ギルドの夜はかくして明くる。 煙と酒の香りが、ギルドの夜によく似合う。
新横浜『ハンターズギルド』は、煌びやかなネオンよりや喧騒よりも、狂人たちの活気に愛された酒場である。
午後6時の開店と共に、吸血鬼退治人たちが店のドアベルを鳴らし、濃紺が深まると共に一人また一人と集い始める。出自も、風貌も様々な彼らがこの店に集う理由は、この店こそが新横浜のハンター達を束ねる二人のギルドマスターが経営する彼らの拠点であるからこそ。
ギルドマスターは、二人の男だ。バーテンダーロナルドは、かつては赤い退治人と呼ばれた男。銀のリボルバーを操り、早撃ちで下級吸血鬼たちを灰に帰す姿には、昔から一部の熱狂的なファンがついていたが……。トレードマークだった赤いテンガロンハットを脱ぎ、緩く伸ばした銀の髪をハーフアップにした今の姿。整えられた顎髭と、本人曰く作家生活の無理が祟って使いはじめたという遠近両用メガネをかけた姿もまた、ダンディズムと共に枯れた魅力があると若い淑女たちから憧れの眼差しを受けるようになっていた。
ギルドマスター、もう一人はこの店の調理担当の吸血鬼。赤い退治人と呼ばれたロナルドの、30年以上にわたる相棒なのだというその吸血鬼。ドラルクという人外は、長い黒髪を尾っぽのように括った見目をしている。
アイロンの効いたシャツに、黒いネクタイ。ロナルドを真似るようにかけた眼鏡、享楽主義で皮肉めいたことも口にする癖に、女性たちには対応が紳士的なのだという。
ロナルドと同じく、レディたちからの憧れの眼差しを受ける吸血鬼は、店のマスコットである可愛らしいアルマジロ、ジョンのマスターでもある。
アダルティな魅力あふれる男二人と、可愛らしいアルマジロ。彼らのハンターズギルドは、退治人だけでなく、店に溢れる喜劇に惹かれた吸血鬼達もよくよく姿を現した。
──、今宵も、ほら。
へんな動物と名乗る奇妙な芋虫に、股間に花を咲かした吸血鬼がひとり。……、本当に、ハンターズギルドから喧騒が欠けることはない。野球拳大好きと名乗る酔狂な吸血鬼、マイクロビキニ姿の神経質な吸血鬼、下半身透明、Y談おじさん、エトセトラ。彼らは、退治人以上の頻度で、ハンターズギルドにただ酒をせびりに来る。
良く訪れるといえば、吸血鬼対策課の人間も二人。ヒナイチという女性は、聞くところによれば、本部に務めていても可笑しくない手練れの上官らしいが。彼女は夜更け過ぎにハンターズギルドに訪れては、甘いカクテルとお菓子をドラルクに強請る姿がよく見られていた。酒に強くはないが酔いたい気分なのだという彼女に、桃のリキュールを垂らしたジュースのようなカクテルを。ドラルクが振る舞えば、ヒナイチはカクテルに浮かぶ凍ったチェリーを眺めながら、仕事の愚痴をこぼしている様子だった。
もう一人は、半田というダンピールで……。吸血鬼対策課の隊長なのだという彼が訪れると、ギルドの夜の賑やかさが増す。半田という男は、どういうわけか、ギルドマスターロナルドに対抗心を燃やしているらしい。
彼はよく、隙あらば、ロナルドを泣かし……。ダンディズム香る五十路過ぎの男の涙目に、居合わせた淑女たちは黄色い悲鳴を上げた。良い歳の男が、泣くのはどうかと思うが、泣く理由がセロリなので、それが可愛らしくたまらないらしい。
賑わう店の片隅では、熟練のハンターである、ショットやサテツといった面々が、呆れ半分と言った顔で泣き顔のギルドマスターを見ながら酒を嗜む……。
ハンターズギルドには、長く陽気な夜がある……。
──そして、陽気な夜もいずれは寝静まるのだ。それは午前4時、夜と朝の境の未明と呼ばれる時間帯。ハンターズギルドの扉に、CLAUSEの札が掛けられたあと。
モップを手に黙々と床を拭いていたロナルドは、室内に残った熱気を逃すため全開にした空調の風に、ハーフアップにした髪を靡かせていた。
厨房では、ドラルクがネクタイを少し緩めて首元を寛げた格好で、洗い終わった食器たちを綺麗に並べている。
アルマジロのジョンは、先に住居スペースに戻っていて。ハンターズギルドの中は、モップが床を磨く音とともに、重なり合った食器が奏でるカツンという音が囁き声のように響いていた。
「あ──、終わった」
ややあって、床を磨き終えたロナルドが、モップをカウンターに立てかけて腰かけた。その長い脚で、回転式のカウンターチェアをキイキイと揺らしながら、指先がエプロンの内側の胸ポケットを探り始める……。普段であれば、そこに煙草を忍ばせているのだろう。
「そっか、無いわ……、」
けれど、今日は急いでいて忘れてきたのだったと。ロナルドはかったるそうにカウンターに背を預け、ぐぅっと背骨を曲げて遠くの天上を見上げた。
ずれた眼鏡をそのままにぼうっと見つめると、遠近両用の独特のぐにゃりとした世界が広がる。
白い世界を、急に影が覆った。
それは、カウンターの向こう側に立ったドラルクで、彼は身を乗り出すようにして、カウンターに背を預けていたロナルドの顎を引き寄せようとする。
その意図を、問うまでもない。ぼうっとしたまま、ロナルドは少しだけ首の角度を変えた。
カウンターを挟んだ状態で、身を乗り出すように口づけ合う。二人の姿を、僅かに灯った店の明かりが外に漏らすことはなく。
未明の闇に沈んだ新横浜に、静かな口づけの音が微かに響いた。
はっ、小さな吐息の音がする。
「──、何?」
「口寂しかったんだろう?」
ちろりと唇を舐めながら、問いかけたロナルドに対し。ドラルクはくすくすと笑いながら、ひどく気障な口調でそう告げた。
余裕ぶった態度に、かつてのロナルドならば、恥ずかしさも相まって殺したかもしれない。
けれど、普段淑女たちから騒がれる五十路の男は。
ギィッと音がする程に、カウンターに体重を預けながら、その長い両手を広げると。
「もっと、ダーリン」
可愛らしいおねだりに、ドラルクが片目を瞑って口端をあげてみせる。
「はいはい、ハニー」
そうやって、再び、身を乗り出すように。カウンターを挟んで、合わせた唇はだんだんと深くなる。
ちらりと覗く牙と、求めるように差し出される舌と。絡まり合う音は、いやらしくも静かに。誰も気づかない闇の中で、ゆっくりと燻り始めたのは衝動だろうか。
新横浜、ハンターズギルドの2人のマスターは、未来を誓い合った恋仲である。
その熱情の火はいまもなお……、互いの体温で容易く火が付く。
「あ、」
ロナルドがドラルクの首をかき抱けば、ドラルクの身体が容易く灰になる。けれど、その灰は意思をもって、ロナルドの上に、カウンターの上に降り注ぎ……。
「あ、ん」
ずるずると、肌を張った。
ロナルドが擽ったそうに震えれば、人の形を取り戻しながら吸血鬼が笑う。
「えっちだね、」
──、気づけば。
カウンターを隔てて求めあっていた二人は、いつの間にかドラルクがロナルドをカウンターに押し付けるような形に。腰かけるロナルドに覆いかぶさるようにして、カウンターに手を付いたドラルクが、うっとりとしたロナルドにキスをする。
唇へのキスは、顎へ、そして首筋へ……。ロナルドが意図を察して首を捻れば、ドラルクは鼻先で柔らかな髪を掻き分けながら項にかぷりと牙を立てる。
「ん、」
それは猫の甘噛みのように……、かぷり、かぷりと、ロナルドの僅かな身震いを唇で拾いながら。
項に吸い付いて、牙を立てて、痕を刻んで。──ドラルクは、ハァッと、湿った吐息をロナルドの耳元に吐き出した。
すると、ロナルドがくふくふと愉快そうに笑う。
「──、いーいかお」
劣情を催した吸血鬼の背中に腕を絡めながら、ロナルドは楽しそうに言葉を紡いだ。
「口寂しそうだなぁ……、お前も」
「……、まぁねぇ?」
揶揄うような指摘に、ドラルクもうっすらと目を細める。細い指先がネクタイをするりと落として、かけていた眼鏡を乱暴にカウンターに置いた。
「その顔の方が、レディから畏怖られそうだぜ」
その、ロナルドの言葉は、30年以上前ならば、卑屈な意図を孕んでいたかもしれない。
50を超える歳になってなお注がれる愛情は、自己肯定感の低かった男に余裕を与えている。
「──、これは君専用」
「当然」
機嫌よく、ロナルドが笑った。
そうして、満足そうにドラルクに口付けて、猫のように擦り寄ってみせる。
「なぁ、ドラ公」
その唇が、ロナルドにだけ許された呼び方で伴侶である吸血鬼の名を呼べば。ドラルクは、ゆるりと首を傾げながら。その先に続いたはずの言葉ごと、その舌を絡めて溺れるように口付けた。
あとは秘め事、未明に溺れた恋人たちの逢瀬がひとつ。
かくして、ハンターズギルドの夜が明ける。