付き合っている人か?」
首を横に振る。
「でも!私が好きな人です」
顔を上げて、花のように笑う。煉獄もつられて、そうかと笑ってしまった。
「戸締まりはしておくから行きなさい」
ありがとうございます!!と頭を下げて、駆け出していく。可愛らしいな、とその背中を見つめた。
数ヶ月後、休日に自転車で出掛けている途中で大きな声には定評のある煉獄も驚く声で呼ばれた。
「杏寿郎!!」
外で下の名前で呼ばれることはまずない。
ブレーキをかけて振り向くと、花札の男だった。あの時と服装は違うが、長身は見間違いようがない。
近づいてくる男に「いつぞやの」と、自転車を下りて礼を言う。
するとこちらこそ、と言われ首を傾げた。喫茶店に誘われ、急ぎの用もないので快諾する。
話を聞くと、天元さんは画家だったらしい。道理で絵の具の匂いがと納得する。
あの時の花札のおかげで、いい絵が描けて高く売れたらしい。それはよかった、と本心から告げる。
礼をしたいと言う男に、君の実力だから礼は不要だと答えたが、男は花札も返したいしと続ける。煉獄も彼の描いた絵を見たいと思った。
LINEを交換して、弟に兄上に似てますねと言われた犬のスタンプを送る。
じゃあまた連絡する、と「宇髄天元」は言った。天元は苗字だと思っていたが名前だったらしい。
それから実はあの時、苗字が聞こえなかったと言われて、だから今日名前で呼ばれたのかと苦笑した。驚いた、と。
今回の絵が飾られることになったから。
今度、個展をすることになったから。
見たいって言ってた映画の前売券もらったから。
美味い店見つけたから。
天元は、3週間に一回ほどのペースで連絡してきた。
その度に花札は忘れたと言う。
特に使う予定はなかったから構わなかったが、意外に几帳面な天元らしくないとは思った。
「煉獄先生、最近楽しそうですね」
教室で授業の後、生徒に言われて煉獄は目を丸くした。
「そうだろうか」
「なんだろう、ピカピカしてます」
そう言われて、某頬の赤い黄色いモンスターを思い浮かべる。
「そうか」
「はい、とっても楽しそうな匂い」
匂いか、どうだろう。
職員室に戻り、お湯を入れたカップ麺を机に置いた冨岡にその話をする。
「何だと思う」
「何だろうな」
二人で首を捻る。
「恋だと思います!」
突然入り口から、高い声が聞こえた。冨岡はタイマーを止めてカップ麺の蓋を取る。
「甘露寺」
「煉獄先生!この間、個展に行ったじゃないですか」
天元の個展に誘われ、美術部の甘露寺なら興味があるかもしれないと思い、チラシを渡した。
その次の休みの午後、煉獄が個展に足を運ぶとたまたま甘露寺に会った。
この後、付き合うことになった好きな人とデートだと彼女は言った。
「先生からチラシをもらって、ホームページを見たらとっても素敵ですぐ行ってしまいました!」
それでご本人の宇髄天元さんも来てましたよね、と胸の前で手を組む。冨岡は麺を啜っている。
「そうだな」
ほとんど話せなかったが、煉獄が帰ろうとした時に天元が追いかけてきた。
「杏寿郎!」
名前で呼ばれてなぜかドキッとした。
「悪い、全然話せなくて」
「当たり前だ!君は主役だ」
とてもいい展覧会だった、と天元を見上げる。祝いもなく手ぶらで申し訳ないと。
「教え子も来てるんだ」
ピンクの三つ編みの女の子だと言う。そうか、と天元は頷く。
「また連絡するから」
それからお祝いはいらないから頼みがある、と言った。
「なんだ」
「名前呼んで」
それがお祝いになるのかと思ったが、宇髄が屈んで口元に耳を寄せてくるので、何だか緊張して強張る唇で「…天元」と小さく呼んだ。
天元は満足げに笑って煉獄の頭に手を置いてから、じゃぁなと戻っていった。
「宇髄さん、先生がいる間ずっと目で追ってました」
甘露寺が、恋です!と頬を染めて強く言い切った。冨岡はスープを飲み干していた。