次の誕生日には「どうぞ」
そう言って、折原さんが私が陣取るテーブルにカフェラテの入ったカップを置く。
「え?いえ、頼んでないですけど……?」
「あちらのお客様からです」
なぜだかげんなりした表情の折原さんが指差す方を見れば常連さんとカウンター越しにお話してる真宵さんがいた。
私の視線に気づいた真宵さんは笑顔で親指を立てる。
「お客様……じゃないですよね?」
「そう言えって言われたんだよ」
「はぁ」
折原さん曰く「一度やってみたかったから」ということらしい。なんとまあ、真宵さんらしい。
「ところで、今から休憩なんだけど、一緒にいいか?」
「ええ、ちょうど読書も一休みしようと思っていたところです」
私が了承すると、彼は持っていたもう一つのカップを置いて向かい側に座る。
「今日は一人か?」
「そうですね。部活もないですし、美晴ちゃんも家族でお出掛けらしいです」
「そうか」
「だから、こうして積みっぱなしの本を片付けているというわけです」
「これ、全部今日読むのか……?」
彼は傍らに積んである本に目を向ける。文庫に新書、単行本など全部で八冊ほどある。
本は好きだけど、さすがに一日で読むのは限界がある。頑張って半分ぐらいだろうか。
「まさか、絞りきれなかったのでとりあえず全部持ってきたんです」
「へえ」
「良かったらちょっと読んでみます?」
私がそういえば、彼は興味深げに一冊一冊手に取っては粗筋などに目を通していく。
失礼かもしれないけど、絵本に夢中になる子供のように見えて少しかわいいと思ってしまった。
折原さんが読んでいる間、少し無言の時間が出来る。
自然と真宵さんたちの会話が耳に入る。
「へぇ、お婆ちゃんもう90歳になったんだ?」
「そうなのよ、今日誕生日で。でも、まだまだ元気で私よりご飯食べるんだから」
「ははは、こりゃあ雛川さんのお婆ちゃんの記録抜くかもねぇ」
「……そういえば」
「ん?」
「折原さんの誕生日っていつなんですか?」
私の問いに、きょとんとした顔になる折原さん。
「あー……いつだろ?」
「分からないんですか?」
「学校に提出する書類とかもあるから仮のはあるけどな」
そういえばこの人は人の形をしてはいるけど人間ではなかった。時々忘れそうになる。
「そういう小日向は?」
「私ですか?12月8日ですけど」
「じゃあ、その時は何か作るか……何か食べたいもんあるか?」
「お気持ちは嬉しいですけど、まだ10月に入ったばかりですよ?」
「それもそうか……いや、ついな」
折原さんは頷いて、バツの悪そうに珈琲を啜る。
「……じゃあ、グラタンとか」
「え?」
「私の誕生日、いつもお母さんがグラタンを作ってくれたんですよ。だから、食べたいなって」
「グラタン……」
「あ、なんか問題ありました?だったら他のでもいいですけど」
「いや、分かった。グラタンな、覚えておく」
「はい、楽しみにしてますね」
カランカラン。
ベルを鳴らしてお店の扉が開く。
どうやらお客さんが来たらしい。
「さて、休憩はここまでだな」
折原さんが立ち上がる、がすぐに動きを止める。
「折原さん?」
「……小日向ものんびりしてられないかもしれねえぞ」
折原さんの視線を追えば、件の来客。
それは小柄な女の子だった。
黒い帽子を頭に乗せ、赤いケープを羽織っている。
特に目を引くのは頭に着いたウサギの耳。
その姿には見覚えがあった。
「おや、お二人ともお揃いで」
その子は赤い瞳を細めて、にんまりと笑う。
「折原さんに小日向さん、お仕事の時間でございます。至急、六分儀支部までお越しくださいませ」