西北西に進路を取れ陽光が照りつける荒野の街で、鳴神なるはぼんやりとただ空を見上げていた。
白い和服に軍刀を吊った姿はこの街でも目立つもので、先ほどから通行人がちらちらと視線を送ってくるが本人は気にした様子もない。
傍らには、華奢な彼女には似つかわしくない無骨な側車付きオートバイ。これまでの旅ですっかり砂埃に塗れているが、それでも黒いボディは陽光を反射して鈍く輝いている。
「暇ですね……」
手持ち無沙汰になって、いまや商売道具となった三味線を取り出してベベンと鳴らしてみる。
心なしかいつもより乾いた音を奏でているような気がする。
バイクの持ち主であり、旅の相方である藍染は買い物に出ている。なるも同行を申し出たものの、バイクの番をして欲しいと言われ先ほどから油を売ることを余儀なくされている。
まあ、このバイクに万が一のことがあればこんな場末の街で立ち往生だ。それは避けたい。
適当に道中ラジオで聴いた曲を奏でてみる。ちょっと違う。録音しているわけではないから記憶だけが頼りだ。
もう一度。今度はちょっと近づいた。
そんなことをしてれば時間はあっという間に過ぎ去るもので、気がつけば三十分ほど経っていた。
顔を上げ、ホッと息を吐くとちょうど紙袋を抱えた藍染の姿が目に止まった。
「やあ、練習熱心だね」
「他に打ち込むものもございませんから。まさか往来で剣の稽古というわけにもいきませんし」
「そりゃそうだ。はい、あんパンと牛乳」
藍染はそう言って、小さな包みを差し出してくる。
彼と旅をするようになって早数ヶ月経つが、買い物から戻った彼がなるに買ってくるものといえば毎度これだ。もちろん普通の食料もきちんと買ってくるのだが、それとは別に必ず買ってきては真っ先になるに差し出してくるのだ。
「藍染さん……前から思っていたのですが、あんパンと牛乳がわたくしの大好物だとお思いですか?」
「あれ、いらなかった?代わりに食べようか?」
「そうは申しておりません」
「ちなみに今日のはつぶあんだよ」
「それは実にマーヴェラスですね」
「牛乳はいちごにしてみた」
「パーフェクトです、あなたは死後極楽浄土へ行けるでしょう」
「あんパンと牛乳、大好物だよね?」
「……まあ、それなりに」
いちご牛乳についテンションが上がってしまった。
これ以上何か言うのを諦め、受け取ったあんパンを囓る。
控えめな餡子の甘さが口の中に広がるが、パンがただでさえ乾いた口から水分を急激に奪っていく。
慌てていちご牛乳を戦線に投入、パンをひたひたにして事態の収拾を図る。
「どうだい、今日のは」
「パンがちょっと固めですが、餡子は合格点ですね。粒も大きいですし」
「なるほど、なるちゃんはつぶあん派か」
「ええ、やはりお得な感じがするので……藍染さんはこしあん派なんですか?」
そう問われて、藍染は首を傾げつつ自身のために買ったらしい牛乳の蓋を開ける。こちらは珈琲牛乳だ。
「うーん、あんまり考えたことないね。仕事柄栄養面はよく考えてたけど」
「言われてみれば、わたくしも食について考えるようになったのは家を出てからですね」
「そうなんだ?」
「家にいた頃は美味しい食事が出るのが当たり前でしたから、どれが好きとかはあまり」
「お嬢様だったわけだ」
「自分で言うのは憚られますが、そうだったのでしょう。でも、今はあなたと同じ根無し草ですよ」
「これでもそれなりにいい暮らししてたんだけどねぇ」
それからなんとなく会話が途切れた。
なるは手の中のあんパンと牛乳に集中する。
やがて、最後の一欠片をいちご牛乳で流し込むと、パンッと手を合わせた。
「ご馳走様でした」
「お粗末様でした」
「それで?」
「ん?」
「これからどうするんです?」
「ああ、どうしようね」
「この街で宿探してもいいですが……」
周囲を見回す。日中だというのに閑散としている。
「あまり期待できないので、次の大きな街を目指すのも有力な選択肢ですね」
「次の街までちょっと距離があるし、今決めた方が良さそうだね」
「では、これを使いましょう」
なるはそう言って、ボロボロの財布から硬貨を一枚取り出してみせる。
「わたくしが初めてもらったおひねりです。悩んだときにはこれを投げて決めることにしているのです」
「なるほど、手っ取り早くていいね」
「表なら次の街へ、裏ならこの街で一晩過ごしましょう。いざ!」
宣言して、高らかに硬貨を宙に放る。
高く舞い上がり、やがて重力に従い落下を始めた硬貨は、しかし上空を横切った黒い影に掠め取られ手元に戻ってくることはなかった。
「あっ」
「あー……」
黒い影ことカラスは勝ち誇るように上空をぐるりと一周すると、西北西の空へと飛び去っていった。
「なんというか、運がなかったね……」
「藍染さん」
「う、うん?」
「バイクを、出してください」
地の底から湧き上がるような、低い声だった。
「なんて?」
「逃がしません」
「いやいや、相手は鳥だよ?どうするのさ?」
「わたくしの戦い方をお忘れですか?」
「……マジ?」
「マジです」
「……おーけい」
なるが相当ご立腹であることを察した藍染は大人しく頷き、バイクに跨がる。
隣になるが乗ったのを確認し、キーを回してアクセルを吹かす。5500rpmを誇る二気筒の空冷エンジンが唸りを上げ、車体は弾かれるように飛び出した。