忘るるなかれ(夢だったのだろうか)
昨日、煉獄は仕事の帰り道、突然化け物、じゃなかった鬼?というものに襲われそうになった。そこにSUVが颯爽と現れ、鬼殺隊と名乗る男に助けられた。そして鬼殺隊の本拠へと連れて行かれ、胡蝶という女性に鬼殺隊に入ってほしいと告げられた。それは無理だと即答したが、二人とも煉獄とは100年前からの既知だという。混乱したまま、家まで男に送ってもらい、翌日の今日出勤したわけだが。
とりあえず今日中の仕事を片付けて職場のビルを出ると、昨日の長身の男が道路の柵にもたれて待っていた。
「…宇髄天元」
「お、よく覚えてんなエラいエラい」
昨日と同じパーカーを着ているが、化粧をしておらず車に乗せていた二振りの剣のようなものも所持していない。
「なぜ、ここに」
「昨日社員証見たから」
「勝手に…」
「まぁまぁ飯食おうぜ」
「遠慮する」
「奢るぜ?」
給料日前だ。むぅ、と逡巡してから返事をする。
「……どこへ?」
「お前、天丼好き?」
「好きだ」
即答した煉獄を、宇髄の目がちょろいなと言っているように思えて、口をへの字にした。
宇髄が連れてきたのは、会社から歩いて行ける距離の老舗のそば屋だった。今の会社で働いて5年ほどになるが、煉獄はその店を知らなかった。
店員に座敷がテーブルかと聞かれて、宇髄が答える前にテーブルでと答えると、4人席に案内される。
「ここの天丼うめェんだよ」
おしぼりで手を拭いて、お茶を飲む。
「俺をどうするつもりなんだ」
「どうもしねぇよ」
「昨日胡蝶という女性は、鬼殺隊に入隊してほしいと」
「まぁあいつにはあいつの思うところがあるだろうけど、俺は別に?」
宇髄は、整った顔で微笑む。
「俺と仲良くしてくれたらいいなって」
「胡散臭いな」
「ひでーな」
くっくっく、と宇髄は顔を伏せて笑う。
「君は普段何をしているんだ?」
「ん?美術教師」
「そうなのか」
意外だと茶を啜る。
話しているうちに、天丼が運ばれてきて割り箸を割る。熱々の海老天を頬張る。
「うまい!」
「煉獄だな」
「昨日からなんなんだそれは」
「気にすんな」
奢りだと言うことで遠慮なく4杯食べたが、宇髄はなぜか嬉しそうに代金を払っていた。
店を出て駅に向かっていると途中で、桜の花が咲いていた。
「桜が咲いているな」
『煉獄』
誰かに呼ばれたと思って「何だ」と宇髄の方を向くときょとんとしていた。
「煉獄?」
どうした?と首を傾げている。
「いや、なんでもない」
「そ?」
ふと気になり、そのまま問いかける。
「宇髄天元、君には妻が?」
「いねぇよ」
今は、と答える。
「離婚したのか」
違うそういう意味じゃない、と首振って口の端を上げる。
「何、俺に興味わいた?」
「いや!」
「まぁまた飯でもいこうぜ」
LINE交換しといたし、と言われて驚く。
「いつのまに」
アプリを開くと、すでにトークの一番上に宇髄の名がある。
宇髄という登録名に、烏の写真がアイコンだ。嫌ならブロックしなと宇髄は言った。
「何かあれば、連絡しろ」
駆けつける、と言われ煉獄はスマホから顔を上げた。
「なぜ君はそんなに…」
「何?」
親切なんだ、と続ける。
「親切ね、初めて言われた」
「まぁ多少強引だが」
「お前にだけだよ」
「…答えに困るな」
「お前の困った顔は好き」
そう少年のように笑う。居心地が悪く、煉獄は桜に視線を戻した。
「吾を忘るるなかれ」
「…なんて?」
「桜の花言葉で、私を忘れないでほしいという意味だ」
他にもあるが、と話しながら先立って歩き出す。
「花言葉ね。女口説くときに使えそうだな」
「昔読んだ本に出てきて、印象に残っていてな。人に話すのは初めてだ」
口説き文句に使ったことはない、と振り返って釘を刺す。
「忘れねぇよ」
「ん?」
宇髄が呟いた言葉が聞き取れず問い返す。いつの間にか駅前に来ていた。
「何もない、家着いたらLINEしろ」
「彼女じゃあるまいし」
「いいから。なかったら鬼電するからな」
「…わかった」
しぶしぶ頷く。
確かに昨日のような怪物、じゃない鬼に行きあえばお手あげだ。
「またな煉獄」
パーカーのポケットに手を入れて宇髄が言い、その前に立ち長身を見上げる。
「宇髄天元、昨日言いそびれてしまったが」
頭を下げる。
「ありがとう」
目を見開いて宇髄は、肩をすくめた。
「俺は、お前が笑ってくれてりゃいい」
鬼殺隊に入っても入らなくても、と軽く続ける。
「君は、本当に007のような色男だな」
「それ昨日も言ってたけど、映画好きなのお前」
「あぁ!特にアクション映画は大好きだ」
「じゃ次は映画だな」
そう言う宇髄に、煉獄は口許を綻ばせた。
「それなら喜んで!」
「…抱きしめていい?」
「なぜだ?!」
それは無理だと答えたら、頭を撫でられた。
ほんの少し懐かしい気がして、子どもの頃の記憶だろうかと、煉獄は避けることはせず、そのまま大人しくしていた。