レミルチの作法 レミー・プグーナは、鼻につくほどに器用な男だ。
同僚である男を評価するとすれば、ルチアは副隊長に対しこのように述べるだろう。
澄ました顔の女泣かせ、器用に恋をする男。
レミーと付き合った女は、悲しみを知らぬ別れをする……。
そんな、クサいジョークが、実に似合う色男。……、それが、レミー・プグーナだ。
レミーが付き合っていた女性の数を、正確に知っている訳ではない。
けれど、ふとした会話の端に現れた恋人の名が、年を跨ぐ頃には友達として現れること。
仕事終わりに食事に誘われたレミーが、「待ち合わせがある」と言って別れた後。偶然遠くに見えた緑の髪の男が、前と違う女性の背を抱いていたとき。
そうやって、遊び慣れている癖に、レミーから香る香水の匂いはいつも同じだ。
いかにも女の子から貰ったようなアイテムを身に着けることもない、FDPPのレミーはただのワニのぬいぐるみを愛好しているだけの変わった男。
機嫌が悪いこともなければ、顔に青痣を作っていることもない。
プライベートを持ち込まず、仕事ができる男。
そんな器用な男に対し、仕事相手と思う事はあっても、それ以上の興味を持っていたわけではなかった。
なんなら、公私混同をしたくなかったから、美容院に置かれた暇つぶしの本程度の認識で距離を置いていた気がする。
ただ、そこに在れば、パラパラと頁を捲るだけ。──、その程度の興味と、関心。
「あんたさ、彼女にもこんなことしてんの?」
だから──、疲労によるシステムエラーだったのだ。
ルチアと、レミーが、俗にいう恋人という関係性に納まったのは。
一か月ほど、新しいギアのプログラムで悩んでいた時期があった。必要な耐火パーツを、予算内で納める為、目の下に隈を刻んで唸っていたルチアに。レミーが押し付けたのは、熱々の蒸しタオル……。そのまま休憩スペースに連行し、ガチガチに固まった肩と首のマッサージまでし始めた。
別に恩着せがましいことを言うわけでもない、ルチアが無理をしたことに対して怒っている訳でもない。
無言で肩と首を解していく指圧は、ちょうどよく加減されていて。だから、この男の手は、女の子にこういうことをしなれているのだと思った。
気持ちよさで気が抜けたから、普段であれば言わない言葉が飛び出した。
「……、いいや?」
若干の沈黙の後、蒸したタオルを押し当てた真っ暗な世界に、レミーの少しだけ意外そうな声が落ちてくる。ルチアが、そんなことを聞いたのが珍しいのだろう。
同時に、ルチアに、揶揄うつもりがないことも分かっている。好意にケチをつけるつもりがないことを知ってくれているから、背後の男の纏う空気が不機嫌なものになることもない。
「それなりに経験があれば、触り方ぐらい知っているよ」
言いながら、レミーは、ルチアの首筋を親指の腹で押した。今の言い方はキザったらしいなと、心の中でルチアは思った。
「それに、今、家に招くような女性はいない」
「──、へぇ、そうなの」
ぐいぐいと、首と肩の筋肉を指圧される……。その気持ちよさに、凝り固まっていた肩の力が抜け始めた。蒸しタオルで血行も良くなって気持ちがいい。──、これは、仕事をがんばれそうだ。
「勿体ないねぇ、私がレミーの恋人なら、毎日マッサージしてもらうのに」
だから、ほんのおべっかのつもり。
あれはルチアなりに、レミーを褒めたつもりの言葉。──、それを。
「いいぞ?」
「ほぇ?」
レミー・プグーナという男は、まるで大したことではないというような気軽さで。
それも、板のようなルチアの肩甲骨を剥がしながら。……、気持ちよさで、うーうー呻いていた女に対して。
「付き合う?」
ポロっと、蒸しタオルが落ちた。
眼精疲労がとれて、すっきりとした視界で。見上げれば、やけに顔の良い色男が、面白そうな表情をしてルチアを覗き込んでいる。
レミー・プグーナは、鼻につくほど器用な男の筈だ。
澄ました顔の女泣かせ、器用に恋をする男。
仕事にプライベートを持ち込まない男だから、職場恋愛なんて興味も無ければむしろ避けているくらいだろうと決めつけていた。
なのに、この男は──、なんと言ったか。
「え、──、あ、──、ハイ?」
──、その。明らかに、虚をつかれた。
ルチアの返しが、YESの意味ではないことは、その表情からも読み取ることができたのだろう。レミーは、ぷっ……、っと吹き出すと、くつくつと喉を鳴らし始める。
そうして、楽しそうに笑いながら、今度は頭皮のマッサージを始めるものだから。
ルチアはただただ、システムエラーの状態で。……、漸く、頭の中で情報を処理し終えた彼女は、「正気?」と真顔で尋ねると。レミーは腹を抱えながら「正気正気」と軽々しいノリでそう答えた。
ルチアと、レミーという男の交際のきっかけは、美しいドラマのような展開からかけ離れた色気のないものだった。
レミー・プグーナは、やはり器用な男だった。
よく分からないシステムエラーから始まった、日常の延長戦のような関係性。それを恋愛と呼ぶにはむず痒い、けれども確かに恋人同士という。
もともと、結束力の強い職場の同僚だったせいか、プライベートでも、甘酸っぱさより普段の空気感が優先される。
恥じらいよりも生産性、じれったさより計画性。
きっと今までの彼女と比べれば、そういった面白みのない女を、レミーは驚くほど大切に扱ってくれていた。
セックスさえ、気晴らしのように考えているルチアに対し、その意志を尊重しながらも蝶よ花よのように丁寧に扱い。
ずぼらなルチアの生乾きの髪を乾かし、忙しい時は簡単に食べれるサンドウィッチとコーヒーまで用意されて。
目覚めの口付け、さりげないエスコート。程よい愛の言葉と、可愛らしい花を一輪。
気負わせない立ち振る舞いも、あまりにも器用だった。
「俺がしたいから」
飽きないねぇとルチアが言えば、レミーはしれっとそんなことを言う。「楽しい?」と問えば、「楽しい」と……。
曰く、可愛い花を持て余す所が可愛いのだと。──、そういう所が、ルチアの良さだと。
むしろ、楽しいと言われてしまえば、もう返す言葉もない。
「これも、楽しいの?」
片方の眉を吊り上げて尋ねる、ルチアは白衣ではなくオフホワイトのカーディガンを着ていた。こげ茶のレザースカートに編み上げのブーツ。言うなれば、デート用の格好をしたルチアが座っているの場所は、プロメポリスの20番街にひっそりと存在するバーのカウンダ―である。
いつものお団子髪を下ろして、片側を色とりどりのピンで止めて遊ばせたルチアは、間接照明を反射する木目調のカウンターに頬杖を付き、黒いエプロン姿でカウンターの中に立っているレミーを見つめた。
レミー・プグーナが、学生時代にバーでバイトしていた。それは、家での何気ない会話の中で聞き及んではいた。行ってみたいと言ったかもしれない、けれどそれは、シャンパンでも飲みながら、バイト時代の珍客やカクテルの蘊蓄を聞いてみたい程度の興味だった。
けっして、レミーにカクテルを作って欲しいと思っていた訳ではない。
なのに、古馴染みがやっているというバーにルチアを連れて来たレミーは、店主と会話をした後に徐にカウンターの中に入って用意されていたエプロンを着始めたのだ。
「──、勿論、」
問いかける視線に対し、レミーは唇の端を曲げて笑う。
くるりと背を向けて、慣れた手つきで棚に並んでいる瓶を手に取り始める。濃ゆい紫色の瓶と、いくつかのジュース……。それを、慣れた手つきでシェイカーに注ぐ。踊るような手つきは、趣味にしては手慣れていた。
パルフェタムールと、レモンジュースにシュガーシロップ。
シェイカーに氷を入れてシェイクし、出来上がった液体をコリンズグラスに注ぐ。最後に炭酸水を注ぎ入れ、バースプーンで混ぜる……。
発泡した紫色のグラデーション……、それはヴァイオレットフィズと呼ばれるカクテル。
間接照明の下で影になっていた男の貌の、長い睫毛に縁どられた目がゆっくりと上がってルチアを見た。
「どうぞ」
綺麗に整えられた爪先と、白い指はグラスに良く映えていたから、少しだけ時を忘れた。
「…………、ふぅん、上手ね」
漸く転げ落ちた言葉と、動揺を隠せずに震える手と。それでも気丈なふりをして手にしたグラスを理由に、その男からさりげなく視線を逸らした緑の眼。
ルチアの様子を笑うことなく、レミーはただただ優しい目をした。──、それが解るから、余計に落ち着かない。
「なん、で──、この、カクテル?」
相変わらず、グラスの中に視線を向けたまま、どもりながら尋ねたルチアを。レミーは、カウンターから身を乗り出すようにして、愉しそうに見つめた。
「愛の妙薬」
ややあって、レミーはルチアにそう言った。
「ほえ?」
あまりに、メルヘンじみた言葉。ルチアに贈るには甘ったるいメッセージに、翡翠の目が大きく見開かれて思わずといった様子でレミーへと向けられる。
ルチアの目の中で、間接照明で昏く浮かび上がった男が笑った。
「……、って言われる、パルフェタムールっていう、菫のリキュールが使われている……。カクテル言葉は、私を忘れないで。──、どうだ?」
纏ったあまりにも様になるエプロン姿の、照明の明かりでキラキラとした目の男が。
「様になってたろ?」
そう言って、ゆるく首を傾げる……。──、それが。
「──、───、」
ルチアは無言で、カクテルを口に含む。まるでビールのように、グラスを傾けて『愛の妙薬』を勢いよく飲むと。
「─────、甘いわ、」
カラン……、グラスの中で動いた氷の音に被せるように、ぶっきらぼうにそう言った。
少し悔しそうな眼と、言葉を転がす唇。顔の前に翳したグラスで、真っ赤に染まった頬を隠すように。
用意された逃げ道の中で、ときめいていないフリをする彼女。
その姿をじっと見つめていたレミーは、その空気を壊さないように小さく吐息を吐く。それでも、ちらりと様子を伺う視線に気づいて。
「ルチアの、そういう所、俺は可愛いと思う」
「うるさい」
あえて、そう言った。──、そうすると、彼女はいつもの調子で不貞腐れた。
そうして、するりとエプロンを脱ぐと。カウンターから戻ってきて、おしゃれをした彼女の隣に腰かける。
それは、日常の延長戦のような関係性。それを恋愛と呼ぶにはむず痒い、けれども確かに恋人同士という。
眼鏡の奥の目が語る。──、君が望むなら、それでよしと。
レミー・プグーナは器用な男だ、生産性と計画性にかこつけた不器用な女をちゃんと甘やかす。
薄暗いカウンターの下で、レミーはさりげなく、着飾った可愛らしい恋人の手をそっと握った。